その夜、夢を見た。
過去にあった出来事の夢だった。
三年前、僕が乗っていた艦に海外派遣の命令が下された時の夢だった。
出港前日。
――ねぇ、どこに行くの?
アフリカ、と答えたら、「遠いね」と言って、めーちゃんは笑った。
――何しに行くの?
海賊から民間の船を守るんだよ。
――海賊? 本当に?
うん、よく襲われる海域があるんだ。日本の船もよく襲われるんだよ。
――危ないのね?
まぁ、軍艦はさすがに襲われないらしいけどね。
――でも、他の船が襲われていたら、助けに行くんでしょう?
当然だよ。そのために行くんだから。
――いつ、帰ってくるの?
たぶん、半年後。
――長いね。でも、たぶんって?
万が一、帰ってこられない可能性もあるから・・・なんて言えなかったから、僕はあいまいに笑った。
――携帯は、やっぱり無理?
うん、と僕はうなずく。
――手紙は?
それは大丈夫。
――じゃあ、待ってるわね。
うん…と僕はうなずいて、それから、彼女の顔を見た。
めーちゃんは、笑っていたけど、その瞳の奥に、ちょっとだけ泣いているような、そんな色が見えた気がした。
待たなくてもいいよ。僕はそう言った。
――え?
いつまでも待つのは辛いから、辛くなったら、いつだって待つのを止めていいよ。
僕のこと、忘れてもいいんだよ。
そう言ったら、めーちゃんは本当に泣きそうな表情になって、泣き出しそうになって……
……思い切り平手打ちを食らった。
――バカ、バカイト。私を見くびるんじゃないわよ。待つわよ、いつまでだって待つわよ。だから…ちゃんと帰ってきてよ!
打たれた頬がじんじんと痺れ、熱を持っていた。
その熱さの中に、彼女の手のぬくもりも混じっているような気がした。
――――――――――――――――――――
例えば昨日、あの人が死んで
今日の君に何を与える?
それが答えなのかもしれない
それが人間なのかもしれない
例え君が泣いても世界は変わらない
例え自我を殺しても僕は変われない
感情の性感帯を切り裂いて
その時に忘却心中しましょう
あの事件ももう忘れた人の方が多い
幼い頃学んだ常識は壊されて
明日が死んでも何人の人が気付くだろう
それは知らない方が幸せなのかも…
ありがとう。ありがとう。
わたしの血の温もりと…
覚えてます。憶えてます。
あなたの手の温もりを…
――――――――――――――――――――
めまぐるしく怒涛のように過ぎていく毎日の果てに、ようやく金曜日を迎えた。
週末は学校は休みとなる。
当直に当たっていない限り、僕たちには日曜の夜まで外出が許可される。
と、いうか、学校を追い出される。
僕たちは半ば強制的に外出許可を得るために、きっちり整備された制服を用意して、それを一部の隙なく着こなし、それで学校の外に出なくてはならない。
そのために、僕たちは恐ろしく厳しい点検を受けることを余儀なくされる。
この点検に合格しなければ外出できないし、点検が厳しいからと言って、外出を諦めることだって許されない。
合格するまで、たとえ夜中を回ろうとも、何度も何度も点検を受け続けなくてはならない。
金曜の夕方、1800(午後6時)に始まった点検を僕がクリアできたのは、すでに2100(午後九時)を回った頃だった。
暗い夜道、制服姿の僕は、学校周辺の町に借りた下宿へと歩く。
歩いて10分の場所にある下宿に着くと、隣家に住む大家さんが出迎えてくれた。
「ただいま、大家さん」
「お帰り、お疲れさんやったねぇ」
齢90近いお婆さんだ。
親の代からこの辺にずっと下宿を構えてきて、海軍兵学校の時代から、僕たちのような候補生を見守ってきたらしい。
この江田島という町は、そういう人たちがたくさん居る。
下宿の部屋に帰り、制服を脱ぐと、今までずっと張りつめていた緊張感がようやく解けた。
