幽州太守・公孫賛陣営の幕にて、私はただ今武具および食料等の管理の書簡を片付けています。
現在、白蓮殿は袁紹殿のところへ挨拶に向かい、それの伴として宝譿を付き添わせましたが、果たしてあれに仕事を果たすことが出来るのかどうか・・・ 不安でなりません。
「まぁ、もっとも・・・ 私が問題とすべきはこちらの管理よりも今の勢力図の方なのですが」
以前の私たちはこの戦には参加せず、どの陣営が芽吹くかどうかを風と共に見定めている最中であり、風の噂や商人に紛れながらこの乱を静観していました。
この連合で特に注意すべき陣営は袁家、前回最後まで残った華琳様、孫家、劉備の三陣営。そして病に倒れたと聞いていた西涼の馬騰。しかも今回は娘ではなく、当主である彼女自身の参加とはこれも前回との差異ですか。
前回との差異が生まれていることは赤根殿と知り合ったことで理解していたつもりでしたが、『臥龍』や『鳳雛』以外にも『麒麟』。他にも同門であり、彼女たちの先達にあたる他三名。
「知識はあてにならない、ですか」
ですが、所詮はその程度。
彼が帰ってくることへの代償がその程度で済むというのならば、私は喜んでこの苦悩と、苦難の道を歩むことでしょう。
この程度彼のいないあの
「さて、こちらはこれでいいですね。
そろそろ幕へと戻るとしましょう」
なすべきことを終え、まとめられた書簡のみを持って立ち上がる。
そして私は、風と星が待機しているだろう幕へと向かいました。
「こちらの仕事は終わりましたよ、風」
幕を開けば、誰かを歓迎したらしき後があり、それを気にしつつも二人へと声をかけました。
「お疲れ様なのですよー、稟ちゃん」
「うむ、ではこちらにて白蓮殿の自室から持ち出した秘蔵の酒を飲むとしよう」
「流石は星ちゃん、抜かりがないですねぇ~」
「二人とも・・・・」
何と言うか抜かりのない、本当に二人らしい。
酒の飲めない白蓮殿が日々舐めるようにして少しずつ飲んでいた物を持ってくるとは・・・・ 白蓮殿が怒ることが目に見えるようですね。
「それはそうと、誰かが来ていたのですか?」
「えぇ、まぁ・・・」
「あぁ、劉備殿がな。
以前のことを謝罪しに訪れていたが、当事者である白蓮殿が居なかったため再び来るそうだ」
苦笑して言葉を濁した風とは違い、星はきっぱりと答える。
それにしても、劉備ですか。
「そうですか・・・・」
「稟にとっては、劉備殿のことは面白い話ではなかったか。
我々の中でもっとも劉備殿たちに手厳しく、嫌っているようだったからな。
まるで親の仇でも見つけてしまったように、映っていたものだ」
当たらずしも、遠からずといったところでしょう。
本当に以前の記憶を所持していないのかと、疑ってしまうほどに星は鋭い。
それにしても『親の仇』ですか・・・ 割り切ってはいるつもりなのですが、そう映ってしまいましたか。
「そんなことはないですよ、自分がかかわった仕事を横から掻き乱されれば不愉快でしょう?」
「ふむ・・・ そういうことにしておこう」
当たり障りのない答えを出せば、星は目を細め、何かを察しているようでしたが深くは追及してきませんでした。
が、星を誤魔化すのはもはや限界でしょう。
いずれ冬雲殿から話があるとはいえ、そこに彼女がいると思うと・・・ まず間違いなく競争率が上がる。以前よりも彼の周りで咲く華は増えていることが前提でしょうし、そこに星が増えるとはいささか面白くない。
かつてはとれていた二人の時間がさらに短くなるなど、それだけは避けなければなりません。
「稟ちゃーん、百面相してますよー?
何を考えてるかが丸わかりですよー?」
「風・・・」
話しかけてきた風に対して、私は今検討していた事案を口に出す。
「星をあの方に会わせないようにするには、どうしましょうか?」
「本人を前にして話し合うことか?!」
星が驚愕していますが、私にとっては幽州の政よりも重要な事。
特に私はかつてあの方と素直に接することが出来ませんでしたから、今度こそあの方との幸せな時を過ごしたいのです。
「あー・・・ どうしましょっかねー」
「風も検討するな!」
「でないと星ちゃん、出会いがしらに告白とか絶対にしそうですしー。
それに仕方ない面もあるとはいえ、これ以上お兄さんの競争率を上げたくないんですよねー」
やはり風も、同じことを不安に抱いていたのね。
彼に出会った女性が彼に惹かれるのは自然の摂理とはいえ、無尽蔵に彼を想う者が増える事はやはり歓迎できないもの。
「思い切り私欲だらけの上に、言いたい放題だな!
