正直、柄でもないことを自分はやってるよな。母親との外食のために出たわけだが、帰りの道を走る車内で巧はそんな事を考えていた。
大人しそうに見えて攻撃的、消極的そうに見えて意外と積極性がある。そして、主体性と自信の無さすぎる人間は嫌いな人。周りからはよくそう評されるのだが、彼女は自分でもそれを自覚している所がある。
「……………………」
一ヶ月かけて把握した横須賀市の道を、頭のナビを辿って淡々と鎮守府に戻る。隣の女性に迷惑を掛けないようにと、低い回転数を維持してエキゾーストが煩くないよう運転していたインプレッサの車内は、巧も水鬼も口を開かないので嫌に静かだ。
予定も立てずにいきなりの外出だったので、行った場所はいつもよりも価格帯が少々お高いだけのファミレスだったのだが。自分の性に合わないことをしていたな、との思いと並行して、彼女はもう1つ考え事をしていた。
それは、母を無理矢理連れ出してまでやったこの行動は失敗だったのでは? なんていう後悔だ。
「これ頼みますか?」「好きにして頂戴。」 「美味しいですか?」「えぇ、多少は……」 行き先での会話を思い返してみる。自分としたことが、他人を蔑ろにしてしまっていたらしい。
………当たり前だよな。嫌なやつとの外出なんて、普通なら苦痛にしか感じないだろう………
やはり根っこの所では母とその娘ということなのか。知らず知らずのうちに、水鬼のネガティブ寄りな思考回路に近い想像を巧がしていたときだった。
信号を直進して、長い直線の続く道に入ったとき。ずっと黙っていた水鬼が口を開いた。
「巧。良いかしら」
「お花でも摘みに行きますか?」
「いいえ。少し、行ってもらいたい場所があるの」
「?」
巧は意外に思った。記憶が正しければ水鬼が初めて言ってきた気がする、自分の主張というものに耳を傾ける。
「もう帰るつもりだったのよね?」
「えぇ……まぁ…………」
「もし。都合が悪いだとか、私の言うことなんて聞きたくないのなら聞かなくていいの……」
嫌にもったいぶるな。でもいつもの事か。巧がそう思っていると、水鬼が次に口を開いて、提案した行き先は運転手が予想していなかった場所だった。
「県道70号、ヤビツ峠。名前は合っているかしら。そこに、私を連れていって」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
目的地に行くまで、巧は母の放った言葉に、十数分も経過してなお驚いていた。むしろ、驚きを通り越して動揺していると現したほうが適切なぐらいにはビックリしただろうか。
山を越える人間のために作られたのだろう。道に沿うように建てられた、セルフのガソリンスタンドを通り過ぎる。それをちらりと横目で見れば、巧の脳内には友人たちとの思い出が流れる。
始めてきたときは、自分の車じゃ無かったよな。
加賀のFCを乗り回した時。車が直り、喜んで試運転しに行った雪の降っていたあの日。落ち込んでいる天龍を連れて流しに来たとき――― 好きで何度も見返す映画をまた観るような、不思議な感覚に陥っていた巧は、隣の女になんでここまで来るように言ったのか聞いてみた。
「もう少しで着きますが……なんでこんな場所まで?」
「………………。貴女は、海に、今出ているでしょう。」
「えぇ、たまに、ですが」
「それはつまり、「私達の世界」を見ている事になる」
「……………?」
「言い方を変えるわ。艦娘さんたちと、同じ土俵に立っている」
「あぁ……そう、言えなくも無いですが」
「私は………巧。貴女が見ている景色を……世界を見たいの」
山の入り口に差し掛かる頃になっても、母の言葉は続く。
「私は、自分の車なんて持っていないから。それに、運転免許も持っていないし、自分で運転する機会もなかったわ」
ヘッドライトで照らされる前方の道に向いていた顔を、水鬼は体ごと運転席に向け直して言った。
