そして皆様、ハッピーバレンタイン。
『麗羽』
優しいお母様の声が聞こえて、目を開く。
するとそこには満面の笑みのお母様がいて、嬉しくて涙が零れそうだった。
『今日は涙なんて似合わないぞ、麗羽。
なぜなら今日、お前は大陸で一番幸せになるのだから』
お母様の隣に並んだお父様の言った言葉の意味がなんとなくわかって、同時にこれが幻なんだと気づかされる。
『麗羽』
呼ばれる声に左を向けば、華琳さんが素直じゃない笑顔で
『麗羽様』
今度は二人分の声が聞こえて後ろを振り向くと、斗詩さんと猪々子さんが居てくれる。
そう、いつも居てくれた。
お爺様とも、お母様とも、華琳さん達とも違う同い年の彼女達が傍に居てくれると不思議と安心することが出来た。
『嬢や』
少し離れた場所からお爺様の声が聞こえて、声だけでどんな顔で私を呼んだのかがわかる。
『坊が待っておるぞ』
お爺様がそう呼ぶ人を、私はこの大陸で一人しか知らない。
お爺様の言葉にお母様や華琳さんまで道を開け、私を扉の先に促す。
それだけでこれが何の日なのか、どんな日なのかが理解する。
私も胸の高鳴りを感じながら扉を開くと、そこにいたのは彼。
私へと幼いあの日に何度か向けてくれた笑みを、いいえ・・・ それ以上に特別なものを私に向けてくれる。
『麗羽』
この想いを表すのに、最愛なんて言葉じゃ足りない。最高なんて言葉はもう陳腐に聞こえてくる。
「樟夏さん・・・」
どれだけの言葉を向けても、振り向いてくれなかった ―――― 彼にとって私の言葉は世辞だと思われて
どれだけ見ていても、その視線を気づいてもらえなかった ―――― 彼にとっての私は、華琳さんと競い合う者であって
そうしていくうちに、あなたへの行動は想いとは逆にこじれていった ―――― それでも根底にある想いは何も変わらず、真っ直ぐすぎて
『麗羽・・・ 綺麗です、とっても』
だから、私が彼から苦手意識を持たれていることは知っていて、自業自得でもあった。
多くの方が身分と華琳さん目的で近づいて彼を傷つけ、彼の才の真価を理解せずに貶め、彼自身が己を守るために何かを諦めても。そして、私自身が彼を諦めさせてしまった一因だと知っていても・・・ それでもずっと、ずっと好きだった。
初めての恋で、愛を捧げたいと思った相手で、愛してほしいと願った方。それが彼だった。
「樟夏さん、私はずっと・・・ ずっとあなたのことをお慕いしていました」
何を失っても、何が変わっても、大陸がどうなろうと。
「私を今日、大陸一の幸せ者にしてください」
この夢の中でだけは、幸せでいたかった。
いつに戻れば、この夢は叶ったのだろう?
袁家と曹家、家としても、立場としても相応しい婚姻。
それはけして私の夢想ではなく、将来的にはそうなるだろうと思われていた決め事のようなことだった。
ならばいつ、約束された未来は変わってしまったのだろう?
どうしたら、美羽さんをうまく守ることが出来たのだろう?
袁家から遠ざけるのではなく、あの子を庇護する道を選んだら、美羽さんは死なずに済んだのだろうか。
何故、彼はずっと傍にいた私ではなく白蓮さんを選んだのだろう。
どうしたら私は、樟夏さんの隣にいることが出来たのだろう。
どうしたら私は・・・
「・・・い羽様ー? 寝てんすかー?
