迷宮都市オラリオは、その外円を巨大な防壁がぐるりと囲んでいる。
外壁上面はそれなりの広さがあり、もしもの時――ダンジョンからモンスターが溢れるなどした時に、大多数の冒険者が活動できるような造りになっている。通常は、見張りをしているガネーシャ・ファミリアの人たちがチラホラいたりするのだが、日が昇ったばかり早朝の今は閑散としていた。
そんな外壁上面の一角に、珍しく三人もの影が固まっている。
一人は、ロキ・ファミリアの第一級冒険者、剣姫――アイズ・ヴァレンシュタイン。
一人は、ヘスティア・ファミリアの新米冒険者――ベル・クラネル。
一柱は、ベルの主神――女神ヘスティア。
ベル・クラネルはここ数日の間、早朝この場所でアイズ・ヴァレンシュタイン氏から個人的な訓練を受けていた。
もちろんだが、ベルは神様にはこの事を報告していない。
やましい理由や、後ろめたいモノがあった訳ではない。ただ、この特訓の事を言うと絶対反対されるだろうなぁ……と、言われるから言わなかっただけだ。だが昨日、ホームにしている廃教会を破壊してしまった件で説教を受けていたケンが、うっかりヘスティアに教えてしまった。
『ケン君、教えてくれてありがとう。
ベル君、今すぐヴァレン某とのデー……じゃなかった。訓練を止めるんだ!』
もちろんその後、ヘスティアから直ぐにアイズとの特訓を止めるように言われた。だが、明日一日で訓練は最後だからと、ベルは必死に――ついうっかり教えてしまったケンも一緒になってヘスティアを説得した。その結果、ヘスティア同伴での訓練という事で、しぶしぶながら了承を得たのだった。
そんな二人――アイズとベルが真剣に打ち合うのを、ヘスティアもまた真剣に見届けていた。
アイズの振るう剣の鞘が、鋭い軌跡を残してベルに刻まれる。
「うぁ!?」
「っ!」
「……大丈夫? 今日は、集中できてないみたいだよ?」
「はぁ、はぁ……。すいませんアイズさん」
個人訓練最終日。この一日は、可能な限り全部の時間をこの訓練に当てると、前々からアイズと取り決めていた。だがベルは、そんな大切な特訓に集中できずにいた。
それは、同伴して見学している主神のヘスティアも……。
その理由は、ここに居ないケンの安否だ。
連日連夜、ケンは誘拐され続け……とうとう昨晩も彼は帰ってくる事はなかった。
「彼の捜索は、ガネーシャ・ファミリアがやってくれてる。
それに……」
彼を信頼しているんだよね? 彼女の言葉には、ベルの代わりにヘスティアが肯き返す。それに続くようにベルも肯き返した。
だが、ベルには不安が有った。
ヘスティアが、ケンは大丈夫だと言ってくれた。どんな事になっても、彼は帰ってくると……。だがヘスティアが険しい表情で告げるソレは、純粋に安心できるモノではなかったのだ。
ソレに拍車をかけかけているのは、訓練が始まってからソワソワと所在無さげにしているヘステイアだ。
真剣な表情で二人の訓練を見ている彼女なのだが、その華奢な手足の状態を見るに落ち着けていない。ガタガタとか、ザワザワと言う擬音が可視化しそうなほど、彼女の身体は顔と別行動を取っている。
どっしりと構えて欲しい。
その様子を見かねたアイズが、普段はしないような注意をヘスティアに送る。
「あ……。すまなない、ヴァレン某。
ベル君の主神であるボクがこんなんじゃ、ベル君も不安になって訓練に集中できないのは当たり前じゃないか」
そう言うとヘスティアは、ケンに与えた恩恵が消えていない事を確認し、自身を落ち着かせるように深呼吸。背筋を伸ばしてベル君の方に向き直る。
それを見て、ベルはバゼラードを、アイズは剣の鞘を持ち直し、
「それじゃ、もう一度……っ?」
「はい! ……っ?」
仕切りなおして構えた二人をナニカの影が覆い隠す。冒険者で溢れかえるオラリオと言えど――滅多にある事ではないが、外界から飛行型モンスターが飛んで来ないわけではない。
外界のモンスターが弱いと言う訳ではない。だが恩恵を受けていない一般人にとっては、ダンジョンの中だろうと外だろうとモンスターと言うのは恐ろしい存在だ。
だが、
「モンスター?」
「じゃ、ないですね」
上を見上げた三人は――正確には二人は、空から降りてくるその影を見てホッと胸を撫で下ろす。
「お~い、ケンく~ん!」
ヘスティアは、両手を広げてピョンピョンと跳ねながら自身の眷属の無事を喜んでいる。ベルも、ヘスティアに続いて彼に手を振って無事を喜んだ。
