0話「出会いからのプロポーズ」
――一瞬にして目を奪われる。
少年にとって目の前に広がるのはあまりにも暴力的な光景だった。
そして何よりも非現実的な光景だった。
人間よりも遥かに巨大な獣が振り切られた拳に吹き飛ばされている。
しかも拳を構えているのは女性。
いくつぐらいだろうか。
確実に自分よりも年上で女性らしい成熟した肉体を持っている。
見方によれば野蛮で、美しさなど皆無に思えるだろうがこの時、確かな美しさを感じていた。
どんなに磨かれた宝石よりも、どれほど着飾った女性よりも。
誰よりもその女性は輝いていて、野性味に溢れた美しさを持っていた。
一体どこの誰なのか。
そんなことはどうでも良かった。
あれほどの獣を一撃で仕留めたその姿に惚れてしまったから。
だったら取るべき行動は一つ。
隠れていた木陰から出ればすぐに獣の上に立つ女性を見上げる。
唐突に現れた少年に女性は不審げに眉を顰める。
その容姿を一言で例えるならば女獅子だった。
鬣の如き髪が示す色は太陽の如き橙。
口端から覗く肉食獣のような牙。
獣の眼光。
どれを取ってもおおよそ女性とは思えない、ある種恐怖すら覚える容貌だったが――
「オレ、キリヤスフィール・フィン・ガルガンです! キリヤって呼んでください! そんであなたに一目惚れしました! オレと結婚してください!!」
「断る」
一世一代の告白。
しかし、それは一秒も経たずに断られるのだった。
◎
かつて人間は魔神に滅ぼされるかに見えた。
人類絶滅の危機。
その窮地を救ったのはたった一人の魔道士だった。
世界を救った彼を人は讃え、崇め、感謝し。
いつしか彼は"魔法帝"と呼ばれ、伝説になった――
◎
「何でですか!」
人が住む地から随分と離れた森林の中で少年――キリヤの叫びが木霊する。
「貴様、さては莫迦だな? 初対面の男といきなり結婚する女がいると思うか?」
「確かに! それじゃあちょっと待っててください!」
いきなり現れ、いきなり告白したと思えば、今度はいきなり踵を返すキリヤ。
この展開にあまりついていけていないのか、相手の女性も首を傾げる。
と、そのうちにもキリヤはどこかへ走り出し、一瞬で姿が見えなくなってしまう。
「……何だったんだ今のは」
思わず疑問を漏らす女性だが、少ししてまたドタドタと走る音が聞こえてくる。
戻って来たキリヤは、女性の前で止まると親指を立てて、
「これで二度目っスね! 結婚してください!」
「断る」
「えー何でですか!?」
「どうしていけると思った? どうやら本物の大莫迦者のようだな」
「三度目行きますか!?」
「莫迦者が。そもそも私は結婚などに興味はない。それに私よりも弱い男と結婚など到底ありえん」
「なるほど! だったらオレがあなたに『参った』って言わせれば結婚してくれますか!?」
女性から迸る炎の
これに対し、女性は一瞬呆気に取られ魔が止まるが、すぐに鼻で笑う。
「良いだろう。本当に貴様が私に参ったと言わせれば結婚でも何でもしてやる」
「マジですか! ヤッター!」
もはやプロポーズ成功だと言わんばかりに喜ぶキリヤだが、それがどれほど難しいことか。
本当に分かっているのかと言いたげな女性の視線にキリヤは親指を立てる。
「オレ、頑張ります! ……えーっと」
「よく名前も知らん相手に告白出来たものだな」
「何せ一目惚れですから!」
どこまでも
やがて自らの頭に手を当てると、
「メレオレオナだ。メレオレオナ・ヴァーミリオン」
「じゃあレオナ様って呼びますね!」
「ほう、いきなり愛称を付けるとはイイ度胸だ。まあいいだろう」
しかし、と何か気になることがあるようで獣から下りた女性――メレオレオナは怪訝そうにキリヤを眺める。
「私のことは知らずともヴァーミリオンの名ぐらい聞いたことはあると思ったが」
「全く知りません! もしかしてレオナ様って有名人か何かなんですか?」
「知らなければ知らなくていい。……で、貴様
「ぐりもわーる……? 食べ物ですかそれ?」
「貴様よくそれで私に参ったと言わせるつもりだったなァア!!」
「ぎゃぁああああああああ!!」
何も知らないキリヤの頭はメレオレオナの両手で挟まれ締め上げられ絶叫。
持ち上げられ靴裏も地面から離れジタバタするキリヤは待った待ったとメレオレオナの手首を掴む。
「オレ何か知らないんスけど記憶がないんです! だから正直何にも知らなくて!」
「記憶がない……?」
「自分の名前だってうろ覚えで! あいでっ!」
言ったところで万力の締め上げから解放され地面に尻餅をついてしまう。
涙目で見上げるキリヤにメレオレオナは腕を組む。
「どういうことか教えろ」
「いやーそれが自分にも分からなくて。気付いたらこの森にいて、何か名前だけは覚えてたんですよ」
「本当によくそれで求婚したな」
「手紙もあるんですけどどうにもオレには読めなくて。レオナ様なら読めますか?」
「……貸してみろ」
手紙を渡されたメレオレオナは内容に一通り目を通すと頷く。
「どうやらこれを書いた者は貴様が記憶喪失になることを見越していたようだな。丁寧に名前、年齢、生年月日、貴様に関する情報ばかりだ」
「ほうほう」
「貴様の年齢が十三歳で私と一回り以上差があることも分かったが」
「オレは全然歳の差とか気にならないですよ! それに記憶喪失だろうがこれからどうにか生きていかないといけないんでとりあえず
「随分と楽観的だが……まあいい。いいか魔導書というのは――」
メレオレオナが言うには
何でも体内にある
また魔法を扱う者――魔道士としての証でもあり、持っているだけで魔力が増幅される強化アイテムにも一役買っているとのこと。
「まだ貴様は十三歳だから魔導書を貰ってなくて当然だったな」
「レオナ様も持ってるんですか?」
「ああ、これだ」
メレオレオナの腰に取り付けられたホルスターには大きな魔導書があり、留め具を外してキリヤへ手渡してくる。
表紙は細緻な装飾が成されていてキリヤも「すげぇ」と言いながら開いてみる。
何やら中身はびっしりと文字が書いていてまるで読めないがとりあえず――
(食えるのかな……?)
