Fate/Φ's Order   作:うろまる

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第七節「ファイズ復活」

 

 

 傷口から神経をじわじわと侵食していくジャンピングスパイダーの糸は、意思を持たされた黴のように、緩やかな速度でマシュ・キリエライトの意識を削りつつあった。粘ついた糸が皮膚と筋肉の隙間を通るたびに、焼け爛れたような鋭い痛みが、断続的に走り抜ける。痛みを少しでも逃そうとする身体はしかし、四肢を封じられたことによって、芋虫のように蠢くことしかできない。

 すぐ傍にある筈の盾は、掴もうとする度に立ち昇る湯気のごとく、掌を透けて消えていく。何も出来ない。走るための足もある、武器を振るうための腕もある。なのに、身体は一つも言う事を聞くこと無く。朦朧とする意識の中で、痛みの鋭い光だけが、かろうじて、マシュ・キリエライトという一個を形作っていた。

 

 ――声だけが、聞こえている。

 

「――なあ、水原。こいつら、どうするよ」

 

 澱んだ失意に沈むマシュの頭を踏みつけながら、吐き捨てるようにして、蜘蛛の異形の口腔が複雑に動く。大小四つの眼球は神経質なまでに、絶え間なく辺りを見回していた。その手には、奪い取った円卓が握られている。

 待ってましたといわんばかりに、カメレオンオルフェノクは湿った舌先を顔面に這わせながら、篭った口調で喋り出した。

 

「だからさあ、せっかくの生身の女なんだぜえ。犯しちまおうよぅ」

 

「黙れ、喋るな。てめえには聞いてねえ」

 

 辛辣な返答にも構わず、避役の異形はみっともなく喚き続けた。

 

「なあなあなあぁぁっ、冴子さんはさ、生け捕りにしろって言っただけなんだろぉ? だっ、だったらよ、別におれらの肉便器にしちまっても、いいじゃねえかよぅ」

 

「ぎゃあぎゃあ喚くなっ。クソが、てめえの声は癇に障るんだよ!」

 

 発狂にも似た怒声が、森閑とした廃墟に響き、オルガマリーの身体が僅かに震えた。腕の中で起きた微かな動きを逃さず感じた異形は、瘡蓋だらけの相貌を醜悪に歪め、てらてらと粘液が生臭くぬめる舌で、少女の白い肌を執拗に舐めずった。

 

「うひひっ、いい子にしてろよなぁ。そうすりゃ、あとでたっ~ぷり、おれ様の極太チンポに奉公させてやっからさあ」

 

「――ひ、ぅ」

 

 饐えた肉欲の気配が、少女の肢体に、蛇のように絡みついた。見る者すべてに嫌悪感を抱かせずにはいられない存在。怯えが混ざった表情と共に、絞めつけられた少女の喉から淡い呻きが漏れた。

 助けを求めて、彷徨う視線。今にも溢れ出そうとしている涙。それでも泣き喚きだけはしないと、みっともなく、しかし必死に噛み締められた唇。

 もはや、我慢の限界だった。

 

「――この、クソ野郎」

 

 爪を深く食い込ませた掌の隙間から、熱く燃え盛る血が滴り落ちた。視界が紅い憎悪で隙間なく燃えている。全身を苛む止まない疼痛の奥底から、それがゆっくりと顔を出そうとしていた。

 オルフェノクである以上、生涯をかけて向き合わなければならない、獰悪な破壊衝動。

 殺意より陰惨に穢れているそれは、飽和点を越えて溢れ出そうとしていた。

 悪態を聞き咎めたカメレオンオルフェノクが、大袈裟な仕草で巧に顔を向ける。途端、無機質な石像のような顔面に、不愉快な笑みが刻まれたように見えた。

 

「ああぁ~っ? なんだてめえはぁっ? ただの人間ごときが、おれ様オルフェノクに向かって、調子こいてんじゃねえよっ、ボケっ!」

 

