早朝の雀宮家。
昼夜逆転生活を送る白鳥を除いた雀宮家きょうだいの面々は、敷地内の道場で汗を流していた。末っ子である翔太もその一人。
「九十七! 九十八! 九十九! ひゃ~くっ! ………ふい~~」
素振りを終えて、額の汗を手元の布で拭う。まだまだ成長途中の翔太は、肉体に負荷をかけるようなきついトレーニングはしないしさせてもらえない。今のところは柔軟と体力作りが中心で、武器を持ったとしてもまだ身体の動かし方を学ぶだけにとどまっている。
「あら? 今日はあがるのが早いですね」
翔太の五つ年上の姉である美羽が、何もない空中に手を広げて指を無造作に動かしつつ、顔だけを翔太に向けた。
「今日は高町・月村家合同温泉旅行にアリサと一緒に混ぜてもらう予定なんだ」
一通り汗を拭き終え、道場内に残る他の兄や姉たちの鍛錬を見ながら翔太が答える。
「そう言えばそうでしたね。この近くなら海鳴温泉になるのでしょうか」
「そうそう。元々は恭也さんと美由希さんが企画した親孝行のイベントらしいよ。そこに月村家とかアリサとか俺が後から加わった形」
視線の先では鉞を持ったクマのぬいぐるみがそれぞれに襲いかかり、それを兄や姉達が迎撃している光景があった。糸使いである目の前の姉が操っているらしいが、指の動きとぬいぐるみの動きがまったく連動していない。魔力の反応は全く感じとれず、純粋な技術のみで操っているらしいが、いつもの事なので翔太ももうその辺りを気にしないことにしている。
「折角の温泉旅行です。最近翔太さんは疲れがたまっているように見受けられるので、この機会にゆっくりと身体を休めてきてくださいね」
「うん、そのつもりー」
大怪我をしたり、誘拐されたり、実は一回死んでたり、血を吸われたり、etc...
自分の行いが原因な場合が大多数を占めるが、実は魔法に関わって最も被害を受けているのが翔太である。大怪我は魔術で治し、死は時が戻ってなかったことになった。だが、肉体に残るダメージはなくとも、心理的なダメージは確実に蓄積している。ここらあたりで休養が必要だと翔太自身も自覚していた。
「それじゃ、お先に」
「はい、楽しんで来てくださいね」
美羽に見送られて翔太は道場を後にする。背後では胸にハートマークのついたピンクのクマが兄に斬りかかっていたが、見なかった事にした。
その後士郎が運転する車が迎えに訪れ、翔太は祖母に見送られながら家を出た。その車にはなのはだけでなく、アリサもすずかも既に乗り込んでおり、このまま真っ直ぐ海鳴温泉に向かう予定だ。
「そう言えば翔太の家ってお手伝いさんとか雇ってなくて、全部あのおばあさんが管理してるんだったわよね?」
車中の雑談の中で、ふと翔太の家の事が話題に上がる。それなりに大きい家だとは話に聞いていたが、実際に目にするのはアリサ達にとって初めてだった。
「掃除とか洗濯は俺たちも手伝ってる。きょうだいの人数が多いから人手そのものは足りてるんだよ」
「それにしたって大変でしょうよ」
「でもうちだけじゃなく他の家の世話もするくらい余裕があるみたいだぞ?」
「他の家って?」
「ホームヘルパーの仕事やってるんだよ。足が不自由な人の家に出向いて、掃除したり食事作ったり体洗ったりしてるらしい」
「へぇ~」
そんな風に益体もない事をぺちゃくちゃとおしゃべりしている間に車は山道に入っていった。その間も子供たちはおしゃべりを続けていたのだが、いつの間にか翔太の口数が少なくなっている事にすずかが気付く。
「翔太くん、顔色悪いけど大丈夫?」
「……大丈夫」
「大丈夫じゃないでしょ、顔青くなってるじゃない。ほら、窓際に座りなさいよ」
「お父さーん、窓開けていい?」
「ああ、構わないよ」
気分の悪そうな翔太の顔を見るや、アリサ達はすばやく座る位置を変えたり窓開けて深呼吸させたりと気遣う。
「あんたって車に弱かったの?」
「いや、……そんなはずはないんだけど」
「寝不足だったり体調が悪かったりすると酔いやすいって聞くけど」
「昨日は早めに寝たから寝不足じゃないと思う」
でも考えてみれば朝は若干食欲がなかったかも、と内心で体調不良の可能性を考える翔太。しかしせっかくの旅行で体調を理由に大人しくしていろと言われるのも好ましくない。それに考えられる原因はまだある。
「……多分だけど、カーブで身体を傾けるタイミングが、車と空飛んでる時の自分で違うから変なズレが出て酔いにつながってるんだと思う」