というか流石の私でも、いきなり告白などという非常識なことはしない!!」
「それはどうだかー。
白蓮ちゃんも占いの一件がありますからねぇ、運命の相手がお兄さんである可能性もあるので油断が出来ないのです」
それも確かに、その可能性は捨てきれません。
彼は本当に、以前と変わらず・・・ いいえ、それ以上に優しく、大きくなられた。
あぁ、早く再びお会いしたい。冬雲殿。叶うことならば、今すぐにでも飛んで行ってしまいたい。
「むぅ、確かにあれほど細やかな気遣いをされれば、悪い気はしないだろう。
だが風、稟よ。先ほどから聞いていれば、自分達のことだけしか考えていないではないか?」
「聞こえないのですー」
「そうですが、何か?」
「聞こえないふりをするな! 風!!
堂々と開き直るな! 稟!!」
本当に二人といる事は楽しい。
かつても共に旅していましたが、あの時は本当にわずかなときであり、同じ陣営に並び立つことなどなかった。
ここに白蓮殿と宝譿、幽州を任せた赤根殿が居ればなおのこと心地よいことでしょうね。
「おぅ、ただいま帰ったぜ!」
「「「おかえり(なさい)、宝譿」」」
「あなたが言うんですか?!」
口火を切ったのは宝譿であり、いつもならば突っ込みを入れるのは白蓮殿なのですが、何故か見知らぬ男性が突っ込みを入れていますね。誰でしょう?
そしてその背中から顔を覗かせた白蓮殿の顔は赤く、熱でもあるのでしょうか?
「白蓮殿、熱でもあるのですか?」
「えっ?」
「顔が赤いですよ?」
私が指摘をすれば白蓮殿は目に見えて焦りだし、手で顔を隠す。
「顔が赤いなんて、べ、べべ別に・・・・
なぁ、別に何にもないよな? 樟夏殿」
「え、えぇ! 私が白蓮殿に告白しただけです!!」
「って、いきなり何を言ってるんだ!」
照れ隠しでしょうか、白蓮殿の拳が男性の腹へと決まりましたね。
なかなかお目にかかれない、体重の乗った素晴らしい拳でした。普段からこれほどの力を出せれば、他の諸侯から舐められずに済むのですが。
「うわあぁぁ、だだ大丈夫か?! 樟夏!?」
「大丈夫ですよ・・・ 愛する者の拳ならいくらでも」
何でしょう。心の底から湧きあがってくるこの苛立ちは。
隣を見れば風も同様の顔をし、笑っているように見えますが額には十字のような印が浮かんでいました。
「それで宝譿、これは一体何事だ?
そして彼は何者なのだ?」
星が我々を代表して事態を理解しているだろう宝譿に問えば、宝譿は白蓮殿の頭から星の頭へと飛び移ってぺしぺしと叩く。
「いやー、会っちまったんだよ。白蓮嬢ちゃんは。
運命の相手、ってやつによ」
宝譿の突拍子もない発言にさすがの私たちもしばし絶句し、いまだに二人だけの空間に入り浸り、桃色の風を撒き散らす存在へと目を落とす。
「風、いい加減
「買った時から呪われたようなものですしねー。
いきなり泣き出すほどですし」
「そりゃねぇだろ?! 稟の嬢ちゃん! 風!」
視線を宝譿に戻し、八つ当たり気味に指させば、風もほとんど同じような応対をしてくれました。
何でしょう、私たちはしたくともできないことを目の前でされると羨ましく、妬ましい。
一言でいうなれば、とてもムカつきますね。
「それで運命の相手だとして、どんな出会いだったのだ?」
「空から降って来たぜ!」
宝譿の発言に対し、私たちが再び言葉を失っていると桃色空間から脱出した男性がこちらへと向き直りました。
端正な顔立ちと、誰かを思い出させる金の髪。細い目つきの奥には、空のような青い瞳・・・・ まさか・・・
「そこから先は私に説明させていただきたい!」
「まだ二人だけの世界に行ってなかったんですかー」
「そのまま戻ってこなければよろしいのでは?」
「ひいぃ、な、何か怒りに触れるようなことをしましたか?」
私と風が瞬時に切り返すと、真冬に冷や水を浴びせられたような声を出されましたね。まぁ、当然ですが。
「私は曹子廉と申します。
曹孟徳の実弟であり、曹子孝の義弟。そして、先ほど公孫賛殿に婚姻を申し込んだ者です」
三度言葉を失い、私と風、星は顔を見合わせました。
華琳様の弟と言うだけでも驚きだというのに、その上冬雲殿の義弟。挙句、白蓮殿に婚姻を申し込んだ?