と、興味本位で齧ってみる。
「何をしている莫迦者がァアアアア!!」
「ぎゃふんっ!?」
メレオレオナの拳骨が脳天に炸裂。
普通に怒られ頭を手で押さえるキリヤにメレオレオナは魔導書を回収すると、
「誰が食べてイイと言ったァア!!」
「い、いや……食えるかなーって……」
「本を見たことがないのか貴様はァ! 歯形が付いてしまっただろうがァ!!」
「ごめんなさい!」
見ればメレオレオナの魔導書の隅にはしっかりと歯型が付いてしまい、キリヤも申し訳なさそうに頭を下げる。
しかし、謝られたのと色々記憶が足りていないことを加味し、メレオレオナは一息吐く。
「……まあいい。準備しろ」
「…………へ?」
「今から貴様がどれほど素質があるか確かめてやる」
「すみません今のオレだと死相しか見えないのですが!?」
「ほう、私に死相が見えるとはイイ度胸だな」
「いやいやいやいや!!」
メレオレオナは魔導書をホルスターに仕舞えば、後ろへ放り投げ構える。
どうやら魔導書を持っていないキリヤに合わせて一応手加減はしてくれるようだ。
(落ち着けオレ! これは初めの第一歩だ!)
左足を前に出し、右拳から拳一個分開けて左拳を出し、とにかく感覚的に思いついた構えを見せるキリヤ。
その構えを見てメレオレオナは感心の声を上げる。
「ほう、一応武術の心得はあるようだな」
キリヤの構えを見て尚やる気を見せるメレオレオナ。
そしてその言葉から数秒経つことなく戦闘が開始される。
――今日の空は青く、快晴そのものだった。
◎
「……まあこの程度だろう。十三にしてはなかなかだったぞ」
「あ、ありがとうございます……」
結果的に言えばキリヤは十分と持たなかった。
年齢の差もあるがメレオレオナは魔導書なしでもとんでもなく強く、大の字で倒れたキリヤの顔面は陥没していて、そこから煙まで出ている。
「う、ういしょ……っ!」
両手で頬を叩くと顔面が復活。
上体を起こすとメレオレオナが目の前で屈んでキリヤを見ていた。
「ど、どうしたんですか……?」
「なるほど。あの戦闘の中で私のマナスキンを真似していたのか。だいぶと荒削りだが及第点といったところか」
戦闘の最中、キリヤはメレオレオナが身体中に魔力を纏っていたのを見様見真似で自らもしていたのだ。
だがメレオレオナと違って一糸乱れぬ魔力放出と違い、部分によって荒いのが目立つ。
現状では到底追いつけない格の差に笑いすら出ずにいると、メレオレオナは顎に手を当てる。
「よし、今日から私の弟子になれ」
「……へ?」
突拍子のないメレオレオナの発言にキリヤの目が点になる。
「何だ、超えようとする者の教えは受けたくないか?」
「い、いやそういうことじゃなくて、一緒にいていいんですか?」
「……は?」
「だってオレ負けたじゃないですか。だから、もう金輪際私の前に顔を出すな的な感じで……」
てっきりそう言われると思っていたキリヤは負けた瞬間に終わりを覚悟したが、どうにもそうではないようだ。
メレオレオナは目を細めると拳を握って、キリヤの脳天に拳骨を浴びせる。
「莫迦者が。そんな私の器量が狭く見えるか?」
「い、いえ……」
「それに今貴様に求められている言葉は私の弟子になるのかの『はい』か『いいえ』だけだ。……答えはァア!?」
「はいっ!! オレ、メレオレオナ様の弟子になります!」
「ふ、それでいい。魔導書を貰うまでの二年間私がみっちりしごいてやる。死ぬなよ?」
「何だか妙な自信あるんで多分何とかなるっス!!」
「イイ答えだ」
突然のプロポーズから突然の弟子入り。
前途多難なキリヤだが本当の始まりはここからだった。
キリヤはまだ知らないのだ。
――メレオレオナが過剰スパルタである、と。