華琳と共に本陣へと戻ると、その中にいたのは桂花、秋蘭、凪、樟夏の四名だけだった。
「おかえりなさいませ、華琳様。
あんたもお疲れさま」
「えぇ、戻ったわ」
「ただいま、みんな」
桂花へとそう言って軽く幕内を見渡すと、華琳は満足げに微笑んだ。
「必要なだけの人員の選抜と会議の準備、優秀な部下を持つと安心して留守を任せられていいわね」
「華琳様・・・! もったいないお言葉です!」
とろけるような笑顔をする桂花に俺も頬が緩み、用意されていた席へと座る。
桂花による人員の選抜が行われたということは、おそらく会議で行われた内容を想定してのことだろう。
俺たちが先陣をきらない以上、泗水関での戦はないことがほぼ確定している。なら、この会議に全員が揃う理由はなく、出席する者に必要とされる能力は会議での内容をわかりやすく全員に伝えられることだろう。
「では、会議を始めましょうか」
華琳が口火を切れば、秋蘭が地図を広げ、凪と樟夏も姿勢を正す。
「まず、最初の関門である泗水関についてだけれど、私達は完全に傍観に徹することとなったわ」
「やはり、ですか・・・」
華琳の言葉に全員が沈黙する中で秋蘭が代表するように答え、華琳が俺へと促すように視線を向けたので俺も頷き、口を開く。
「最初は平原の白・劉備軍が先兵隊で様子見を行うように田豊殿から指示を受けた。これはあくまで偵察で、よほどのことがない限りこちらから動くことはしない。
その間に袁術殿の軍が後方で城攻めの用意をし、そこからが泗水関を落とす手筈になるだろうな」
それに霞が何かをしたんだろうが、『魔王の盾』と呼ばれる華雄殿がかつてのように自分から突っ込んでくるとは考えにくい。劉備殿たちもあの様子なら、わざわざあちらを刺激してまで功を得るようには思えない。
泗水関を攻め落とす方法はこのまま袁術軍の準備終了を待って門を壊し、なだれ込むと言ったところだろう。そうなれば、数の多いこちらが負けることはまずない筈だ。
「偵察だけの先兵隊では協力することもありませんね・・・
我々はその間、いかがしますか? 姉者」
「何もしないわ。というより、私達が表だって動くことが出来ないのが、今の現状だもの。
あえてやることをあげるとするのなら・・・ あなたと公孫賛の婚姻の話を進めるか、冬雲と愛を育むか、他の陣営で美味しそうな果実を収穫してくるぐらいかしら?」
「姉者!?
最初はともかく、最後は表だって動くよりもまずいでしょう!
というか、他陣営の将をどうするつもりですか?!」
「あら? 樟夏。
私はただ適期に果物を収穫すると言っただけよ?」
華琳は何事もないかのように聞き返し、楽しげに笑う。
暗にほのめかしただけでわかった樟夏の方が悪いようにいう辺りが、またなんとも華琳らしい。
「そうです! 華琳様!
冬雲と愛を育むのなら、この桂花も混ぜてください!!」
「やっぱりですか! 桂花殿!
あなたならそう言うと思っていましたとも!」
桂花が大きな声を上げたかと思えば、樟夏からの鋭いツッコミが入り、秋蘭が口元に手を当てた後、口を開いた。
「ふむ・・・ 何を言っているんだ? 桂花」
「そうです、秋蘭。あなたからも言ってくださ・・・」
「ここは公平にくじで、華琳様と冬雲に抱かれる順番を決めるのが先決だろう」
その手にはいつの間にか箸のような物が用意され、軽く音をたてながら、床へと置かれる。
あれ? なんかこのくじ、よく見たらすり減ってる? 普段、何の目的でこのくじを使ってるんだ?