 知性を感じない間延びした声が、唾を撒き散らしながら吐き出される。聞くに堪えない雑音を遮るようにして、水原と呼ばれた男――ファイズは、ファイズフォンの銃口を押し黙るキャスターへと向けた。金色の眼が、憤怒を宿して光る。

 

「俺としちゃ、そこの青髪野郎に用があるんだがな」

 

「ほほぉ、ご指名されるたぁ光栄だ。だが、オレがアンタに何かしでかしたか?」

 

 銃口を向けられているにも関わらず、平然とした態度を貫くキャスターに苛立ったのか、ファイズは嵐のようにがなり立てた。

 

「とぼけんじゃねえっ! てめえのせいでこちとら仲間が減ったんだ。一体、どう落とし前つけてくれるんだ? あ?」

 

「お前らの事情なんざ、オレは知ったこっちゃねえんだがな。……つうかよ、元々仕掛けてきたのはてめえらの方だろうが。自分の尻も拭けねえのか? おまえ。情けねえ」

 

 嘲笑混じりで放たれたキャスターの言葉に、ぶちりと、何かが切れた音が確かに聞こえた。

 

「……わかった。てめえだけは殺す。絶対楽には死なせやしねえ、じわじわと、苦しませて殺してやる」

 

 逆恨みに近い水原の破綻した言動に話にならないと判断し、キャスターが後ろ手で密かにルーンを描こうとしたと同時に、負傷した側の肩を、散弾のようにばら撒かれたアサシンの短剣が貫いた。呻きが飛び出さなかったのは、ほとんど意地に近い。苦痛を湛えた鮮紅の瞳が、錆びついた街路灯の上で陽炎のように揺らめく黒影を睨みつけた。

 

「アサシン、テメェは……」

 

 懐から再び数本の短剣を抜き取り、アサシンは嗄れた声で粛々と宣言した。

 

「指一本でも動かせば、次は、その男を殺す」

 

 枯木にも似たやせ細った黒い指先が、ゆっくりと巧を指す。途端、洗練された殺意の棘が、巧の脊椎を何度も突き刺した。白い髑髏の仮面は、相も変わらず濃い静謐を湛えている。しかしその奥にある筈の瞳が、じっとりと検分するかのようにこちらを見ているのを、巧は感じていた。

 

「――おい、アサシン。おまえ、最初からこいつらとグルだったのか?」

 

 キャスターの言葉に、アサシンはからからと嗤った。

 

「まさか。全くの初見だ」

 

「だったら、何でこんなのに肩入れしてんだ」

 

「貴様の言を借りるとするなら、今は聖杯戦争中なのだろう? 勝ち目のある陣営側に付くのは当然のこと。それに、サーヴァントである貴様を殺すのが最優先ではないのか? ――まさか、己が発言も覚えていられないほどの低脳だったとはな。呆れたぞ、キャスター」

 

「――テメェ、後悔するなよ」

 

「それはこちらの台詞だ。漂流者についたことを後悔して、死ね」

 

 暗器が冴え冴えとした月光を照り返し、鈍い光を放つ。痩躯から滲みだす殺意が、闇を渡り歩き、巧達を取り囲もうとしている。決めた。躊躇している猶予もない。変身するしかない。巧が覚悟を決め、指先から紋様が浮かび上がろうとした瞬間、殺気が産みだそうとした異変に気づいた異形が、倒れ込んだマシュの首を素早く掴み、見せつけるようにして高く持ち上げた。少女の苦しむ呻き声が、巧の動きを僅かに怯ませた。

 

「そこのガキ。妙な事してみろ、こいつ殺すぞ」

 

「――っ」

 

 そのひと言で動きを止められた巧の背後で、避役は涎を垂らしつつ声高に叫んだ。

 

「待てよ藤川っ! そのクソガキはおれが殺すんだっ! ――大人に、舐めた態度取りやがってよぉ。てめえみたいなのは、生きる価値もねえクズ中のクズ。産まれるだけ無駄だった、ゴミクズのカスだってんだ! そんな粗大ゴミのてめえはな、このおれ様が、直々に駆除してやるっ」

