固く閉ざされていた筈の門が、内側から両断される。
初戦が敗北で終わり、相手の行動が予想することも出来ないまま虎牢関を伺うように隊列を組んでいた我々に、それはあまりにも突然の出来事だった。
「門が・・・・ 門が開きました・・・!」
全軍に届くような伝達兵の言葉により、その事態が幻ではなく現実であることを徐々に周囲が理解していく。
だが、『門が内側から斬り開かれた』という事実よりも、『あちらから行動を起こした』ということへの戸惑いを誰もが隠すことが出来ずにいた。
その戸惑いを見逃してくれるわけもなく、まるで炎の様な深紅を纏った騎馬に跨った飛将が一騎の将を連れ、連合の最前衛を務める白の遣い・劉備陣営へと突っ込んでいった。
劉備たちの後方に位置する私達の中で、やや前衛寄りに位置する季衣や流琉もじきに交戦を始めることになるだろう。
「籠城ではなく、全軍突撃、ね・・・・
桂花、この策をあなたはどう思う?」
前方の様子を楽しげに目を細めて見やる華琳様は、傍らの桂花へと言葉を向けた。
その後ろには冬雲が鎧姿で控え、耳だけを傾けている私と姉者は左右を守護している。いつもならばここに樟夏もいるが、本人の希望もあり公孫賛の元へ行き、さらに本陣の守りを厚くするために斗詩も袁家の守護についている。
「敵の意表を突くには良い策でしょうが、勝機が低すぎます。
如何に飛将と鬼神といえど、この軍勢を崩すことは難しいかと・・・ 籠城をしなかったということから考えられるのは、後方からの支援が何らかの形で受けられないということぐらいでしょうか」
「でしょうね。
けれど初戦での麒麟の策によって、兵は多かれ少なかれあの軍に対して恐怖を抱いている。鬼神と飛将は勿論、あの小覇王を投槍で追い払い、あの二人を従える彼女こそ化け物だと思っている者は少なくはでしょう。
恐怖の塊が全軍突撃してくるなんて、誰にも想像は出来なかったわ」
くすくすと楽しげに華琳様は戦場を見据え、視線のその先にあるのは紺碧の張旗。
旗の下には当然、漆黒の愛馬に跨り、肩に偃月刀を構えた鬼神。
その隣に並ぶのは白い足袋を履いたような馬に跨り、短い槍を持った麒麟。
「最後まで勝負を捨てず、勝利を諦めない。実にあなたらしいわね・・・ 霞。
いいえ、少し違うのかしら?」
多くの感情が入り混じったその視線を向けられる霞に、私達は嫉妬すらしてしまいそうだった。
「あの時以上に
あぁ・・・ とても欲しいわね。
楽しげに、嬉しそうに、全てを欲する覇王となるだろうこの方こそが我らが愛すべき主君であり、この方の望みを叶えるために私達はここに居る。
「冬雲、春蘭、秋蘭。
鬼神、麒麟の両名を私の元へ連れてきなさい」
華琳様のご指示に私達はそれぞれの得物を構え、前へと歩み出る。その途中で後ろを振り返りかけた冬雲に対し、そうさせぬように華琳様の言葉がかけられた。
「私達の心配は不要よ、自分の身は自分で守るわ。
それに私の影は、常に傍に在るもの」
華琳様は用意されていた絶を持ち、桂花もどこから取り出した鞭を打ち鳴らす。
まったく、あの時とは違い桂花までもが武器を持つとは、末恐ろしい限りだ。
「さぁ、行ってきなさい。私の三季」
言葉に背を押されるように、私達は同時に同じ言葉を言い放つ。
「「「我らが覇王の仰せのままに!」」」
飛将の突撃と鬼神によって教育された騎馬隊が戦場を自由自在に駆け、戦いは既に乱戦状態に陥っていた。
「しかし、私達三人が揃って誰かに向かっていく日がくるとはな」
「相手が相手だからな!」
目的である霞の元へ突き進みながら姉者が私の言葉に笑って答えてくれるが、私が言ったのはそちらの意味ではない。
言葉を返してこない冬雲へと見れば、本人はその意味がわかっているのか苦笑している。
正直に言うと、私は冬雲のこの困った顔が嫌いじゃない。いや、むしろ好きだな。
「春蘭、秋蘭が言ってるのは多分俺が戦力としてここに立ってることだと思うぞ」
「なんのことやら?