「ずっと羨ましかったの。自分の乗り物で、どこへともなく羽を広げる貴女達が…………だから、近いところで、貴女の目に映る世界が見たいの。貴女の、走り屋? というものが」
「………………うんと飛ばして走れ。そう言いたいんですか」
少々詩的で、悪くいえばクサい物言いだったが、水鬼の言いたいことは確かに娘に伝わったようだった。巧は返事としてそう言うと、水鬼は肯定する。
「えぇ。……海に戻る前だから。お願い」
「了解です。じゃあとりあえず山頂まで」
無心で何かをやっていると、いつの間にかに、行動や作業が終わっている、ということはよくある。巧の感覚的にはあっという間に山頂に車は到着し、彼女はスムーズにギアを落としながら、ブレーキを踏んで売店の休憩所に車を止める。
一定の間隔を刻みながら点滅するハザードランプの光が、二人の顔をオレンジ色に照らす。呼吸を整えようと黙っていた巧へ水鬼は口を開いた。
「やるのなら本気でやってね。私を殺す気で」
「……………………――――」
水鬼の言葉に、巧はゆっくりと一言、呟いた。
「本当に本気でやって良いんですね……後悔しますよ」
「構わないわ」
即答した水鬼の顔をじっと見詰める。「そこまで言うなら……」 巧は普段使いのシートベルトを外し、四点ハーネス式のものに絞め直した。
準備が終わり、すぐに巧はクラッチペダルを一気に離してGC8を急発進させた。予想外の運転手の行動に、水鬼は首をバケットシートの背もたれに打ち付ける。
軽く目眩を感じ、それで焦点の合わない目を前に向ける。「少し危ない」なんて言おうかと思ったが、彼女は口をつぐんだ。そもそも何をされても文句は言わないと言い出したのは自分からだったし、横目で軽く見たハンドルを握る娘の顔は真剣そのもので、何を言っても集中している相手には届かないだろうと思ったのだ。
「……………」
「…………ぅッッ!!」
無言でアクセルを踏む巧とは対照的に、水鬼はガードレールが近づいてくるにつれて、恐怖心からか、条件反射的に口から呻き声が漏れる。
18歳のとき、学校にナイショで免許を取りに行ってからもう10年近く。その年月の大半の移動はこの車に乗って過ごしてきた、そんな巧にとって、もはや白いGC8は体の一部に等しいほどで、操作を間違うなどということはコンマ1%も無かった。
戦艦水鬼には、ガラス越しに流れていく木々や星といった非現実的な光景が新鮮に感じられた。前に彼女の父に連れ回された経験が生きる。あの時の恐怖体験のおかげで、なんとか今日この瞬間は気絶せずに済む。が、やはりこんなスピードで動く乗り物には慣れない。
「最後にもう一個、確認しますよ」
「?」
下り道に入ったばかりでこんな有り様か…… 娘の運転に必死に意識を保っていた水鬼に、巧は少し遅かったが、気を使ってこんなことを言った。
「本当に怖いと思ったら、遠慮なく言ってくださいね。すぐに止めますから」
私は大丈夫だから―― 口を開ける余裕が無かった水鬼は目線でそれとなく合図する。巧は一瞬だけ視線を横に向けて母の顔を見て察したのか、ほんのちょっぴりだけ口角を上げた。
雪を溶かすための融雪剤と砂、そして雪解けと同時に崖から崩れてきたのだろう大きめの石が、無秩序に道に転がっている。それらを回避するどころか、敢えて巧は車のタイヤで乗り上げた。
地面にぶつかったボールが跳ねるように、インプレッサの車体は、片側が軽く宙を舞う。車輪が空転して一気にレッドゾーンまで吹け上がったエンジンの悲鳴が車内に響いた。
下りの道に入ってからほとんど彼女はシフト操作を行っていない。急坂で想像するのも恐ろしいほどに車体に勢いがついていたが、直角コーナーも3速に繋ぎっぱなしのテールスライドで、針の穴を通すような精密なアクセルワークとステア操作で抜けていく。
