統也と前原の悪ノリは続き、壁に掛けられた時計にして3分程度しか時間が経っていないにも関わらず、俺は内心かなり疲れていた。
宵さんの方はいつの間にかラッコマッサージの手を止めてパンの咀嚼に戻っている。
俺の視線に気付くと「えっと、いる?」と空いた方の手で未開封のパンを勧められたが、そういう事ではないので丁重に断った。もう既に十分貰っているし。
「やだ奥様。あたし達よりも随分と対応が丁寧じゃありませんこと?人によって態度が変わるなんてやらしいざますねぇ。」
「あらやだ奥様。あのふんわり柔らかジェントルマン式お断り術でどれだけのレディをキラーしてきたんでござぁましょうねぇ。」
するとまた統也と前原が悪ノリをしはじめた。……疲れる。
「すまん、失礼する!」
そんな中、視界の端で勢いよく教室前側の引き戸が開く。
元より俺たち四人しかいないので、焦りを多分に含んだその声は30人近くが過ごすこの教室に大きく響き渡り一気に視線を集めた。
そこには防衛省の烏間さんが、心なしかいつも以上に眉間にしわを寄せて立っていた。
突然の出来事に俺達は固まってしまったが、烏間さんの方はこちらを見てやっと見つけたと言うように僅かに目を見開いた。だが、その後俺達が見慣れた硬い表情に戻る。
「防衛省の烏間だ。転入生の俵木統也と俵木宵だな。」
「……誰。」
「カラスマ、カラスマ……。あぁ〜!確か現場指揮の責任者さんだっけ。あはは。そうですけど、何かご用です?」
間髪入れずに問いかけた宵さんの言葉は先ほどパンを勧めた時と打って変わって、怒気とも緊張ともとれる堅さを持っていた。
それを遮るように、統也が前原と肩を組んだままで明るい声色で答える。
統也はこの展開を予測していたんだろうか。その表情に一切の戸惑いが見えない。
「……二人に話があって探していた。ここではなんだ。ついてきてくれ。」
「はーい。」
「はい。」
そういってくるりと退室した烏間さんの言葉に、前原の肩から手を下ろして統也が扉に向かう。
宵さんの方も半分ほど残ったパンを袋に戻し、口を折り返してスポーツバックに戻して席を立った。
「え、え?なになになに。何であんなに烏間さん、急いで入ってきたんだ?」
先程まで統也と一緒になって騒いでいた前原の方は、突然の烏間さんの登場に戸惑いながらこちらにこそこそと話しかけてきた。
烏間さんが何故二人を探していたのかについては、確証はないけれど二人が政府に依頼されてやってきたプロであるというところに関係するのかもしれない。
殺せんせーにも俺にもバレているならいずれ全員も知ることになるだろうし、これは前原にも言うべきかと思い口を開こうとした時。
俺は背中にぴりりと弱く、しかし確かに電流が走ったような感覚がして統也の方を向いた。
……いや、先程のことを考えれば、俺は統也の方を向かされたのかもしれない。
扉に向かう時に前原の後ろを通ったほんの一瞬。呼吸をする間も無いほど短い間のはずなのに鮮明に焼き付いた。
僅かに細められた瞳。睫毛の影がかかった緑色の瞳がこちらをみている。
それは先程盗み見て、そして思わず見惚れてしまった宵さんの横顔と同じで。正反対な要素が多いとはいえ、ここで二人の血の繋がりを見つけた気がした。
その目のまま、統也は笑みを形作った口に人差し指を当てていた。
お願いという体をとりながら断ることを許さない、そんな柔らかくも脅迫めいた表情。
しっかりと意味や目的を持って俺に向けられたいわゆる『語る』視線。この点においては、先程の宵さんの目とは真逆だった。
「さあな。一応転校初日だし、政府の方で何かあるんじゃないか。」
すんなりと罪悪感もなく、嘘ではないが本音でもない言葉が口から出てきた。別に元々統也からも宵さんからも、プロだということは秘密にして欲しいと言われていたわけじゃないのに。
あの統也の表情で、こうせねばいけないと俺は思ってしまっていた。
なるほど。統也の言うとおり、これは確かに自分を信じられなくなりそうだ。
幸い、さっき「宵ちゃん!後で連絡先なー!」と宵さんの方に視線が行っていて統也に背を向けていた前原は統也のあれに気が付かなかったみたいだ。
「しっかし、こんな時期にここに転校してくるなんてあいつらも災難だよな。せめて茅野と同じくらいに来たんなら、まだああやって初日に呼び出されるようなこたぁ無かっただろうにさ。」
「うん、そうだな。」
前原のこの言葉に、俺は更に統也の『誠意』の重さを感じた。
哀れかな、今の俺は嘘を付いてしまったのは統也のせいだと自覚しているのに、防ぐ手段もなければ統也を責める気も全く湧かない。
「……ところでさ、磯貝。さっきの宵さんが食べて半分残ってたパン、美味そうだったからついうっかり食べちゃったって言ったら許してもらえっかな?」
……別ベクトルで哀れだなぁ。