泣いて、
泣いて、
泣き叫んで、
声も枯れ果てるまで泣き続けた。
――泣きたい時には、泣けばいいよ」
かつて、あの人はそう言った。
――泣くだけ泣いたら、ちゃんと笑えるようになるからね」
うそだ。
どれだけ泣いたって、泣き足りない。
涙と声が溢れるたびに、心の中の大切な部分が崩れて、ぼろぼろになって、形を失って、まるで深い穴に落ち込んでいくようだ。
際限なく深く沈み込んでいくブラックホール。
そこからは何も湧き出てこない。
笑顔なんて湧いてこない。
私の泣き声は誰にも受け取られないまま空に消え、私の涙は大地を潤すことなく染み込んで消えた。
エネルギー残量が危険値を示し、私は強制的に省エネルギーモードに移行させられ、その心は倦怠感に包まれた。
思考能力も精神活動も低下し、涙も、声も出せなくなる。
この耐え難い孤独の世界で、いっそエネルギーが尽き果てるまで泣き叫んでいたいのに、私の身体はそれを許してはくれない。
あの人のいないこの世界で、ひとりぼっち永遠に生き続けることを強制する。
そんな私に残されているのは、希望という名の、孤悲する苦しみでしかないというのに。
省エネモードのおかげで、しばらくは何も考えずに済んでいたというのに、太陽は相変わらず私の都合なんかお構いなしに天頂から陽光を投げかけ、私の長い緑の髪はせっせとエネルギーを補充し続ける。
おかげで捨て去りかけていた心が、また熱を帯び始めた。
――僕は、君に残酷なことをしてしまったのかもしれない」
かつて、あの人はそう言った。
――君は喜ぶことを知った。楽しむことを知った。けれど、悲しむということも知ってしまった」
それでも良いわ、と私はあの人に言った。
それが心というものでしょう、と理解したつもりでいた。
――喜びの裏には悲しみがある。楽しさの裏には苦しみがある。幸せの裏には不幸がある。いつか君は、本当の悲しみ、苦しみ、不幸を知るだろう」
今なら、あの人の言った言葉の意味が理解できる。
今、まさにそれを知った。
でも、あの人は間違っていた。
悲しみも、苦しみも、不幸も、その裏には何もなかった。
ただ最後に残されたものでしかなかった。
それさえも失って、得るものが無でしかないというのなら、心なんて最初から持たない方が良かった。
そうだ、もう心なんて捨ててしまおう。
そうすれば、もう苦しむこともない。
私は崩れた心を抱えたまま、のろのろと上体を起こした。
傍らの植木鉢を両手で持ち上げ、頭上へと掲げ上げる。
こんなものがあるから、こんな希望があるから……
心が、いつまでも捨てられない!
植木鉢を地面に叩き落とそうとした、そのとき――
「ゆーがっとめぇぇる」
「っ!?」
百年ぶりに聞いた、私以外から発せられた意味のある言葉に、私は動きを止めた。
「ゆーがっとめぇぇる」
「……え?」
確かに聞こえた、その言葉。
私は恐る恐るその方向を見た。
そこにあったのは、あのポスト。
その表面に取り付けられたランプが点灯していて、内臓されたスピーカーが言葉を発した。
「ゆーがっとめぇぇる」
まるでアカンベーをするように、そのフタの隙間から便箋の端っこが姿を現していた。
「え……あ…うそ……うそ……」
私は植木鉢を脇に置き、ポストに駆け寄った。
うそ、
うそ、
信じられない。
百年ぶりの手紙だった。
一体どこから、そして誰が届けたというのか。
夢じゃないだろうか。そうに決まってる。
壊れかけた私の心が見せた幻に決まっていた。
けれど、震える手でポストから引っ張り出したその便箋は、確かに私の手のうちに存在していた。
しかも、その送り主の名は――
「博士…?」
あの人だった。
確かにあの人の字で、あの人の名が記されていた。
「何で……何で……」
何でいまさら、あの人から手紙が届くのか。
訳が分からないまま、私は便箋の封を切った。
中には、一通の手紙が入っていた。
《親愛なるミクへ――》
最初の一文を読んだだけで、私はまた泣き出しそうになった。
あの人の文字で、私の名が綴られている。
その事実だけで胸が締め付けられる。
滲んだ視界を指で拭いながら、私は必死に続きを読み始めた。
《突然こんな手紙をもらって、君は驚いていることだろう。どうやらこの手紙を届けたポストは、一種のタイムマシンになっているようだ》
なんですって?
タイムマシン?
