ふぅーッ、と1度、巧が大きなため息を吐く。青いZを横須賀に届けるという仕事が終わる時には、時間はもう午後の9時頃だった。
仕事納めと同時に、こちらの手を煩わせずに済むように、なんて城島の配慮で設定されていた納車の場所……すっかり彼女には職場を兼ねた家も同然な鎮守府に到着する。
道中に調子に乗って飛ばしていて大スピン。あわや下手をすれば大惨事、なんて事もあってヒヤヒヤ物だったけれども、無事に帰ってこれた事に安堵しつつ車から降りる。隣の龍田も降りたのを見て、さて、86のセッティングを詰めようかと工廠に行こうかとしたとき。今日限定でヘルプに来ていた人物に会う。
「こんばんわ。お疲れさまだったね」
「あ、土屋さん」
島風の声が聞こえた方に顔を向けた瞬間。表情筋がつっぱり、なにかヤバい物を見た……みたいなひきつった表情が巧の顔面に浮き出た。なんと言おうか、島風の格好にビビったのだ。
どう頑張ってもヘソが見えるような丈が短すぎるノースリーブの海兵服(?)に、少し動いただけでパンチラしそうな超ミニスカ。なんだこれ? まさかこの人の趣味か? そっとしておこう……。考えていると、そんな思考を察されたのか。巧向けに彼女が口を開く。
「……? あ、そっか。この格好見るの初めてだよね。初見だと凄いよねコレ」
「え? あ、はい」
「えっとね、艦娘島風の制服なんだ」
「!?」
マジで言ってるのん? 一応軍隊だろうに、偉い人の考えることはよくわからん……。巧の混乱中も島風は続ける。
「最初はね。レースクイーンみたいな物かと思ってたらさ、本当に島風の制服らしくって。もう最初はバリバリ抵抗あったんだヨ」
「へ、へぇ~……」
「まぁ関係ないハナシはここらで。車、運んでくれてありがとね、乗りづらかったっしょ?」
口を動かしながら車に乗り込む彼女に。またまた巧が軽く驚く。どうやらこのZ、島風の私物だったらしい。
「土屋さんの車だったんですか?」
「私のっていうか、ガレージ貸してるというか……病的なクルマ好きの知り合いがね、置場所が無いから置いといてくれって!」
「スゴいですね、金持ちですか?」
「私の提督。もう、軍属だからってカネに物言わせてミニカー感覚で車集める変態だよ。私はこれ乗って一旦京都まで帰るから、じゃあね。代わりのお手伝いありがとう!」
「どういたしまして」
「あとね、ちょっとしたプレゼント置いておいたから。工廠行ってみて。それじゃ!」
エンジンを空吹かしした後に、飛ぶような速さで青い車と共に島風が鎮守府から出ていく。巧と龍田はそんな彼女が門をくぐって道路に出ていくまでの短い間、手を振って見送る。
プレゼント、って何だろうな? 彼女が残していった言葉に従って。もう就寝に入るから、と言う龍田と別れて巧は工廠に向かう。
遅番の作業員たちが働く、24時間稼働中な建物に入ってすぐ。視界に入ってくるのは、すっかり各所に手が入り、もとの純正姿からはかけ離れた外見に様変わりした86だ。
クリアすら塗っていないカーボンの部品で、白からモノクロカラーになったそれを尻目に、プレゼントとやらを探す。どこかと顔を動かしたが、車のすぐ近くに置かれていたので、案外すぐに見つかる。早速巧は安置されていた、包装紙で包まれた大きな段ボールの封を切り、中を覗いてみた。
「…………?」
なんだこれ? 大きなガスボンベ??