 

「……良いのかよ、水原」

 

「好きにさせとけ。どうせ、ゴミを掃除するってのは変わらねえんだからよ」

 

 振り向きもせず、ファイズはそう吐き捨てた。

 オルガマリーへの性欲よりも、巧への殺意の方が優っているのか。与えられた不可視の殺害許可を、宝物を触るようにして脳内で弄びつつ、嬉々として近づこうとする異形の足を、少女の小さな声が止めた。

 

「――してください」

 

「あ?」

 

「訂正、してください」

 

 喉から絞り出された声は、細く、薄い。だが、そこには確かな強い意志が、宿っていた。

 

「なにを、訂正するって?」

 

 異形が、ひきつけでも起こしたように嗤いながら問う。

 

「先輩は、わたしを助けてくれました」

 

 ――例えそれが、どんなにか弱い物だったとしても。

 

 舐めるようにして、全てが炎に押し流されていったのをよく覚えている。閃光と共に走り抜けた、筆舌に尽くしがたい衝撃。その後に残った物といえば、掌にこびりついた灰と、散らばる瓦礫の山と、見渡す限りの火焔。皮膚は黒く焦げ、吐き出されるか細い吐息は、烈火の如く燃える瘴気混じりの黒煙に飲まれた。乾いた喉から出るのは叫び声ではなく、すぐ足元まで迫っている死を予期して怯む喘ぎ声。押し潰された下半身からは痛みすら感じず、流れ出す血液と薄れ始めていた感覚と共になって、何か大切な物まで抜け落ちていくような幻想すら覚えていた。

 そして、黒く濁った死の足音が、耳元で鳴り響いた瞬間。

 

「先輩は――わたしの手を、握ってくれました」

 

 滔々と紡がれるマシュの言葉に共鳴するように、円卓が震え始める。白く清らかな光が、廃ビルにこびりついた闇を切り払っていく。異変に気づいたジャンピングスパイダーが、満身の力を腕に籠めた。何度聞いても飽きない音――首が折れる瞬間の、灌木を叩き割ったような音が、自らの耳孔を震わせてくれるはずだった。

 だが、

 

「それを、あなた達に否定なんてさせない―――!」

 

 光が、満ちた。

 

 盾を爆心地とした、絶大な魔力――それは次第に、聖なる牙城へとその形を成していった。決して許せない悪、暗雲の如く立ち込める困難、津波のように押し寄せてくるそれら全てを食い止める為に打ち建てられた、騎士■■■■■■のかつてありし故郷――。

 分厚い暗黒に覆われた天蓋を、白亜の逆光が塗り潰す。

 瀑布のように雪崩れ込む轟音と風の中で、少女は確かにそれを見た。

 誰もいない荒野に突き立てられた、傷だらけの円卓――。

 それは、まるで正義の御旗のごとく、少女の胸の中で高々と掲げられていた。

 簡単な事だった、と少女はそう思う。誰かを守りたいと、ただひたすらに思っていればよかった。

 そうすれば、己の中にいる誰かは必ず応えてくれる。

 いや――ずっと、彼はそう言ってくれていたのだ。

 

「宝具――断片、展開」

 

 呟かれた、一小節。

 瞬間、爆発と見紛う衝撃が、異形達の身体を走り抜けた。対悪宝具。邪悪なるものを拒む、絶対無比なる無敵の城壁。例え発現できたのが、僅かな断片だけだったとしても、その絶大な効力は弱まる気配を欠片ほども見せず。途方も無く巨大な何かにぶつかられたようにして、四つの影は痛みを意識する間も無く、壁に凄まじい勢いで叩きつけられた。

 

「―――っ!」

 

 闇の中で、確かに巧には見えた。宙に浮く、オルガマリーの身体。

 間に合え。

 半ば身体を投げ出す勢いで、予測位置に飛び込んだ。間に合った。傷だらけになりながらも、巧は投げ出されたオルガマリーの身体を両手を広げて受け止めると、腕の中の少女に向かって、案ずるかのように問うた。

