赤茶けた岩と砂が拡がる荒野に、血のような色をした太陽がその身を地平線に横たわらせている。
地の果てで一際大きく膨らんだ太陽を背に、長い影を荒野に伸ばして、ルカが蹄の音を鳴らしながら馬を駆っていた。
乾いた一陣の風が吹き抜け、砂埃と共に一塊のダンブルウィードがどこからともなく転がってきて、どこへともなく去って行く。
ルカは一本の枯れ木の前で馬を停めた。
地面に降り立ち、手綱をその枯れ木の枝に引っかける。
その枯れ木から僅かばかり進んだ先に、一軒の小屋が立っていた。
廃屋だった。
土台が腐っているのか、家屋全体が傾き、そのひずみによって板壁を打ちつけていた釘も所々が外れ、あちらこちらに隙間が出来ている。
家屋の中央にある出入り口の扉も蝶番が一部外れてしまっていて、枠から半ば外れた形でかろうじて繋がっているだけであった。
赤い太陽を背に立つルカの影が、外れかけた扉の上に伸びている。
再び風が吹き、砂埃と共に扉を押した。
木と木が擦れ合い、悲鳴のような音を立てて、扉が奥へと開かれていく。
それに合わせ、ルカの影も家の奥へと伸びて行った。
太陽の赤い陽と、人影の黒が差しこんだその家の奥に、赤く錆びた鉄製の扉が浮かび上がっていた。
「……二枚目の扉」
その名を呟き、ルカはごくりと息を呑んだ。
まだ家の中に足を踏み入れてもおらず、外から眺めているだけなのにもかかわらず、感じ取ることが出来るこの圧倒的な存在感。
その姿は四角四面という言葉を如実に表したかのような長方形。
その大きさは高さ161.8cm、幅100cm。一般的な扉に比べると背が低く、横に長い妙な中途半端な大きさだが、しかしこの縦横の比率こそ黄金比とも呼ばれる世界で最も美しい形であった。
その扉の表面には無骨な鋲等が屈強な兵士が隊列を組んだ如く整然と並び、強靭な防御力を知らしめている。
表面に余すところなく浮かび上がった赤さびは、まるで幾多の古傷をその身体に刻みつけた歴戦の古兵の風格を漂わせていた。
しかし、一見、隙がない様に見えて、しかしあからさまに弱点と思われる個所が一か所だけあった。
それは右手側にあるドアノブと、その下の鍵穴。すなわち施錠機構だった。
施錠機構は複雑な構造を内包する分、どうしても耐久力は低くなる。
古人曰く“先ずは鍵穴から攻むるべし”。
これは扉を開ける際の鉄則とも言って良い。
だが、この鉄則もこの扉が相手では通用しないと言う事を、ルカは知っていた。
この扉にとって施錠機構など只の見せかけ。
こちらを誘うためにワザと見せている隙に過ぎないのだということを、ルカはこれまでの経験で思い知らされていた。
開かない二枚目の扉。
ルカはテンガロンハットを脱ぎ、額に浮いていた汗をぬぐうと、自分を叱咤するように短く息を吐き、家屋の中へと足を進めた。
(っ!?)
もはや扉としての体を為していない一枚目の扉を潜り抜け、屋内に足を踏み入れた瞬間、ルカは内部に他人の気配を感じ取った。
向かって左側の片隅に、誰かが息を殺して潜んでいる。
ルカは反射的に腰を落とし、右手をホルスターに伸ばしながら、その方向を見た。
「……ちょっと、驚かさないでよ」
「拙者、別に何もしておらぬ」
そこに潜んでいたのは、ルカもよく知る合鍵侍だった。
がくぽは片隅で座禅を組んで瞑想にふけっていた。
「いつからそんな事やっていたの?」
「昨晩からにござる」
「酒場で別れてからその足でここにきて、一晩中、座禅を組んでたってわけ? よくやるわね。……で、何か得るものはあったのかしら?」
「世の理を為すは陰陽合一。輝かんと欲すれば先ずは闇にすべし。すなわち、押さんと欲すれば先ずは引き、引かんと欲すれば押すべし。攻めんと欲すれば先ずは守り、守らんと欲すれば攻めるべし。而して、もし開かんと欲すれば先ずは閉めるべし。しかし、閉めんと欲して開かぬは物の道理なり――」
「日本語でおk」
「――どうやっても、あきまへん」
何で関西弁?
