Fate/Φ's Order   作:うろまる

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第八節「駆け抜ける鉄騎」

 

 

 

 ごう、と風が唸り、ともすれば掠りかねない距離を、巨大な瓦礫が通り過ぎていった。

 数秒後、着弾。粉塵が舞い上がり、巨大な震動が地面を伝って、荒れ果てた高架道路を奔るオートバジンの車体を震わせた。

 大きく跳ねたリアから、オルガマリーの声無き悲鳴が飛び出す。身体に回されたか細い腕が、過剰なまでに締めつけを強くする。自分の肋骨が鈍く軋む音が一瞬聞こえた。こみ上げるような痛みが走る。

 

 ――こいつ、わざとやってんのかっ!

 

 悪態混じりにそう怒鳴ろうとしたが、そんな地味な嫌がらせをしている余裕がこの女に有るわけが無いと考え直し、巧は暴れ狂っているメーターを、八つ当たりするように睨んだ。200キロを少し超えた辺りで、長針は狂ったメトロノームのように揺れ動いている。まだ、足りないのか。焦燥が大きく煮えたぎりながら募っていく。

 振り返らずとも、感じられた。津波の如く押し寄せる、純然たる殺意。

 圧倒的な質量を持って迫る殺意の大元――バーサーカーは、その巨体に似合わぬ敏捷性をもって、巧達を執拗に追跡し続けていた。視覚か、聴覚か、それとも嗅覚か。滝のように全身を覆っている赤褐色の泥に塗れた相貌からは判別できない。空間を引き裂くようにして振るわれる斧剣のほとんどが、まったく見当違いの方向を切り裂いている事から、少なくともこちらを正確に認識出来ているわけでは無いらしい。

 が、それでも相当な脅威である事には変わりなかった。剣筋と呼ぶにはあまりにも粗雑な名残が、背後をちらつく度に、巧は死をこれ以上ないほど身近に感じていた。その上、投げ放たれる瓦礫は、徐々にその精密さを増しているときている。いっそ何もかもを投げ出せればどれほど楽か。

 

「――――すぴ、すぴーどをっ、スピードを、落としてっ! 落としなさいっ!! 藤丸っ! わたし、ほんとにもう限界、だからっ!!」

 

 風を割いて、オルガマリーの叫びが轟く。追随するように、半笑いのロマンの声が通信機から飛び出した。

 

『確かにこれは飛ばし過ぎだっ! 200キロ超えだなんて、ちょっといびられただけで吐いてしまう虚弱体質の所長に耐えられる訳が無い!』

 

「ロマニィ!!」

 

「いいから黙ってろ気が散るっ!」

 

 オルガマリーの悲鳴を振り切るように巧はギアを上げて、更に加速。全開まで振り絞る。

 ビルの谷間をどよめいている炎が、道路に蔓延る暗闇を払ってくれていた。吹きつけてくる熱気に汗ばんだ掌で、ぬめるグリップを強く握り締める。眼下を過るアスファルトは次第に流線状へと融けていき、競うようにオートバジンの速度は加速的に膨れ上がっていく。絶えず鳴り響く駆動音。乾ききった車道に、タイヤが規則的に轍を刻んでいく。跳ね上げられた砂利が宙を舞う。風を薄く切る疾走感はいつしか、分厚い風の膜を無理やりぶち破る、暴力的な物に成り果てていた。構わずしがみつく遠心力を強引にねじ伏せて、無人の道路を右へ左へと縦横無尽に駆け抜け続ける。

 だが、やはりと言うべきか、逃れられなかった。小さく歯噛みしながら、バックミラーを睨みつける。

 バーサーカーは目に見えるほどの瘴気を纏いながら、相も変わらず追跡を続けていた。酩酊者を思わせる、ふらついた足取り。しかし、どうやっても振り切ることが出来ないその影は、逃れられない悪夢が頭の中から這い出してきたようにも思える。

 

「――クソ」

 

 高速で流れゆく景色に悪態を吐いて、頭に湧いた馬鹿げた妄想を振り払う。瞬間、ともすれば吹き飛びかねない意識の中、背筋に感じた集束する殺気。まずい。咄嗟にハンドルを右に切る。だが悪寒は追随してきた。――間に合わない。

 そして、マシュの怒号とロマンの叫びが重なり、突風が荒れ狂っている鼓膜を鋭く貫いた。

 

『八時方角――』

 

「――来ますっ!!」

 

 咆哮。

 鉄杭の如く鋭利に角張った瓦礫を通りざまに拾い上げ、間も持たず狂戦士は、ほんの一呼吸で投擲した。正しい姿勢も糞もない、力任せの一投。だがバーサーカーの突出した凄まじい膂力は、ただの瓦礫一片を、絶対的な破壊力を内含する絶殺の突槍へと変貌させた。