「あなたもですか!」
そんな楽しげなやり取りを見て、俺は頬を緩める。
凪が参戦しないのはやはり立場が一番低いことを気にしているのか、それとも単純に入りにくいのか。とりあえず俺は相変わらずふわふわとして触り心地よい髪を撫で、しばらく撫で続けていると不思議そうな顔をした凪が俺を見上げてきた。
「隊長、どうかしましたか?」
「いや、なんでもないよ」
身長の関係で自然と上目遣いになる凪を見て、さらに頬が緩みつつ、俺は連続のツッコミでやや疲れている樟夏へと視線を向けた。
「ところで樟夏、お前は田豊殿や許攸殿と会ったことはあるのか?」
「はい? えぇ、まぁ・・・・
そもそも私と姉者、秋蘭たちは麗羽と幼馴染ですから、麗羽のお目付け役である田豊殿には昔からお世話になっていました。その関係で猪々子・・・ いえ、文醜殿もよく知っていますし、斗詩殿とも顔見知りではありました。
許攸殿の方は名こそ知っていますが面識はなく、麗羽の母である
樟夏までお親しげに話すということは、あの人はあの姿のまま年を取ってるのか。いろいろツッコみどころはあるが、俺の存在がそもそもおかしい事を考えると『なんかそういう人もいるよね』と普通に受け入れちゃえるんだよなぁ。
それにしても許攸殿は中央から、か・・・・ 尚更胡散臭くなったが、その辺りは華琳にもう少し話を聞かないと明言は出来ないな。
「なるほどな。
田豊殿からお前の呼び出しかかっているから、この会議の後にでも袁紹殿の陣へ向かうことになるぞ」
「はっ?!
な、ななななな・・・ 何でですか?!」
俺が伝えたことに驚き、慌てふためく樟夏へと華琳が追い打ちをかける。
「そんなの決まっているでしょう? 樟夏。
あなたと公孫賛の婚姻の話が、口の軽い兵士たちによって麗羽にも伝わってしまったからよ」
「だから、何で私が呼び出されなければならないんです?!
私と彼女の婚姻はまだ正式のものではありませんし、正式になったとしてもそれは田豊様にも麗羽にも一切関係な・・・」
「苦情は私達にではなく、お爺様と麗羽に言いなさい。
けれど、樟夏。
姉として、そして彼女たちと同じ恋する乙女として、あなたに一つだけ言っておくことがあるわ」
「はい?」
「あなたはもう少し視界を広く持ちなさい。
あなたが考えてるよりずっと、あなたを認めていた者も、想っていた者もいたのよ」
「姉者? そもそも同じ恋する乙女というのは・・・」
「これ以上のことを言う権利は、私でも持っていないわ。
・・・いいえ、違うわね。私だからこそ、尚更その権利を持ちえない。それはあまりにも多くのことに反するもの」
そんな姉弟のやり取りを聞きつつ、俺は桂花へと視線を向けると、桂花も察してくれたらしく頷いてくれた。
「それで桂花は許攸について何か知らないか?
袁紹殿のところにしばらく居たよな?」
「まぁそうね・・・
どこにでもいる権力者の男だったわよ」
「桂花様、それは一体どういう意味でしょうか?」
『どこにでもいる権力者の男』という辺りで俺が首を傾げていると、同じことを疑問に持ったらしい凪が問いかけ、桂花は肩をすくめた。
「力ある女が恐ろしくて近づきたくないくせに、平気で遜るし、おべっかも使う。けれど一度向き合えば、心の底では軽蔑しているのがあの目から透けて見えてくる。
下手に身分が高いものだから欲も人一倍みたいで、袁家に居た時は許攸のところは頻繁に賄賂が行き交っていたわ。
まさに権力者の男で、あいつを見てると虫唾が走るのよ。
そんなのが樹枝を欲して、身内になりかけた時は寒気がしたわ!」
「樹枝を?」
というか、前は大陸の他の男の事なんて考えなかったけど、いろいろと納得してしまった。
樟夏のように自信を失っている者、樹枝のようにそれでも自分なりに動く者。
牛金のように開き直り、完全に素直にあろうとする者。そして、身分が高いが故にそれらを利用とした者、か。
やっぱり、あの時の俺の視界は狭かったよなぁ。警邏隊のことで手いっぱいで、他の事なんて見る余裕がなかった。
「大方荀家の名が欲しかったんでしょうけど、案外本当に惚れてたのかもしれないわね。噂じゃ愛好する趣味もあったそうだし。
すぐさま断った姉上からも詳細は聞いたけれど、あの子を金で買おうとしてたらしいわ。荀家が金で身内を売るなんて思われたことが、すでにこちらを馬鹿にしているのよ!
