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白狼天狗の朝は、個体によって違う。哨戒任務がある者は、日が昇っていないような朝早くから行動を始めるし、そうでない者は、同じく朝早くから行動を始めたり、日が中天で煌々と輝いてから行動を始めたりと、まちまちだ。
その中でも、この妖怪は早い部類に入るだろう。
空がまだ暗い中で、椛は目覚めた。
しばらくは布団の中で呆けていたももの、そのあとのっそりとした動きで、活動を開始した。
動かしはじめて目が覚めたのだろう。徐々にはっきりとしていく動作で支度を整え、外に出る。いつもの、紅葉の柄が写された天狗装束だ。その手には、同じく紅葉の柄が写された盾と、こちらは普通の大剣を携えている。
椛は深く息を吸い込んだ後、地面を蹴り、飛翔した。
雲に今にも手が届きそうな程、空高く飛翔した後、椛は瞑想を開始した。といっても、本当に瞑想している訳ではない。こうして集中力を高めないと、「能力」を行使できないのだ。
ただの白狼天狗が天魔と通ずることができる要因。それは、全て椛のこの能力によるものだ。
「千里先まで見通す程度の能力」__それが、椛に与えられた能力である。
尤も、私がそれを望んだことは、一度として無いけど。
椛は自嘲気味に唇を歪め、心の中で呟いた。
わざわざこんなに寒い所に朝早くから来るようになったのも、それが原因だ。
この能力は、便利が故に災いを招きやすい。椛は、誰よりもそれを理解しているから、今まで誰にも教えてこなかったのだ。今後も教えるつもりは無い。だからこそ、万が一にも能力を使っている所を見られないように、ここにいるのだ。天魔に知られてしまったのは、椛が望んだ結果では無い。あれは不可抗力といえるだろう。
椛は能力を行使する。
この能力も天魔に知られてから、一気に使用頻度が増えた。
椛は見渡す。妖怪の山を見渡し、人里を見渡し、そして地底も見渡す。
先程挙げたような所も、天魔に頼まれて見始めた場所だ。椛は最初こそ渋っていたが、理由を聞いて快諾した。これらの場所に何か異常があれば、すぐに報告しろと言われている。
椛は一通り見渡した後、最後にまわしていた場所の想像をし、げんなりとした。
椛は能力を使用し、後回しにしていた場所を見る。
そこは、妖怪の山の中でも特に入り組んでいて、好戦的な妖怪も多く、まず入ろうとする者はいない深い森。
椛のお目当ては、そんな危険地帯にさも当然かのように建っている、ある一軒家だ。その一軒家には、昨日天魔と話し、この山で過ごすことを許された特例の妖怪、イナホが住んでいる。
椛は監視を開始する。
四六時中、そこを監視するわけでは無いが、こうして勝手に生活を覗くのは、やはり気が引ける。気が引けるが、それが椛の任務なのだ。
別に、今に始まったことじゃない。と思い直し、椛は監視を続行する。
昨日、イナホにこの家を紹介したときと比べて、見違える程綺麗になっていることを除けば、特に不自然な所は見当たらない。式紙が一生懸命に何かをしているが、別に九尾の妖怪ならば、当たり前に行っていても不思議では無いので無視する。
椛は一通り見渡した後に、重要なことに気がついた。
イナホがいない___
椛は捜索範囲を広げる。
意外とあっさり見つかった。
イナホは、入り組み鬱蒼とした森の中なのに、何故か拓けている場所で、杯を片手に寝転んでいた。姿は、昨日天魔との話しの際に見せた、中性的な男の姿である。
とても美しい姿をしているので、それだけで一枚の絵になるが、椛は嫌悪感を露としている。朝から酒を呑んでいるような奴が嫌いなのだろう。
椛が能力の使用を止めようとしたとき、イナホがこちらを向いた。まさか、分かっているのだろうか。
椛はドキッとしてしまう。能力を使用して見ていることが気付かれたことなど、一度たりとも無いからだ。
偶然?それにしては、はっきりとこちらを見ている。
椛の心の中の葛藤など無視するかのように、イナホは、椛が見ている方向へ、手招きをした。どうやら、見破られているようだ。
イナホの口が動く。椛は、この能力を使っていることによる副産物だろう、口の動きだけで、何を言っているのか分かるようになっていた。
(そうやって見ているより、実際に来て見た方が、気が楽だろう)
イナホは、どうもそう言っているようだ。
椛は溜息を一つつく。
悔しいことに、実際そうなので、椛は行くことにした。
「お早う。君は随分と朝が早いんだね」
