「いやはや、欲望に忠実で結構なこと・・・ もう勝った気でいるようで。
眼前にある牢という名のついた関にいるのが、かの有名な鬼神と飛将、そしてあの臥龍と鳳雛に並び称された麒麟ということも忘れ、この浮かれ騒ぎ。
これは反撃でもくらえば、実に危険極まりない状況といえますなぁ」
前線の様子を見て、私は白蓮殿の隣でおもわず笑ってしまう。
「それを今言うのか・・・ 星・・・」
頭痛を堪えるように頭を押さえる白蓮殿に、私は笑ったまま最前線の功を飾ろうと血走った眼で駆けてゆく諸侯へと視線を移す。
泗水関で勝利に浮かれた諸侯たちを諌めることは、流石の田豊殿でも出来なかったらしい。その上、例の許ナントカという軍師も虎牢関に攻め入ることを強く勧めたらしい。その会議を目の当たりにした稟は呆れ、風は聞く価値もないとでもいうように居眠りしていたと聞く。
劉備殿たちは功績と捕虜たちの虐待の一件において後ろへと下げられ、あの曹操軍は相変わらず連合の主軸たる袁紹軍を守るようにすぐ前に配備。あとの配備は前から諸侯、我々、袁術・孫陣営、西涼軍となっている。
「何を言っても止まらぬこの状況下、私があちらの将ならば鼻っ柱を折りに行きますな」
「何、さらっと物騒なこと言ってんの?!」
「いや、戦場で物騒なのは今更だろ。白蓮嬢ちゃん」
私の言葉に叫ぶ白蓮殿に続いた予想外の声に視線を向ければ、白蓮殿の肩にはいつの間にやら宝譿が乗っていた。
「宝譿、お前が何故ここに居る?」
今回の戦に関しては見なくてもわかると言って、二人は陣に引き籠っているはずだが。
「つれねぇなぁ、星嬢ちゃん。
まーだ、俺が風に頼まれて嬢ちゃんの秘蔵のメンマ盗ったこと、怒ってんのかよ?」
「そちらも当然怒っているが、風が来ない以上お前もこちらには来ないと思っていたのでな」
「いっやー・・・
風と稟嬢ちゃんが二人して、何か本気で話し合ってるようでよー。
脇でうるさくしてたら、追い出されちまったぜ!」
追い出された割には上機嫌に答える宝譿と、二人が本気で話し合っていた内容について言及したい気持ちが湧きあがるが、とりあえずは戦況から目を逸らさないように考えを巡らせる。
「あっ、あとついでに風と稟嬢ちゃんから伝言を預かってきたぜ!」
・・・人形に伝言を預けず自分で来いと思うが、あの二人だから仕方あるまい。
白蓮殿も同じことを思ったらしく顔を引き攣らせているが、すぐに苦笑を浮かべつつ頷いて言葉の先を促した。
「今回、風達の見立てだとこの一戦は俺たちと負けだと」
「ふっ、は! はははははは! いやはや愉快! 流石は我が友!!
歯に衣着せぬ物言いも、ここまで来るともはや清々しくすらありますな? 白蓮殿」
堪えきれずに噴き出す私とは対照的に白蓮殿の表情は険しくなり、前線へと向ける目は厳しくなっていく。
フム、驚きはなしか。
やはりこの方は、君主でありながら将でもある。何とも不思議な御方よな。
「風は『砦に策も無しで突っ込むとか、許攸さんって人はお馬鹿なんですかねー?』ってまで言ってたぜ?
まっ、普通そうだよなー。
相手が無抵抗に関を開けるなんざありえねーし、関を攻められたら籠城すんのが当たり前だろ?
なのに、阿呆みてーに全員で突っ込むなんざ・・・ 揃いもそろって馬鹿ばっかだな」
宝譿の言う通り、前回の泗水関がどれほどおかしかったかを今回同意した全ての者たちはまるでわかっていない。
何故、あちらが有利な状況下に籠城をすることもなく、将たる華雄殿が一騎打ちを挑んだのか。
その問いに対する答えはなく、多くの諸侯は彼女がただ自らの武に驕って一騎打ちを挑んだのだとせせら笑う。
袁紹軍はわざわざ魔王の盾という厄介を抱えたくはないらしく、連合の長自ら彼女を問いただそうとすらせずに、劉備軍に任せたままとなっているのが現状。
「わからぬことだらけのこの連合にて、誰も彼もが真意を知ることを避けるように行動しているのがまたなんとも滑稽」
もっとも下手に触れてしまえば火傷程度では済まないということを、熟知している者もいるのだろう。
だが、それが殊更に欲に酔う者たちを助長させる。
野心と保身、そして闘争心。
その三つが渦巻く連合に、誰もが目指す理想的な正義などない。
ただ己が成すべきことを成し、それに伴う意義こそが一つの正義となる。
「宝譿も、風も、星も、もっと言葉をだな・・・」
「だって、そうだろ?