起きてくださいよー」
初めは遠くに聞こえた声が、意識がはっきりしていくにつれて何なのかがわかっていき、私は目の前に来ていた猪々子さんの顔を遠ざける。
「起きていましたわ。
この私が戦場で居眠りなんてこと、あるわけないでしょう」
本当はしていたけれど、これが袁紹としての私。私が被り続けると決めた、袁紹の仮面。
「麗羽様、ここんとこ寝れてないみたいですもんねー。
まっ、あのいけすかない許攸がいない間ぐらい平気っしょ」
「ですから、私は寝てなど・・・」
「でも、よかったんっすか? あの野郎に宣戦布告なんて任せちゃって。
曹操様、今頃すっげー怒ってそうですけど」
私の言葉を全く聞かずに話し続ける猪々子さんには呆れますが、まともに相手をしていたらこちらが疲れてしまいます。
―――― そうです、これが彼女なりの気遣いなんてわからなくていいのです。私は袁本初なのですから。
「気にすることありませんわ、華琳さんの相手なんて許攸さんに任せてしまえばいいんです」
私が何を言ったところで
「袁紹軍の頭脳である彼が向き合うのなら、何の支障もないでしょう」
それに華琳さんがあれを相手にするとも思えません。
華琳さんは価値も才もない者には見向きもせず、真名どころか名前すら呼ぶことを拒み、虫けらに向ける視線の方がまだ温かく感じるような目で
「麗羽様がそういうならいーっすけどね。
どうせあたしもじっちゃんも、当たり前だけど麗羽様も前線に出しちゃ貰えねーし」
どこまでも明るい口調のまま、猪々子さんは頭に手を当てて戦場の方へ視線を向ける。許攸が華琳さんと何かを言い合い背中を向け、戦いは今まさに始まろうとしていた。
数ではこちらが有利。けれど、華琳さん相手に数だけ勝っても意味はない。
「本来なら私自ら軍を率いて堂々と進軍したかったところですが、仕方なく許攸さんに譲ってあげましたの」
お飾りとして、総大将としてそれぐらいしなければ他に示しがつかない。たとえ私が反対していても、私達には
けれど、それすら不要だというのなら、私は私で袁本初が果たすべき責務を見定め、その時を待つのみ。
「それで猪々子さん、お爺様はどちらへ?」
「じっちゃんなら『言うだけ無駄じゃろうが、奴のところに行ってくる』っつって許攸とこに行きましたー」
それでも宣戦布告に許攸が行ったところを見るに、言葉の通り無駄に終わったのでしょう。
「無駄じゃったがのぅ」
「じっちゃん、お疲れ様でーす」
「だから言ったでしょう、許攸さんに任せておけばいいと」
どうせ何を言っても彼は勝手に動く。
残された家財に手を出し、何もない家を燃やし、丁寧に管理されていた城にすら火をかけた。
私はそんなこと、したくなかった。
『お隣さんだな、袁紹殿。
これも何かの縁だし、私のことは真名で呼んでもらえないか?』
思い出すのは人懐っこい笑顔で、袁紹を装っていた私に手を伸ばしてくれた友人と呼んでいいか迷った方。
そして、
「っ・・・」
私が彼女を追いやった。私が彼女から幽州を奪った。
私が望もうが望むまいがそれは事実で、何を言い繕っても許されない。
―――― いいえ、本当は望んでいたのかもしれない。本当は彼女を憎んでいたのかもしれない。彼から
『麗羽』
どうして、あなたはいつもそんな顔を
こんな、こんな
「嬢? 頭でも痛いのか?」
「何でも、ありませんわ」
お爺様の声に私は、そんなことを考えてる暇ではないと掻き消す。
もうすでに動き出した華琳さんの軍を興味なさげに見つつ、華琳さんらしい策だと称賛と呆れの混じった溜息が零れた。
小型の投石器によって前線はあっけなく崩され、崩されたところに軍を三つに分けんと突き進む少数の騎馬隊がいともたやすく道を切り開き、二つの道を貫通させる。そして、その後ろには何の仕掛けがあったのか炎の線が伸び、間髪入れずに待機していただろう他部隊が突撃してくる。
「あっけないのぅ・・・」
「じっちゃん。
それ、あたいらが言っていい言葉じゃねーから」
溜息を零して戦場を見るお爺様に猪々子さんが呆れるなどという珍しい光景を見守り、私も言葉にせずに静かに戦場を見続ける。