「風、劉備軍に確か医者が居たわね?」
「華陀さんですねー。
腕前は確かと聞いていますし、患者がいるとなると飛んでくるそうなのですぐ来てくれることでしょう。
じゃぁ、星ちゃん。お願いするのです」
「あぁ、そうだな。
すぐに行って来るとしよう」
「どういう意味だ!」
白蓮殿の突っ込みに対し、私は真剣な表情をして、彼女に詰め寄りました。
「白蓮殿、冷静に考えてみてください。
曹孟徳様の弟であり、あの英雄殿の義弟が空を飛び、白蓮殿に婚姻を申し込むなど現実としてあり得ないでしょう」
「そ、それもそうだよな・・・・ 地味な私が婚姻を申し込まれるなんて」
やはり白蓮殿はどこか論点がずれますね、白蓮殿の立場的にむしろ婚姻はいつ申し込まれてもおかしくはないのですが。
「白蓮殿が地味でも、婚姻を申し込まれることがおかしいのではなく、あれほどの大人物の弟に当たる方が『空を飛んでくる』という事態がおかしいのです」
「いや、あの・・・・ 空ぐらい日常的に、誰でも飛びませんか?」
「飛びません。どんな日常ですか」
曹洪殿の反論を切って捨て、私はすぐさま言葉を返します。
が、風が何かを思いついたのか、口を開きました。
「まぁ、それこそあれですね。
力持ちな女の子たちが、思い切り空に向かって打ち上げでもしない限りは無理ですねー」
まさか彼女たちが?
ですが、さすがに立場も高い彼をそこまで飛ばすようなことをするでしょうか?
年功序列とまでは言いませんが、年上などを彼女たちは敬うことが出来ていましたし。
「まさにそれです!」
「ハッハッハ、貴公は面白いことを言う。
そのような人体実験のようなことをする者など、そうはいないだろうに。
それとも飛ばされるようなことを、貴公がしでかしたとでも?」
「まぁ、その・・・・ そのようなものです」
曹洪殿の目が泳ぎ、言葉を濁しましたね。察するに何かをした自覚はあるのでしょう。
しかし、彼女たちが人を飛ばす理由、少々興味がありますね。
「あのー、すいません。
公孫賛様が戻られたと聞いて、来たんですけど・・・」
その場の空気を読まない発言へと目を向ければ、幕を恐る恐るめくっているのはあの劉備。
「おぉ、桃香。
いらっしゃい」
「お久しぶり、白蓮ちゃん・・・ じゃなくて、公孫賛殿」
「おいおい、桃香。
そんな他人行儀の呼び方をしないでくれよ、友達だろ?」
相も変らぬ劉備への対応、本当にこれだから白蓮殿は・・・ 人が良すぎるのも困りものですね。
「うっわー、出来た人だな。本当にお前の友達かよ、馬鹿君主。
あっと、申し遅れました。私は周倉、この馬鹿君主に仕える愛羅様に忠誠を誓う者です」
周倉・・・ これもまた会ったことのない存在ですが、あまり劉備を敬っているようには見えませんね。
「その、さっきそこで聞いたんだけど・・・ 曹洪さんが白蓮ちゃんに結婚を申し込んだってその・・・ ほほほほ、本当なのかな?」
「おや、聞こえてしまいましたか。お恥ずかしい」
何照れているんですか、この男は。
そして劉備も、まずそこですか。
「スミマセン、サケバセテクダサイ」
「ん? いいけど、何をだ?」
「愛羅ちゃん、連れてこなくてよかったーーーーー!!!!」
「黙れ、馬鹿君主。
他人様の陣営で何わけわかんねぇこと叫んでやがんだ、呆け」
突然叫んだ劉備の肺の辺りへと、周倉と名乗った女性の拳が突き刺さる。ついでに言葉も突き刺さっていきますね。
それにしても本当に容赦のない、君主に忠誠を誓っていない将などとは珍しい。以前はその逆、盲信者がいたのですが、彼女と出会った時どうなるかが見物です。
「何も、殴らなくてもいいんじゃない・・・? 紅火ちゃん・・・」
