少しでも楽しんでいただけたら、幸いです。
あの赤き星が落ちた夜から、姉上が変わった。
いや、変わってない。姉上によって振るわれる理不尽はいつも通りだったが、どことなく加速した。
というより、使い潰しにかかっている気がする。
共に成長してきたと言ってもいい僕は、叔母であり姉である荀彧文若という人間をよく知っている、つもりだ。
男を目の敵にし、女を尊び、知恵ある者、力ある者を認め、それでいて向上心にあふれている。ある意味、欲の塊のような人だと思う。
だがあの夜、姉上が星に見惚れ、頬を赤くし、涙を零していた。そして、意味不明な誰かへと当てたあの一言。
『アンタなんか、次会ったら罵倒してやるんだから。この下半身男!』
・・・・・僕ですか?
そしてその日以降、姉上の鞭さばきが鬼となった。というか、俺に振るう以外練習する姿を見るようになった。
・・・・僕、殺されるの?
あの星か? あの星のせいなのか?!
一体誰だよ!? あの星、落とした奴!!
星が落ちてから流れてきた噂を、姉上の耳に入れた時の反応も凄かった。
『なんですって?! あの下半身男ーーー!!』
そんな謎の言葉を叫びながら、僕へと振るわれる理不尽な鞭の乱舞。幸い軽傷用だったため、大きな怪我はしなかったが一日は残る擦り傷を山ほど作られた。
まぁでも、何故だか男嫌いだった前の姉上とは何かが違う気がした。
空を見ては溜息をつき、星を見ては覚悟を決めた者の目をする。僕の知らない姉上の目、そしてそれを向けているのが誰なのか、僕にはわからない。
それはいいんですけど、
どうして僕に対しては理不尽ばかりなのですか!? 姉上ぇぇぇーーーー!!
理不尽だーーーー!!
はい、どうも。樹枝です。
現在、水鏡女学院へと向かう最中なのですが、僕は何故馬車でも、簡易の天幕でもなく直に大地の上で寝ているのでしょうか?
僕から見て右側に見えますのは天幕、今頃姉上は中で健やかに眠っていることでしょう。ちなみに作ったのは僕です。僕がかつて
僕の天幕がどうして積んであるのでしょうか? 家出未遂の際に燃やされていたのは何だったのですか? 母上。
あの頃の僕の知識の粋を詰め込んだ力作を燃やされたと思い、一週間部屋に引きこもったんですよ?
「・・・・理不尽だ」
僕から見て左側に見えるのは馬車を引く馬二頭、穏やかで話も聞いてくれる僕が一番愛情を注いでいると言ってもいい二頭。仔馬のころから手をかけて育てた、荀家の中でも僕に一番懐いていてくれる子たちです。そして、この二頭は
いいんですけどね、二頭の幸せは僕の幸せですからいいんですよ。でも、どうしてだろう? 涙が止まらない。
あぁ、東の空が明るくなってきました。そろそろ朝食の準備をしなければ、間に合いませんね。
そう思い体を起こし、釣り道具と桶を担ぎ、馬を引いて川へと向かいます。
馬たちを近くの木に結び、水を桶に注ぎいれ、釣った魚を入れる袋を傍らに置きます。釣り糸を垂らしながら、ふと目に映ったのは水面の魚。
「あぁ、僕は魚になりたい」
「じゃぁ、一泳ぎしてくるといいわ」
その言葉と共に後ろから衝撃が襲う。
鞭(衝撃用)を振るい、良い笑顔の姉上の顔が着水寸前に映る。そして、僕はいつもの口癖を叫んでいた。
「理不尽だーーーーーー!」
着水しながらも今までの経験から、泳ごうとはせずに体を浮かせる。
無理な体勢での着水の際は慌てず騒がず、むしろじっとしていた方が良い事は今までの経験によるもの。
・・・・・理不尽な目にあってきましたからね。ハハッ、川なのに水がしょっぱいなぁ。
「さっさと魚を確保してきなさい。私は少し山菜を収穫してくるわ」
水に浸かりながら、僕は口に入った一匹をしっかりと手で押さえる。
「あと三匹・・・・」
陸へと泳いでいくと、愛馬二頭が同情的な視線を向けてきた気がする。僕はそれに目を合わせないようにしながら、釣りへと集中した。
魚の内臓を取りつつ、その中へと香草を詰めてから火にくべる。これで魚の泥臭さが多少緩和され、食べられるものになる。
山菜は少量の干し肉を戻した汁とともに煮て、汁物が一品出来上がります。
ここに穀物があれば完璧なのですが、補給がいつになるかわからない道中あまり贅沢は出来ません。干し肉を使っている時点で贅沢ですが、これより質を下げると姉上はおそらく食べないでしょう。