白蓮嬢ちゃんだって、違和感ぐらいもってんじゃねーのかよ?
これじゃまるで、内側から関が開くことが前提じゃねぇか」
「それは・・・・」
口籠る様子から、白蓮殿も口にこそ出さないが理解はしているのだろう。
白蓮殿はけして愚かではない。
ただあまりにも優しすぎ、人を疑うということを知りながらにそれを行うことを拒む。
君主として優秀であっても、将としての武を持っていても、文官としての智を備えていても、白蓮殿の人としての優しさが最後の詰めを甘くさせる。
「仕方あるまい、宝譿。
何せ、連合の長たる袁紹軍の軍師殿が決めたこと。それに諸侯の多くも賛成し、前線を務めてくださったのだ。
我々は精々、そのおこぼれを貰うとしよう」
もっとも、妙なところはあの袁紹殿自ら騎馬隊を中心とした我々と西涼軍をここに配備したことだが。
「まったく、あなたはいつも損な役回りばかりだ。白蓮殿」
「・・・まぁ、こんな功績も何も得られないようなところに割り振られたら、普通そう思うんだろうなぁ。
だけどな、星。
馬鹿だと思われるかもしれないけど、私はそう思ってないんだ」
白蓮殿のその声は、ひどく穏やかなものだった。
「ただの保身だって、誰かに笑われてもいい。
でも私はどこだろうと、どんな状況だろうと、自分の出来ることをしたい。
いつだって、どんな時だって、私なんかだと大したことは出来ないかもしれないけど・・・ でも、この場所だって麗羽が私を信じて任せてくれたんだ。
あの麗羽が私に、『任せましたわよ、白蓮さん』なんて言ったんだぞ? 凄いじゃないか」
誇らしげに、嬉しそうに、袁家という強大な力を前にしても、白蓮殿にとって袁紹殿は劉備殿と変わらずに友なのだと、その言葉からわかってしまう。
甘い、あまりにも甘すぎる。この大陸には異端に映るほどの甘さに、胸焼けしてしまいそうだ。
「ふっ・・・」
まったく、武人としてあろうとしていた私がすっかり牙を丸めてしまったのは、白蓮殿の所為かもしれぬな。
「泗水関を! 我が同朋を破りて、迫りくる連合の者どもよ!
勝利に酔い、欲望に狂い、醜き野望を隠しもせずに邁進せし、愚かな諸侯たちよ!
臥龍・鳳雛と共に並び称されし我が名を、知らないなどとは言わせない!」
まず見えたのは、真っ赤な髪。
諸葛亮殿が纏っていた腕だけを通すような上着もまた鮮血の赤であり、その下には董卓軍を表す紫を基調とした文官服。
足につけられた装具はまるで馬の蹄のようであり、その特徴的な装備は彼女が誰であるかを示すようだった。
連合の全てを指し示すように右腕をこちらへと向け、視線は鋭く、足を踏み鳴らすように仁王立ちをする姿は軍師であるにも関わらず、なんと勇ましい事だろうか。
「真実を知ることを拒み、我らが盾を破り、愚かにもこの地へと突撃せんとする諸侯たちよ!
牢の名を持つこの関から、自ら
連合から己が見えるように関の頂上に立ち、同時に自ら全てを見据えているようだった。
これが軍師?
並の将では、彼女の前に立つことすら敵うまい。
「鬼神の怒りに身を裂かれ、飛将の武によって空を舞い、醜き屍をこの大陸へと晒し、朽ちてゆけ!!
そして、麒麟と称されし我が名を、我らが魔王軍の怒りを! 地獄の閻魔に土産とせよ!!」
その号令と共に関の門が開かれ、何かが現れようとする。
が、それよりも早く前線から虎牢関へと、何者かが駆けていく。
「ハッ、貴様ら魔王軍如きに後れを取るような連合ではないわ! 我が一刀の元に斬り捨ててくれるわ!!
先陣は私が頂く! そして、私に続け!! 連合の勇士達よ!」
功を先走ったどこの所属とも知れぬ将が馬にまたがり、数名の部下を連れ、後ろを振り返りながらの進軍は明らかにあちらを舐めている。
あの号令を聞いて尚、臆することもない度胸はかろうじて評価できるが・・・
「聞いたかぁ? 恋。
魔王軍如きやて」
「・・・・・(コクッ)」
「まぁ、ド派手に決めたろや」
危険を感ずることのできぬ将は、早死にするが世の定め。
「おぉ! 飛将、鬼神!!
