「――・・・―――」
遠くで赤ちゃんの泣き声が聞こえる。
私が子供を産んだ時に聴いた、まだ生まれて間もない声だ。
……おかしい。
私は寝起きだけは昔からいいはずなのに、全然意識が覚めない。
――いや、そうじゃない。
私は夫の運転していたトラックでおもいっきり事故ったのだ。
あれほどの速度が出ていたら、生半可な怪我では済まないはず。
(じゃあ、意識がはっきりしないのは、事故の後遺症?)
瞼も開かなければ、体の感覚すらない。
状態から察するに、全身打撲、全身麻痺、脳挫傷といったところか。
赤ちゃんのように泣き散らかせればどれだけよかったか。
こんな体では私は泣くこともできない。
それ以前に、夫は大丈夫なのだろうか。
もし私と同じように、一生涯に残る大怪我をしてしまっているのなら、
――には、本当に申し訳ない。
幸い私の両親は元気なので、生活は何とかなるだろう。
両親が居ない寂しさはどうすることもできないが、
真面に生きてくれることを祈る。
お母さんお父さん、五体満足に産んでくれたのに、こんな状態でごめんなさい。
私は最低の親不孝者だ。
(……そういえば、幼馴染があの時い、た? ぁああっ)
思い出される事故の瞬間――
吹き飛ばされ、轢かれる幼馴染を思い出し、更に絶望に叩きつけられる。
幼馴染は助からなかっただろう。
高速に走るトラックに跳ね飛ばされ、それよりも早くコンクリートに叩きつけられ、
それだけでも重症の怪我を負う大事故なのに、追い打ちをかけるようにトラックで……。
ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい………。
薄れゆく意識の中、私は絶望と後悔に沈みながら何度も何度も謝った。
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絶望して散々泣いて、一週間が経った。
どうやら私は生まれ変わっていたらしい。
というのも、初めは全く開かなかった目は麻痺の関係ではなく、
産まれた直後だったから瞼が動かなかっただけで、次の目が覚めた時には自然に目が開いた。
体の方も力が弱く動かしづらいが、感覚もあるし普通に動くようになるのも時間の問題だろう。
私の今生での両親らしき男女にも会った。
その時の私はまだ混乱していたので泣いて心配させてしまったが、
次の日にはしっかりと笑い掛けることができた。
しかし両親の話している言葉は理解できなかった。
私は英語と中国語は大学で覚えたのもあり理解ができるが、そのどちらでもないらしい。
こういう時に使えないのなら、何のために二つの言語を憶えたのか……。
そして最後に、私は双子かもしれない。
今も私の隣には興味津々に私の二の腕を触る赤ん坊がいる。
二卵性か一卵性かは知らない。
生まれたれほやほやの見た目をしているから、何となくそう思った。
しかし私と体の動かしづらさは同じはずなのだが、よくやるなこの赤ん坊。
そんなに触りたいなら自分の二の腕でも触ってろっ!
こちらは仕返しに脇の下をこしょこしょしてやった。
……私の精神は赤子とそんなに変わらないのかもしれない。
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一ヶ月の月日が流れた。
この一ヶ月間特に何もできなかったので、ひたすらに言葉を理解することに終始した。
そのおかげで所々言葉は理解できるようになってきたが、
それよりも先に隣の赤ん坊の話をさせて頂きたい。
――なんとこの赤ん坊、生まれ持っての変態だった。
私も隣のコイツも赤ん坊なわけなので、当然食事は母乳を飲むことになる。
だがコイツは、この赤ん坊は、母乳を吸わず、舐めるのだ。
思わず鳥肌が立ってしまうのも仕方がないと思う。
こんな赤ん坊見たことない。というか、母だった身としては、こんなのは居て欲しくない。
私は子供の振りも忘れて思わず二度見をしてしまったが、それほどの衝撃だった。
……兄か弟か知らないけど、将来性犯罪者として名を残さないか心配だ。
他にも色々あるが、考えるとキリがないから止めておこう。
この一ヶ月、言葉を理解することに終始した結果。
両親が話す言葉は随分マイナーな言語だという事が分かった。
まあ地球であったなら、という前提の話だが。
言語に関してそれなりの知識を持っている私から言わせれば、
『メジャーな言語とは別の起源からなる言語』
といったところだろうか。
細かく考えるとそれこそ何日も掛かる。
なのでさらっと頭の中で組み立ててみただけだが、それは分かった。
まあ分かった所でどうしたとなるのがオチなのだが、
この地がメジャーな言語が使われていない程の辺境だと分かればそれでいいだろう。
赤ん坊の頭にも関わらず頭の回転が以前の私と大差ないのに驚きだが、
その代わりすぐ疲れるので今日はもう寝る事にする。
(子供は寝るのが仕事だし……)
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半年の月日が流れた。
昼頃で寝ていたルディの顔を弄って遊びながら、私は何となく両親の会話を聞いていた。
「村の北側に魔物が出たらしいから少し行ってくる」
「強そうなら私も行くわよ?」
「いや、アサルトドッグが出たって話だから大丈夫だ。
仮にターミネートボアが居ても俺と村の農家の奴らで何とかなるしな」
その会話の内容に、私は反射的にルディの頬を強く引っ張った。
「あぅあぁううああああっ」
「あら、サラが急に泣き出したわ? おしめかしら」
「ん? 久し振りだな。サラが泣くのも」
「ルディも全然泣かないけどサラも殆ど泣かないわよね」
そういうのはゼニス・グレイラットとパウロ・グレイラット。
ルディは生後半年とはとても思えない非難の目で見てきたが、私はそれどころではなかった。
魔物、魔術、パウロ・グレイラット、ルーデウス・グレイラット、人神、エリス、シルフィエット……。
一つ繋がったら後は芋ずる式にどんどんと物語が繋がっていく。
幼馴染、34歳、引きこもり、ニート、トラック、転生。
私が昔読んだ小説と、何もかもが一致する。
――もしかしてこの世界、『無職転生』?
私は鈍器で殴られたような衝撃を受けルディの上に倒れ込む。
「――ぐっ」
(……ごめんなさい)
私が昔読んだ小説とこの世界が同じものだとしたら、
ルディは幼馴染で、生まれ変わっていて、
これから波瀾万丈だが、幸せな人生を掴みとっていくのだろう。
(よかった……生まれ変わっててくれて、本当にありがとう)
願わくば、優しくも強い彼に幸せになってほしい。
ただ、それを願うと同時に、これから先に起こる困難について、
私は目を向けなければならなかった。
――多くの読者が魅せられた、美しくも残酷な世界へと。
その後、リーリャが白目をむいているルディと、
ルディの上に乗っかって泣いている私を見つけるのは別の話。