 

「わたしが止めま――」

 

 言葉を中途で貫いて、音速を超えた衝撃が、咄嗟に掲げられた少女の円卓に突き刺さった。衝撃。世界が一瞬消えた。鼓膜に怒号にも似た爆音が破裂。瞬間、意識を取り戻したマシュの両腕に、脳髄を焼き尽くす激痛が走り抜けた。指先は焼失し、視界は一瞬で破滅の白濁に覆われた。脳髄が灼け、金槌で叩き割られたような頭痛。ぷつ、と何処かの神経が断裂する音が聞こえ、皮膚から沸騰せんばかりに煮え立った血液が勢いよく噴出する。生臭い血の芳しい香りに混じって、懐かしい死の匂いが、じわりと臭った。脳裏に浮かんだ、黒い言葉。

 死。

 

「―――ふ、ぐ、ぐぅぅぅぅあああ、ああああっ!!」

 

 感覚すら散り散りに千切れた腕を死ぬ気で動かした。ここで死ぬ訳にはいかない。地面に突き刺さった盾の一端が、壮絶な音階を世界に刻み込む。地面を削る靴の踵が、無数の火花を散らす。僅かに緩んだ、勢い。今しかない。臍下丹田に全身の気力を込めて、盾を殴るように振り抜いた。乱雑にいなされ行き場を無くした瓦礫が、高速で傍らのビルに突っ込む。轟音と同時に撒き散らされる砂塵。大きく、指先が震える。岩石のように強張っていた神経が一気に緩む。思わず取り落としそうになった盾をあわてて握り直した。

 命を拾った。

 数千、数万分の一。いやそれ以上低い確率で、自分は生還という結果を勝ち取れた。

 安堵を込めて、大きく深呼吸をしたマシュの、血涙の滲んだ淡い紫紺の瞳に、

 黒く、濁る。

 

『――マシュ!』

 

 影が――――

 

「――Ausuz!!」

 

 キャスターの杖先から、特大の炎弾が放たれた。濃密な呪は紅蓮に燃える火線を細長く引きつつ、直撃。至近距離からの砲撃を無防備に食らい、黒い鉄塊は後方に吹き飛ばされた。キャスターは崩れ折れたマシュの身体を横抱くと、すぐさま飛び退いた。直後に二人がいた空間を、斧剣が薙ぐ。噴煙を突き破って現れた鉄塊の如き面輪に、撤退の意思は欠片も見られず。憤怒に彩られた咆哮が、夜空に雄々しく轟いた。

 

「――だからランサーの方が良かったってんだ。杖だけじゃ――仕留めきれねえんだよ!」

 

 文句と共に杖が振るわれ、空間に八つの文言が並び立つ。直後、爆炎。アスファルトを舐め尽くすようにして、紅い濁流が目標物に殺到する。しかし、狂戦士は歯牙にもかけない。

 瓦礫を蹴り上げて即座の盾を造り、爆発と共に散らばった破片を、暴風と化した斧剣が薙いだ。塊が、散弾となって迫る。巧は振り向く事なく、ハンドルを一段と強く握り、無茶な軌道に対する悲鳴混じりの抗議を一切無視して、車体を左右に振って躱し続ける。小雨のように降り注ぐ礫が、アスファルトを鋭く穿つ。

 

「ロマニっ!! アレの解析はもう済んだのっ!?」

 

 オルガマリーの甲高い声に、ロマンは刺されたように呻いた。

 

『泥にまみれて判別できないんだ! これは、いや、泥の影響か? ――とにかくっ、今のバーサーカーは受肉してる状態に近いから、神秘の宿っていない攻撃も通用する筈だっ! ……たぶん』

 

「そんな事は聞いてないっ!」

 

「しっかりしろよ軟弱男っ!」

 

『な、軟弱男って……ひどい……』

 

 オルガマリー とキャスターの遠慮ない罵倒が飛び交う中、再び飛来した瓦礫を、何とか立ち直ったマシュの盾が叩き落とした。同時に、血に濡れた少女の顔に絶望にも似た驚愕が混じる。

 

「どうしたっ!」

 

「先輩いけませんっ、この先は――!」

 