英雄といわれるお前を戦力にならないなどと、もはや口が裂けても言えんさ」
冬雲の言葉を笑って流し、迫っていた兵達へと馬上から矢を射れば、後ろを守るように二振りの剣を馬上で器用に扱ってみせる。
顔を仮面で隠し、狭い視界の筈だというのに逞しくなったものだ。
「私は別に・・・ お前が弱いままでも、よかったのだがな」
二人には聞こえぬ程度で囁いた言葉は風にさらわれ、私の耳にだけ留まっていく。
たとえ弱くとも、戻ってきてくれただけで私はよかった。
もっと言ってしまえば私は、冬雲が危険な目に合うことが・・・・
「嫌、なのだろうな」
武人としては馬鹿馬鹿しい考えであり、かつても警邏隊とはいえ危険な場所に立っていたにもかかわらずこんな感情を抱いてしまう私は、皆の中で一番臆病で過保護なのかもしれない。
「秋蘭、どうかしたのか・・・ って何で溜息?!」
そう言って振り向く
恋を知ると人は強くも、弱くもなるというが、これが私の抱えた弱さなのだろう。
だが・・・ まぁ、いい。
「なんでもないさ。
さぁ、鬼神がお待ちかねのようだぞ」
乱戦を抜けた先で、鬼神は仁王立ちをして私達を待っていた。
「よっ、久し振りやな。みんな」
相変わらずサラシと上着、下駄という戦場では動きにくく、露出度の高い格好をしている彼女はかつての変わらず飄々と笑っていた。
「久しぶりやのに、初めて会う。
なんや不思議な感じやけど、悪うない・・・ 悪うないなぁ!」
楽しそうに、嬉しそうに、何度も確認するように。
「やけどな?
ウチは欲張りなんよ」
両手を広げ、全てを包み込むようにしながら、彼女は高らかに笑う。
「あの時があって、今があるのは嬉しいんよ。
けど、あの時の続きじゃウチには満足できへん!」
その言葉はかつて武にだけ執着していたことが嘘のように貪欲で、傲慢で、我儘だった。
「繰り返しやない今を!
なんもかんも違うこの瞬間を、ウチが手に入れる!
惇ちゃんも、英雄も、楽進も、曹操すらも、ウチが勝ったらぜーんぶウチのもんや!!」
だが、それはなんとも彼女らしい。
華琳様に心酔するわけでもなく、忠誠を誓っていたわけでもない霞らしい宣言。
そんな彼女だからこそ、華琳様は欲したのだろう。
「そうはさせん!
お前も、そこにいる麒麟も、どちらも手に入れて華琳様の元へ連れ帰るのだからな!!」
姉者が言葉を返せば、霞もまた目を輝かせる。
「さぁ、惇ちゃん。
もう誰にも、ウチらの一騎打ちを邪魔なんてさせへん。本気でやりあおうや!」
「私はいつだって本気だ! 今までも、これからもな!!
華琳様と冬雲、皆で創る
互いに惹かれあうようにして大剣と偃月刀がぶつかりあい、私と冬雲、麒麟のみが置き去りにされる形で一騎打ちが始まってしまう。
・・・わかってはいるが、まったく私達を一騎打ちの相手として見ようとしないという点について、いろいろと言いたいことがあるな。
「おい、冬雲。
お前は・・・」
声をかけようとそちらを見れば、冬雲は既に周囲の警戒をすることを決めたらしく姉者たちの勝負の邪魔にならない程度の距離をとりつつ、周囲をうろついていた。
その様子に声をかけることを諦め、私同様に置いていかれている麒麟に向き直れば、同時に視線があわさった。
「さて、将として私達もやりあうとするか? 麒麟」
「ふわはははは、面白いこと言うね。夏侯淵さん。一介の軍師が一陣営の将に勝てるわけないっしょ?
あたしはただ、親友の一騎打ちを誰にも邪魔されないようにするのが精々だよ」
麒麟は軽く笑って見せるが、私だけでなく周囲にも警戒を怠る様子はない。
「私が邪魔するとは思わないのか?」
「もし邪魔をするんだったら、最初から一騎打ちなんて面倒なことしないでその弓矢で私達の足を射れば済んだ話じゃない? 連れ帰ることが目的でも、生きてれば怪我なんて些細な事だしね。
現に今もあなたはあたしを捕まえようともしないし、人質に取ろうともしてない。
それどころか英雄さんにいたっては一騎打ちの邪魔が入らないように、あぁして警戒までしてくれてる。そうさせない理由がどこにあるかまでは明言できないけれど、武人としての矜持がそうさせないのかな?」
私の問いに対し多くの可能性をすらすらと答えながら、さり気なくこちらが何を隠しているかを突いてくる。考えているのは一人だというのに、多くの面を見ようと頭を回転させる素早さには目を見張るものがある。
ならば、私がその腹を探るようなことをしても無意味だろう。
逆に言葉を逆手に取られ、全てを明かすことになりかねない。
「麒麟、単刀直入に聞こう。
どこまで聞いている?」
もし何も聞いていないのなら、それはそれでかまわない。
だがあの霞が、何も考えずにあの時を匂わせるような言葉を口にする筈もない。
「一通り、ね。
まっ、そこにいなかったらしいあたしにとって、真偽なんてどうでもいいんだ。
あたしは選んでここに居るし、誰かの思い通りになる気もない。
だけどさ、真名まで預けた親友がらしくなく下向いてるのを放っておくほど、不義理じゃないよ」
その言葉は戦場には不似合いな優しい響きを持ち、視線の先には今も姉者と共に楽しげに一騎打ちに興じる鬼神の姿があった。
「あなた達の知っているあの子を、あたしは知らない。
だけど、それでもいい。
あたしが知ってるのは、今のあの子だから」
かつて『神速の張遼』は、一人だった。
『人間業とは思えないほど速い』と称された馬術と、馬上から得物を振るう速さ。そのどちらにも追いつける者などなく、故に霞は自分を負かした姉者へと固執していた。
恋を知り多少丸くなっても、武への執着だけは衰えることはなかった。
「良き友に出会えたのだな」
だが今は、共に並んでくれる者がいるのだな。
「まぁ、なんてったって鬼神の相棒で、嫁ですから」
冗談交じりに笑う麒麟は誇らしげで、その表情で良き友人関係であることは十分に伝わってくるようだった。
「ふむ、嫁か・・・
もし私達がお前達を奪えたら・・・ 麒麟よ、お前もあそこにいる英雄の嫁になるか?」
「はっ?
