隠れてこっそりと天龍の後をツけていた、巧と加賀の乗るインプレッサの車内の空気は、とてつもなく重いものになっていた。
彼女が公園で何かされたら、すぐに飛び出して男をボコ殴りにしようかと作戦を立てていたがそんなことは起きず、道なりに帰ろうとするFCを追いかけたところ。急に停止した相手に、巧はドキッとしたがそれを追い越していた。
そのときに、2人は車の中で泣いている彼女を、しっかりとその目に焼き付けていたのだ。
「「…………」」
なんで天龍は泣いていたのか。脅されたのか? フラれただけ? それとも……。色んな憶測が思い浮かぶが、巧はそれは後回しに、ずっと加賀に聞きたかった事を話題として振ってみる。
「加賀さん。あのオレンジの35の女って、艦娘島風なんですよね。どんなやつなんですか?」
「……?? どんなって、それは、まぁグレーゾーンを行っている当たり屋じゃない」
「そうじゃなくて。スマート乗ってる方の島風……土屋さんだっけ。あの人が、デカイ権力を持ってるとか言ってたじゃないですか。これだけ周りに被害出していて捕まらないなんて、信じられないと思って」
あぁ、と加賀が巧の疑問の意味を理解して声を出す。少し考え事をする仕草を見せてから、彼女は再度口を開いた。
「聞いても驚かない?」
「まさか正体は深海棲艦だとか!?」
「それは貴女でしょう。そうじゃなくて……そうね、撃沈艦の数が合計で500を越える、と言えば凄さがわかるかしら」
「500……結構な数だと思いますけど、雪菜さんはどれぐらいなんですか?」
「65と少し、って所かしら」
「わお」
下手くそな口笛を吹きながら、ゲスな癖に仕事はできるヤツなんだな、なんて巧が思う。加賀は携帯電話に入っていた資料に目を通しながら続ける。
「彼女、なかなかな経歴ね。撃墜勲章は合計で10を越える数を授与されているし、作戦での功績もトップクラス。今のところ、艦娘全体を通して最上位レベルのお給料貰ってるそうよ」
「へぇ……」
「……しかも元帥お墨付きのエースみたい。土屋とか名乗った彼女が、この程度の不祥事は簡単に揉み消せるなんて言うはずだわ。」
「……変ですよね。なんでそんなエリート街道まっしぐらなのに、こんなチンピラ紛いの事をしてるなんて」
「…………。巧って、三国志知ってるかしら?」
「三国志?」
なんでいきなり? 話を脱線させるのか? と思った巧の表情が怪しくなる。
「どうしましたいきなり。えと、名前だけなら……ソーソーとかリュービの話ですよね」
「合ってるわ。ちょっと頭に浮かんだ
「小噺?」
「
「…………」
「でも、彼の最後は、上司の言うことを聞かないで暴走したせいで、裏切り者として味方に殺されてしまうの。そのときに、後世の学者からこんな風に評されているの」
信号のある十字路を右折しているときに、加賀は一呼吸挟んでから呟く。
「「戦いに明け暮れる生活を続けるうちに、彼は花を愛でる心の余裕も無くなった。だから、彼は暴走してしまった」なんてお話なの」
「……つまりこういうことですか。例の島風は、戦闘で抱えたストレスや鬱憤を、公道レースで晴らしている、みたいな」
「そういうこと」
「う~ん……でも、そんなこと有るのかな。他にそのギエンってやつとの共通点とか、無いんですか?」
「立ち位置も似てるのよ。私達の勝手な憶測が当たっていれば、それもかなり」
「教えてください」
「被っているのは、「とても強いけれど味方を困らせる」みたいな所かしら。さっきも、島風は大きな戦果を稼ぐエースだから、簡単に仕事を辞めさせたりはできないかも、なんて話題になったじゃない?」
「なりましたね」
「魏延も似ていて、彼はしょっちゅう書記の人と口論になって、頭に来たら取り敢えず抜刀して「お前を切り殺すぞ!」なんて脅しを繰り返していたそうよ」
「すごい奴ですね、味方にそんな事言うなんて」