 その声に、張り詰めていた巧の反射神経は即座に反応を見せた。遅れて視覚が追いつき、吹きつける風で乾いた眼球が、不平混じりに前方を視認する。

 思わず、眉を顰めた。

 闇夜を透かして浮かんだ道路の中間は、底無しの暗闇に引きずり込まれてしまったように、ぽっかりと穴が開いていた。折れ曲がった鉄骨を粗雑な断面から曝け出し、ひび割れたアスファルトの間から吐瀉物にも似た砂塵を断続的に吐き出している。向こう岸までの距離など、概算するまでも無い。結論などとうに分かりきっていた。

 

 ――無理だ。

 

「――あんなの、無理に決まってるじゃないっ!」

 

 巧とほぼ同時に結論に至ったオルガマリーの悲痛な叫びが、風を切って虚しく響く。キャスターが苦い舌打ちを鳴らした。

 

「野郎、これを狙ってやがったのか? ……泥臭えして、浅知恵働かせてくれやがる」

 

「……あの泥は、一体何なんですか?」

 

 マシュの問いに、キャスターは溜め息をついて、

 

「オレも詳しくは分からん。聖杯が何かしら関係してるのは確実だが、アンタらの言う人理焼却って奴も関わりあるかもしれねえ。――だが、一つだけ確かなのは、ありゃもうオレが知ってるバーサーカーじゃねえって事だ。

 理性も無く、信念も無く、技量も無く、誇りも無い。残ってるのは聖杯を手に入れる為に、全部皆殺しにしなきゃ気の済まないクソったれた本能――サーヴァントじゃねえよ、奴は。英霊に成り切れなかった、搾り滓みてえなもんだ」

 

 低く唸るように吐き出されたキャスターの言葉の端々には、あからさまな嫌悪が滲んでいた。自分でもその事に気づいたのか、取り直すようにして咳払いをする。

 

「とにかく、退路は無いんだ。こうなりゃ、ここで迎え撃つしかねえ。……盾の嬢ちゃん。あんた、城みてえなアレ、もう一度出せるか?」

 

「……分かりません。あの時は、ほぼ無意識でしたから。……欠片、のような物はあるのですが」

 

 ――多分、出せない。

 

 そういう確信があった。あの時何を思考し、何を実行したのかすら、塵一つとして憶えていなかった。あれをやってみせたのは、ほとんど自分ではない誰かだったと、マシュは今になってそう思う。もう一度やってみせろと言われても、全く出来る気がしない。残っていると言ってみせた断片すらも、あるかどうかもわからない、蜃気楼のような物に等しい。

 扉を開くための取っ手は確かに見えている。

 掴みさえすれば、きっと成せる。

 

 ――だが、掴もうとすればするほど、それは遠のき、消えていくばかり。

 

 行き詰まった事態の打破を見込めない空虚な雰囲気が漂い始め、やがてマシュとキャスターの視線は、決断を急き立てるかのように、不可視の実体をもって巧に突き刺さった。視線を全身で受けながら巧は思う。あまり、猶予は無いだろう。緩やかに迫りつつある断崖が、いっそ嫌味なまでに教えてくれていた。

 一拍の呼吸すら許されない状況の中。

 だが、巧は無言だった。

 

「――先輩?」

 

 マシュが小声で呟く。キャスターは横目で様子を窺う。オルガマリーは反応しない巧を訝しむ。

 それでも、巧はしばし無言でいた。 

 止めろと。出来るわけがないと、心の何処かで、そう囁いている自分がいるのがわかる。今なら、まだ引き返せるだろう。キャスターが言う通りここで立ち止まり、背水の陣で戦えば、ひょっとすれば生き残れるかもしれない。だがそれは、無限に広がる茫漠とした砂漠の中から、たった一粒の砂金を見つけだす難事に等しい。巧は半ば確信している。間違いなく、無駄死にするだけだと。

 まともで正常な神経を持つ人間ならば、そもそもこんな選択肢すら思い浮かべはしない筈だ。否定する訳にもいかない怯えが、背を這いずっている。少し手を伸ばせば触れられそうなほど、確実な死が近くにある。両手に纏わりつく倦怠感が極限まで高まり、ハンドルを握る巧の手を、ゆっくりと緩ませようとした瞬間。

 

 ――鼓舞するように、低いエグゾーストノイズが鳴り響いた。

 

「……おまえ」

 

 オートバジンは、それ以上何もしなかった。激しい振動と共に、巧が望む動きをひたすらに続けている。それはまるで、乾巧が下す決断など疾うに分かっていると、宣言しているように見えた。

 

「……そうだな」

 

 独りごち、苦笑と共に澱んだ思考を脳から叩き出す。

 ウジウジ考えるなど、性に合わなかった。そうだった。元より俺に引き退るという選択肢など、ありはしなかったのだ。全身にこびりついている筈の無数の灰を思い出す。

 ――誰かの命を、踏みにじったあの瞬間から。

 辿れる道は、ただひとつ。泣いても叫んでも、それしかないと言うのなら。

 俺は――

 