体の大きさにあったバケットシートのおかげか、二人の体は激しい横Gが掛かっても揺れすぶられることは無い。慣性による負荷が掛かってもほとんど微動だにしない自分の体に、逆に水鬼は少し気持ちが悪くなるが、この時彼女はもう1つ思い浮かんだ感想があった。
とても心地が良い。ジェットコースターのように飛んでいく白い車の中で、そう、水鬼は思っていた。
車の中というのは、言い換えれば密室のような物である。当たり前だがキャンピングカーでもなければ中は狭いし、身動きはあまり出来ない。今乗車しているクーペタイプのスポーツカー等になれば尚更だ。
加えて今水鬼が居座っているのは助手席だ。大袈裟な表現かもしれない。だけど、彼女にとっては、いつも距離を取っていた娘の体温をほんの少しでも感じることができる場所なのだ。そんな場所に座ることを許してくれた娘に、彼女は心から感謝していた。
水鬼が何か考え事をやっていたうちにも、全くペースを落とすことなく巧は道を降りていく。連続コーナーが途切れ、ほんの少しだけ加速に移れるような短い直線に入ると、運転していた彼女は迷わずシフトアップして4速にギアを入れた。
休憩する暇すらやってこないうちに、大きく右に曲がるガードレールが迫る。その先にあるのは、夜の闇が広がる底の見えない崖だ。
シフトレバーを4速に入れっぱなし、時速120kmから一気にハンドルを右へ。すぐに左に限界まで回し直し、対向車線まで使って横を向いた白いインプレッサは、その姿勢のまま軽くジャンプした。
慣性に従って車は崖がある方へと吹っ飛んでいく。壁にぶつかる手前で、車内に大きな振動が奔った。滑空していた車が地面に戻り、地面に擦れたマフラー等の金属部から火花が散る。そして接地して急激に回復したタイヤのグリップ力で、車はタイヤハウスから白煙を噴き上げながら前へと進んでいく。
凄かった。水鬼の乏しい語彙力では、娘の技術はそうとしか表現できなかった。
27年間の、これからを考えればまだまだ短い自分の経験した人生。それで得たものを全てぶつける意気込みで、巧は展望台までの道を走りきったのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「タバコの匂いは嫌いですか」
「問題ないわ。どうぞお好きなように」
「そうですか。なら、お言葉に甘えて」
全神経を研ぎ澄ませた運転を終えて、巧は展望台の駐車場に適当に車を停める。母から許可を得て、彼女は持ってきていたタバコに火をつける。
ため息でも吐くように、煙を吐き出す。加賀と平日の午前中に、一度この菜の花展望台で今後について語り合った事を、巧は思い出した。
つい1ヶ月かそこら前のこととは思えないぐらいには、何か変に懐かしく感じるよな。そんな事を考えていると、手すりに寄り掛かって星を眺めていた水鬼が話し掛けてきた。
「とても凄かったわ……あんなに刺激的な景色を貴女たちは見ていたのね」
「さぁ………どうでしょうね」
「少し聞きたいのだけれど、やっぱり、自分は大丈夫って思っているの? その、事故とかは」
事故、か。水鬼の質問に少し思うところがあって、巧は少し間を置いてから返答する。
「逆、かな」
「ぎゃく?」
「周りの人は大丈夫。でも、自分だけは死ぬかもしれない。ずっとそんな調子でハンドルを握ってます」
そう答えると、水鬼は驚いたような顔を向けてきた。あんまりにも無茶な運転を先程目の当たりにしたばかりで、信用出来なかったらしい。巧は、苦笑いとも微笑みともつかないような微妙な笑みを浮かべて続ける。
「少し前に気になって、日本の事故の件数を検索したんです。そうしたら、去年は確か50万件。亡くなった人は4000人。その中に自分が入らないなんてあり得ない。そう思って運転してます」
「…………少し、意外だわ。私は、貴女はもっと大胆な性格だと思っていたから」
