官渡の戦い、下準備開始。
「狩り以外で山に入るなんて、随分久しぶりね・・・」
涼州に居た頃は月と共に何度か行ったこともあったけれど、洛陽に行ってからはその回数もめっきり減ったし、月が徐晃になってからは『昔の勘を取り戻したいの』とか言って大きな獲物ばっかり狙ってたから必然的に『山に入る=狩り』になっていた。
「詠さん・・・ そのお気持ち、痛いほどわかります」
僕のやや前を進む樹枝から同意され、そのげんなりとした姿を見て私達の後ろからよく通る笑い声が響く。
「はっはっは! 随分軍師らしからぬ殺伐とした生活を送っていたのだな、詠よ」
「まぁね・・・」
軍師らしい精神がすり減るような殺伐さじゃなくて、血に塗れるような武官寄りの殺伐さなんて普通あり得ないものね・・・
「それにしても、どうしてこの人選なんでしょうね・・・」
樹枝がわざとらしく後ろの星を見ながら言いだし、僕は思わず額に手を当ててしまった。
「き・・・」
「それはこちらの台詞だな、樹枝・・・ いいや、
僕の注意の言葉が飛ぶ前に星が返してしまい、頭痛の次に溜息が零れて落ちていく。
「なんですか? 子ども達の
「先日は初舞台おめでとう、海和ちゃん。
貴公の働きにより兵の戦意は高揚し、民には良い息抜きになったに違いない。本当の性別を知っている私ですら可愛らしいと思わずにはいられない、実に見事な舞台だったぞ。しかし、踊りも歌も玄人である三人からも認められるとは・・・ 本当に本来の性別を皆に偽っていないのか? 海和・・・ おっと間違えた、樹枝ちゃん」
行く前に決めた配置を乱していることを気にしてないんだか、気づいてないんだか知らないけど、二人は並列になって至近距離から睨み合う。
「あれはあくまで仕事で、僕はほとんど強制的に女装をさせられたんだと何度説明すればわかってもらえるんですかね? ほとんど戦果を挙げたこともなければ、そこらの賊を討伐したことでしか名を挙げたことのない常山の昇り龍さん」
「仕事仕事と言うが、随分女装経験が長いと筆頭軍師殿からは聞いているがな? 化粧に至っては人の手を借りず、自分で行えるほどとは・・・ 年頃の娘よりも慣れているのではないか?
貴公が言う変態仮面とは仮面の下は眉目秀麗と噂され、悪をくじいて弱きを守るあの高名な華蝶仮面ことか? 確かに私は眉目秀麗であり、悪をくじいて弱きを守る強さと優しさを兼ね備えているがあの者の正体を誰も知らない。私はただの・・・ いいや、日輪の元に漂う雲海を泳ぐ趙子龍だ!」
喧嘩をしてる二人を横目に見つつ、僕は地図を開き、道がずれていないことに確認する。
今回、僕達三人が任された仕事は迫りくる袁紹軍の補給拠点となるかもしれない場所の調査。
そのついでに途中まで行き先が同じだった張姉妹を送り届けることも仕事に含まれてたんだけど・・・ 何故か樹枝が『海和』という
「あんな誰から見ても一目瞭然な姿を変装なんて口にする度胸には一目置きますが、緑陽にあんなものを見せた場合は鼻で笑われますね。というか、是非笑われてきてください。
第一、役職すらまともに決まっておらず、立場的には牛金よりも下っ端のあなたが雲海を泳ぐなどと口にすること自体が烏滸がましいんですよ!」
「変装の玄人にしか見破れないほど素晴らしいということだな!」
「そうじゃねぇよ!」
言葉を前向きにとって胸を張る星に樹枝は飽きることなく怒鳴り、口論は終わることなく続いていく。
「それにしても不思議よね・・・」
僕から見ても樹枝は誰に対しても友好的で、稀にある失言を除けば話をしていて人を不快させることもない。それは私生活から見ても、仕事での上下関係がある場合でも変わる様子は見られなかった。現にあれほどの失言をして殴られているにもかかわらず、多くの者から嫌悪を抱かれていないのがいい証拠だろう。
だからこそ、目の前で繰り広げられているこの舌戦は完全に想定外だった。いや、もしかしたら指示を出した華琳達ですら想定外だったかもしれない。
「はぁ・・・」
本来ならこうした偵察任務は司馬姉妹に任されるんだけど、あまりにも多忙のため僕らに回ってきた。それを考えれば役職が明確に決まってない僕や星に任されたのは理解できるんだけど、本来なら武官も文官も務められる樹枝が任されるようなことじゃない。仲間になって日が浅い僕ら二人に対してのお目付け役を付けるのなら、それこそ警邏隊を務める三人の誰かでもよかった筈。
「お互い、何がそんなに気に入らないっていうのよ」
「「全部
試しに聞いてみれば二人は同時に振り向いて叫び、すぐさま睨み合いに戻る。
「僕から言わせれば仮装癖も女装癖もどっちもどっちだし、この喧嘩を見てても似た者同士でしょうよ・・・」
仕事となれば多少ふざける部分はあっても基本真面目に行えるし、文官も武官も兼任できるという部分も同じ。名家と傭兵にも似た環境からの名を上げた違いがあっても、どちらもそこそこ民に名が知れ渡ってるところも似てる。
「仕事で強制される僕と、趣味であんな姿を人前にさらすこんな変人と一緒にしないでください!