「お早うございます。あなたが人のことを言えないと思います」
椛は現在、何故か拓けている場所で、寝転びながら酒を呑んでいるイナホの隣にいた。
椛は、早速当然と言える疑問を口にする。
「・・朝からこんな所で何をしているんですか」
「鍛練さ」
よくもまあぬけぬけとそんな嘘を__
思わず溜息が漏れる。
「そんなことをやっているようには見えないんですけど。本当にやっているんですか」
「やっているさ。その一環として、もう君の周りにも術式を張り巡らしてあるよ」
そんな嘘をつかないでください。そんなもの何処にも無いじゃないですか__喉から出かかったその台詞は、この世に出ることなく、唾と一緒に飲み込まれることとなった。
椛はゴクリと唾を飲み込む。
椛の周りには、イナホが言った通りに、術式が張り巡らされていた。それも、十や二十といった単位では済まない。百や二百といった単位だ。
「こんな感じでね」
イナホはそう言い、術式を消した。
椛はその時の衝撃で、何かいろいろと質問したいことがあったはずだが、忘れてしまった。
椛が二の句を継げないでいると、イナホは空になった杯を捨て、ゆっくりと体操を始めた。
目の前の現実的な景色に気を取り直したのだろう。椛はその行動に目を向け、一つの疑問を抱いた。
「何を始めるつもりですか」
「君の鍛練に付き合ってあげるつもりなんだけど」
椛は目を見開いた。
「なんでそんなことが分かるんですか」
「哨戒任務でもないのに、そんなに物々しい格好をしていたら、誰にでも分かる」
「哨戒任務に就いているかどうかは、昨日やっているかどうかで判断したよ」
椛は頬が引き攣るのを自覚した。
どうやら、イナホは優れた洞察力と観察力を持っているようだ。適当そうに過ごしていて、その実、抜け目なく様々な物を観察しているのが、その証拠といえる。
イナホは言い終わった所で体操を止めた。終わったのだろう。
「__で、結局どうするんだい?やりたくないならやらなくても良いけど」
椛は悩んだ。だが、一瞬のことであった。
「よろしくお願いします」
交遊関係がそれ程広くはない椛にとって、鍛練の成果を試せる相手というのは、中々いるものではない。相手がそれを拒否するというのもあるし、白狼天狗の中では、強さのトップを争う地位にいるからだ。
今回の相手は、自分が全く気付かないうちに術式を用意する程の実力者。相手としては強すぎるような気もするが、いい機会であることは間違いない。
自分の実力が、九尾に対して通用するのか。
椛は久々に(不本意であるが)胸の高鳴りを感じた。
「じゃあ、さっさと始めてしまおうか」
そう言ってイナホは、体を自然体に持っていく。
襲い掛かって来ないのは、先手はやるという意思表示だろう。
椛は大剣の剣先を、イナホに向けて構える。真剣そのものだ。
椛は意識を研ぎ澄まし、一切の雑念を掃う。思考の中に残されたものは一つしかない。それは、相手を斬ること。
椛の意識に呼応するかのように、辺りの空気もキリキリと張り詰めていく。
イナホは相変わらずの自然体だ。椛の重圧など、なんとも思っていないのだろう。
周囲の緊張が最大に達した時、椛が動いた。
イナホ目掛けて、一直線に空気を切り裂きながら走る剣先。その剣線は、差し込みはじめた太陽の光を反射して、金色に輝いていた。
一刻が経過したとき、椛は精も根も使い果たしたようで、大の字になって地面に突っ伏していた。衣服がかなりはだけ、扇情的なことになっているが、最早それを気にする余裕すらないのだろう。
対するイナホは余裕なもので、息一つ乱すことなく付き合っていた。
イナホは、地面に突っ伏したままの椛の半身を起こし、木にもたれ掛かるような体制で椛を座らせ、竹で作った水筒を手渡した。
「それを飲むといいよ。少しは楽になる。__そんなに怪訝そうな表情をしなくても大丈夫さ。怪しい物は入っちゃいない。それはただの霊薬茶だよ。___あ、でも」
椛は素直に飲んだ。そして吹き出した。
「__めちゃくちゃ苦いから気をつけて、って言おうとしたんだけど、遅かったね」
椛は恨めしそうな目でイナホを見る。その視線が堪えた様子は全くなかった。
椛は改めて霊薬茶を飲む。とんでもなく苦い。だが、体に良さそうな感じはした。
事実、その直後から体は大分楽になった。
椛はホッと一息つく。
「一息ついたところで自分の服も整えたらどうかな」
椛は自分の今の姿を見下ろし、みるみるうちに顔を赤く染めた。