いやいやいや! 何、言っちゃってるの?! 夏侯淵さん!」
先程の表情から一変し、顔を真っ赤にして慌てだす麒麟が愉快で私は言葉をさらに畳み掛ける。
「ふふっ、何も恥ずかしがることはない。
英雄は色を好み、人を惹きつけてやまぬもの。
我らが王と英雄は将の全てを愛し、いろいろな意味で可愛がってくださる。
それに愛とは一つの塊ではなく、愛しい者が増えるたびにまた生まれるものだからな。
それぞれの愛、全て真実であり、偽りなどない。
誰もが愛し、愛されている関係に嫉妬などという感情すら生まれはしない」
「いや、その考えは少しおかしくない?!
ていうか、雛里ちゃん?! 親友の身がいろいろな意味で心配になるような言葉が混ざってるんですけど?!
じゃなくて!!
仮に霞が夏候惇さんか、英雄さんに負けたとしても、親友の恋人に手を出すのはちょっと・・・」
姉者を負かすつもりで話していたのか、霞。
しかもその上で冬雲とも戦う気でいたとは、本当に霞の行動だけは読めん。
だがあえて言おう、姉者を舐めていないか? 霞。
「それにあたしは、英雄の名を持つ人の隣に立てるほど凄くはないから」
凄くはない、か。
天性の才を持つ者と並んだ者は、えてして誰もが同じことを言う。
「初戦において前衛の諸侯を全滅させ、自らも投槍にて小覇王を追い払い、誰もが笑った口上は恐怖の対象となった。今もまた全軍突撃という策により、連合は一度ならず二度までも不意をつかれたのだが・・・
これで策を練ったであろう当人に謙遜などされてしまえば、連合の軍師達がどんな顔をするのやら? 私個人としては、見てみたい気もするがな」
桂花も、稟も、風も、それどころか麒麟と共に並び称された
無謀な策だと笑えるほど、弱い相手ではない。
初戦だけではなく、この戦すらも想定済みで戦を仕掛けた彼女に我らは恐怖したのだ。
「そんな褒められたもんじゃないって。
そっちは必死だっただけだし、あたしは好きな相手はむしろ弄り倒したいってだけ。
あたしは高い所まで見れないから、同じ目線で笑える人がいいかな?
たとえば、曹操さんとこから来た荀攸みたいな、ね」
ここまで言っても謙遜をやめない、か。
樟夏もそうだが、こうした者たちはどれほどのことを成せば謙遜をなくしてくれるのか。
どれほどの言葉を費やせば、お前達は十分に凄いことが伝わるのだろうな。
「それはまた、妙な者を好む」
「いや、妙って・・・ 元はそちらの身内でしょ。
ていうか、女官の採用試験を受けさせたのって誰の案なんです?
あんまりにも似合ってたので、あたしも悪乗りして徹底的に女物の服しか着れないようにしちゃいましたけど」
「・・・・仕事着以外も、か?」
「勿論」
まさかの情報に耳を疑い、問い返すが、戦場で敵に向けるとは思えぬほど明るい声で頷かれたので私は脳内で再現された樹枝の女装姿に笑いをこらえる。
洛陽での情報は樹枝が採用された以降なかったため、仕事着以外も女装などとは誰も想像していなかった。
麒麟は案外、愉快な者だな。
「あぁ、それと・・・ 華雄は無事だ。
現在は連合のある陣営が保護しているが、あの陣営ならば悪いようにはしないだろう。安心するといい」
「それ、言っちゃっていいの?」
通常ならば、こんな情報は伝えるべきではない。だが・・・
「仮に何か策を考えたとしても私がここに居る限り、行動に移せん。
お互いにあの一騎打ちが終わるまで、こうして睨みあうことしか出来はしないさ」
姉者が勝ち、我々が二人を連れていくか。
はたまた霞が勝ち、冬雲にもう一戦挑むのか。
いずれにせよこの戦い、長くなりそうだな。