運転席と助手席の士郎と桃子に聞こえないように小声でアリサ達に伝えた。翔太の飛行速度は群を抜いて早い。曲がる際も全身の羽をこまかく制御することで弧を描くのではなく鋭角に曲がる事すらできる。
「飛行速度と車の速度が違うせいでその分ズレも大きいってことかしら。速く飛べすぎるのも考えものね」
そんな風に心配されながらも、旅館到着まで翔太はなんとか耐えきった。
「大丈夫?」
「……ああ、なんとか」
「ほら、水よ」
「さんきゅ……」
士郎達が旅館の玄関口で女将さんに「お世話になります」と挨拶している後ろで、蹲る翔太。背中をさするすずかと、ペットボトルの水を差し出してくれたアリサに礼を言う。車を降りたことで大分回復してきたが、それでも顔色はまだ悪い。
「翔太くん、お部屋で休む? それとも外の空気を吸ってたい?」
「……もう少し外の空気を吸ってたいです」
チェックインを終えて翔太達の方を振り向いて聞いてきた桃子に返事をしながら、立ち上がって散歩用に舗装された林の小道を見据える。
あそこを歩きながら新鮮な空気でも吸えば体調も戻るだろう。
「アンタ一人じゃ心配だから私もついていってあげるわよ」
「一人で大丈夫だって」
「なによ、こんな美少女からの誘いを断るの?」
「自分で美少女とかいうな」
「別に事実なんだからいいじゃない。ほら、すずかは反対側支えてあげて」
「うん」
「いいって、一人で歩けるっての」
「私と手をつなぐの、いや?」
「っ、そういうわけじゃないけど」
「じゃあこのままでいいよね?」
「まあ、別に」
「あ、私も一緒に行くー!」
「きゅ~」
美由希から取り戻したユーノを肩に乗せ、なのはも合流する。車の中でさんざんいじり倒されたユーノは、若干ぐったりしていた。
「それじゃ、しばらく歩いてきます」
「はい、行ってらっしゃい」
両手を繋がれて歩く翔太の後ろ姿を見て、あらあらうふふと微笑む桃子に見送られながら、翔太達は散歩道へ歩きだした。
さあっ、と木の葉を揺らしながら澄んだ空気が林を吹き抜ける。
「「ん~~! 空気が澄んでて気持ちいー!」」
「す~~、は~~。 街の空気とは違うね」
「だな。俺もだいぶ落ち着いてきた」
アリサとなのはが二人揃って狭い車内でこった体をほぐすように身体を伸ばし、すずかは深呼吸して新鮮な空気を吸い込んだ。
翔太はアリサとすずかに手を握られたままなので、すずかと一緒に深呼吸しながらアリサの伸びに手をひっぱられたりしている。
木々の間をそよそよと流れる風を感じながら歩く散歩道。木漏れ日の優しい光の中でのんびり足を動かしていく。
まだ春だから紅葉が見られるわけではないが、瑞々しい若葉の緑を見ていると心が落ち着いてくる。
「緑色には心や体の疲れを癒したり、穏やかな気持ちになる心理的効果があるんだよ」
「ふーん」
ユーノのうんちくにアリサはそれほど興味なさげに聞き流したが、なのはは唇に指を当てて一瞬思案した後、何か面白いことに気付いたようにぱっと笑顔になる。
「あ、ユーノくんの魔力光も緑に近いよね。だからユーノくんは防御とか結界とか人を守るような安心させる魔法が得意なんだね」
「そ、そういう風に言われたのは初めてだけど……。 なんだかうれしいよ、ありがとうなのは」
顔を赤くして照れたような表情のユーノ。魔力光の色による魔法の優劣は実際には存在しないが、確かにユーノの守護の魔法に安心感を感じるのはなのはだけではないので誰も茶化すようなことはしなかった。
それからしばらくは特に会話もなく、のんびりと歩く。肩にユーノを乗せたまま咲き始めた春の花を見つけて駆けだすなのはの背を、手をつないだままの三人は急ぐ事なく追いかける。
「こういう風にゆっくり散歩するのも久しぶりだね」
「そうね。旅行中くらいはジュエルシードとかクロウカードのことは忘れてのんびりましましょう」
「そうだな。あー、でもちょっとユーノに魔法の構成見てもらいたいかも。こないだちょっと思いついたのがあってさ」
そう言った翔太に、アリサはジト目を向ける。
「ゆっくりしましょうって言ってるそばから魔法の事考えてるじゃない」
「いや、なんつーか、お前ら見てるともっと頑張らんと追いつけないと思ってな」
実際、なのは、アリサ、すずかの成長速度は、魔法学校を優秀な成績で飛び級卒業をしたユーノをして目を見張るものがあるらしい。