「もちろん、普通の兵隊ならすぐに除隊か処罰の対象よ。でも、国には彼ぐらいに活躍できる武将が少ないから、機嫌を損ねないためにも軽々しく処罰できない、みたいな風潮があったらしくて。少し違うけれど、似ていると思わないかしら?」
「……確かに」
もうそろそろで鎮守府か、という所まで来る。巧は加賀の話に相槌を打つが、今度は持論を述べてみた。
「でも近くにボロが出そうですよね、35の島風は。今は襲ってくる深海棲艦もかなり減ったって聞きますし、彼女一人欠けても仕事は回ると思うし」
「えぇ。このままなら、きっとすぐに裁判所に引き摺り出されるでしょうね」
何が事実にせよ。あんなのはさっさと捕まって欲しいよなァ。駐車場に車を戻しながら、巧はそう思った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「お願いします。巧さん」
「ちょ、ちょっと、頭上げなよ天龍。こんなところで止めてってばそういうの」
同じ日の午後7時。巧は、天龍に近くのファミレスに呼び出され、急に彼女のお願いを聞かされたところだった。話を聞けば聞くほど、自分の中で、天龍が惚れた「谷本 信輝」という男への株が急速に下がっていくのを感じる。
自分に惚れた女の弱味に漬け込んで、相手の権力に屈した自分の願いを聞かせるなんて、聞きしに勝るクソ野郎だな。
口には出さなかったが、ここに居ない相手に内心で罵詈雑言を吐きながら。巧は机に頭を擦り付けていた天龍の上体を無理矢理起こして、気になった事を片っ端から質問していく。
「取り敢えず起きてよ。ホンと、何が何だか……」
「すいません……みんなにも言わなきゃって思ったんですけど……一番先に巧さんに言わないといけないかって思って」
「私にはわからないよ。天龍がなんであの男にそんなに尽くすのか。あいつと出掛けた日に事故ったり、待ち合わせであの車乗り回してくるなんて、怪しいし非常識だし……信じる意味がわからない。」
「……ッ。あの人を悪く言わないで欲しいです……谷本さんは、いい人だから」
「…………。私はヤだよ、不確定要素が多すぎるし」
「そんな……!」
この頃元気の無かった天龍は、更に顔を白くして項垂れる。反応から言動まで、どれもが巧には理解に苦しむものだった。
惚れた人間って、こうまで弱い物なのだろうか。それとも彼女が特別なのか……。それは別としても、R35と勝負か……。
巧の脳内に、被害にあった人達の顔が浮かんでくる。
ヘッドライトが破損した180をシルエイティに改造したお兄さん、車からライダーに転向したオジサン、命からがら逃げてきた大親友の摩耶。
そして、目の前に居る天龍。
その時は何も考えていなかった。だが勝手に口が動いていた。
「ゴメン、考えとく。一応だけどさ」
「……!! 本当ですか!」
「答えは期待しないでよ? 仕事のシフトとかもあるんだし」
「ありがとうございます……本当に、ありがとうございます!」
どう表現したものか。捨てられた子犬が拾われた瞬間みたいな、疲れきった顔にくっついた笑顔で、彼女は巧の返事に驚喜していた。
財布から紙幣を何枚か出して机に置き、天龍はそのまま立ち去る。車で送ると言っても、相手は歩いて帰るの一点張りで巧に応じない。
デートの時にも着ていたコートを羽織り、とぼとぼと歩いていく天龍の背中には、なんともいえない悲哀が漂っているような。そんな気が、巧にはした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
翌日、巧は仕事終わりで食堂で夕食を摂っているときに、昨日の出来事を摩耶と加賀に話していた。
天龍はかなり離れた場所に座っていたので聞かれる心配はほとんど無に等しかったが、気を使って小声で3人は喋る。
「本当にやるつもりなの巧。車に詳しくない私でも知ってるわ、あのGTRって車、600馬力もあるって。貴方の車の3倍近い出力じゃない」