中に入っていたもの。何かの金具数点と、耐熱性のシリコンチューブ、そして一際目立つ、炭酸飲料の缶ボトルのような青色の大きなボンベに。彼女の頭に?マークが浮かぶ。
「!!」
それを手にとってくるくる回していたとき。ボトルに大きく貼られた、「Nos→」と書かれたシールが目に飛び込んできた。同時に巧はコレを用意してくれた島風に大きな感謝の念を抱いた。
箱に入っていたこれらは、カースタントやアクション映画でお馴染みの、ナイトラス・オキサイドシステム。通称、「ニトロ」を車に積むための一式の装備だ。
自動車のパワーアップと言うのはなかなかシビアな世界で、業界では「1馬力=1万円」だなんて言われている。だが、これはターボやスーパーチャージャーに匹敵し、たったの数万円で計算上は100ps以上車の底力を引き上げることが可能な、文字通りの切り札的な存在だ。
すぐに取り付けてみようか。説明書はどこかと箱の中身をまさぐっていると、ふと、視線を感じて建物の出入り口に目線が移る。勘は当たっていたらしく、何をしに来ていたのかそこにいた加賀と目と目があった。更によく見れば、近くに摩耶と那智の姿もある。
「あ……見つかっちゃった」
「どうかしました雪菜……って、那智さんとマコリンまで?」
「進展どうかなと思ってな。で、今度は何をしてたんだ」
「土屋さんから物貰ったんです。ちょっと手伝って貰えないでしょうか?」
「当たり前だ。そのために来たんだしな」
「ありがとうございます!」
こういうとき、交遊関係を大事に生きていく事の大切さを実感するなァ。なんて噛み締めつつ、快く快諾してくれた3人合わせ、4人は作業に取り掛かった。
ガスを車の心臓部に噴射するためのホースをエンジンルーム内へ。それを引っ張ってきて車内に中継させて、内容物の入ったボトルを後部座席を取り払ったスペースへ。最後に、ハンドル基部にドリルで穴を空け、システム起動のON・OFFを切り換えるためのスイッチを嵌めて配線を通し完了だ。説明だけなら楽だが、配線処理に手こずり、全行程の終了に1時間弱程が経過していた。
やっと終わったかな? 一息ついて、巧が持っていたドライバーを工具箱に投げ入れたときだ。あくびや伸びをして眠気を誤魔化している摩耶と那智から離れて、車の影で加賀が何かしているのを目にする。
彼女のしていた事は、隣に並んですぐにわかった。理由は不明だが、車のドアにペンで「加賀」と描いていたのだ。何のつもりだろうかと巧は相手に質問を投げる。
「名前なんて描いてどうするんですか?」
「ほら、物に祈りを込めたら魂が宿るとか言うでしょう? 願掛けのようなモノよ。私が運転するわけではないけれど、せめて応援をと。」
「………なるほど。私もやろうかな」
加賀の言うことに乗り。眠気で下がる瞼を擦りながら、那智と摩耶も同じような行動を取ることに。巧はというと、敢えて名前は書かず、「VS GTR」と書き入れるのだった。
4人で、出来上がった車を眺める。また加賀が口を開く。
「……クルマに名前とか付けない? こう、アイツに絶対負けねーぞ! みたいな意思表示として」
「名前か……ていうか加賀の口からそんな言葉が出るとは」
「……「マメ」とかどうだろうか」
「「「マメぇ?」」」
「だってGTRから見たらハチロクなんてマメみたいなもんじゃん? 後はほら、ドリフトキングのAE86にあやかってさ」
「マメなんていう割には随分とゴツくて威圧感あるクルマだけどな?」
「ごもっとも!」と巧が返事をすると、全員笑いだす。が、そんな中で、摩耶がこんなことを聞いてくる。
「何回も言ってしつこいとは思うけどさ。本当にコイツで勝負するんだよな」
「うん。天龍の仇だもの。絶対にFRの車で勝たないと」
「その、FRでもZとかシルビアとかのほうがのほうが良かったんじゃないの? 少しでも馬力があったほうが、私は良いと思うんだけど」
「う~ん……そこなんだよ。でも、いくらパワーあったって、場所は峠の、しかも冬の道だし。半分もフルパワー出せないなら、思いきって減速する必要ないぐらいの非力な車のが有利なんじゃないかなって」
「……………。そっか。そこまで言うならまぁ、こっちから言うことは何もねーよ」
摩耶の口からその返答が来た時に時計を見ると、針は12時を指していた。そろそろ眠気も限界に来たか、加賀と那智就寝のために本館に戻る。
「………? マコリン戻んないの?」
「あと一個な。言っておきたくてよ」
「何さ?」