大体、樟夏の婚約者となった公孫賛殿を保護するまでは良しとしますが、幽州で客将待遇の方々全員を受け入れること自体反対なんですよ!!」
馬上で星のことを指さして怒鳴るけど、正直僕に言われても困るのよね。
そういうことが決まったのは連合の折らしいし、僕と樹枝が事情を完全に熟知しているわけではない上に既に決まってたことだから口出ししようもなかった。
「兄上や華琳様の知り合いであった風さんや稟さんは仕方ないんでしょうけど、『常山の昇り龍』なんて名ばかりで実績皆無のこの方を引き入れて何になるんです?! 挙句華蝶仮面騒ぎで訪れて数日で警邏隊にお世話になってたじゃないですか!」
「星・・・」
あんた、そんなことやってたの? と確認の視線を送れば、すぐさま視線が逸らして手近にあった葉をちぎって草笛を吹き始める。
実績については・・・ 放浪してた傭兵みたいな武官に求めるのは酷じゃない?
「星、あんたの言い分も聞くから言いなさい」
喧嘩の仲裁に入った以上はどっちの言い分も聞かないと不平等だし、中立以上のことをしちゃいけないのが難しい所なのよね。
「よくぞ聞いてくれた、詠よ。
私とて樹枝が憎いわけでもなければ、嫌なわけではない。だが、数度会った時からこの調子では私も態度が悪くなるというものだろう」
「は?」
言葉の真偽を確かめるべく樹枝に視線を戻せば、樹枝は何かをして誤魔化すこともなく見つめ返し、何か理由があると物語っていた。
「会って挨拶し、真名を交わした直後に他の方と混ざっていじってきた人間とどう仲良くしろと?」
前言撤回。そんな必死な感じじゃなくて普通に怒ってるだけだわ、これ。
「なっ、その程度でか?!」
「その程度? その程度で空を飛んでたまりますか!
大体華蝶仮面にしてもそうですよ、あなたは楽しんでやったつもりなんでしょうけど治安維持がしっかりなされているあの街であんな仮面女が出て来たら騒動になるに決まっているでしょう! あの時の凪さん達の顔をよく思い出して猛省してください!!」
「人が仲裁しようとしてんのに、勝手に喧嘩再開してんじゃないわよ!!」
二人の間に馬を割り込ませ、物理的に距離を置くことに成功させたけど・・・ 視線のぶつかり合いが鬱陶しい時の対処法ってどうすれば・・・
『目潰しやな!』
『あたしら軍師が直接殴るのは距離を詰めすぎて危険だから砂とか葉っぱとか? あっ、重くないなら枝でもいいかも』
すぐさま浮かんだ友人達が物騒なことを告げた上に、役に立たない件について。
「他の者が許されて、何故私が同じようにしてはいけない?!」
「入ってきたばかりで遠慮する様子もなく兄上に引っ付くわ、騒動は起こすわ、実績がない上に現段階ではほぼ無職の方にまで馬鹿にされる謂れはありません!」
これって樹枝の言い分の方が正しい、わよね?
僕ももし入ってきたばかりの樹枝がそんなことしたらきっと嫌いになってたでしょうし、良い印象を持つことは出来なかったと思う。けど、いつまでも喧嘩してたんじゃキリがないのよ。
「その星の仕事についてなんだけど、いくつか候補が上がってるわよ」
「えっ、そうなんですか?