ルカは首を捻って、すぐに(ああ、そういうことか)と気がついた。
どうやっても開かないと、どうやっても無理を合わせた駄洒落だ。
一晩座禅を組んで思いついたのが結局これとはアホかこいつは。
「で、ミクは?」
「拙者と共に禅行をしておったが、つい先ほど何か感得したらしく、外へ出て行った。…家の裏辺りに居るのではないか」
「裏?」
そのとき、外から朝の訪れを告げる鳥の鳴き声が聞こえて来た。
――ぽっぽっぽ~
「なんでハト?」
――ぽっぽぽっぽぽぽっぴっぽー♪ ぽっぽぽっぽぽぽっぴっぽー♪
「って、ミクなの?」
「うむ」
がくぽが座禅を組んだまま頷いた。
――や~さ~い~じゅ~うすが~す~きに~なぁる~♪
「あの子、なにやってるの?」
「発声練習と申しておった」
「だから何で?」
「さぁ」
二人して首を捻ったところに、緑のツインテール忍者が外れかけた一枚目の扉を蹴り飛ばす勢いで駆けこんできた。
「いよぉぉっし、準備よし! いよいよ私が二枚目の扉をあけちゃいますよ!」
「どうやって?」
さっきから?マークついた台詞しか言ってないなぁ、と思いつつ訊いたルカの問いに、ミクは答えた。
「ヒントはおばあちゃんの知恵袋から頂きました!」
「はぁ?」
「押しても引いても滑らせても持ち上げても宥めても脅しても賺してもくすぐってもお金積んでもダメなら、残る手段はただ一つ!」
「お金まで積んだの?」
「積もうと思ったけどお金無いんで止めました。だから残る手段はやっぱりただ一つ! それは……声です!」
「声?」
さっきからこの子、!マークつけた台詞ばかりだなぁと思いつつ訊いたルカの問いに、ミクは起伏の乏しい胸を張って頷いた。
「そう、呪文ですよ。決して開かない扉を開く為の魔法の言葉があるって、昔、おばあちゃんが読んでくれた絵本に載っていました!」
ミク、それ知恵袋ちゃう、ただの昔話や。
そうツッコもうかと思ったけれど、ミクがあまりにも自信満々なのと、どうせ手づまりなのだし、やるだけ損は無いと思い、ルカは黙って見守ることにした。
ミクは二枚目の扉を前に、背筋を伸ばし、静かに息を吸い込んだ。
そして、
「――ひらけぇ、ごまぁ!」
扉は開かなかった。
「――お~ぷぅ~ん、せさみぃ!」
扉は開かなかった。
「ひらけぇ、せさみ! ……お~ぷぅ~ん、ごまぁ!」
扉は開かなかった。
「……やっぱりダメかぁ」
「………」
ようやく台詞から!が取れたミクを尻目に、ルカは小さく溜息をついた。
分かっていたものの、こんな手段にちょっとでも期待していた自分が馬鹿だった。
損は無いと思っていたけれど、少なくとも時間とSAN値は無駄にしたかもしれない。
「本当に開かないなぁ」
「もう面倒くさいからぶっ壊さない?」
半ば苛々しながらそう言ったら、がくぽが相変わらず座禅組んだまま口を挟んできた。
「それはならぬ。扉とは開けるものであって、壊すものにあらず。世の道理に背いてこじ開けるは外道というもの」
「はいはい…でももう手は残って無いのよ。思いついた方法は全て試したし、調べられるものは全て調べつくした」
そう、この三人で手だてを尽くしても開かなかったので、止む無く彼女達は某掲示板に知恵を募ったのだ。
ちなみに返って来た答えは「ググれカス」だった。
それでちょっと泣きそうになりながら某先生に訊ねてみたら「ヤフーでググれカス」と言われて涙目になった。
それで涙をこらえながら某知恵袋にすがってみたら「カンニング乙」と突き放されてついに泣きだした。
それで優しいおばあちゃんの知恵袋に泣きついたら「ゴマれカス」と言われてこうなった。
万策尽きた。
「古人曰く、剣に三つの道これあり……」
そう思っていたら、がくぽが低い声で唄うような調子で、何事か呟きだした。
「また変なこと言いだしたわね」と、ルカ。
「とりあえず聞くだけ聞いてみません?」と、ミク。
「……ひとつめは剣を持ちて剣に立ち向かうもの。力を極め、速さを極め、技を究め、いざ立ち合わば必勝不敗。なれど剣の道では、これ最も未熟の道なり」
「ふぅん。で、次は?」
「……ふたつめは剣を持たずして剣に立ち向かうもの。己の不利を知り、己の弱さを知り、己の未熟さを知り、それを乗り越えんとする。剣の道とは生涯これ修行なり」
「ご立派な態度だけど、それじゃ結果が出せないじゃない」
「三つ目に期待します」
「……みっつめは剣を持たずまた相手にも剣を持たさぬもの。相手の強さを知り、相手の弱さを知り、相手の心を知り、戦わずして勝つ。剣の道の目指すところすなわちこれなり」
「で、どうやって勝つの? 具体案は?」
「ルカさん、身も蓋も無いですよ。でも確かに漠然としすぎてるからよく分かんないんですけど」
「…戦いを起こさぬこと、これすなわち武道ならぬ政道にござる。事を荒立てずに物ごとを治めるは一重に政の力」
「扉を開けて下さいって、役所に申請でも出そうっての?」
「担当窓口ってどこになるんですかね?」
「施設利用か建築物改装に当たるのならば建築局になるはず……妹がこの春から役所に勤めているので、ちょっと訊いてみるでござる」
「あ、グミちゃん採用されたんだ?」
「おめでと~」
「これでも我が家は直参の代々奉行所勤めにござる。まぁ、親のコネにござるよ。…では、ひとっ走り役所へ参らん」
がくぽはそう言うと座禅を解き、外れかけた一枚目の扉を蹴りとばして、家の外へと駆けだして行った。
荒野にはとっくに太陽が昇り切り、青々とした空の下、乾いた風が砂塵とダンブルウィードを転がし、がくぽとともにいずこかへと去って行った。
「じゃ、私たちは酒場で待ってましょうか」
「は~い」
ルカとミクも家屋を出ていく。
その後ろで、一枚目の扉が風に押されて、ついに力尽きばったりと倒れた。