 

「大丈夫か」

 

 オルガマリーは、ずずず、と鼻を啜りながら、途切れ途切れに答えた。

 

「…………うん」

 

「そうか」

 

 素っ気無く返答し、全身に怒りの気配を纏わせて起き上がるファイズの姿を見て、素早く飛び退った。その時、視界の端に、倒れ込んだオートバジンが入った。その有様に、腹の底から苛立ちを覚える。いい加減にしろ。限界まで腕を伸ばし、遥か先に見える横倒しの鉄塊を、潰すようにして握り締める。半分以上は、賭けだった。だが、信じていた。

 呼べば、必ず来ると。

 

 果たして、

 

「―――来いっ!!」

 

 男の雄叫びに、

 

 ―――鉄騎は、応えた。

 

 フュールコンバーターとブレインズコンバーターに内在されたソルグリセリンが加速度的に爆発、サスペンドされていた次世代高速CPU・スマートPCⅣの自律神経が一斉に復活を遂げた。刹那、可変型バリアブルビークルはその白銀の車体を、戦闘形態――バトルモードに変形させた。

 

「なん――だと!」

 

 瓦礫を蹴飛ばしてファイズが驚愕の声をあげた刹那、その胸部に、オートバジンの鉄拳が突き刺さった。ひび割れていた壁に更なる衝撃が走り、ファイズの身体が深々と奥底にめり込む。ソルメタル315製の金属装甲が、装着者が耐え切れない損壊を検知し、即座に変身が解除された。オートバジンは奪い取るように、落ちたファイズギアを握り締め、飛翔。脚部から発射される高圧ガスを撒き散らしつつ、巧の前に降り立った。

 

「――何だ、こいつは」

 

 キャスターが杖を向けつつ、呆然と口を開いた。巧は振り返りもせずに、簡素に答えた。

 

「味方だ」

 

「これが? ……何かあるとは思ってたが、まさか、こんな物だったとは」

 

 オルガマリーも呆気にとられてぽかりと大口を開いている。巧は何度も見慣れているから驚きこそしないが、それでもどうやって変形しているのか、この期に及んでもまったく見当がつかなかった。

 だがそれでも、来た。来たのだ。

 不意に緩みそうになった頬を誤魔化すように、巧はオートバジンを小突いた。

 

「おまえ、遅いんだよ」

 

 電子音が軽快に響く。鉄騎はその言葉に応えるようにして、巧の前にベルトを差し出した。

 

 ――長かった。

 

 ただひたすらに、そう思う。時間にすれば、たった数時間かもしれない。だが、いつの間にか、知らない場所にいて。頭がおかしい出来事に遭遇して。正直言えば、うんざりだった。今すぐ帰って寝たいという気持ちは、今でも変わらない。だが、

 こいつは、俺に戦えと言っている。

 ファイズギアを手に取って、腰に巻きつけた。馴染み深い暖かさが、全身に染み渡っていく。

 

「……おまえら、よくも好き放題やってくれやがったな」

 

 手慣れた仕草でファイズフォンを開き、コードを入力し始める。一つボタンを押す度に、身体が自然と戦闘態勢に入る。三度、響いた電子音。

 

『Standing By』

 

「――きっちり、借りを返してやる」

 

 高々と、天に掲げられた右腕。

 そして、希望の時を告げる一節が、放たれた。

 

「変身っ!!」

 

『――Complete』

 

 

 〇

 

 

 

「――ふじ、まる?」

 

 オルガマリーの呆気にとられた声が聞こえ、ファイズは微かに首を頷かせた。そして馴染ませるように、手を小刻みにスナップする。

 

「この野っ」

 