「誤解ですよ。……シフトを入れてクラッチ離して、アクセルオンで前進してガレージの外に。その瞬間から、今日こそ自分は死ぬかもしれない。そんな考えばかりちらつきます」
持論を言い終わり、巧は水鬼の隣に寄って同じく手すりに体重をかけて楽な体勢になる。
この場所に停車して何分経っただろうか。
ただただ二人はじっと空を見上げて居たが、お互いにたった数分の時間が妙に長いものに感じられる。時刻は9時を回ったところで、もちろん閉まっていた展望台には誰もいないし、この日は偶然車通りもほとんど無く辺りは静まり返っていたのも原因か。
唐突に水鬼は話を巧に切り出してくる。
「私が戻るのは、明日なの。午前7時の船で私の居たところまで」
「……そーですか。全く、早く言ってくれればいいものを」
「ごめんなさい」
「本当ですよ。心配しちゃったじゃないですか」
吸い殻を手すりに押し付けて火を消すと、巧はゴミを灰皿に入れて処理する。
「今日のことは忘れられない思い出になりそうだわ……巧、ありがとう」
「やめてくださいよ、そういうの。別に死に別れる訳でもないのに」
「だって……」
「永遠に離れ離れになるなら解りますよ。でも、そんなこともないでしょう? ……こういうときは「サヨウナラ」は駄目なんだから」
「じゃあなんて言えば……」
「「またね!」………また会いたいって思う人って……結構すぐ会えるものだから。悲観的になるのが一番駄目なことですよ」
「それに――」 巧は自分にも言い聞かせるように、笑いながら言った。
「また会うことがあれば、まぁ、「お母さん」と呼んであげないこともないですよ!」
「………あなた、性格悪いって言われたこと無いかしら?」
「誉め言葉ですね!」
皮肉を込めて水鬼が言うと、娘は悪戯っぽく返してくる。ほんの少しの腹立たしさと、始めてみた気がする屈託の無い彼女の笑顔に、水鬼は何か暖かいものを感じた。
巧の茶化しにため息を吐く。水鬼は改めて空を見上げると、話題を変えた。
「あの星……オリオン座、だったっけ……」
「どうかしたんですか」
「海に戻っても、あの星座は観られるかしら」
「観れるに決まってるじゃないですか。空はドコで観ても繋がってるんだから」
軽い雑談を何度か繰り返したあと、2人は車に乗り込むと、特にまた寄り道もしないで鎮守府へと帰路に就く。
この日の巧の、山頂から展望台までのタイムは、どんな腕前の人間が束になっても敵わないような凄まじいものだった。
だが、もちろんそれを計測していた人間など誰も居ない。幻のレコードタイムは、夜の闇に静かに消えていった。
▼ ▼ ▼ ▼ ▼ ▼
翌日の朝、慌ただしく巧は部屋を出て廊下を駆け抜けていた。何事かと早番の作業員と艦娘達が彼女を目で追うが、当の本人は気にする余裕すらないといった様子で玄関から外へ飛び出る。
完全に寝坊してしまった。時計を確認すると時刻はもう6時43分を回っている。自分の仕事が始まるのは8時だ。一体港まで飛ばしても往復して間に合うのか。
ちょっとした悪口を叩きながらも、巧は本当は水鬼の見送りに行く予定だった。が、予想以上に自分の体に溜まっていたらしい疲労で予定の時間に起床できなかったのだ。
もう間に合わないのかな。半ば諦める心境に差し掛かった時だった。自分の車に乗ろうとすると、こんなに朝早くにERの洗車をしていた天龍と出くわす。
「あれ、南条さんおはようっす」
「天龍おはよ! あのさ、少し良いかな?」
「なんすか?」
惚けたような顔をしてきた相手へ、急いでいた巧は混乱しかかっていた頭で滅茶苦茶なお願いを言った。
「理由は何も聞かないで、とにかく整備長に私が始業遅れるって言っておいて!」
「用事っすか?」
「そ! じゃあね!!」
もはや会話と言えるのか怪しいやり取りを強引に終わらせて、巧はインプレッサに乗り込みエンジンを掛ける。そのまま彼女は2速発進で鎮守府から脱走するのだった。