私は・・・」
「・・・・霞」
「わーっとるて」
門から駆け出すは、騎馬に跨りし鬼神とその隣を同じ速さで駆けぬけていく飛将は名乗り上げようとする将を相手することもなく、直前で二手に分かれる。
鬼神は将の横を通り過ぎていき、飛将は跳躍し、騎馬の上を取る。
馬の背丈よりも高く飛び上がる身体能力にも驚かされるが、これが飛将なのだと納得すらしてしまう。
戦場を縦横無尽に駆け、強者たる以外の全ての駒を飛び越えてゆくだけの力を持つと謳われる存在。それこそが飛将・呂布。
彼女は馬の首元に足を乗せ、持っていた得物ではなく馬の背から将を蹴り飛ばす。
初撃で命を取らない理由がわからず、首を傾げかけるが将が落ちる先に居た存在によって疑問は瞬時に解消された。
「知っとるで?
相手の実力もわからんと功績欲しがった、ただの阿呆やろ?」
将が連れていた部下を斬り捨て、待ち構えていた鬼神の姿だった。
「魔王軍の恐ろしさ、その身にしっかり刻み込みやぁ!!」
降ってくる将を袈裟切りにし、自らが血を浴びることもいとわずに鬼神は一歩ずつゆっくりと馬を進める。
「さぁって・・・ 次は誰や?」
当然、その問いに答える者はなく、笑う鬼神に寡黙な飛将は得物を振るって、刃を向ける。
「来ないんなら、こっちから行くで?」
麒麟が怒りの嘶きをあげ、鬼神が高らかに笑い戦場を駆け、飛将は黙して語らず君臨す。
関から解き放たれた恐ろしき
将が斬り捨てられたのを機に、次々と諸侯たちが虎牢関へ攻めていった・・・ のは、最初だけ。
鬼神の張遼が少数の兵を率いて馬を駆り、縦横無尽に軍を切り裂いていく。飛将・呂布が門に立ちふさがり、次々と兵を得物である戟によって、比喩ではなく文字通りに空へと飛ばしていく。
先程の威勢の良さはどこへやら、四半刻も経たぬうちに陣は徐々に後ろへと下がりつつある。
「はっはっは、見られよ。白蓮殿。
飛将によって兵が空を舞い、鬼神によって道が切り開かれていく。
実にすさまじいものですな」
多勢に無勢という言葉があるが、それはどちらの兵も同程度の力を持ったのみだということを実感させられる。
「いやだから!? 冷静に状況を見ている場合じゃないだろ?!
それに人は空なんて・・・」
「おっと嬢ちゃん、否定するのはいいが自分の旦那になる存在がどう現れたかを忘れちゃいねーよな?」
「そうだけども!
それより、しなきゃいけないことがあるだろ!」
フム、やはり白蓮殿は真面目。だからこそ、からかい甲斐があるのだが。
「いやいや、我々の位置からも、この場合の役割としても前に出過ぎてしまうはむしろ愚策。
ましてやこれは袁家の軍師殿の策ゆえ、命令違反も出来ますまい」
少数の騎馬部隊に見事引っ掻き回された前衛部隊は崩れ、そこに人知を超えた武によって叩かれてしまえばひとたまりもない。たとえ鬼神の刃を逃れて前に出たとしても、飛将によって切り捨てられるが定め。
「ふふふっ。
素晴らしい武、なんと勇ましい事よ」
私の武人としての本能が疼き、あの場で槍を重ねたいと思ってしまう。
「ちなみに、もしここで嬢ちゃんが武人としての本能とかで飛び出してったら、メンマの瓶をぶち割るって言ってたぜ?」
「くっ!
メンマ質とは卑怯な・・・!!」
だから! どうやって私の隠し場所を知ったのだ?!
風達はどうやら私の行動を見越して、宝譿を追い出したらしい。まったく抜け目のない。
本来向けるべきではない相手とはわかっていても、行き場のない苛立ちから宝譿を睨みつけてしまう。
「おっと、そう睨むなって。
白蓮嬢ちゃんからも、なんか言ってやってくれよ。俺だけじゃ、星嬢ちゃんは止めらんねーよー」
白蓮殿を頼るように抱き着いて、胸元辺りをグリグリするのはまるで駄々っ子のようだが、声が男の所為でどうにも可愛らしくない。
「大丈夫だよ、星なら。
何をしなきゃいけないかをちゃんとわかってるし、現に今だって飛び出していってないだろ?」
流石は白蓮殿、よくわかっておられる。ならば私は、その期待に応えねばなるまい。
「うむ。
では、ここらで一献傾けようか」
胸元に忍ばせていた水筒とは別の筒を取り出し飲もうとすれば、白蓮殿に手首を掴まれてしまう。
「一献って・・・ 酒じゃん!?