 飛び掛かったカメレオンオルフェノクの顔面に、渾身の右が入った。鼻っ柱をへし折られ、上体を反らした異形が鼻血を垂らしつつ、戸惑ったように立ち止まる。やがて、憎悪の咆哮。咥内から連続して吐き出される溶解液。遅すぎる。仮面の騎士は滑るようにして避けつつ、極限まで敵に接近する。極まった、潮合。ファイズの左フックが脇腹に突き刺さり、肋骨を粉々に叩き割った。苦痛に呻く間も与えず、腹部に膝を入れた。ファイズはなおも追撃を続ける。崩れるようにして屈んだ敵の腹を蹴って立たせ、再び顔面に右を入れた。嵐のような拳打が異形に放たれる。殴っている最中、不意に、オルガマリーの泣き顔を思い出した。放り出すようにして、敵を突き放す。開いた、間合い。振りかぶった、右脚。

 そして巧は全力で、敵の股間を蹴り潰した。

 

「ィ―――――――アががががぎガァッッッッ!?!?!??!?」

 

 耳を塞ぐ絶叫が轟いた。

 ぶちゅり、と柔らかい何かが弾ける音が、その中でも確かに聞こえた。続く悲鳴。そのまま蹴り上げて、宙に浮かせた。敵の視界が旋回し、地と宙が逆転する。積み重なり続ける痛みの波濤で、異形はもはや意識も失えなかった。

 吐き出される吐瀉物混じりの反吐を避けもせず、ファイズは首を掴む。そして、躊躇なく敵の脳天を地面に叩きつけた。

 アスファルトに頭部をめり込ませた敵を見る。もはや、戦えまい。残るは、三体。

 闇に紛れて、アサシンがファイズに高速で迫った。何故か、生かしておいてはならないと、本能が訴えているからだった。しかし、キャスターの炎がアサシンの進路を遮るようにして吹き荒れた。燃える外套を取り払い、アサシンは怒りの咆哮をキャスターにぶつけた。

 

「――貴様!」

 

「テメェにゃたっぷり借りがあるんだ。そう簡単に行かせる訳ねえだろうがよぉっ!!」

 

 背後で争う両者に紛れるようにして、炎の隙間から、ジャンピングスパイダーの毒糸がファイズの腕に絡みついた。構わない。装甲を透かし染みつく神経毒の感覚にも怯まず、渾身の咆哮と共に敵を手繰り寄せた。炎の壁を突き破り、蜘蛛の異形が節々を焦がしながらその姿を見せる。同時に疾駆。一瞬で懐に辿り着いた。焦る顔面に、右、と見せかけた。簡単なフェイント。しかし凄まじい殺気が、強制的にその両腕をあげさせた。空いた腹部への蹴りが炸裂する。破裂音と共に、蜘蛛の内臓が潰れた。吹き飛ぶ敵影。僅かに、逃走の気配が鼻を漂う。

 

 ――決して、逃がさない。

 

 ここで潰す。

 ファイズはファイズギア・クレードルに装着されているデジタルカメラ型パンチングユニット――ファイズショットにミッションメモリーをセットする。同時に、ミッションメモリーを抜き取られたファイズフォンを開き、エンターキーを叩き潰すように押した。

 

『Ready―――Exceed Charge』

 

 それは、断罪の電子音だった。

 血脈のように全身を走るフォトンストリームが、その輝きを次第に増していく。鮮血を思わせる真紅の閃光が、右腕に絡みついた白糸を瞬時に溶かした。そして、ファイズの拳が、黄金の光を纏う。

 成った。

 

「てめえはあああああっ!!!」

 

 怒り狂ったジャンピングスパイダーが踊りかかる。応じるように、ファイズも突撃を開始した。疾走するその姿は、黄金色の流星だった。

 徐々に縮まる両者の間合い。やがて、交錯の時が訪れる。スローモーションになった視界の中で、巧の意識は更に先鋭化されていく。もっと深く。もっと速く。

 そして、

 確かにその拳は、敵を貫いた。

 ファイズ、必殺の拳撃。

 

「――――ぐ、が」

 

 ―――グランインパクト。

 