文字通り嵐のように過ぎ去っていった巧のことを見送り。天龍は大きく伸びをしてから、工廠に向かって歩みを進める。
作業員が一人サボりで抜けるなんて事は本来なら大問題である。が、天龍には一応考えがあった。それは、今でもたまに工兵の方で働く彼女が穴埋めで代わりに入るというものだった。完全に偶然だったが、今日の天龍はオフだったのである。
「ふぅ~……うっし!」
ガッツポーズして自分に渇を入れる。
貴重な休みの日を潰すことなどどうでもよかった。そんな風に思えるぐらいには、天龍は巧に恩を感じていた。
間に合うと良いな。巧さん。
ガレージのロッカーに着く。ピンク色の作業着に着替えながら、天龍はそう思っていた時だった。電源を入れっぱなしにしてアプリをつけていた携帯電話から、こんなラジオ中継が流れてきた。
『6時50分になりました! 皆様、いかがお過ごしでしょうか。では、現在の交通状況をお伝えします』
『横須賀市、国道〇〇線では、渋滞が発生しています。通勤、通学の際はお気をつけて―――』
「おいおい……マジかよ」
ラジオを聞いた天龍は巧の事がいっそう心配になった。なぜなら今言っていた道路と言うのは、港に行くのに必須な場所なのだ。
生まれ育ちがこの町な天龍なら特に問題は無いだろう。裏道や住宅地を潜れば良いだけだ。が、今朝飛び出していった彼女はまだここに来て日が浅い。渋滞なんてものに嵌まったら絶望するにちがいない。
追い掛けようにも巧は凄まじく速いのは知っているし、そもそも自分が抜ければ仕事が回らない。どうしたものか……そう考えていると、天龍は一人だけ思い当たる助っ人が居るのだった。
アイツだ。俺に「借り」があるアイツなら間違いなく助けてくれるはず。
天龍はある人物の携帯の番号を打つ。すぐに繋がった相手へ、彼女は受話器越しに話し掛けた。
「もしもし、ケイ、起きてたか? 後で小遣いぐらいの金は払うからよ、少し頼まれてくれや」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
天龍が自分を心配してちょっとした根回しをしているなんてもちろん知らず。巧は車を飛ばして先を急ぐ。
そして天龍の予想も当たってしまっていて、ちょうど渋滞に巻き込まれた所だった。
「嘘でしょ………こんな朝っぱらになんでよ?」
もう約束の7時は越えてしまっているが、ここまで来たならもう引き返せない。そう思って彼女はひたすら前を目指すが、こうも車の流れが遅いとそれも出来ない。
こんなところで立ち往生なんて…… ハンドルを握る力が無意識に強くなっていく。早起きできなかった自分を呪う。
ふと、何の気なしに道沿いにあったコンビニに目をやる。裏道でも通ろうかと一瞬考えが過るが、しかしここの地理はまだ把握しきっていない。下手なことをして遠回りになれば洒落にならない。なんて考えていた時だ。
巧は信じられないものを見たと目を見開いた。
見間違いじゃ無ければ、店の駐車場に自分も知っている人間がこちらを見て立っているのを見付ける。
つい最近に競争して車が廃車になった女。35GTRに乗っていた島風である。巧の知らないところだったが、天龍が呼んだ助っ人とは彼女だった。
なんでこんな場所にあいつが??? 巧が思っていると、相手も自分を見付けたのか、不敵な笑みを浮かべて駐車していたZ32に乗り込み、ニヤついた顔を崩さないまま手招きしてきた。
「こいつ…………」
妙な仕草の後で、ハザードランプを点けた状態で島風は店から道路に合流せず、車を住宅街の路地に向ける。すると、今度は開いている運転席の窓から顔と腕を出してまたこちらを挑発するように手招きしてくる。
「こっちに着いてこい」 そう言いたいのだろうか。巧は相手が何をしたいのかを、想像力を働かせて考えてみる。
もう無駄にできる時間はない。彼女は一か八か島風の後を追いかけてみることにした。