何で当たり前のように持ってんの?!
こんな状況下で飲むとか、やっぱりやることわかってないだろ?!」
「フム・・・ 白蓮殿はいらぬようだが、宝譿はどうする?」
「おぅ! いただくぜ!!」
白蓮殿から鋭い突っ込みを貰いつつ、宝譿へともう一本の水筒を渡せば口元を開いて注がれていく。仕組みについてはあえて触れまい、こやつがよくわからんのは今に始まったことではないからな。
「まだ、動けませぬな。
前線部隊である諸侯たちは助けを求めることもなく、鬼神の怒りはまだこちらまで来ていない。それに何か、予感がするのですよ。白蓮殿。
馬鹿が、馬鹿をしでかす予感が」
そう例えば、武人である本能を押さえきれず、周囲も止めることが出来ないほどの武を持った大陸の
「はぁ?」
「流石にそれはねぇだろ、星嬢ちゃん。
あんなに鬼神と飛将が暴れてる中で突っ込んでいく馬鹿なんざ・・・」
白蓮殿は素っ頓狂な声をあげ、宝譿は当然否定する。
だがそんな言葉とほぼ同時に、戦場へと威勢よく飛び出していく二つの姿を見つけ、私は上機嫌に酒を呷った。
「ほれ、あそこに」
「「いるのかよ?!」」
驚愕する二人に対し、とびだしていく者が何者かを理解し、さらに笑みが深まっていく。
馬の尾のような髪を振りかざした一騎の騎馬、褐色の肌が特徴的な紅梅色の髪。
想像以上の大物が鬼神と飛将に挑もうと戦場を駆け、自らがここに居ることを示さんと吼えていく。
「あたしが相手だ!!
待ちやがれ! 鬼神! 飛将!!」
「あらあら、楽しいことしてるじゃない?
私も混ぜて、頂戴よ!」
「お姉様の馬鹿ー!」
「雪蓮!! あっの馬鹿!
柘榴! 笑っていないで、お前も来い!」
「わーったから、耳引っ張んな!」
駆け出していく者に負けず劣らずの声を出しながら、さらに三つの人影が後を追いかけていく。
「まさか、ここまで予感が的中するとは・・・ ぶふっ」
状況を読まずに武人としての本能で駆ける錦馬超と小覇王の後ろを保護者が追いかけるなど・・・・ よほどこの連合は私を笑い死にさせたいらしい。
ふむ、てっきり文醜将軍も出ると思っていたのだが・・・ 少々外れたな。
「星! 笑ってる場合じゃないぞ!!
ここで錦馬超と小覇王まで失ったら、連合の士気が・・・!
もう命令なんて、待っていられない!! 私は行くぞ!
星は周りを見つつ、穴が開いた所への加勢をしてくれ!!」
私を怒鳴りながら前へと進み、剣を引き抜く白蓮殿の肩に既に宝譿はおらず、先程言っていたように出来ることをやろうとしている白蓮殿の姿があった。
「聞け! 我が勇敢なる幽州の兵たちよ!!
目的は交戦ではない! 将を失った兵たちをまとめ、後ろへ下がるぞ!!
連合の同朋を! 仲間を一人でも多く救助せよ!!
白馬義従よ! 私に続けーーーー!!」
いかに客将といえど、主君が動いたのならば、動かねばなるまい。
「さて、宝譿。
肩を移ったことに文句はないが、私も行くぞ。
白蓮殿はおそらく、あの大馬鹿者たちを死なせぬように一番危険な場所に行きかねんのでな」
「わーってるって。
まっ、鬼神の嬢ちゃんが動き回ってんのも、わざとらしすぎてなんかありそうだけどな」
「そう、例えばあの素早さを生かし、兵の被害以外にも、我々が一度撤退せざる得ないような事態にするため・・・ だったら面白かろうな」
風の相棒というのは、どうやら肩書きだけではなかったらしい。まったく、人形にしておくには惜しい存在だな。
「はっはっは! まっ、俺たちの考え過ぎだろうがなー」
「うむ、あまりにも人知を超えた武を見せつけられては、夢想を描くも仕方なきこと」
互いに笑いとばし、私は空になった水筒を放り捨てて、得物である龍牙を構える。
「私の性格は丸くなっても、常山の昇り龍と呼ばれし武の牙は鋭きままであることを示さねばな?」
「今回はその牙を見せつけるわけでも、噛みあうわけじゃねーってこと、忘れんなよ? 星嬢ちゃん」
「無論だ。
この常山の昇り竜・趙雲! 参戦いたす!!」
そう名乗り上げながら私は錦馬超と小覇王、そして白蓮殿がいるであろう飛将の元へと馬を走らせた。