 φの巨大な紋章が、異形の背後に浮かぶ。小さい呻き。そして、ジャンピングスパイダーはただの灰の塊となって崩れた。

 

「ひっ、」

 

 自分に向けられた、無機質なまでの輝きを放つ金色の複眼にポーキュパインは心底から怯え、ずるずると後ずさり、やがて堰を切られたように駆け出した。情けない悲鳴をあげつつ、思考する。まだ手はある。あの気に喰わない面をした用心棒――レオを呼べば、帝王のベルトさえあれば、事は容易く済むのだ。そもそもあんな低級のベルトさえ使わなければ、おれは、このおれが、こんなクソどもに、負けるはず、が――

 

「おい」

 

 闇から伸ばされた腕が、ポーキュパインの肩を掴んだ。そして、凄まじい握力で振り向かせられる。

 最期に映った、拳。

 

「ちょっとま」

 

 

 

 そして、キャスターの炎はアサシンを焼き尽くし。

 ほぼ同時に、ファイズの一撃が、ポーキュパインを打ち抜いた。

 

 

 

 〇

 

 

 

「――これは、一体どういうこと」

 

 詰問するような口調のオルガマリーに、巧は視線を合わせなかった。

 未だに涙目なのが恥ずかしいのか、目を合わせれば殺すとまで言われた。だが、涙目もクソも鼻水を垂らした泣き顔まで見てしまったのだから、もう手遅れなんじゃないかとは思ったが、また面倒な事になると考え直して、巧は指示に粛々と従った。何故か正座させられているのは全く分からないが、ヒステリックを起こされるよりははるかにマシだと無理やり思い込む。

 

「ちょっと、藤丸」

 

 押し黙る巧に業を煮やしているのか、オルガマリーはイラつきを隠せず、ヒールをかつかつと鳴らし続けている。その隣では、事態の推移を面白そうに見るキャスターと、傷を治療されつつ、心配げにこちらを見るマシュの姿があった。キャスターは絶対殴ると今決めた。

 

「こらっ、藤丸っ!!」

 

「……なんだよ」

 

 渋々といった感じで答えると、予想通り、オルガマリーは怒声を以って返した。

 

「だから、これは一体何なのかって聞いてるのよっ!」

 

 そういうとオルガマリーは、オートバジンのシートの上に乗せられたファイズギアを叩いた。そして、くううと呻いた。勢いよく叩き過ぎたのか、想定外の痛みと屈辱に震える瞳がこちらを睨む。

 

「……ベルトに、あの変な怪物。それとその……バイク? ……ともかく、あなたにはどこかおかしい所があるとは思っていたけれど、もはや看過できません。さあ、説明しなさいっ。一から十まで、全部っ!!」

 

「だから何度も言ったろうが。それはファイズで、あれはオルフェノクだ」

 

 巧のあまりに簡素すぎる説明に、オルガマリーは困り果てたように頭を抱えた。

 

「それはさっき聞きましたっ! わたしが聞きたいのは、あなたがどうしてあのベルトを使えるって事を、今の今まで黙っていたってことっ!!」

 

「手元に無かったんだから、しょうがねえだろ」

 

「そういう問題じゃないっ!! いい? わたし達は今、追い詰められてるの。そんな時になって、仲間に重大な隠し事されてみなさい。どう思う?」

 

「好きにさせとけ」

 

「……だからあっ!!」

 

「まあまあ、落ち着けよ嬢ちゃん」

 

 さすがにこれ以上熱くしてはいけないと、キャスターが二人の間に割り込んだ。

 

「よく考えてみろ、事情は後でいくらでも説明してもらえる。それに、それなりの戦力が増えたってのは吉報じゃねえか。オレに、盾の嬢ちゃん。それにベルトの坊主を加えりゃ、セイバーとアーチャーなんぞちょちょいのちょいだ」

 

「あなたは楽観的過ぎるのよっ。それに大体、こいつが戦力になるってのはまだ決まったわけじゃないでしょ。もし臆病風に吹かれて逃げ出したりなんてされたら、どうするのよ」