「うるせぇ、愛羅様の真名を大声で叫ぶんじゃねぇ」
「で、でもね、大事な妹のね」
「愛羅様は愛紗様の妹であって、お前の妹じゃねぇ」
「私に全く容赦ないよね! 紅火ちゃんって!」
「当然だろ?」
「当然なの?!」
「この馬鹿君主相手にしてたら、いつまでも話が進まないんで。
公孫賛様、これが前回の一件に関しての謝罪の文書と、今後何かあった際協力等をすると明記した文書です。
また、今回の連合内でも経済的に助力なども致しますので、何かありましたらご遠慮なくどうぞ」
あぁ、ようやく本題へと入りましたね。
なるほど、そのための訪問だったのですか。ということは、あの陣営も少しは進歩しているということでしょうか。
「別にそんなこといいのに、それに桃香とは友達だしな」
「本当に出来た人っすね、本当にこの馬鹿君主の友達なんすか?」
「おいおい、自分の君主をそうな風にいうもんじゃないぞ?」
「はぁ、まぁ・・・・ そう、っすかねぇ?
あと、こっちがウチの客将である法正って人からの個人的な文書っす。
んじゃ、お騒がせしましたー。おらっ、行くぞ」
「ひ、一つだけ、曹洪さんにお願いがあります!」
「は、はい? 何でしょうか?」
頭を押さえられたまま、誰かにお願いをする人なんて始めてみました。新鮮ですね。
「妾を、妾を娶る際はウチの愛羅ちゃんをお願いします!!」
「はっ? 愛羅殿を妾?」
劉備殿の発言に曹洪殿は戸惑っていますね、しかし曹洪殿と関平に面識があったとは。黄巾の乱の折でしょうか?
「なぁに言ってんだ! て・め・ぇ・は!!」
「で、でも、お姉ちゃんとしてやらなければならないことなの!」
「だ・か・ら! 愛羅様は愛紗様の妹であって、てめぇの妹じゃねぇつってんだろ!!」
「妹だもん! 義妹の妹は妹だもん!!」
「黙れや!」
締め上げましたね、しかも片手の握力のみで。
見所ある武将ですね、引き抜きたいくらいです。
「ウチの馬鹿君主が馬鹿なこと言って、すんませんでした。
それじゃ連れて帰りますんで、失礼しまーす」
ついに沈黙した劉備を引きずりながら、周倉はその場を後にしていきました。曹洪殿が何やらぶつぶつと言っているようですが、何でしょう?
「思う所があったあなたですが、今は不思議と同類のように感じて仕方がないです」
「何でだろうな、桃香。
昔より親近感が増したような気がするぞ、同類的な意味で」
なんですかこの二人は、夫婦ですか? 爆発してください。
劉備が去ったところで私は改めてその場を見渡し、行動へ移すことを決意しました。
「風、このままでは埒が明かないわ。
いっそ曹軍へと赴き、詳しい話を聞かせて貰ったらどうかしら?」
「それは名案ですねぇ~。
どちらにせよ、ご挨拶には向かわなければなりませんし。ねぇ、白蓮ちゃん」
私の発案に風が手を叩いて頷き、白蓮殿へと目を向ける。
「そ、そんなご家族に挨拶なんて」
そして、何故か言葉の一部分に反応して顔を赤らめる白蓮殿が今は非常に腹立たしい。
「白蓮殿、陣営としての挨拶であり、ご両親への挨拶などではありませんからね?」
「わ、わかってるとも」
「そういう稟と風も、愛する者に会えるからといて浮かれぬようにな」
私が白蓮殿に釘を刺せば、あらぬ方向から釘を刺され、私は風と一瞬だけ目を合わせる。
「ですね~、星ちゃんはこちらの陣営にお留守番ですもんねー」
「何故だ!」
「赤根ちゃんがいませんからねぇ、完全に陣営を留守にすることなどできないのですよ。
星ちゃん、お留守番お願いしたのですよ~」
風の言葉と共に私たちはそれぞれ曹洪殿と白蓮殿の手を取り、幕から飛び出して行きます。
今、会いに行きますよ。冬雲殿。