東から昇った太陽が天頂を半周して西に沈み、そしてまた東から昇って西へと沈んでいく。
これをさらに二回繰り返して、今夜も夜の帳が荒野に降りる。
夜空に煌めく満天の星星の下、今夜も酒場にランタンの灯りがともり、そこのカウンターにいつもの合鍵三人組が座ってうなだれていた。
「この世の中で、書類を書き間違えるやつは、だいたい三つに分けられる」
マスターがカウンターに三つの皿を置きながら言った。
「ひとつめは印鑑を押す場所を間違えるやつ。氏名に掛け印しなくちゃいけないのに離して押してしまったり、職員が押すべき欄に自分の印を押しちゃったり。これは役所も突き返すしかない」
一つ目の皿に焼きナスが置かれ、その片隅に辛子味噌が添えられた。
それはうなだれるがくぽの前に置かれた。
「ふたつめは誤字脱字をしてしまうやつ。訂正印で済む話なのに、字が似ているからと無理やり書き直したり、自棄になってぐちゃぐちゃに塗りつぶしたり。これも当然役所は突き返す」
二つ目の皿に焼きネギが置かれ、その隣りに醤油皿が置かれた。
それはうなだれるミクの目の前に置かれた。
「三つ目は……虚偽の情報を書き込むやつ。これだけはやっちゃいけない。住所とか氏名とか年齢とか年齢とか年齢とか。免許証のコピーも一緒に提出してるんだからバレない筈がない」
三つ目の皿にホットドッグが乗せられ、その上にケチャップがかけられた。
それはうなだれるルカの目の前に置かれ――
「――誰がサバよんだって言うのよ!? こっちの二人と違って私の書類は完ぺきだったはずよっ!?」
「いや、流石に年齢欄に伏せ字しちゃあダメであろう?」と、がくぽ。
「伏せ字? そんな真似するわけ無いじゃない」
「だって、ほら、ルカさんの分の書類」
と、ミクがカウンター上の申請書類を指差した。
≪氏名 巡音ルカ 年齢 2〇歳≫
「二十ウン歳って……ねぇ」
「20歳でしょうが! なによその“ウン歳”って! 零がちょっと大きかっただけじゃないの!」
「ええっ!? ルカさんて20歳だったんですか!? わ、私てっきり……」
「ちょっと……てっきり、なんですって? あんた、私のこと幾つと思ってたのよ?」
「え、昭和世代じゃないんですか?」
「昭和は1989年1月7日まで。私は1月30日生まれでギリ平成よ!」
「ルカ殿、ミク殿、今はもう201〇年、初音〇ク発売から1〇周年にござる……それ以上言うと双方にいろいろと問題が」
「誰が30歳よ!? ケチャップぶっかけるわよ!」
「誰が26歳ですか!? ネギをぶっさしますよ!」
「そんなこと一言も申しておらぬ!?」
がくぽが思いのほか素早く逃げたので、主な被害はマスターに降りかかった。
「ぎゃぁぁ! 一張羅のエプロンがぁぁっ!!??」
完全に八つ当たりだったが、後に二人はこう語る。
むしゃくしゃしてやった。誰でも良かった。でも後悔してない。
「まぁどっちにしろ、申請書類は三人分必要なんだろう? 誰か一人でも間違えていたら結局やり直しじゃないか」
涙目になりながらエプロンのケチャップをふき取るマスターの言葉に、三人はまたカウンターにうなだれた。
「役所に書類だして突き返されるまでに、三日間もかかってるのよ。これじゃ再提出したところで扉が開くまで何日かかるってのよ」
「なんといってもお役所仕事ですもんねぇ。…がくぽさぁん、グミちゃんにお願いして手っ取り早くやってもらえないんですか?」
「入所してすぐの新米に期待するだけ無駄でござる。古人曰く、千里の道も一歩から。この焼きナス食べ終えたら、また申請書を取りに行ってくるでござる」
がくぽが焼きナスを箸でつつくと、他の二人もそれにならって目の前の料理を箸でつつきだした。
だが料理が減る訳でもなく、増えるのは溜息ばかり。