「姉上、どうして今回水鏡女学院に向かうんですか?」
「まず自分で考えなさい」
すぐさま帰ってきた答え、これは姉上に問わず、母上、祖父母もそう返してくるでしょうね。
我が家の教えともいえない初歩中の初歩、まずは己で考えることを重要視される。初めから相手に答えを求めてはならない、自分で決断することを育むための考え方。
もっともこれは、前向きに考えればですが。
「そうですね・・・・・
まず一つは、水鏡塾に荀家が支援するだけの価値があるかどうかの見定め。
二つ目は、姉上の士官先への手土産でしょうか。それなりに知られている『水鏡女学院』の名があれば、その時点で姉上のお株は上がることでしょうね。
三つ目は・・・・」
言いかけて言葉を濁す。明確なものがない考え、予測にしか過ぎない。否、僕の妄想と言ってもいい。
「樹枝、予測であっても、妄想であっても、自分の考えには自信を持ちなさい。
それを笑っていいのは、その意見を間違っていると明確に指摘できる者だけよ。
そして、文官は言葉を扱うのが仕事、いかに相手に笑われないように言葉を使うかが私たちの仕事なの。あなたは武官でもあるけど、武官もそう。
いかに短い言葉で軍を動かすか、戦場で長い言葉なんて邪魔でしかない。将がいかに策を理解していても、部下にそれをわかりやすく伝えるかが問題なのよ」
言いよどむ僕を見て、姉上は魚を食べ終えた串で僕を指してくる。その目は僕に読み書きと同時に、兵法を読み聞かせた教鞭を振るう者の目だった。
姉上は理不尽なことを多くするが、決して間違った意見に対して笑うことはない。
罵倒はするがそれは上辺だけで、結局はその考えの真意へと相手が到達するように導いてくれる。
罵倒を混ぜはするが、相手がわかるところを少しずつ自分で気づかせてくれる。あるいはその意見を一つの考え方として受け止め、その考え方に対して意見を述べてくれる。
どんな理不尽なことがあっても、僕が姉上を嫌いになりきれない要因の一つだろう。
「まぁ、無理に言えとは言わないけれどね」
そう言って姉上は立ちあがり、いつもの頭巾をかぶった。
「姉上? どこへ?」
「軽い運動をするのよ、アンタはいろいろと片づけておきなさい」
その言葉からいつもの鞭の修練だとわかり、僕は複雑な表情でそれを見送る。これ以上強くなられても、精度が増しても一番被害を受けるのはおそらく僕だろう。
「はぁ・・・・ 姉上。
あなたは何のためにそんなに必死になってるんですか?
一体、何を見てるんです?」
こればかりは考えても、わからない。
現状でわかることは、あの赤い星が落ちてから姉上の異常なほどの集中力と向上心が湧いていること。
何よりも体を動かすことを不得手とし、その分を智で補おうとしていた姉上が命中率を重視され、なおかつ隠し持つことが出来る鞭を覚えようとしたこと。
本人曰く『最低限、助けが来るまでの時間稼ぎ程度は出来るようにするのよ』らしい。筋は通っているが、『赤い星が落ちてから』というところが気にかかる。
「まるで、何か大きなことを成し遂げることが前提のように見えますよ?」
言いよどんだ三つ目、それは『姉上が士官という身近なものではなくその先の大きな何かを見つめているのではないか』ということ。
だが、これはあまりにも曖昧すぎる。二つとは違い、明確な情報が揃っていない。これではまるで
「姉上が、この先で何が起こるかを知っているみたいじゃないですか。
まさか、そんなわけがある筈もないでしょうが」
あるわけもない予測が脳裏をよぎって頭を振り、僕は片づけへ集中した。
水鏡女学院に無事に到着し、僕は気絶をさせられ、着替えさせられてしまいました。
姉上は自身が施した化粧と用意した衣服を見て満足そうに頷いてから、おそらく脳内でこれからの会話を想像しているのだろう。目が『話しかけてくるな』と語っていた。
そして、案内の生徒も、すぐ隣を通り過ぎていく生徒たちも何故僕に対して何も言わないだろうか?
ま、まさか気づいていないとかないですよね?
優秀なことで有名な水鏡女学院の皆さんのことだから、気まずい僕を気遣ってくれているんですよね、ね?
変態扱いされているとか、本当に気付いていないとかではないことを心から祈る。それでも姉上に向けて、囁き声で文句を言わせてもらう。
「姉上? 僕って実は女装しなくてもよかったんじゃないですか?
