プロローグ
私は34歳のOL。
夫と子供を持つ、ごく普通の女だ。
今日は何でもない、本当に何でもない日のはずだった。
朝起きて、夫の弁当と朝食を作り家族三人で食事をして、洗濯物を干して、仕事に行って、帰りに付き合いで同僚と飲んでいた。
同僚と何気ない会話をしていると、ぽつぽつと雨が降ってきた。
同僚はベランダに洗濯物を干していたようで、支払いだけして焦って帰っていった。
私は雨が降る事を天気予報で確認していたので、今日は部屋干しだ。
だが、詰めが甘い。
傘を持ってきていなかった。
夫に電話をすると、丁度近くまで仕事で来ているという。
丁度良かったと、トラックに乗せてもらう事にした。
夏から秋へと季節が移り変わろうとしているせいか、
ここ最近安定していた天候が一気に酷くなった。
助手席からぼうっと雨を眺めていると、あの日の事を思い出す。
---
その日の私は雨で部活が休みになり、延々と進まない勉強に嫌気が差し、
窓の外の雨景色をぼうっと眺めていた。
――ピロンッという軽快な音が、私にメッセージが送られてきたことを教えてくれる。
携帯を見れば、どうやら情報網が無駄に広い部活仲間が、
何やらグループのチャットに画像を載せたようだ。
当然勉強の続きなどやる気のない私は、そのメッセージアプリを開いた。
気づいたら雨の中、家を飛び出していた。
そして、自宅の向かい側にある家の玄関前に立っていた。
服装は部屋着にサンダルという、今時の女子高生では考えられない姿である。
それでも、そんなことを考える余裕がない程、私は必死になっていた。
右手の携帯に映るのは、同年代の少年が全裸で校門に磔にされている写真。
それが知らない少年だったなら、
その画像を貼った部活仲間に、一言二言苦言をいっておしまいだっただろう。
「××……」
でも、知っていた。
私はその少年の事を、多分誰よりも知っていた。
画像に載っていた少年は、幼い頃からの付き合いで、幼馴染だった。
高校に進学してからぱったり会わなくなったが、
その画像を見た時、すぐに幼馴染だと気づいた。
それから何度も彼の家に行ったが、結局彼を立ち直らせることはできなかった。
それでも、生きているだけマシだと思った。
私が彼の立場だったとしたら、きっと、自殺していただろうから。
---
そこで、意識を浮上させる。
何か違和感を感じる。
そうだ、夫が静かなのだ。
彼は静かな空気が嫌いで、いつも話しているくらいだというのに。
仕事で疲れているのかなと思い、彼の方へ振り向く。
「■■……? ちょっと、大丈夫!?」
夫がハンドルに突っ伏していて動かない。
そういえば彼は最近身体が不調だと言っていた。
でも大丈夫だろうと笑っていた。――そんなものは医者にしか分からないのに。
急いで車を止めようとするが、筋肉質で重い夫が邪魔でブレーキを踏むことができない。
ふと進行方向を見ると、若い男女が言い争いをしているのが見えた。
――間に合わないっ!
このままではあの男女にぶつかり、そのままコンクリートの壁に突っ込むだろう。
視界が急激に色を失い、衝突までの時間が遅く、長く流れる。
一人の少年が突っ込んでくるトラックに気づき、少女引き寄せた。
だが、もう一人の少年はこちらに背中を向けて、気づかない。
その時、トラックの車線上に男が飛び出してきた。
その姿を見て、すぐに誰か気がついたのは、さっきまで彼の事を考えていたからだろう。
以前より随分とだらしがない様相で、更に太った幼馴染は、
気づいていない少年を車線上から引っ張り出した勢いをそのまま、車線上に入った。
一瞬だけ、何かが光った気がした。
しかしそれが何かを考える暇もなく、トラックに衝撃が奔った。
幼馴染がまるで人形の様に吹き飛ばされ転がっていき、前方のコンクリートの壁に叩きつけられる。
そのコンクリートの壁は、トラックの車線上。
私は運命を呪いながら、高速で幼馴染の倒れるコンクリートの壁にぶつかり死んだ。