「負けんなよ。あんなGTRのクソ女なんぞな、ぶっちぎっちまえ!」
「………! うん!」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
時間が時間のため、周囲はしんと静まり返っている。夜の闇にそっと隠れる鎮守府の隣で、騒がしく金属同士がぶつかるような騒音が漏れている工廠から4人が出ていってから数分。巧は全く気が付かなかったが、女達に気付かれないように様子を見ていた人物が、86が止めてある場所に来る。彼女の父、南條 明だ。
生意気な自分の娘が手こずるこの車のチューン。手伝ってやりたい気はあるが、その娘と同じで妙にあまのじゃくな性質がある彼は、誰も見ていない所でこっそり手を貸そうという魂胆でここに来ていた。
「……………」
毎日食堂で聞き耳を立てているうちに仕入れた、明後日にバトルするという情報。それをもとに、さて、しっかりと命をのせて走れる車に仕上がっているのかな? 等と考え混じり、いつも巧が車のキーを置く工具置き場から鍵を掴み、車に乗る……
……前に一言。誰も居ないガレージ出口に、彼は呼び掛けた。
「そろそろ、出て来ていいんでないかな。戦艦水鬼さん」
「……………!」
声を宛てられた場所から、未練がましいようにふらふらした動きで1人の女が引きずり出されて男の近くに来る。彼女の親同士、考えていた事は同じだったらしい。戦艦水鬼もずっと作業中の4人を見守っていたのだ……もっとも、彼女らの離脱を待っていた明とは、張っていた理由は違ったが。
「いつから気づいてました」
「1時間ぐらい前か……と言いてぇが。アンタ俺の記憶が正しければ、ここんところずっと巧のストーカーしてただろ? ここの前でソコに詰まれたドラム缶に隠れてさ」
「!!」
「恥ずかしいのはわからんでもないが。話がしたいなら近付け。手伝いたいなら話し掛けろ。ウジウジしてちゃ、娘と距離は縮まらんぜ」
「……………ッ」
しまった。言い過ぎたかな。
励ますどころか若干話が説教染みた事に、内心、自分で自分に突っ込みを入れる。よくよく考えればすぐに解る。前も戦艦水鬼から直に聞いたが、娘とはいえ30年近く言葉を交わさなかった間柄なのだ。ほとんど他人も同然だろうし、自然と会話や接点を作りづらいと思ってしまうのだろう。流石に自分が言った言葉は酷だ、と思う。
着ていたコートの襟を弄りながら、戦艦水鬼は明の顔を見ないように、と顔を下に傾けながら卑屈な発言を述べる。
「貴方には解らないでしょうよ。顔を見ても、挨拶以外に言葉が浮かばないんです。私は人と違うから、気の効いた事なんて言えないし、流行りの話題なんて事も解らない」
「…………」
「貴方には……わから
彼女が長々と話を続けようとした矢先明は何を思ったか、会話(?)を捩じ伏せ、戦艦水鬼の手を取ると、彼女を無理矢理車の助手席に押し込んだ。
「はいはい解らないです。だからちょっと乗って!」
「えっ……痛ッ、ちょっと」
「ドライブ行こう。気分が晴れますよォ~」
間髪いれずに自分も乗車し、明は流れるような動作でエンジンを始動させる。そのまま彼は、乗り気ではない戦艦水鬼を連れ、どこかへ車を発進させるのだった。
昔に1度、数ヶ月だけ仕事で来ていた時の記憶を便りに、神奈川の道を行く。彼が水鬼を連れて向かっていたのはヤビツ峠だった。
急勾配、緩急コーナー、高速コーナー、全てバランスよく纏まったこの場所は、車の性能を見るのには最適で。更に付け加えれば、夜の菜の花展望台から見る星空が綺麗だ、なんて点でも昔はそれなりによく来ることがあり、思い出深いのだ。
深夜1時ちょうど。峠を上ってきて、誰も居ない駐車場に白線を無視して豪快に車を止める。運転中、ナビシートの彼女はムスっとしていたが、目的地に到着してなお、その不機嫌そうな顔が直ることはなかった。
「全く……無理矢理連れ出して、何する気です」
「アイツの手伝いがしたいんですよね。ってんなら、じゃ手伝わせてあげようかねぇなんて」
「?」
「明後日、アイツはこの車で箱根に行くんだ。隣に乗ってあげてください」
発言の意味がわからず。水鬼はその行動がなぜ巧にとっての手伝いになるのか、そしてどうしても必要なのか、彼に問う。
「理解に苦しむわね。私よりも、気心の知れた艦娘の子か、貴方の方が彼女は喜びそうだけれど」
「それじゃ駄目なんだ。アイツは言ってた。貴女と話がしたいって」
「…………!」
「明後日は大事な日だ。アイツは行く先で、相手と命のやり取りをする。そういう時勇気づけるのは、やっぱり母親なんだよ。何十年も昔からの、漫画なんかじゃあ定番だろう?」