「――ねえ、藤丸っ! あんたこの期に及んでまだ寝ぼけてんのっ!?」

 

「キャスター」

 

「なんだ?」

 

 がなりたてるオルガマリーを無視して投げかけられた巧の言葉に、キャスターは一瞬だけ正気を疑うような目つきをし、やがて獰猛な笑みを端正な相貌に刻んだ。

 

「……おまえ、正気の沙汰じゃねえな。よくもまあそんな事を」

 

「出来るか?」

 

「ヘッ、オレを誰だと思ってやがる。アルスターの大英雄、クー・フーリンだぞ? それぐらい朝飯前にもならねえよ」

 

「頼む」

 

 キャスターは両眼を閉じて、得体の知れない文言を唱え始めた。次いで巧は、マシュに視線を送る。キがつくほど真面目かつ頑固な少女を納得させるには骨が折れそうだったが、マシュはただ巧の眼を見て、しっかと頷いた。それだけで充分だった。

 すべての準備は整った。ハンドルを握り締めようとした巧の耳に、オルガマリーの声が届いた。

 

「ちょっと、あなた達、何考えてるの? 何する気?」

 

 蚊帳の外にされている苛立ちと、急速に進められていく事態に対する焦燥が入り混じった情けのないその声に、巧は、ただひと言だけしか言わなかった。

 

「――しっかり、つかまってろ」

 

「何を――」

 

 言ってる、と続く筈だった言葉は、無常にも虚空の中へと消えた。

 加速。

 急激な速度の上昇に遅れて、オルガマリーの顔面が巧の背中に叩きつけられた。無視。握り潰す程に締められたハンドルが、エンジンに壮絶な過負荷をかけ、不穏な唸りを上げさせる。それも無視。地面に不可視の線が高速で刻まれていく。すぐ傍まで迫っていた魔物の姿が、急速に遠ざかっていく。その代償として、寸前まで迫る断崖。もはや、手が届く位置にあった。まだだ。最後の最後、限界まで振り絞る。意識が白熱し、鉄騎と己が一体と化した。世界が流線状に融け始める。強い意志を宿した轍が砂塵の飛沫を上げて、灰色の海を断ち割っていく。

 

「――まさか、まさか、まさかっ! 藤丸っ!!」

 

「その――まさかだ」

 

 意識を取り戻し、己がおかれている状態を把握したオルガマリーの脳髄に、まさかやる訳が無いと、暢気な意見が浮かぶ。悪い冗談だと、ほんの少しからかっただけだと、返ってくる筈の答えを待ちわびた。

 返って来なかった。

 そして、巧とオルガマリーを乗せたオートバジンは一瞬の静寂の後、加速した衝撃を伴って、

 空を、

 駆けた。

 

 

「――――――――――――――――――――――――――――――ッ!!!!!!!!!!!」

 

 

 オルガマリーの喉から飛び出した悲鳴は臨界点を超えて、常人の喉では到底出せないだろう超音波じみた物となっていた。はっきり言って五月蠅すぎる。だが構わない。耳なんて潰れてしまえばいい。鼓膜を破らんばかりの音声の中で、キャスターの極限まで練られた濃厚な魔力が、向こう側の橋桁を木端微塵に打ち砕いた轟音と、橋脚諸共に瓦礫の海へと飲み込まれていくバーサーカーの無念の叫びが聞こえた。

 残ったのは、ただ一つ。

 届くか。――否、

 届かせる。

 中空に橋を架けるように、車輪が虚しい空転を幾度となく繰り返す。届けと、力強く願う。だが願うだけで叶うのならば、ここまで世界は苦労しなかっただろう。巧とオルガマリーを乗せて、駆けた鉄騎は刹那の銀翼を散らそうとしていた。急速に近づく地面、渦巻く炎の中に、伸ばされる死神の腕を確かに見た。

 

 ――せめて、こいつだけでも。

 

 巧の手がオルガマリーの襟首をつかむ。渾身の膂力を込めて、持ち上げようとしたその時、

 オートバジンの後輪を、円卓が弾き飛ばした。

 雲の上を歩いているような、現実味を感じられない浮遊感から一転。引き戻された巧は我に返ると、荒れ狂う機体を抑えつけ、アクセルを強く捻る。大きく弧を描いて、前輪が断崖ぎりぎりの部分を噛み、そこを基点として車体が大きく円の軌跡を地面に刻む。数秒の沈黙。やがて、オートバジンはその役目を終えたように、ヘッドライトの灯りを消した。

