まだ朝日が顔を出すには気が早い時刻。
「ケン……?」
ヘスティア・ファミリアのホーム、廃教会内の一角に張られたボロテントを覗き込む影が一人――ベル・クラネルがいた。
そして、このテントの住人はヘスティア・ファミリアのもう一人の構成員である青年――ケン。隠し部屋が狭いという理由で、彼が不器用ながら作ったのがこのボロテントだ。中で寝ているケンは、毛布を深く被り直して丸くなっている。
「はぁ……」
あの様子ではまだまだ目を覚ましそうにないと、ベルはため息をついてトボトボとダンジョンへと出発した。
神ヘスティアやアドバイザーのエイナ氏には、ケンと一緒にダンジョンに探索に出るように言われているのだが……彼と自分の生活リズムの違いに悩まされていた。
もちろん彼を早起きさせられなくもない、が……。
早く起こした所為か、すこぶる機嫌が悪い。
注意力が下がるのか、うっかりミスを頻発したりする。
頻発したミスの所為で気分が滅入り、その日のステータスの伸びも悪くなる。
……見事な悪害トリプルコンボだった。
『ベル君は、ケン君と比べてちょっと朝が早すぎるだけさ。
……そうだベル君! ベル君も、ちょ~っと朝の時間をずらさないかい? ずらしてくれたら……(モニョモニョ)』
前向きな提案をしてくれた――なぜか顔を赤面してモニョモニョしたヘスティアの言葉が思い出される。だがしかし、自身のみすぼらしい格好を見直して顔を顰めてしまうのも一つ。……とりあえずベルは、今日も一人でダンジョンに向かう事にしたのだった。
それから暫くして、朝日が十分に顔を覗かせた頃――だいたい7時から8時くらいだろうか? まだ寝ぼけたケンが、モゾモゾと自身の塒――ボロテントから這い出て来た。
「おはようケン君!」
「……おはよう、ございます」
互いに挨拶を交わし食卓に着く。彼は、欠伸を噛み殺しながら時計を……確認できずに頭を掻き毟った。
「時間かい? まだ大丈夫な頃合さ」
朝は弱いねと笑うヘスティア。それに相槌を返して、ベルが用意してくれていた朝食をふたりで手を付けていく。ベーコンエッグに固焼きパンと塩野菜スープと言う簡素なモノだったが、用意してくれていただけでもありがたかった。
「オレも、もうちょっと、料理の腕、磨かないと……な」
文明の利器――出来合い調味料があればいいのだが、生憎とここオラリオでは手に入らない。いや、似た様なモノは在るが、生憎と貧乏ファミリアではおいそれと手が出せない。
「ケン君は、味付けが苦手……なんだっけ?」
「まぁ……精進が必要」
切るのも、煮るのも、焼くのも、それほど難しい調理じゃない。火加減も、魔石式コンロのおかげで調整が容易だ。だが、限られた調味料と食材だけで美味しい料理を作るのは、出来合い調味料での大味料理しか作れない彼にとっては困難な事だった。
「ご馳走様……。それじゃボクは、バイトに行って来るよ」
朝食を終えて、ヘスティアはじゃが丸くん屋台のバイトへと出て行く。彼もまた、冒険の道具を身に着けてダンジョンへと向かった。
ケンは個人的な――少し朝が弱い為、ベルと一緒にダンジョンに潜る事は少ない。ダンジョンの途中や入り口で合流できる事もあるが、そうでない時はソロでの活動になる。ギルドのアドバイザー――エイナ氏からは、単独で行動しないよう口を酸っぱくして言われているが……彼曰く、ソロの方が都合がいい事もあった。