椛は服を手早く整え(顔はまだ赤いままである)呆れたような声音で話しかけた。
「 あ、あなたは毎朝こんなことをしているんですか 」
所々で詰まりそうになる。動揺しているのが丸わかりだ。
イナホは特にそこを言及することなく、とんでもないことをサラっと言ってのけた。
「普段はこんなもんじゃないよ。これより遥かに激しいさ」
椛は絶句する。最近、こんなふうに驚いてばかりだ。
天魔様が、イナホのことを「恐ろしい奴」と評するのも、これで納得できたわ。
椛は、乾いた笑い声が、口から零れるのを抑えきれなかった。それ程、イナホはぶっ飛んだ鍛練をこなしていた。
この辺りが不自然に拓けているのも、その鍛練が原因だろう。
「動けるかい?」
「__なんとか動けそうです」
ついさっきまでは突っ伏していたのに、不思議なものだ。
あの霊薬茶には、一体何が入っているのだろうか。椛は、そのことが気になった。
本当に変な物じゃ無いでしょうね__
椛がそのことを聞こうとしたとき、それを制するかのようなタイミングでイナホは呟いた。
「そろそろかな」
「?何がですか」
「家の改築だよ。君も、式紙達が建て直している所を見ているはずだ」
椛はもう驚かない。イナホならしていても可笑しくは無いと、感じたからだ。
しかし、これだけは納得できないことがあった。
「そんなに大事なことを、見張ってなくても良いんですか」
椛の鍛練に付き合いながら、家を建てるなんていう複雑な命令を、式紙に実行させるという離れ業を実行できたとしても、どうしてもこれだけは外せないはずだ。
紙などの、物を媒体とした式紙には、自我が無い。自我が無い故に、自分で細かい調節や、判断を下すことができない。
物を運ぶなどの単純なことならばこなすことができるが、複雑なこととなると、一気に指示することが増える。
たとえ、全ての手順を式紙に指示することができたとしても、扱っているものは、たとえ何であろうとも、常に形を変える。
完璧に指示したとしても、これらのことがあるため、必ず何処かが歪になる。
その対策として、それも見越したうえで指示を追加するという方法があるが、追加する指示が天文学的数字にまで跳ね上がるので、現実には使えない。
他にも方法が無いこともないが、それらは、神格化するのを待つ必要があったり、そこまで持っていく為に途方も無い妖力が必要だったりと、実現できる者はいない。
だから、常に見張っておく必要があるのだ。
イナホが使用している式紙は、明らかに紙を媒体とした式紙。まさか、見越した指示を全て命令しているのだろうか。
イナホは、椛の疑問に対し、また当然の如くサラっと答えた。
「大丈夫だよ。あの式紙達は自律式だしね」
椛は、もう驚くまいと思っていたが、再び驚かされた。それも、今までとは比にならない程の驚きだ。
「やってる最中は近づかない方がいいんだよね。巻き込まれて手伝わされるし」
イナホが何かを言っていたが、全く頭の中には入っていなかった。
自律式?媒体型の式紙が?
イナホが言ったことは、そこに一つの魂を生み出し、それを式の上に定着させていることとなる。
禁忌とされている、魂に関する術。
何人たりとも手を触れてはならなかった領域に、この妖怪は手を触れているのだ。
こんなことをしていては、彼岸の閻魔が黙ってはいない。
椛は言わなければならないことがいろいろとあるはずだが、声が出ない。ただ口がパクパクと動いているだけだ。
イナホは、そんな椛の反応を見て、少々気まずそうな顔をして、こう言った。
「いや、禁忌に手を染めているわけではないよ。
外の世界にはこれと似たような技術があってね、この式紙にはそれを応用しているだけさ」
椛は拍子抜けした。
「そういうことは先に言っておいてくださいよ。心臓に悪いです」
「悪いね」
全く悪びれる様子はない。
椛は大きく溜息を吐き、その直後にお腹も鳴った。
なんという絶妙なタイミングだろうか。
椛は再び顔を赤く染め、イナホはクツクツと喉を鳴らして笑っている。
「そうか、もうそんな時刻か。
じゃあ朝餉にしよう。一緒にどうかな?」
イナホは椛にそう提案する。
椛は恨めしそうな視線を、再びイナホに向ける。その視線には、昨日程の敵意は感じられない。
イナホは椛に背を向け、歩き出す。
椛は素直についていった。
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前回の作品を、純粋に読者の気持ちになって読むと、5分とかかりませんでした。
泣きたい。