なのはの射撃・砲撃魔法の威力は、管理局員と比べても見劣りしない。むしろ平均を大きく上回るほどの力を既に持ち始めている。
アリサはミッドチルダ式魔法とクロウカードを併用した特殊な魔法をくみ上げる応用力を身につけ、すずかはクロウカードの力をより深く引き出せるようになっていっている。その二人が協力して編み出したのが『影縫い』だ。
ニードルバレットというミッドチルダ式射撃魔法に、
「対して俺の長所は速く飛ぶ事だけ。まあ、速く飛べるってことに意義があることは一応理解してるけど、それでも貢献度は低いんじゃないか? 禁書の能力もあるにはあるけど、手札は少ないし基本一回使いきりで使いどころが難しいし、その使いどころを見極められるほど頭良くな――」
「ごちゃごちゃうっさいわねっ!」
「自分を卑下しちゃだめ」
「ぃだだだだだっ!?」
右腕はアリサにぞうきんのように絞られ、左は手の甲を思いっきりすずかに抓られる。
「何すんだよっ!?」
「私、卑屈な奴ってだいっきらいなの。この言葉をアンタが嘘にしないでよ?」
「そんな弱気な翔太くん、私見たくないよ?」
「お、おぅ」
翔太としては軽い愚痴のつもりだったが、思った以上に本気で怒られることに少し動揺する。
「いつもはもっとふてぶてしいくらいなのにホント今日はどうしたのよ」
「いや、そんなつもりはないんだが……」
いつもは酔わないのに車に酔い、いつもは言わない弱音を吐く。本人に自覚がないだけで、本当にどこか悪いらしいとアリサとすずかは小さく頷き合った。
「とにかく今日はゆっくり休もう?」
「ほら、なのは! そろそろもどるわよ」
「はーい!」
それからまっすぐ旅館に戻ったアリサ達。
部屋割は士郎、桃子、なのは、アリサ、すずか、翔太の保護者&子供組。忍、恭也の恋人組。美由希、ノエル、ファリンの女性組の事前に決めていた三組に分かれた。それぞれが部屋に荷物を置いて自由な行動に移る。
翔太は女風呂に連れ去られそうだったユーノを回収し、士郎とともに露天風呂に足を踏み入れる。
「おー、広い露天風呂だな」
「そうですね」
「きゅー」
士郎の言葉に同意しつつ、翔太の視線は士郎の身体に向けられていた。ただの喫茶店のマスターではありえないほどに鍛えられた体であるが、翔太が気にしたのはそこではない。
「ん? あはは、ちょっと怖がらせちゃったかな?」
「あ、いえ、そんなことはないです」
士郎の全身には無数の傷跡が刻まれていた。火傷跡、手術痕、刀傷、銃創。普通の子供なら、引くか「かっけー!」と憧れるかのどちらかである。翔太はどちらかと言えば後者寄りで「傷跡は男の勲章」とか考えているので忌避感を抱く事はなかった。
「でも喫茶店のマスターが負うような傷じゃないですよね」
「人に歴史あり、さ。昔は要人警護をやっていてね。色々荒事に関わっていたんだよ」
「SPですか。それがなんでまた喫茶店のマスターに落ち着いたんですか」
「今の僕にとって家族が一番の要人だから、かな」
「なるほど。実は昔とやることはたいして変わっていないと」
「ははは。そうとも言えるね」
そんな会話を続けながら、軽く体を洗って温泉に浸かる。
ユーノは直接つけるのは他のお客に迷惑がかかるかもしれないので、桶にお湯をいれてその中でくつろいでもらっている。先客には翔太と同じくらいの金髪の子と、距離感の近さから父親と思しき大人の二人がいた。髪色が違うのでおそらくハーフかなにかだろうと翔太は思った。
「はふ~」
「きゅ~」
「いい湯だね」
肩まで浸かり、二人と一匹が思わず声を漏らす。隣の女湯からはわいわいきゃーきゃーという声が聞こえてくるが、男湯は露天の景色を眺めながら静かに温泉を楽しんでいた。
「ところで翔太くん」
「ふぁい?」
いい感じに気持ち良くなっていた所で士郎が翔太に話しかける。
「最近危ない事してないかい?」
「ぶふっ!?」
「うきゅっ!?」
全くの不意打ちに翔太とユーノは思わず噴き出す。慌てて「どうしようっ!?」と翔太とユーノは顔を見合わせる。
「ああ、いや別に話を聞き出そうってわけじゃないんだ」
「?」
慌てる翔太たちを落ち着かせるように、士郎が言葉を続けた。
「ただちょっと翔太の事が心配でね」
「俺ですか? なのはじゃなくて?」
「もちろんなのはのことも心配だけど」
そういって一旦言葉を区切る。
「翔太にはなんとなく危うさを感じてね」
「危うさ?」