 乗り、切れた。

 

「――――は、あ」

 

 強張っていた神経が解かれて、全身を弛緩させた巧は思わず溜め息を吐いた。今度こそ本当に死ぬと覚悟した。これまで何度も死ぬような目には合ってきたが、今ほどそれを身近に感じたことは無い。自分の無謀さに思わず倒れ込みそうになったのを必死にこらえて、傍らに降り立ったマシュを見やる。膝に手をつき、荒れた息を吐き出している。

 

「――ありがとな」

 

 巧は、自分が思った以上に素直に礼が言えたことに驚き、何となく決まり悪い気持ちで頬を掻いた。

「――当たり前です。わたしは、先輩のサーヴァントですからっ」

 僅かに目を見開いた後、誇らしげに胸を張る。荒廃した街に似つかわしくない、和やかな雰囲気が漂い始めた中、腰を抜かしてしがみついていたオルガマリーがいきなり大声を上げた。

 

「この、大バカぁ――――――っ!! もうほんとにしんっじられない―――――――――っ!!!」

 

 耳を塞ぐ暇などある訳が無く、至近距離で直接喰らった巧の耳朶に、キ――――ン、と金槌でぶん殴られたような、鋭い耳鳴りが奔り抜けた。一瞬、視界が白く染まり、わんわんと脳髄を金切り声が反響する。

 

「――うるせえっ!」

 

 堪りかねた巧の、腹の底からの怒声にも負けずに、オルガマリーは怒鳴り返した。

 

「ぜっっっっっっったいあんたの運転するバイクにはもう乗らないっ! ありえないっ! あのね、バイクってのは、道路を走るために造られたの! 間違っても断崖絶壁を飛び越えるために造られたんじゃないっ!! このバカっ! バカバカバカバカバカっ!! 大体、落ちたらどうするつもりだったのよっ!」

 

「成功したから良いだろうが。それより離れろ。熱い」

 

「あんたのせいで動けないのよ!!」

 

 本人は精一杯ドスを利かせているつもりなのだろうが、しがみついているせいでいまいち締まらない。うんざりした巧が腰に巻きつけられた両腕を無理やり振りほどいていると、いつの間にいたのか――キャスターが杖で肩を叩きつつ、巧達の様子を面白げに眺めていた。

 

「お二人さん、痴話喧嘩もいいが、そろそろ動かなきゃまずいぜ。オレも少し、疲れたんでな」

 

「あなたは黙ってなさいっ! ……でも、確かにそうね。あれだけでバーサーカーが止まるとは、思えないし」

 

 怒りでぐつぐつと煮え立っている頭を冷やして、オルガマリーは積み重なった瓦礫の山を見た。暴れた子供が玩具箱を引っくり返した後のように、乱雑に積み上げられた大小様々の瓦礫が、ちょっとした小丘を形作っている。一体、どれだけの規模を誇る魔術を使ったのだろうか。そして、橋を半壊させるだけの大魔術を使っておきながら、少し疲れた程度で済んでいる目の前の男もやはり、サーヴァント――超常の存在なのだ。

 真名は判明していないが、恐らくはバーサーカーもそういった名のある英霊の一人に違いないのだろう。あれだけの質量をまともに喰らっておきながら、隙間から響く唸りに翳りは一切見られない事に背筋を震わせた。しかし、その存在意義を根底から歪めてしまうあの泥は、一体何なのだろうか。なぜ、キャスターは泥に塗れていないのか。冬木に一体何があったのか。

 ――何故か、踏み込んではならないような気がした。

 

「どうした」

 

 物思いに耽る少女を訝しげに巧が見る。何でもないと煩わしげに手を払って、オルガマリーは瓦礫の山を無表情に見るキャスターに問いかけた。

 

「……それより、これからどうする気? これだけやっても無理なら、バーサーカーはわたし達じゃ倒せないし。それに、アーチャーとセイバーまで残ってるんでしょ?」

 

「さあて……どうするかねえ」

 

 考え込んでいたキャスターが不意に首を上げて、燃え盛るビルの群れを見る。追随するように視線を向けると、蒼白い流星が遥か天上目掛けて雲を裂いていた。

 

「あれは……」

 

「アーチャーか。……よし、良い考えを思いついた」

 

「……ものすごく嫌な予感がするから一応聞いておくけど、どんな」

 

 無数に連なるビルが生み出す炎の壁。その先にある柳洞寺を確かに見つめて、キャスターは笑った。

 

「バケモンに、バケモン。サーヴァントには、サーヴァント。なら泥野郎には、泥野郎をぶつけるってな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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