ベルは、スキルや魔法に特別な憧れを持っている。ステータスの更新毎に発現しないかとドキドキしているし、最初からスキルを持っていた彼の事も羨ましがっていた。
ヘスティア曰く、技能と装備を合わせた召喚系魔法がなぜかスキル化しているレアスキル――【戦場遊戯(バトルフィールド)】。彼女からは、むやみやたらに使わないようにと念を推され――珍しいもの好きな神々とベルに配慮して、普段はこのオラリオで使用しても違和感が少ないと思われる弓矢(ファントム・ボウ)と各種ナイフを主体に使っている。ベルへの説明も、武器と消耗品の矢代が浮く程度としか説明していない。
だがしかし、このスキルで呼び出せるのはソレだけではない。むしろ、弓矢(ファントム・ボウ)よりも強力な――むしろこちらの方が主戦力である凶悪な銃火器を呼び出す事ができる。
ちなみに、ベルと一緒にダンジョンに潜っている時よりも、ソロで活動している時の方が収入が多かったりする。周囲に気取られないように銃火器等を使用しているからだ。
ただこのスキル、一つだけ誤算があった。
ダンジョン内で初期アサルトライフル――AK-12を試射した際、反動と発砲音に思わずその場に尻餅をついて鉛玉を周囲に撒き散らし、肝を冷やす羽目になった事があった。
……スキルを持ってしても“慣れ”だけは得られなかったのだ。
技能の召喚で、銃火器の使い方は分かる。だがしかし、武器を使う事には慣れていないという状況の為……いざと言う時の為にも訓練を兼ねて状況が許す限り銃火器を使用している。ヘスティアの言いつけを破っているわけではない。
最初はハンドガンから始めて、サブマシンガン、アサルトやカービン、軽機関銃と順に銃を発砲するという事に慣れていく。ファミリアのホームに射撃演習場が在ればいいのだが、あのボロ教会にソレを求めるのは酷である。
幸いな事に、ダンジョンの壁や床は頑丈で破損しても直ぐに修復されるので、対戦車ロケット砲の類を気兼ねなく使用できる。主要な狩場と外れた場所でやっている為、神々の目も気にせずに練習できる。ダンジョンは、とても都合が良い場所だった。
だがしかし、
『ベル君にも言ったけど、最近浅い階層で鉄の芋虫みたいなモンスターが確認されてるの。ギルドも新種を疑って調査してるんだけど……ふたりとも気をつけてね?』
と、ギルドのエイナ氏から言われ、思わず視線を泳がせてしまった。いくら都合が良くても、目立つには目立つのだ。兵器類の使用には、もう少し周囲に気を配らねばならないようだ。
閑話休題。
話を戻すが、ケンはソロで活動する際に殺傷力の高い銃火器を使用して狩りをしている。その方が倒せるモンスターの数も多く、気分的にも楽な戦闘になる。
「……気付いていないな?」
とは言え、普段の彼は弓矢(ファントム・ボウ)を主力としている。それの扱いが下手では元もこうもない為、ソロでも一日の半分は弓矢を構えて狩りをしていた。
気付かれないようにモンスター――ゴブリンの背後を取り、距離を見定めて照準をゴブリンの頭へと合わせ……放つ。着弾箇所は胴体だったが、ゴブリンはそのまま倒れて動かなくなった。
「……狙いが甘いな」
倒せたから良いが、できるだけヘッドショットを決めたい。彼は愚痴を零しながら、倒したモンスターの魔石を回収するためにナイフを突き立てた。
*
街並みが、キレイに赤らみ始めた夕焼け時。
「お願いしま~す」