酒場に沈痛な雰囲気が降りたとき、マスターがエプロンのシミ抜きの手を止めて、ふと呟いた。
「そういえば風の噂に聞いたことがある。二枚目の扉を開ける、最後の手段……」
その言葉に、カウンターでうつむいていた三人はがばっと顔を上げた。
マスターはおごそかな口調で語りだした。
「報酬さえ積めば、あらゆる任務をも成し遂げる超一流のプロフェッショナル、不吉な数字を冠する超A級のスナイパー、狙われたらアメリカ大統領でも助からない、モンスター、死神、赤い魔神、赤い勇者、赤い酒豪……数々の二つ名を持ち、あらゆる界隈でナンバー1と唄われているその人物を人はこう呼ぶ。…“G”と」
マスターの言葉に、期待感に満ちていた三人の表情が、みるみると曇って行った。
その反応に、マスターは驚く。
「三人とも、どうしたんだ? 何か拙いことを言ってしまったか?」
「…いや、そんなことはござらん。マスターの言う通り、あの“G”に頼めば、あるいは不可能を可能にすることもできるやもしれぬ……しかし」
「あの“G”が私たちの依頼を大人しく聞いてくれるでしょうか? ……それに、なにより」
「あの“G”に頼るって事は、私達の敗北を認めるも同然なのよ。そんなのはっ……」
ルカが忌々しそうに呟いた。
三人のただならぬ様子に、マスターは思わず訊いた。
「お前達、あの“G”と何か因縁があるのか?」
三人は一瞬、それぞれ視線を交わし、そして意を決したように深いため息をつくと、静かに語りだした。
「この世の中には、三つの合鍵がござる。ひとつめは、侍と呼ばれるもの。上で支配する者が居て、下で蠢く者がいる世の中で、その間に立ちてただ舞を続ける者。しかしいつかは天下への野望を胸に秘め、今日も明日への扉を開くべく修行に励む者。すなわち拙者の事にござる」
「ふたつ目は、忍者と呼ばれる者。闇に溶け込み、百八つの忍術を駆使するも、上に立つ者の天下取りのためにこき使われる者。里に残した扶養家族を養うため、今日も安月給で扉に挑み続けるお人好し。つまり、私のことです」
「みっつめは、ガンマンと呼ばれる者。上に誰が立とうとも、己の腕と愛馬だけを頼りに、荒野をさすらい続ける一匹オオカミ。支配しようとする者には徹底して抵抗して、今日も自由への扉を探し続ける無頼漢。……でも、それは私のことじゃない」
「何だって?」
驚くマスターを尻目に、ルカは自虐的な笑みを浮かべながら、続けた。
「私はガンマンになろうとして、未だになりきれない半端ものよ。上に立つ者からの支配に抗い切れずに逃げ出した臆病者。ガンマンなんて名乗ってはいるけど、私の心は未だにあの人に縛られたままだわ」
「そんなこと言ったら、私なんかあの人に現在進行形でこき使われてるんですよ」
「拙者にとっても、あの方は越えられぬ壁にござる」
「まさか、お前達の言う“上に立つ者”とは……」
「“G”……不吉なる数字を冠した、ナンバー1と呼ばれる存在」
「すごい安月給でこき使われるんですけど、良い仕事すると時々トンコツラーメンを替え玉付きで奢ってくれます。でもニンニクマシマシは正直勘弁」
「宇宙は私のためにあると豪語するほどの傲岸不遜。而して、一言でまとめるならすなわち“ゲイシャ is ナンバー1”」
「え……芸者? 13の数字を冠したデュークさんじゃ無く?」
「何言ってんのよ。“G”といったらGEISHAの“G”に決まってるじゃない」
「では、不吉な数字と言うのは?」
「あの方、今年で厄年なんですよ。…って言わせないでくださいよ、恐ろしい」
「あの方の厄は主に周囲に対する厄でござるからなぁ」
「どうやら想像以上に恐ろしい人物のようだな。……では、やはり依頼は止めておくか?」
「………」
「………」
「………」
マスターの言葉に三人はもういちど視線を交わし、そして、そろって溜息をついた。