「源泉は罪悪感、かな? なにか気負い過ぎている気がするよ」
「…………」
士郎はふっと目を閉じて昔を思い出すように語り始めた。
「"誰かを護る"ってことはどういうことだと思う?」
「"護る"ですか? その人に怪我をさせないようにするとか」
「そうだね。そういう風に護るのが大前提にあるかもしれない。でもそのために、もし誰かが傷ついたら護られる側の人はどう思うかな?」
「……厚顔不遜に"当たり前だ"っていう人もいそうですけど」
「はは、そうかもしれない。でも、今翔太が"護りたい"って思っている人だったら、どうかな?」
翔太は少女達の顔を思い浮かべた。
「……なんか泣きながら怒られる様が浮かびますね」
「だろう?」
そのまま数秒の沈黙が翔太と士郎の間に流れる。
「個人的な意見だけど"誰かを護る"ってことは、体だけじゃなく心も護るべきだとおもうんだよ」
「心?」
「そう。護られる側が傷つくような護り方をしちゃいけない」
「…………」
「もちろんそう思っていても簡単にはできないけどね」
「……というか、素直に守られてくれるような奴がいないんですけどね」
「ははは、それはまた難易度が高いね」
すずかとお互いの想いをぶつけあって納得したと言っても、やはりどこか気負っていた事は否めない。士郎はその事に気付き、翔太を思って助言をしたのだった。
「でも大切なことですよね。心に留めておきます」
「ああ、そうしてくれ」
結局それから温泉を上がるまで、士郎が翔太達に何をしているのか追求することはなかった。
「士郎さん、結局最後まで聞いてこなかったね」
「あれでいて放任主義じゃないんだよな。なのはのこと信じてるってことなんだろうな」
士郎と別れ、肩にユーノを乗せたまま翔太は旅館の廊下を歩く。
温泉からあがったら遊戯スペースに集合するようにアリサに言われていたのを思い出し、そちらに向かっていた。
「あ、翔太くん」
「忍さん、恭也さん」
前方から少し急いだ感じの二人に遭遇する。
「よかった、探していたんだ」
「何かあったんですか?」
「んー、これから何かあるか持って話なんだけど。さっきね、ここで見覚えのある女の人とすれ違ったの」
「女の人?」
「多分、アルフっていう人…って、人じゃなくて使い魔だっけ? とにかく、獣耳までは見えなかったけど、間違いないと思うわ」
「「!?」」
予想外の名前に翔太とユーノが驚いて顔を見合わせる。
「何もなかったんですか?」
「人質の交換を持ちかけて家に来たときは、私達は下の森にいたから気付いていなかったんだと思うわ」
「俺と目があっても特に気にした風には見えなかったからな」
「あ、なるほど」
翔太の身柄を交換を持ちかけた際、アルフとフェイトは月村家敷地内の上空にいた。二人の意識は対峙するすずか、なのはに向けられていて、地上の忍達にはそもそも気付いていなかったということだ。
「それにしても何の用事でこんなところに」
「やっぱりジュエルシード関係かな?」
忍の問いは、魔法に関して一番感知能力があるユーノに向けられる。
「確かに街に比べて魔力が濃いところだと思っていましたけど、こういう自然が多いところはだいたいそうなんで気にしていませんでした…… 探索魔法をかけてみます」
ユーノがそうつぶやくと同時に、三人分の足音が翔太達に近づいてきた。
「あ! 探したわよ翔太!」
「アリサ、悪いけど緊急事態。近くにアルフがいるらしい。もしかしたらジュエルシードがあるかもしれない」
「そっちも? 私たちもちょっと気になる話を聞いたのよ」
女湯の温泉の中にアリサ達と同じくらいの女の子が二人いて、その子たちがとある怪異を噂をしていたらしい。
曰く、見る人によって全然別の幽霊が出来る泉がこの近くにあるそうな。一人は物凄い乗り気で、もう一人はすごく怖がっていたとこの事。
最初はよくある噂と気にも留めなかったが、なんとなく気になって先ほどまで旅館の人に聞いて回ってみた結果、実際にそれを目撃したと言う仲居達に話を聞き、その内容からクロウカードやジュエルシードの仕業ではないかと思ったらしい。
「とにかくその泉とやらに向かおう」
「うん! なるべく急ごう」
「噂してた子たちがそこに行ってるかもしれないし、騒ぎになる前に封印しないと」
「気をつけるのよ!」
「了解です!」
「はい!」
「うん!」
忍の言葉を背に受けながら翔太達は揃って駆け出した。