ダンジョンから帰ってきた彼は、バックパックから袋一杯のドロップ品をギルドの換金窓口に流し込む。ダンジョンの上に建っている塔――バベルでもドロップ品の換金は出来るが、ギルドの換金所の方が割りと空いていて換金がしやすい。だがしかし、どうにも今日は厄日な様だ。
「なんであの量の魔石で、これっぽっちのヴァリス何だよ!?」
「ですから、魔石の相場は……」
換金所の窓口の一つで、どこかの冒険者と受け付けが言い争っていた。
争いの理由を聞いて分からなくは無いと、彼はその光景を眺めながら思った。魔石の価値は、その質とサイズが評価基準になる……らしい。もちろん需要と供給のバランスによっても変化する。ソレ等を甘味して、ギルドは魔石をヴァリスに交換するのだが……魔石の交換レートが冒険者に分かり辛いのだ。
おおよそこれ位の魔石を持って来れば~と言う感じでしかない。
彼自身、最初は魔石の交換レート表が何処かにないかとギルド内を見渡したが終ぞ見つけられなかった。エイナ氏に質問した事もあったが……結果は察して欲しい。
「終わったよ」
換金が終わり、払い出し口からヴァリスの詰まった袋が出てくる。幸いな事と言っていいのか、トラブルが起きていたのは彼が並んでいる換金窓口の隣。このまま何事もなく帰れれば、もっと幸いだった。
「……」
「……」
たまたま一瞬、お互いの目が交差した。いや、正確には互いの視線は交差していない。
「……(杯、ゴブレットか?)」
彼は、クレームを入れていた冒険者が付けていたファミリア・エンブレムを……。件の冒険者は、彼が手に持つヴァリスの詰まった袋を見ていた。次いでその冒険者は彼の身なりを見て、
「なんでオマエみたいな、見た目駆け出しのサポーター風情が、そんな大金持ってんだよ!」
突然ふざけるなとわめき出した。
そんな冒険者に、彼はメンドウな事になったとため息を吐く。その仕草がさらに癪に障ったのか、件の冒険者は顔を赤らめて彼の胸倉を……掴もうとした所でふたりの間にギルド職員が止めに入った。
「ケン君、こっち!」
呆然としていた彼の手を引っ張り、相談用個室へと別のギルド職員が――エイナ氏が避難させてくれた。
「大丈夫だった?」
「はい……すいません」
大丈夫だとエイナ氏に伝え、迷惑をかけた事を謝罪する。そんな彼に、
「もう、君が謝る必要なんてこれっぽっちもないんですよ?
あのファミリアの冒険者、ちょくちょくトラブルを起こしててこっちとしても良い迷惑だったんだから」
そうなのかと、ケンはエイナ氏の発言にため息を付く。そんな彼に何処となく表情が暗いとエイナ氏は感じたが、彼は早く帰らなければ色々と心配されると、部屋の外の様子を窺い始めていた。
半開きにしたドアの隙間からは、未だに件の冒険者がわめき散らしているのが確認できた。ギルドの職員達が必死になだめているが、現状は良くはなりそうにない。
「……まだ当分かかりそうね?」
眉間に皴を寄せて見ていた彼は、突然横に出現したエイナ氏に驚いて飛び退き、その先に在ったテーブルやイスと言った家具にぶつかって苦悶する。それを見たエイナ氏は、思わず噴出して笑ってしまった。
「ゴ、ゴメンなさい。悪気はないの」
「あ、ああ……。
所で……あの冒険者、一体何処のファミリアなんです?」
ぶつけた痛みを堪えつつ、話題を変えるべく笑っているエイナ氏に質問する。彼女は暫し考えた後に小さく肯くと、
「中堅のソーマ・ファミリアよ。
ケン君、キミは……なんって言うのかな? ああ言うタイプの人にからまれ易そうな雰囲気してるのよ。だから十分に注意してね?