たとえいくら積まれようともあんな下衆にウチの樹枝をあげないし、仮に姉上が頷いた場合でも私の持てる権限の全てを持って反対したわよ!」
何でそれを本人で言ってやらないんだか、まったく。
相変わらず素直じゃない桂花に愛おしさを覚えつつ、同時に酷く驚かされてもいた。
桂花が男嫌い・無能嫌いなのは以前から重々承知だが、かつてこれほどまで嫌悪感を丸出しにする相手を俺は知らない。小馬鹿にしても、罵倒しても、そこには必ずどんな形であれ笑みを浮かべていたというのに、今回はそれが一切なかった。
「・・・どちらにせよ、許攸は要注意ってことか」
会議中の発言にあった『私にしかわからない』という言葉と同じ陣営に身を置きながら険悪に近い状態にある田豊殿との口論、そしてわずかに垣間見えた中央との繋がり。
だというのに、現状は洛陽とも連絡は取れず、連合という中であるがゆえに下手に動けず、その上『英雄』という看板が俺の動きを封じていた。
今は待つしかない、か・・・
「会議中、失礼いたします」
幕へと音もなく降り立つ黒陽に全員の視線が向き、黒陽はそんな視線を気にせずに頭を下げた。
「西涼の馬騰が、冬雲様にある一件について礼を言いに来たとのことです。
現在、会議中ということで別の幕にてお待たせしていますが、冬雲様と華琳様との対面を希望しています」
黒陽の発言に全員の視線は俺に集まり、再び場は静まり返る。
そんな中で最初に出た溜息は、一体誰のものだっただろうか。
「・・・虎の次は狼か? 冬雲」
呆れたようにしつつ、どこか楽しげに笑う秋蘭。
「本当にあんたはっ・・・!
一体何回同じことをやれば、心の機微ってもんがわかるようになるのよ!」
今にでも掴みかかってきそうな桂花。
「ですが、それが隊長ですから」
どんなことをしても、俺が俺であったら受け入れてしまいそうな凪。
「兄者、流石に節操がなさ過ぎでは?」
樟夏の言葉に関しては納得がいかないが、俺は手も何もだしてない。むしろ、華琳や秋蘭の言葉から察するに樟夏も人のことを言えない気がする。
「華佗の奴、黙っててくれって言ったのに」
見も知らぬ医者と、見も知らない上に得体も知れない赤の遣いなんて名称の男。
どちらを信じるかと言ったら前者だし、もし問われても偶然立ち寄ったとかで済む話だと思って、俺は華佗に頼んだけどなぁ。
それに華佗は人の気を見ることも出来るのだから、相手が不調かどうかは見ていればわかることを理由にすればいくらでも治療しようがあったはずだ。それでも馬騰殿がここを訪れたということはあの天然で熱血な性格がいつも通り発揮され、ありのままに全部を話したんだろう。
伝言は本当に話を聞かない場合のために頼みはしたが、使われることはないだろうとも思っていたんだがなぁ。
「あの天然熱血患者馬鹿・・・・」
正直なのも、天然なのも、熱血なのも、患者馬鹿なのも全部美点の筈なのだが、それが合わさると欠点になることがよくわかった。
「来訪者も来たようだし、会議はこれで解散としましょう。
紅陽、青陽、灰陽、橙陽、藍陽、緑陽は各部隊へ伝達。
他の者は、それぞれの仕事へと戻りなさい。
秋蘭、あなたはこの後も護衛として付き合いなさい。
樟夏はお爺様のところへちゃんと行くように。もっともあなたなら、お爺様の呼び出しを無視したらどうなるかわかっているでしょうけどね」
流れるように会議を終了し、次々に指示を出していく。
というか田豊殿の呼び出しを無視したことあるのか、樟夏。
「はい・・・
納得はできませんが、行ってまいります」
樟夏を送り出した後、本陣の留守を桂花に任せ、俺たち三人も馬騰殿が待っているだろう幕へと足を向けた。
そうして幕へとやってきたはずなんだが・・・
「大体、あんたの元旦那には男らしさってものが足りないって前から思ってたのよ!
舞とか、馬の世話とか、あんなひょろひょろな優男を好きになるなんて・・・ 昔から思ってたけど、浅葱ってば男の趣味が悪いんじゃない?」
「はっ! それを言ったらお前の元旦那なんざ、物言わぬ岩みたいに固く口閉ざして、なーんにも言わない男だったろうが!