というよりも、単純に姉上が化粧をしたかっただけとかありませんよね?」
「・・・・・・」
姉上は考えることに集中しているのか、僕の言葉に気づく様子はない。
この機を逃す手はないでしょう!
姉上への不満点を囁き声ではあるが、言いたい放題なのだ。ならば言うしかあるまい!
「母上や叔母上とは違い、姉上の体の凹凸は残念なのは何故なのでしょうね。
あぁ、母上たちが吸い取ってしまったのですね」
ちなみに口の悪さは下に行けば行くほど酷くなり、姉上の口が悪いのは必然だろう。体型にも恵まれず、口の悪さしか残らないとは姉上は何と不憫な。
「・・・・・」
本当に聞こえていないようで、僕はそのまま私室に着くまで姉上に対する日ごろの不満を口にし続けた。
この言葉を姉上が聞いていて、あとからどういう仕打ちをされるかをこの時の僕はまだ知らなかった。
知らないで、いたかったなぁ・・・・
姉上と司馬微殿の間で話し合いが進められていく中、僕はただ気まずい表情でその場にいた。
ここに着いても一切言及されないこの格好について、だ。
まさか、本当に気づかれていないのか。
それとも、僕が変態扱いされているのか。
はたまた、全員が状況を理解していて、僕を放って置いてくれているのか。
どの選択肢も、僕の救いにならないのは何故だろう?
いっそ面と向かって叫ばれた方が良い気がしてきたのだが、自分から正体をばらしなどすればその場で荀家の面目も関わって・・・・来ない気がする。
この程度で潰れるほどの家ではないし、むしろどこからか拾ってきた相手の弱みを使って逆に潰しにかかるのが荀家。我が家ながら恐ろしい。
そんなことを考えていると三人の女子が入ってきて、一人は退室し、姉上に僕が蹴り飛ばされた。しかし、蹴りよりも辛い一言が僕へ追い打ちをかけた。
「・・・それは構いませんが、大変言い難いのですが本当にその、本当にその方は男性なのですか?」
誰か、聞き間違いだと言ってください。
この人、アレですよね? 数は少ないけれど優秀な文官を輩出することで有名な女学院で、教鞭振るっている人なんですよね?
智の才ある者を導き、大成させることで有名な凄い方の筈ですよね?
理不尽だーーーーーー!
叫ぶわけにもいかずに、内心で精一杯叫ぶ。
「えぇ、一応男よ。
武官としては中の下、文官としては上の下と言ったところかしら?」
「姉上えぇぇーー」
どうして、良い言葉になりかけているのに『一応』をつけるのですか?
せっかく褒めてもらえても、素直に喜べないですよ?!
三人で水鏡女学院を後にし、姉上と雛里は馬に軽やかに乗って駆けだしていくのを僕は見送った。
「何故だーーーー?!」
その声に姉上が一度だけ振り返り、極上の笑みを僕へと向けてきた。
その笑みを向けられ、寒気が止まらない僕は反射的に肩を抱いていた。
「体型が姉上たちに吸い取られてしまって、悪かったわね?
荀家の口の悪さが下に行けば行くほど酷いとか、あるいは胸と反比例しているとかずいぶん好き勝手に言ってくれたじゃない。
ねぇ、樹枝?」
「あわわあぁぁ?!」
姉上は鞭を振るっていないし、罵倒などしていないというのにこの威圧感は何なのだろう?
姉上は武人としても、普通にやっていけるのではないかと思ってしまうほど殺気にも似た怒気。
正直、今すぐここから逃げ出したい。
というか、俺だけじゃなくて雛里も怯えているのですが。姉上。
「あまり重すぎるのも大変だし、到着を遅れたくもないのよね。でも、しっかり罰は受けさせたいし。
そうね・・・ 次に言う私の問いにあなたが正確な答えを出せたら、荷物を限界まで私たちの馬に乗せましょう」
「本当ですか?! 姉上!」
歓喜する僕に対して、姉上は鞭で地面を叩くことで黙らせる。
「ただし、答えられなかったら荷はそのまま、ついでに私が後ろから馬で追い立てるわよ」
「理不尽だーーーーーー!」
一瞬でも姉上に優しさがあると思った僕が馬鹿だった。
そして、どちらにせよ馬車は引かせるのですね?!