巨大な布を広げ、ソレに吊るされる様にして滑空してくるケン。両手に握った紐で舵を取っている様で、呼びかけてくるヘスティアとベルに返礼は出来ないが心なしかその表情が明るくなったように見えた。
「無事でよかったね」
「はい!」
元気に応えるベルに、もう先ほどのような憂いは無い。
そして、ケンは三人のいる外壁の上にゆっくりと……降り立てなかった。
「あ……」
「れ?」
スカッと言う音が出ていたかも知れない。パラシュート降下をしていたケンの足が、縁まであと少しの所で空を切り、
「どわー!?」
「ケ、ケンく~ん!?」
そのまま外壁の下へと、壁面に身体を擦り付けながら落下して行ったのだった。
*
「ケン君! ボクは、と~ても心配していたんだよ!」
無事でよかったよと、ヘスティアはケンに抱きついて怪我などがないか確認して回る。
一応女の子なのに、ヘスティアには一切の躊躇がない。いい香りがするし、柔らかいしで、触られているケンは色々と困ってしまっていた。
「うん、無事で何より……」
壁面に擦り付けられながら滑落したようだが、怪我らしい怪我は……かすり傷の一つすら見られない。さすがボクの与えた恩恵だとヘスティアが奮起していると、
「いえ、私が見つけた時は血まみれでしたよ?」
ケンと一緒にやって来た――たまたまケンの落下地点に居たエルフの少女がソレを否定する。骨折までしてましたしと言うエルフの少女――レフィーヤの指摘に、ヘスティアは顔を青くして何処が折れたのかともう一度探し始めた。
「ど、何処が折れてたんだいエルフ君!」
「いや、全部治癒したから……」
そう言って救急パックを取り出して見せるケン。これ一つ有れば下手なポーションを持つ必要性が感じられない治癒力――前に死に掛けていた冒険者で実験したが、骨折どころか欠損部位すら完全に修復して見せた。
……まぁ、あのゲームでもどんな致命傷からでも全快にしてみせたのだからコレ位出来て……良いのだろうか?
「いいんだけど、良くないよ、ケン君!
いいかいケン君、ポーションと言うのはね……」
ヘスティアは、すっごく怖い顔をしながら、ケンのソレがどれだけ異常なのかを説いていく。
ヘスティアの説教を抜粋すると、負傷だけとは言え欠損部位の完全回復までしてしまうソレは、もはやエリクサー並みの治癒力を持っている事になる。そんなモノを低コストでポンポン出せるなど他の神々に知られたら……。ヘスティア・ファミリアどころか、オラリオの全ファミリアを巻き込んだ“戦争”に成りかねない。
それを必死になって説明し終えたヘスティアは、器用に顔だけ後ろにいるロキ・ファミリアの二人に向け、
「“治癒”が出来る子供がどれだけ貴重かは、ロキの所にいる君たち二人には話さなくてもイヤと言うほど理解できるよね?」
その問いかけに、アイズとレフィーヤの二人はコクリと肯く。ただ、その視線の先には、ケンの手の中から文字道理ポンポンと飛び出してくる救急パックや医療バッグに向けられていた。
本当に、ポンポン、ポンポンと出てくる。
無駄遣いじゃないかと思ったが、ソレを出している本人からは一切の負担が無いように見受けられた。本来、それだけの治癒力のあるモノなら、想像を絶するような魔力なり何なりの消耗を強いられるはずなのだが……。
「全然、消耗しない?」
「あぁ、恐ろしくコスパがいい」
アイズの指摘に肯くケン。ついでに弾薬箱と弾薬パックもポンポン出し始め……ソレ等を使ってお手玉をはじめた。特にひねりのない簡単なお手玉だが、数を増やしてみたり、各種ナイフの類を加えるなどしてアイズの目を引き付けている。
「い、今私、とんでもないモノを見てしまっている気がするのですが……」
「ケ、ケン君。も、もうチョット自重しようよぉ……」
「あ、アハハ……」
そんな光景に、ヘスティアとベル、レフィーヤが頬を引き攣らせた。
それに対してケンの表情は、どこか考える事を放棄したように虚ろ。その姿や立ち振る舞いは、オラリオという爆弾をいつ何処で起爆しても可笑しくない存在――道化に見えた。
「エ、エルフ君……」
「ひゃい!?
な、何でしょうか神ヘスティア?」
「この事は、他言無用にして欲しい……。
僕たち“も”まだ平穏に暮らしていたいんだ」
もちろん分かってくれるよね?
その問いかけに、彼女は激しく……それはもう激しく頷くしかなかった。
そして、二人の世界(?)に入っているケンとアイズは、
「動物も出せるの?」
「あぁ、コレが本当に動物かどうかは疑問だが……」
何処から取り出したのか、籠の中のハトを眺めていたのだった。