「やってみなきゃ解らないじゃないですか。最初から負けなんて認めないですよ」
「運動部の高校生みたいな事いうのね貴女って……摩耶も何も言わないの? 友達なんでしょう?」
「ん? あ、いや、別に。好きにすればいいんじゃないの」
「なによソレ………」
会話が途切れる間を見計らって、今日の献立であるハンバーグに手をつける。摩耶はどこか冷めた態度だが、どういうわけか、昨日ミニをとって帰ってきてからずっとこんな調子だった。
加賀さんの言う通りか。230馬力の車で35R……流石に無謀な挑戦かな。
隣で軽く口論になっている2人を気にせず黙々と食べていると、結構早くに物を食べ終わってしまったそんなとき。巧たちが座っていた場所に、なんだか難しい顔をした那智が近づいてくる。
何故か花束を持っていた彼女に、3人以外にも目が釘付けになる艦娘達が居たが、それは無視して、那智は話し始めた。
「巧、お前宛の荷物だそうだ」
「その花束ですか? 間違いとかじゃなくて」
「手紙が添えてあったんだ。読んだら解る。」
他人に説教を始めるときみたいな顔で言ってきた相手から、物を受け取る。同時に受け取った手紙の内容に。巧の顔から笑顔が消えた。
《インプ乗りのハンペン様へ》
《FR乗りの雑魚共の敵討ちがしたいなら 月末の椿ラインに来い》
文面を見た途端、巧の全身に雷のように怒りの感情が奔る。次の瞬間には、自分の手で、手紙はグシャグシャに握り潰されていた。
「ムカついた……GTRだろうが何だろうがやってやる……!」
一緒になって立っていた加賀に物を押し付けて、巧はずんずん歩いて食堂を出ようとする。天龍を伸した時かそれ以上に怒り始めた彼女に、慌てて加賀は声を挙げた。
「うわっ!? 巧、どこにいくつもり!」
「箱根を回りに行くんですよ! 一々待ってられるかってんだ。こっちから喧嘩売ればノッて来るに決まってます」
「そんな、段取りもせずに今日いきなり……」
「巧、付き合うぜ」
「え? ちょっと!」
無気力ぎみだった摩耶が、いきなり元気になって巧と一緒になって部屋を出ていく。
一体どうしちゃったのよ……2人して。荷物を押し付けられた加賀と、一連の様子を黙ってみていた那智とその他の艦娘達が、その場に取り残された。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「マコリン、着いてこなくていいってば」
「いや無理にでも行くね。こっちもお前に用がある」
「……?」
「取り敢えず横乗せてくれ。東名乗ったら話しはするから」
建物から出た辺りから摩耶に話し掛けられて、そんな短い会話の後に。2人は巧の車で大観山方面へと向かっていた。
今月三度目になる東名高速道路を時速100キロクルージングしていく。そろそろ話してくれてもいいんじゃないか。巧がちょうどそう思っていたとき、摩耶は外を流れていく街灯の光を眺めながら、呟き始めた。
「知り合いが怪我したんだ。35の女のせいでな」
「……箱根で?」
「そ。アタシのいとこ、御殿場でチューニング屋やってるって、言ったの覚えてるか」
「覚えてないかなぁ……その人がなに、追突されて事故起こした訳だ」
「あぁ。店の宣伝の車使ってターンパイク流してたらな、後ろからガツンらしい。ミニ取りに行ったら、マサキのやつ腕にギプスつけてやんの。笑っちまったよ」
ふと巧は運転中に顔を横に向けたが、すぐに戻した。視界に入った摩耶は、表面上は笑顔だったが、目は笑っていないどころか憎悪で黒色に染まっていた気がしたからだ。
「あいつも頭に来たらしくて、すぐに通報したんだと。でも相手は捕まらなかった」
「は!?」
「やっとわかったんだよ。権力やら何やらで揉み消すとかじゃなかった。ため息が出たよ、35Rじゃなきゃできねー事だったんだ。全部な」
「通報して捜査までされたのに捕まらないって……それなんでさ」