結果的に、巧のこの判断は正しかった。
天龍と同じく地元の人間であり、この辺りの地形に強い島風は先導して港までの道のりを案内してくれたのである。
本当なら道幅の狭いこの生活道路は遠回りなのだが、国道が渋滞中の時だけは近道代わりになる。加えて終着点は港以外になく、他の場所に行くのには使えないと言うデメリットもあったが、行き先は他でもないその港だった巧には好都合だった。
初めて通る人間には走りづらいことこの上ない場所だったが、峠道で何年も鍛えられた腕が生きる。すいすい泳ぐ魚のように先を行く相手を、巧は低いギアの加速力で必死に追い掛ける。
サイドブレーキのレバーを力一杯引き、機械がワイヤーを引っ張る音が車内に響く。その操作によって考えるのも恐ろしいような速度で巧は住宅地の直角コーナーを無理矢理越えた。
まだ10分も経っていなかったが、初めて行く場所というものは、到着するまでは感覚的に遠く感じるもので。巧は不安で額を脂汗で濡らしていたが、そんな心配もすぐに終わった。
少し広い場所に出たかと思うと、島風の黄色いZはハザードランプをつけてスピードを緩めたのだ。
ゆっくりと追い越して道の先に目をやると、看板には港まで残り500mの表示があった。わざわざこんな時間に、意味は解らなかったが道案内をしてくれた相手に、思うところがあった巧はZの運転席を横目でちらりと眺める。
役目は果たした。相も変わらずどこか憎たらしい顔をしている島風は、そんなような事を言っている気がした。巧はハザードランプを点けて礼の代わりにすると、靴の重さ程度にしか踏まずにセーブしていたアクセルを全開にする。
「間に合うか……?」
自分の運に願う。巧は祈るような気持ちのまま車を走らせた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
大型の客船に用意された個室の中で、水鬼は肘をついてぼうっとしているところだった。船の周囲は護衛の艦娘たちが防御を固め、おまけとばかりに彼女のいる部屋の周りも武装した艦娘たちが待機している。
別に暴れることなんてないのに……。警戒されている自分について、物々しい雰囲気を撒き散らしている護衛たちに、内心で愚痴を垂れる。
結局、見送りには来てくれなかったな。予想はしていたが、娘が来てくれなかったことに傷心していたときだった。
自分の携帯電話の着信音が鳴った。気が抜けていたのか、艦娘の1人がびくりと体を震わせ、連動するように室内に居たもう1人の艦娘が顔の向きを変える。
「電話だわ。一体だれかしら」 見たことがない番号だったので、水鬼が不思議に思ってそう言うと、顔を向けていた艦娘から話し掛けられた。
「出ないのか?」
「いいの?」
「その程度は特に問題はないと元帥から聞いている」
「そう。じゃあ出ましょうか」
もしもし―― まさか巧だろうか。スピーカーから聞こえてきた声は、水鬼の予想通りで、しかし彼女は驚いた。
『もしもし、水鬼さんですか? いまどこにいます?』
「巧……船はもう出てるわ。見送りなんて……」
『あぁもうそういうのはいいの!! 真っ白ででっかくて、煙突の青い船! それに乗ってますか!?』
何をしているのか知らないが、どうやら今の彼女は切羽詰まっているらしい。叫び声に近い話し方でこの船の事を聞いてきたが、水鬼は乗るときに特に気にしていなかったので解らない。
質問になんて答えようか。すると会話が筒抜けだったのか、隣の艦娘が首を突っ込んできた。
「白い大型の煙突が青い船、特徴は一致しているな」 そう助けを寄越してきた相手に、軽く会釈して水鬼は会話を続けた。
「合ってるけど、どうかしたの?」
『本当に!? 良かった……間に合った』
「……なに、まだ見送りは諦めていなかったのかしら。別に良いのに……」