っていうか、むしろ何故詠さんがそんなこと知ってるんです?」
「だって僕、軍師だし。
あと、あそこ軍師が多いから定期的に情報共有ってことで会議とは別に集まりやってんのよ」
あぁ、やっぱり一般の文官扱いされてる樹枝は知らないのね。
星が何かを期待するように目を輝かせてるけど、別に仕事なんだから嬉しいような配備なんてないと思うんだけど。
「軍師の集まりというのも興味深いが、私の配属はより気になるな。
どんな素晴らしい所に私を配備させるつもりなんだ?」
「素晴らしいかどうかはわからないけど、あんたはなんだかんだ言いながら文官仕事も出来るから関の管理者とかにやらせてみようって案が出てるのよね」
「風か?! 風だな!! それとも稟か?!
そんなに私を冬雲殿から遠ざけたいのか、あの二人は!」
詳細を言わなくても誰が言い出したかを言い当てる辺り、よくわかってるわね。けど、一つ勘違いもしてる。
「確かにあの二人が言い出したし、嫉妬がまったくないなんてことはないんでしょうけど・・・」
「それしかないだろう!」
「ざまぁ、超ざまぁ」
「星は、黙って最後まで聞きなさい。
樹枝は、人を指さして笑わない!」
涙目になる星とそれを見て笑う樹枝の両方の頭を叩きつつ、一度咳払いしてから告げる。
「あんたの実力と今の戦力配分から言って、妥当な判断ではあるわよ。
警邏隊が街を守ってるし、武将の数は揃ってるし、軍師の数も言うまでもない。補佐を付ける余裕もあるから、星だけじゃなくて赤根や霞・千里も候補者に挙がってるわ」
警邏隊の基礎はほとんどの兵に叩き込まれてるから分隊を作って同じように広げていけば問題はないし、街づくりの基礎も完成しつつある。あと不足しているのは技術者の育成なんだけど、こればかりは時間が必要だし、ゆっくり解決していくしかない。資金や商人達からの支援の問題も先延ばしにされていたけど、それも劉備陣営がもたらした名士との繋がりで解決の糸口は得た。
「それならば、条件としては樹枝も同じだろう!
大体、私に関の管理者など向いているわけが・・・」
「同じことを集まりの席で僕が言ったけど、樹枝より柔軟に中央の雑用仕事を行える人材がいないらしいわ」
「そんな理由なんですか?!
言いそうな方が多すぎて、誰が言ったか想像つかないんですが!?」
「というか、私が管理者に向いてないことは否定しないのだな?!」
この二人、本当は仲が良いんじゃない? それとも似てるからこその同族嫌悪なの?
「そのために補佐を付けるって言ってんでしょ」
もしかしたら星は一人で関の管理かもしれないけど、それはあえて口にしない。
見せる相手が一般兵しかいなくなったら、華蝶仮面もやらなくなるかもしれないという期待も込められてんのよね。
「っと、そろそろね」
「星さん」
「承知している」
僕がそういったのを合図に樹枝が馬を降りて僕に手を伸ばし、星も馬から降りて得物を握って辺りの警戒を始める。
仲は良くないけど、仕事に支障をきたさないのがせめてもの救いね。
「だが、ここまで地図通りだとかえって拍子抜けだな」
「地図になかった補給拠点はいくつかありましたし、文句を言ってる暇があったら周囲を警戒しててください。馬鹿蝶仮面さん」
「華蝶仮面の正体は不明だと言っているだろうが」
声を抑えつつも口喧嘩をやめない二人に呆れた視線を向けつつ、この二人はこうでもしないと会話を成立させることが出来ないんじゃないかと思えてきた。
「建設途中である今こそ攻め時だと思うのだが、どうだろうか?」
「今回は場所の確認だけで十分よ。
建設途中で燃やして新しい補給路を用意されても厄介だし、場所さえわかってればどうともできるもの」
遊撃隊は別の重要な任務があるから離れられない可能性が高いけれど、霞の騎馬隊が大いに活躍してくれる。それに隊を動かさなくても星や秋蘭、英雄を動かして燃やすだけ燃やして来ればいい。
「手柄を焦ってるんですか? 星さん」
「否定はしないが、それとは別に奴らには幽州での借りがある。
白蓮殿の判断が間違っていたとは思わないが・・・ 友の涙の分はしっかり取り立てなければな」
声こそいつもと変わらないけど、星の顔から表情は消え、それが本気だということが十分伝わってきた。
「詠さんは何かあります?」
「・・・いいえ、特にはないわね。
出入り口もわかったし、場所の特定も終わったんだから、さっさと帰って報告するわよ」
「そうですね。
じゃぁ、戻るとしますか」
僕達は早々に引き上げ、その場を後にした。
次は白ですかねー。
忙しい日々が続きますが、書き続けていきますよー。