やっぱりこれは罰なのだと、深く実感した。
「今回はそうでもないわよ。
アンタが私が聞いてないと思い込んで、言いたい放題していた当然の報いよ」
「言うような原因を作っているのは誰ですか?!」
「弟をこき使うのは、姉の権利ね」
「り・ふ・じ・ん・だーーーーーーーーーーーーー!!」
そう叫んで、僕は姉上を見る。
姉上も馬上から僕を見ていて、その目は真剣だった。
「アンタ、最近馬を操るばかりで運動不足だからちょうどいいでしょう。
一応武官でもあるんだから、体を動かしなさい」
「・・・・わかりましたよ」
姉上のその言い分には多少同意するところがあったので、渋々と頷いた。
「それで? 問いは何ですか?」
「さっきアンタ自身が聞いてた、私が雛里を選んだ理由を答えてみなさい」
「あわっ?! あれって理由あったんでしゅか!?」
僕よりも早く、指名された雛里自身が驚き、姉上はそれに対して頷く。
「うーん・・・・」
状況は俺が突然蹴り、二人が驚いただけ。しかも姉上は、瞬間的に雛里を指名していた。
驚いたというところに何かありそうだが、たったこれだけじゃわからない。
姉上は考え込む僕を見て苛立つ様子もなく、雛里もわからないようだった。
「はぁ・・・ 質問を変えるわ。
軍師とはどんな人間かしら? これが精一杯の妥協よ。
ただしこれは考えを聞いているのではなく、私が一つだけ明確な答えを持っているから答えにずれは許さないわ」
軍師がどんな人間?
答えの幅が広いというのに、姉上はそれを一つだけという。
「あわ! なるほどぉ」
雛里は気づいたらしく、感心するように何度も頷き姉上を尊敬の目で見つめていた。
「・・・・知識のある人間でしょうか?」
「違うわ、それは結果よ」
「結果?」
姉上は僕の疑問に対して頷き、馬を一度降りた。
「いい? 樹枝。
軍師は相手の裏を読んで行動し、常に最悪の事態を想像していながらも最善へと物事を持っていこうとするわ。それはどうしてだと思う?」
姉上は地面に大きな丸を一つ書き、そこを二つに分けて○と×を描く。おそらく大きな円が思考、そして○と×が最善と最悪なのだろう。
「軍師だからでしょう?」
「それは結果だと言ったわ。
念入りに準備し、知識を必要とするのは最悪にしないための用心をする。
これはつまり『軍師』という人間が、臆病であることを示しているの」
×の方を枝で指しながら、姉上は自嘲気味に笑っている。が、それはすぐさま誇らしげなものに変わった。
「だから、私は雛里を選んだのよ」
その言葉に僕はついさっきの出来事を思い出した。
『あでっ!?』
『はわわわ?!』
『あわわわわ?!』
だから姉上は、より
たった一字だけだが、雛里の方が『わ』が多かった。それを判断材料にし、それでいて蹴られた俺自身も、その周りにも意味不明の事態にしか映りはしなかった。
「す、すごいでしゅ! 桂花さん!!」
「そ、そんなことないわよ!
樹枝!! アンタ、答えられなかったときのことは覚えてるわね!
行くわよ!!」
姉上が馬で後ろに回り込むのを見つつ、聞こえないように俺は呟いた。
「ハハッ、姉上のやり方は荒っぽすぎますよ」
突然すぎるあの理不尽な暴力にそんな意味があるなんて、気づくわけがない。
いや、もし仮に百人があの光景を見ていたとして、一体何人が姉上の理由に気づくだろうか?
「でも、凄いなぁ。姉上は」
立ちあがり、馬車の縄を体に括り付けて引いてみる。
「軽い?」
見れば荷の中で一番重量を占めていた書と、食材の一部がない。目に映ったのは雛里の馬に括られている荷と、姉上が乗っていた馬の蹄の跡。
普通ならば気づかないだろうが、この二頭は仔馬の頃から僕が丹精込めて育てた馬たちだ。この二頭たちのことで僕がわからないことなどない。
「姉上・・・・!」
「さぁ! 出発するわよ!
樹枝、行きなさい!」
感動で震える僕の背を押したのは姉上の罵声。
まったく、優しいなら優しいことをもっと表に出せばいいのに、不器用な叔母上だ。
「はぁ、まったく。理不尽だ」
こんなに優しい姉上を優しいと正直に言えない僕も、そう思わせることを拒む姉上も、人がそう思うべき道理に合わないようになっている。
なんて理不尽なのだろう。
「アンタが答えられないのが悪いのよ!」
背中にあたる鞭(軽傷用)を受けながら、僕は思いっきり息を吸い込んで叫んだ。
「理不尽だーーーーーーー!!」
数少ない男キャラです。
もう一人彼の相方として出る予定ですが(ヒントは魏の四天王)それは伏線をたてた二人を書いてから、本編で登場する予定です。
誤字脱字報告、疑問点等々お待ちしております。