うつむきながらの水鬼の口から自然とそんな後ろ向きの言葉が溢れた。巧が聞いてくる。
『別にって……なんでですか?』
「……悲しくなってしまうもの」
『はあ?』
「だって……未練が残るじゃない。貴女に見送られたら、元の場所に戻りたくなくなってしまうもの……本当は陸に居たままがよかったのに……」
戦艦水鬼は、自分の頬を伝う涙に気がついていなかった。勿論、それに連動するように声が震えているのにも気付いていない。
『ハァァァァ……本当、子供ですね』
「っ……うるさい」
ぐすっ、と鼻を啜ると娘に軽く馬鹿にされた。思わず、それこそ電話越しに巧が言うような、子供っぽい強がりが口から出てくる。
『全く……まぁいいや、なにがなんでも見送らさせて頂きますからね!!』
「え………? でも、もう……」
『良いから窓の外でも観てください。2度は言わせないでくださいよ?』
「窓?」
娘に言われて、反射的に水鬼の体が動いた。
船の小さな窓から、海岸沿いに作られた道を観る。気のせいか。滅多に車通りはないその道を、すぐ昨日に自分も乗った、娘の、あの白い車が凄いスピードで並走しているように見えた。
それは気のせいではなかった。
港のコンテナ郡を突っ切り、海側に出っ張った船着き場に、白煙を巻き上げながらスピンターンで白のインプレッサが停車する。巧が慌ただしく降りてきて、こちらに手を振ってきているのが、遠目でもはっきりと確認できた。
「あのっ」
「はぁ……出たいなら出ろよ。別に構わん」
部屋から出てもいいか。それを水鬼が口にする前に、艦娘は許可を下ろした。
いてもたってもいられなくなり、水鬼はスマートフォンをしっかりと握り、船のデッキに飛び出す。救命用の浮き輪がくくられている手すりに前のめりに寄り掛かる。限界まで上半身を海側に出して、大げさなぐらいの仕草で手を振った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
一般人が立ち寄れるギリギリの場所に車を停めて、巧は腕が千切れるぐらいに精一杯に手を振る。そうしていると、船の中から誰かが出てきてこちらに手を振り返して来るのが見えた。
目の悪い自分でもわかる。間違いなく戦艦水鬼だろう。体も一緒に揺れるぐらいに手を降り続けていると、携帯電話から母の声が聞こえてきた。
『巧……また会えるかしら』
「会えるかなじゃなくて、会うんです。袖振り合うも多生の縁って言うでしょう?」
『でも……』
「はぁっ……ったくこの女は」
巧は深呼吸をしてから叫んだ。
「陸地はそりゃ海で阻まれてますがね、空は繋がってんですよ!! だから1人ぼっちじゃないの!!」
気が気じゃないといった精神状況でここまで運転してきて、なおかつ体にエンジンが入る前に叫んで。体力を使い果たして呼吸が荒くなる。
しばしお互いに無言になった。しまった、言い過ぎたか、なんて巧はやってしまった後に思ったが、杞憂だった。
『ごめん、巧。ええっと、「またな」だったかしら?』
「そうです。じゃあ、またね。母さん」
『えぇ。また会う日まで』
水鬼はそう言うと、通話を切った。
「……ふぅ。見えなくなっちゃった」
大きく振っていた手を動かすのをやめて、巧は独り言を呟く。
「あんなこと言ったけど、また会えるのはいつだろうな。母さん」
ジャンパーのポケットから、タバコとオイルライターを取り出す。1つくわえて点火し、ゆっくりと吸い始める。
「ふぅ~っ…………」
空は繋がってる、か。頭に血が昇ってな~に言ってんだか。自分は。
吐き出した煙の行き先を眺めながら、巧は自嘲ぎみに、そんなことを思った。
天龍と島風が仲良く(?)していたのはこれがやりたかったからですね。
2話分も突っ込んだので物凄い文字量になりました。
一年以上も続いてしまいましたが、今まで応援、感想、評価して頂きまして、本当にありがとうございました。