「……!? 命のやり取りって……」
「ほらな、やっぱり知らなんだ」
「当たり前でしょう!? 録に会話をこなしたことも無しに、そんなこと……」
「だからその日に同行してやってくれないかと言ったんだ。この機会を逃すかい。多分だが、この日を後にしたら、一対一で接点を持つチャンスなんざそうそう来なくなると思う」
「………………ッ」
ずかずかとこちらの気にしているところに踏み行って来る。気に入らん。だが言うことはもっともだ。だからこそ、とてつもなく腹立たしい……
明の言葉に水鬼は唇を噛んで拳を握る。何秒間か数分間か、無言の間を挟む。言いたいことが纏まった彼女は口を開いた。
「一体何を話せと言うのよ……母を自称していいのか怪しい私に……」
「近くに居てやるだけで良いと思います」
「そんな……」
「「大したことじゃない」って? 違うんだなこれが。その大したことじゃない事は、結構人間に力を与えるんですよ」
「……………………」
「……しまったな。また湿っぽくなった。少しこの車のクセが見たいんで、また隣に乗ってください」
「……わかりました」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
少し熱くなりすぎた。……なに言ってんだろ私……
水鬼が、山を上っていく車内で揺られながら思う。
気分転換に窓の外を見る……どこもかしこも木と草と暗闇のみ。つまらん。そう感想が頭に浮かんだ途端に視線をずらしてしまう。運転席の彼とのさっきの展望台での口論から、気が滅入るばかりだ。
「気休めかもしれないけど」。唐突に明が話し、水鬼は顔の向きは変えず耳だけ集中させて彼の声を拾う。
「前も言いましたがね。深く考えすぎなんですよ」
「……そうでしょうか」
「巧とそっくりですよ。あなた」
「え?」
無関心そうな態度を崩さないように心掛けていたつもりが、男の発言に、反射的に彼女は首を動かす。
「へったくそな無関心のフリだとか、友達作るのヘタクソだったり。そのくせして寂しがり屋で、会話に飢えている矛盾の塊」
「あ、そう」
「ほら顔赤くなった!」
「!! こ、これは……!」
端から見れば夫婦にも見えなくはない雰囲気を漂わせながら、尚も明が口撃を続ける。
「あぁ、やっぱり親子なんだなぁって、思いますもん」
「……嫌な人ですね。明さん」
「でしょうね。人を弄るの大好きだし!」
「好きにしてください!」
鬱気分がすっかり吹き飛んでいたことに、水鬼は気付いていなかった。ただ一人、うまくこういう雰囲気に引きずり込めた、と明は内心で笑う。
「さて」。そう明が言ったとき。いきなりグンと速度を挙げた車に、水鬼はバケットシートに体を押し付けられる。
「ちょっと飛ばすから。怖いかもな」
「え?」
「それッ」
明がハンドルを回す。リアがブレイクした86は壁に顔を向けつつ、真横にズルズルと道路を滑っていくが、水鬼には何が起こっているかわからなかった。
生きてきた中で車に乗ることは何度かあったが、どれもこれも護送車か運転手と武装兵付きの高級車。ドリフト中の車に乗り合わせた事など正真正銘今日がはじめてだ。
車とは、こんな動きをする乗り物なのか?
脇腹から反対側の胸に抜けていくような強烈なGを体感していたとき。深海棲艦の自分はともかく彼は怖くないのかなんて考え、目が運転先側に動く。
「………え?」
明はハンドルから手を離し、ポケットから携帯電話を取り出して操作していた。もちろん今はドリフトで車が滑っている真っ只中である。
「何をしているの!?」
「いや、ちょっと音楽聞きたくて……」
「運転は!?」
「少し待っててください」
「真横にすべって……!!」
反対側に顔を動かす。脳が理解を拒む速度で崖が迫ってきていた。
終わった。死ぬかも。もっと巧とお話したかった……
事故を起こす予想を映像として妄想しながら、水鬼はすっかり生きることを諦めた……が、事故は起きなかった。
ガードレールを破って崖から落ちる寸前でビタリと横滑りは止まると、この車、また前に進み始めた。気絶寸前の中で、また視線を明に移す。外されたカーナビが収まっていたダッシュボードの隙間に、音楽アプリを再生中の携帯電話を挟み終え、ご満悦の様子でハンドルを握り直していた。
「よ~し。こんなもんか」
「 」
理解不能だ。この人 人間じゃない。
自分の事を棚に上げながら、水鬼は気絶した。
次回 バトル開始