将兵の質はあちらが圧倒的に上であることなど、連合の場でわかっていた。にもかかわらず、許攸のみならず降した諸侯もが数で華琳さんに勝てるなどと思いあがった。本当に救いようがない。
「『多勢に無勢』という言葉が非常に馬鹿らしくなってくるのぅ」
「それはそうですわ、お爺様」
お爺様の溜息に対して私はさして意識せず、言葉が出ていた。
「その言葉は兵の質などは一言も述べず、ただ馬鹿馬鹿しいほどに『数で優れれば勝てる』と言っているのですから」
そう、今の私達のように。
「麗羽様、それもこっちが言っていい言葉じゃねーっすよ」
お爺様の時とは違って笑いだす猪々子さんは放っておき、私は傍に置いていた家宝の刀へと視線を移しました。
刀などとは言っていますが両刃であり、妙に飾りが多く、飾るための宝剣だと言われた方が納得してしまうような見た目。
付けられた名と体はあっておらず、名から飾りつけられた体はその
「あら? ここで高みの見物をしている私達だからこそ許される発言でしょう。
それに私達の軍師ですもの、これすら計算づくではなくて?」
「そりゃないっしょ」
「ないのぅ」
わかっていても私は袁紹であることを辞められず、刀も刀であることを辞められない。誰かが『剣だ』と言っても、そんな言葉はより大きな力が否定する。
そして、私も
なら最後まで、そう在ろう。
私は袁本初として、お前は袁家の宝刀として、大陸という舞台の上で舞い踊り、名家という檻の中で囀ろう。
「嬢や、どうす・・・」
お爺様が問いかける前に私は立ち上がり、宝刀を手に取る。
堂々と胸を張って、馬鹿らしいほど真っ直ぐに、城壁の上にいるだろう華琳さんを見て高らかに笑う。
「あらあら、華琳さんたらあんなところで胸を張っているけれど、小さすぎてよく見えませんわね。
お爺様、猪々子さん、そうは思いませんこと?」
どこにいるかわかっている時点で私には彼女がよく見えていて、彼女がどこまでもあれを相手せず、私が来るのを待っていることを知っている。
変わった私に何も言わずに、けれど変わらず
ずっと並んで学び競い合い、時に些細なことで本気になって喧嘩した友であり、想い人の姉。
「んじゃ、どうします?
ここで指さして笑うっつうのも手ですけど」
「猪々子。
お主、なかなか怖いもの知らずじゃな」
「いやー、曹操様はおっかないけど、実行すんのはあたいじゃないし」
笑いながらも二人は反対せず、言葉遊びを始める二人に私も気にすることはない。
「あら、猪々子さん。何を恐れるというのです?
あなたはこのわ・た・く・しの将であり、この軍一の力の持ち主ですわ。
怖いというのなら、せいぜい私の傍を離れずその背中にくっついてきなさいな」
こんな形でしかもう、彼女に感謝を告げられないけれど。
「お爺様もですわ、四英雄たるお爺様が何を恐れるというのです?
先の連合でも呂布と対峙し退けたその武勇、衰えたなどとは言わせませんわ」
素直な言葉など取り上げられ、上に立った物言いが私の全てだけれど。
「さて、そんなことよりも今はこちらの話ですわ
ここで高みの見物をするのは総大将の特権ではありますが、やはりそれだけでは総大将の名が廃るというものでしょう?」
これも私だと胸を張ることが出来ず、認めているわけではないけれど。
「それに華琳さんも先ほどからこちらを見ているところ見るにどうやら私をご指名のようですし、たまには私から足を運んであげてもいいでしょう。
あの小さな体と小さな声では、ここまでよく聞こえませんもの」
総大将として、袁本初として敵総大将たる曹操に向き合うことは許される。
「いいじゃろう。
して、策は?」
「策? そんなものは私達に不要でしょう」
そうして私は混戦と化した戦場の先にいる彼女へと、宝刀を向けた。
「正々堂々、雄々しく華麗に一点突破ですわ」
剣の定義は諸刃(両刃)であること。
刀は小烏丸などのある例外を除いて基本片刃である。
ちなみに麗羽の武器名は原作のままです(が、どこからどう見ても刀には見えない)
話的にはこの後も彼女視点でもう一話書きつつ、どっかの間話を突っ込む予定です。
そして、感想返信遅れます。
用事であるのでパソ開けなさそうなので、ご理解ください。
・・・休みが欲しい。一日書き続けられるような、そんな休み。