言葉も、優しさも、笑顔も惜しまずに、帰る場所で在ってくれる。それこがいい!
あんな仏頂面して、嵐みたいに戦う男の隣で笑う舞蓮の気がしれないねぇ!」
「はっ、ばっかじゃない!
その嵐を乗りこなしてこそ、女が試されてるってもんじゃない!
隣に並んで、剣先を揃えて、一緒に駆けて行ってくれる男こそ至上よ!
あーんな一回乗ったら潰れそうな男、どこがいいってのよ!
戦場じゃ強いとか聞いたことあるけど、必死だっただけじゃない!」
「あぁ、そうさ! あいつは必死だったのさ!
臆病で、怖がりで、誰よりも気弱な癖に、戦場に出たらアタシの後を必死についてこようとしやがった。
あんたの元旦那と違って、ウチの元旦那は優しいんでねぇ!」
一度開いた幕を静かに閉じ、目頭へと手を当て、数度擦る。
幻覚かな? なんか舞蓮とさっき会議であったばっかりの馬騰殿が言い争ってる気がする。
「冬雲、現実を受け止めなさい。
秋蘭はもう先行してしまったわよ?」
「はっ? 先行って・・・」
再び幕を開くと、二人の喧嘩に等しいやり取りに秋蘭が歩み寄っていく姿があった。
「旦那自慢とは、何とも素晴らしい事をしているじゃぁないか」
一切目を向けようともしない二人の間で秋蘭は立ち止まり、何故か一度俺たちの方に視線を向けて得意げに笑った。
何をする気だ? 秋蘭。
でも正直、そのドヤ顔には嫌な予感しかしない。
「フッ、私の夫である冬雲はな・・・」
そう言って得意げに語りだそうとした秋蘭にさすがの二人も視線を向け・・・
「って、ちょっと待てーーーー!!!」
俺も全力疾走で幕へと入り、秋蘭の肩を掴んだ。
「何故止める? 冬雲。
私達は夫婦と言ってもいいほど長い時を過ごし、互いに想いあってきた。それに婚姻をしていなくとも、事実婚というものがあってだな」
「秋蘭、お願いだから黙ってください!」
秋蘭の口を押え、必死になって止める中、当然舞蓮と馬騰殿の視線は俺へと集まり、馬騰殿は深い笑みを浮かべた。
「やぁ、英雄殿。
つい先程会ったばかりだけど、やっぱりいい男だねぇ」
「それはどうも・・・」
かろうじてそれだけ返し、俺は二人を交互に眺める。
かつて華琳が会うことを切望した英雄と、あの江東の虎が並び立つ姿は見ているだけでこちらが圧倒されるようだった。
「いろいろ言いたいことはあるんだけどねぇ・・・
けど、
英雄殿・・・・ いや、曹子孝殿」
近づいていく距離に俺は警戒し、構えかけるが、顔を近づけた彼女は俺の顔に一枚の扇子を押し当てた。
「ひとまず礼として受け取っておくれ。
アタシの旦那の形見だが、なかなかいい物だ」
「えっ・・・
そんな大切な物を、それに礼を受けるべきは病気を治した華佗に」
「ククッ、二人しておんなじことを言うんだねぇ・・・ あんた達は」
俺の言葉を馬騰殿は笑い、返品を拒むように俺とは入れ違いでさっさと幕の外へと出ていく。
「馬騰殿、この扇子は・・・・」
『受け取れない』と続けようとした時、馬騰殿は言葉を遮るように声をあげて笑った。
「そいつは旦那が死んだ時から不貞腐れて姿を消してたってのに、この連合に行くことを決めたら呆気なく顔を出しやがった。
他の誰でもないそいつ自身が、あんたの所に居たいって叫んでやがるんだ。受け取っておくれよ、英雄殿」
そう言って歩き出す彼女は何かを思い出したのか、不意にこちらを振り向いた。
「命の礼には、命を持って返す。
それはとりあえず利子の分ってことにしておいておくれ、英雄殿」
まだ支払いをするという遠回しの宣言をしつつ、彼女は堂々とした姿で去っていった。
説明回というか、なんというか冬雲がいまいち動きが取れない回が続いております。