 

「それは、有り得ません」

 

 唖のように黙り込んでいたマシュが、明々とした調子で告げた。

 

「……何で」

 

「先輩が、先輩だからです。それに、所長も心の底では、先輩が逃げ出すような人なんて、思っていないんじゃないですか?」

 

「……それは、まあ」

 

 それを認めるのが癪なのだと、オルガマリーは子供のように唇を尖らした。やがて、溜め息をつき、いまだに正座を続けている巧に視線を向けた。

 

「……分かりました。とにかく、今はあなたを戦力として認めます。その代わり、帰ったらカルデアできっちり話を聞かせてもらいますから。覚悟しておくように」

 

「ああ」

 

 生返事を返す。説明がどうこうよりも、足が痛くてたまらなかった。そもそも、こんな瓦礫だらけの場所で正座をやらかす馬鹿はこの世の何処にもいない。立ち上がると、かすかな眩暈が襲った。

 

「それと、さっきは……ありがと」

 

 耳元で鳴り響くモスキート音が、言葉の語尾を削り取った。小声のせいもあって、まったく聞こえなかった。眉を顰めて、聞き返す。

 

「何だって?」

 

「だから……もう、いいっ」

 

 巧の顔を悔し気に睨みつけてから、オルガマリーはふんと鼻を鳴らして歩き出した。その後ろを控えめな速度でマシュがついていく。

 

「……何なんだ、あいつ」

 

 肩を怒らせて歩いているオルガマリーの背を見て、巧は女性という人種に存在する摩訶不思議さを改めて感じた。憤りと疑問を渦巻かせていると、キャスターが肩に手を回してきた。明らかに面白がっている面だった。

 

「おまえはもうちっと女心を理解しねえとなあ。そんなんじゃ、いい女に一生縁が持てねえぞ」

 

「いらねえ。離せ」

 

「ええ、おい。なんだ、オレの師匠でも紹介してやろうか?」

 

「だから、離せって。重いんだよおまえはっ!」

 

 何がそんなに面白いのか、巧の再三の怒声にも構わず、キャスターは笑い続けた。こいつ酔ってんのか、とすら思う。元の身体ならともかく、今の小柄な身体では抗うことすらままならない。巧が理不尽な力に甘んじようとしたその時、

 背筋を、

 殺気が、

 走って。

 

「―――――――――マジかよ」

 

 ぽつりと、キャスターの声。

 巧も、まったく同じ事を思っていた。わずかに聞こえる風切り音。超高速で近づいてくるなにかが引き起こしている予兆。

 それは死だった。

 今まで出会った誰よりも濃密な死を思わせる圧力。オルフェノクすら遠く及ばない。自然が引き起こす災厄全てを、無理やり人型に封じ込めたような。

 その気配が極まった、刹那。

 巧達の背後に、その巨躯は降り立った。

 黒い泥を振りまきながら、それはゆっくりと立ち上がった。全身を包む鉄塊のような筋肉。大樹の如き太さを誇る腕。磨き抜かれた巌のような拳。肩に担がれているのは、人間では触れることすらままならない、長大な斧剣。

 振り乱した長髪が揺らぎ、その奥に潜む眼球がじろりと巧達を一瞥する。その動作だけでも圧倒された。一つ一つの動きに、高密度の殺意が宿っていた。心臓が拍動し、呼吸は荒くなる。全身の細胞が退けと命じている。得体の知れない怖気が、背筋を高速で揺るがしながら駆け上がっていく。

 

「バーサーカー……」

 

 巧の耳に、聞き慣れない言葉が響いた。

 

「テメェ、あそこから動かないんじゃなかったのか」

 

 その場に留めるように、キャスターはバーサーカーに話しかけていく。その背後では、神速の勢いでルーンが編まれていた。間に合うか。巧も退がりつつ、オートバジンのエンジンをかける。

 呼吸すら留める刹那。

 ゆっくりと口が開かれ、

 世界を震わせる咆哮が、荘厳と放たれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

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