「トリックも何もなかった。巧、お前「スクラッチシールド塗装」って知ってるか?」
「?」
初めて聞いた単語に巧は「何それ?」と聞き返す。ため息混じりに、親友はソレが何なのか話し始めた。
「35GTRにやってある特殊な塗装だ。こう、山道なんかを走ると、車ってキズだらけになるよな」
「うん、ディーラー居たときにクリアのやり直しとかやってたから、それぐらいは知ってるけど」
「じゃあ続けるぜ。スクラッチシールドってのは、簡単に言えば自己再生する色で、柔軟性のあるクリアで仕上げをやる塗装なんだ。多少のキズやカス当たりは時間の経過でキレイサッパリ消え去る」
「……ちょっと待って、アイツはその、再生するキズの範囲内でぶつけて逃げてたってこと!?」
「当たり。多分そこからもう少し細工してるんだろうが、それは置いておくとして。そら捕まる訳がねーよな、ぶつけた跡が消えるんだから。プッシュ、当て逃げ、やりたいホーダイ。本当に頭に来る」
摩耶の言葉に巧は下を巻いた。そんな技術が在ることに驚きだったが、そこまで見越しての狼藉と知れば、もはや怒りを通り越して呆れ果てる心境だ。
「ところでさ。マコリンの指示に従って今進んでるけど、どこに行くのさ」
「このまま進んで、旅行で通ったとこ向かってくれ。御殿場に繋がってる」
「御殿場って、何するのさ」
「この車のパワーを上げんだよ。デチューンで200馬力のGC8じゃ万に一つも勝ち目が無さすぎる、ガレージ借りるから、ターボでも載せようぜ。連絡はつけてある」
「……マコリンは止めないんだね。バトルするの」
「言ったろ。アタシも友達傷つけられて頭に来てんだよ。ただ、お前も事故だけはすんなよ。危ないと思ったらすぐに引け」
「さぁ、どうだかね。廃車になるまで走り続けるかも」
「嘘つけ、前にそうなったら泣いてたクセに」
親友の発言に顔が綻ぶ。怒りで知らず知らずに体に力が入っていたが、少しずつ変な力みが抜ける。まさかこれは計算か? とも思ったが、摩耶の無意識の配慮に内心感謝したとき。
巧は背後からカン高いエキゾーストの咆哮を聞き付け、何かとバックミラーに視線を移す。すると、目線を動かす時間のうちに、右の車線を何かが物凄いスピードで追い越して行った。
外見からして旧車と思われるそれは、こちらの前に着くと。ハザードランプを点灯させてきた。
「なんだこの車……」
「シャンテじゃねーの? マツダの」
「旧車だよね。ハザードって、もしかして競争申し込まれてる?」
「さぁ……無視してさきに……」
寝ぼけたような顔で、放っておけと摩耶が言おうとする。が、前を行く車のリアガラスに貼ってあったステッカーを見て、発言を訂正した。
「!! 巧、こいつ追っかけろ!」
「え?」
「早く! 置いてかれるぞ!」
慌てて巧は4速から1速に入れて車を加速させる。バンパーが接触するほど前の車に近づくと、相手はこちらの意図を察したのか、先程見せたような速度で逃げ始める。
「どうしたのいきなり……っていうか速い! なにこの車……」
「後ろにステッカー貼ってあるの見えるか。「NDNL」って」
「ギリギリ……すごい、ちょっとずつ離されてる……?」
「マサキが居るチューン屋の車だアレ。着いてこいって意味か……?」
話している最中に、速度は時速150km代に突入する。追い付くどころか徐々にこちらを突き放す相手に、巧は一体どんな魔改造だとひとりごちた。
着いていけるだけ、追い掛けてみるか。旧車にすら追い付けなかったら35なんて夢のまた夢だしネ。
アクセルに込める力が強まる。白いインプレッサは、夜の高速道路を200kmオーバーで駆け抜けていった。
GTRの塗料のくだりですが、トンデモもいいとこな超理論なので作品世界のみの理屈だと思って頂ければいいです。車がスピンする程の追突のキズは普通は直りません(キッパリ
では次の更新までお待ちを。