僕は携帯を取り出す。メールが一件、数日前に届いていた。
『外出できたら電話よこしなさいよ。夜中でもいいからさ』
僕はアドレス帳の最初に記録してある電話番号を呼び出す。
コール三回、すぐに彼女の声が聞こえてきた。
≪おつかれ、カイト。おかえり≫
「うん。ただいま、めーちゃん」
≪思ったより早かったのね。もっと遅くなるものだと思ってたわ≫
「そうなりかけたよ。でも、先に合格したがくぽやキヨテルが手伝ってくれたからね。三度目の点検で合格できたんだ」
≪この時間まで付き合ってくれたんだ? いい友達ね≫
「うん、いい仲間たちだよ。そっちはどう? リンちゃんとか元気してる?」
≪相変わらず、西の若旦那に夢中よ。この間なんか、学校帰りにわざわざ向こうまで押しかけに行ったんだもの。連れて帰るのが大変だったわ≫
「めーちゃんも大変だね」
≪レンの若旦那もね。あ、そうそう、がくぽはどうしてるの? ルカが不安がってたわよ、全然連絡が来ないって≫
「がくぽも、もう下宿に着いた頃だよ。今頃、同じように電話かけているんじゃないかな。学校にいる間は携帯いじっている余裕なんかないから仕方ないよ」
≪大変そうね。毎日しごかれてる?≫
「まぁね。おかげで体重が4㎏減ったよ。どんなダイエットよりも効果あるんじゃないかな」
≪結果だけ聞けば羨ましいけど、遠慮しておくわ≫
「めーちゃんなら大丈夫な気もするけどね。あ、そうそう、ここの学校、部活動もあるんだよ。体育会系と文化系の両方に在籍して、週に一回、交互に活動するんだ。茶道部もあるよ」
≪え、本当? いいわね、それ。で、茶道部にするの?≫
「そのつもりだったけど、申込み記入欄の段をいっこ間違えて記入しちゃって、書道部になっちゃった」
≪バカイト≫
「ちなみに体育会系は剣道部だよ。かっこいいでしょ」
≪見た目で選んでどうするのよ。段位持ってないじゃない≫
「がくぽに教わるよ。彼に誘われたんだ。だから何とかなるよ」
≪はいはい≫
めーちゃんはあきれたように笑った。
こうやって彼女の声を聴いていると、身体の疲れも、心の疲れも解けていくような気がする。
また一週間、がんばれそうな気がする。
「ねぇ、めーちゃん。久しぶりに君の歌が聴きたいな」
≪え? 電話で歌えっていうの?≫
「うん」
≪なんか、恥ずかしいわよ、それ≫
「大丈夫、僕しか聴いてないから」
≪そっちは一人でしょうけど、こっちにはリンとかミクとかも居るのよ。……ちょっと、待ってなさい≫
電話越しに物音が聞こえる。たぶん、場所を移動したんだ。
≪いいわよ。で、何がいいの?≫
「そうだね……」
少し考えて、その歌のタイトルを言うと、彼女はちょっと驚いたようだった。
≪その歌がいいの?≫
「うん、なんだか最近、すごく聴きたくなったんだ」
≪そう。なら、いいけど≫
電話の向こうで、彼女は少し声を潜めて、ゆっくりと歌いだす。
本当はもっとアップテンポで、キーの高いロックな曲調なんだけど、電話越しのアカペラということもあって、スローテンポの、落ち着いた声になっていた。
月曜日の朝。
制服姿で整列する僕たちの視線の先、ラッパの音色とともに掲揚台に国旗が掲げられていく。
僕たちは国旗に敬礼をささげる。
このとき、僕は、自分がこの国を支える人間の一人なんだという気分になって、少しだけ誇らしい気持ちになる。
まぁ、この後の教務や指導で、自分がまだまだ半人前以下なんだということを思い知らされるわけだけれども。
でも、いつかは胸を張ってそう言えるようになりたくて、そして僕たちは今日も忙しい一日に飛び込んでいく。
江田島の空は、今日も気持ちよく晴れて、白い雲がのんびりと漂っていた。
――了――
ありがとう。
ありがとう。
わたしの血の温もりと…
覚えてます。
憶えてます。
あなたの手の温もりを…