あ、あと変な事は考えちゃメだよ?」
絶対にと、微笑みながら念を押して来るエイナ氏に、彼はタジタジとした面持ちで肯く。彼女の仕草は、どこか狙っているのかと思うほど乙女だった。
それから、件の冒険者が居なくなるまで個室に篭城する事になった。
ちなみにエイナ氏は、多忙なようなのでギルドの仕事に戻り……別の職員が安全を報せてくれた。どこかで見た事のある職員だったが、生憎と彼の記憶には印象に残っていなかった様だ。
ギルドを出ると、もう太陽が沈んでしまっていて月が顔を出していた。
「……夕食、どうするかな?」
買出しをして帰ろうにも、時間的に露天の類は畳まれている。備蓄がどの様な物だったか思い出そうとするも、
「……芋にニンジン……玉ねぎと肉……」
少なくとも碌な食材しか思い出せなかった。カレールーの類が手元に無いのが悔やまれるが、そもそも料理をしている時間も食材の量も足りないだろう。それに第一、ヘスティア・ファミリアには米が無い。
ジャラリと、今日の稼ぎの入ったヴァリス袋を見つめる。稼ぎはこの所の平均と言った所だ。
「……外食にでもするかな?」
もうメンドウだとため息をついて、彼はそのままホームへと足を向ける。買い物はしない。もしかしたら、ベルが何か買っているかもしれないとも考えられる。
最悪、残り物で何とかすればいいか……それが、いかにも貧乏ファミリアらしい。
「あ、お帰りケン!」
タイミングが良かったのか、ホームの廃教会の前でベルと合流した。
「ああ、ただいま」
テキトウに返事を返し、下手な日曜大工で取り付けたドアを軋ませて、彼は廃教会の中へと入っていく。ベルの様子を見る限り、夕食の食材は買っていないようだ。
「そうだ。ケン、これから外食に行こうと思うんだけど……」
「外食?」
お前もかと、彼は少々驚いたように聞き返す。偶然にしても、意見が一致してくれているのは話が進めやすい。
「そうか……オレも外食にしようかって考えていたんだ」
「ホント!?」
無邪気に喜ぶベル。神様も誘って三人で食べに行こうとはしゃぐが……数分後にそのテンションは急降下する羽目になった。
「ふたりで楽しんで来たらいいよ! ボクは、バイト先の打ち上げがあるからね!」
怒った様に、もっと分かりやすく言えば拗ねた様にしてクローゼットの中から外套を取り出し着込むヘスティア。
ソレを見ながらオロオロとするベル。
ため息を吐いて呆れるケン。
事態の遂行を見ていた彼としては、成るべくして成った結末だった。
掻い摘んで説明すると、ベルが外食をする理由――今朝方、そのお店の店員(美少女)に外食をお願いされたから。しかも落とした魔石を届けてくれたお礼らしい。
「えっと、なんで神様、怒ったの?」
ベル、オマエはハンカチを落とした女の子か? そう言うナンパ方法が実際に使われていると知って、彼は何とも言えない気持ちになったのは……とりあえず横に置いておこう。
「ねぇ、なんで怒ってたの?」
その店員がよほど可愛かったのだろう。嬉しそうに説明するベルに、ヘスティアが反応して眉を吊り上げていくのが見て取れた。ココまで来れば、後はどうなるかは……簡単に察せられた。
「ケ、ケン?」
ハーレムを目指すなら、ベルは彼女の好意に気が付くべきだろう。ワザとそうしているなら分かる。ヘスティアは、ちょっと意地悪したくなる妹系キャラだ。だが、ベルのアレは違う。分かっていなくて素でやっている。
「お、お~い」
そして、ヘスティアもヘスティアだ。そう言う独占欲があるなら、コレは自分のモノだとその店員に釘を刺しに行くべきだろう。決して、癇癪を起こしてどこかへ逃げると言う選択をするべきではない……と思う。
恥ずかしいのは分かるし、他の神々に妙な話題を提供したくないと言うのも分かるが……。
「……答えてよぉ!」
なんで神様怒ってたのと、ベルはさめざめと泣く。問いかけた同僚も上の空で、反応してくれないのが少年の心に追い討ちをかけた。
……知らぬは当人だけ。そんな言葉があったようなと、彼は天井の染みを数えながら現実逃避する。もっとも、あまり時間をかけてはいられない。ベルの心が沈みすぎて、彼の力ではサルベージ不可能になってしまう。
焦った末に彼は、
「……きっと、アノ日なんだろう」
と、ついつい言ってしまった。某竜を跨ぐ美少女魔法使いでも使われた便利な言葉――アノ日である。
「アノ日?」
首を傾げ、今度はアノ日とは何かと頭を悩ませ始めるベル。ソレを見て、コレは不味いパターンだと判断した彼は、ため息を吐きながら悩むベルの背中を押すようにして強引にホームから出立した。
「え、ちょ、ケ、ケン!?」
「ほら、ホラ! さっさと飯食いにいくぞ!」
「い、いや、その、アノ日ってなに!?」
「アノ日は、アノ日だ! それ以上、深く考えるな!」
良いな? そう念を押してベルを……今度は引きずって行く。暫くして、そう言えば何処のお店で食事をするのか聞いていなかった事に気が付いた彼は、引きずっていたベルを開放するのだった。