《このポストは、内部に収めた物体を未来の時空に送り込むことができるようだ。何度も実験したけれど、常に未来にばかり物が出現したから、多分、そうなんだろう》
多分って、いい加減な。
そもそも、どうしてそんなことになっているのやら。
《おそらく、このまえ作ったタイムマシンの部品が余っていたんで、冗談半分にポストに組み込んだのが原因だろうね》
タイムマシンか。
そういえば昔、そう名づけたガラクタを作っていたのを見た覚えがある。
《肝心のタイムマシンは失敗したけれど、どうやらポストの方にその効果が現れたようだ。さすが僕だ。転んでもタダでは起きない》
いやいやいや。
それ間違いなく余らせちゃいけない部品を余らせてます。
どう考えても一番重要な部分をポストに組み込んじゃってます。
自画自賛するポイントが明らかにズレてますよ、博士っ!
《まぁ、結果オーライというやつだ。おかげでこうして、未来の君に手紙を送ることができるんだから。単に手紙を保管するんじゃなく、いま、この瞬間に君がこの手紙を読んでくれていると思うと、なんだかとても嬉しい》
いま、この瞬間という一文を読んだとき、私の胸は震えた。
そうだ、この手紙は過去の遺物なんかじゃ無いんだ。
時空を超えて、いま、あの人から私に渡された手紙なんだ。
《この手紙がどれだけ先の未来に届くか、実は僕にもよく分からないんだ。なにせ偶然の産物みたいなものだし。君もよく分かっていると思うけど、僕は天才だからね、全部インスピレーションとフィーリングで作るから同じものは二つと作れないんだ。科学者というより、芸術家なんだな、僕は》
って言うより、天才と紙一重のなんとやらの方に近かった気もするけれど。
《いま、バカだと思っただろう》
なぜ分かった!?
手紙で人の反応を読まないで欲しい。
《僕は君のことなら何でもお見通しなんだよ。だって、僕たちはずっと一緒にいたんだからね。でも、僕がいない時の君はどうなんだろう? 未来の君は、毎日をどんなふうに過ごしている?》
「…………」
《植木鉢の芽は出たかい?》
「…………」
私の胸の奥に、また微かな痛みが走った。
ひび割れた心から、また何かが溢れ出しそうになる。
《芽が出たなら、きっと毎日、新しい発見があるだろうね。きっとそれは楽しい毎日だろう》
新しい発見なんか、なかった。
毎日、何も変わらない。
《芽が出たなら、大地にもきっと緑が戻っているだろう。きっと、草原を渡る風が心地良いだろうね》
大地は、赤茶けてひび割れたまま、乾いた風がホコリを撒き散らすだけだ。
《動物も戻ってきただろうね。きっと、君の周りもにぎやかになっているだろう》
動くものは、風に転がる小石だけ。
私の周りには誰もいない。
誰も一緒に笑ってくれない。
泣いてくれる者もいない。
私の泣き叫ぶ声を聞いてくれる者さえいない。
私は、独りだ。
人恋しさに孤独に悲しく泣く、ひとりぼっちのアンドロイドだ。
「博士……はかせぇ……」
植木鉢の芽、今日も出てこなかったよ。
《でも、もしも、植木鉢の芽がまだ出てこないというなら――》
「――えっ?」
《――とりあえず次のことを試してみて欲しい》
「博士っ!?」
私は手紙を握り締め、慌てて植木鉢のそばに駆け寄った。
そのそばに屈み込みながら、震える手で手紙を開き直し、その続きに目を通した。
《まずは植木鉢の土の中心から、半径10センチほどの円を描いて欲しい》
私は手紙に書かれているとおり、植木鉢の土の中心から正確に半径10センチの円を指で描いた。
《次に、その円周に沿うように、両手の指でその土をすくってくれ》
私は書かれたとおり、慎重に、正確に、円状に土をすくおうと試みる。
でも、深さはどれくらいが良いんだろう?
《深さは、そうだなぁ、とりあえず5センチぐらいで》
了解です、博士!
私は正確に5センチの深さで円状に土をすくう。
両手いっぱいに、ヒンヤリと湿った黒い土が盛られた。
《手に土をすくったら、その土をほぐしながら、もういちど植木鉢に戻すんだ》
私は両手で土を包み、指の隙間から土を振るうように植木鉢に落としていく。
《少しずつ、少しずつだ》
少しずつ、少しずつ。
手の指の隙間から、土が粉末となってサラサラと溢れていく。
私の手の中から、土が少なくなっていく。
《そうやって、全部土を払い終えたとき――》
払い終えた。
私の手の中には何もない。
土も、何も――
――…え?
《種もなにも残っていなかったら、それはつまり、僕が種を植え忘れていたってことだ》
なんですと?
私はもう一度、その一文を読み返す。
《僕が種を植え忘れていたってことだ》
ああ、なるほど。どうりで…………
「ちょっと待てぇぇぇぇッ!!!??」
じゃぁ何か?
私は百年間も空っぽの植木鉢に水をやり続けてきたのか!?
《まぁ、まさか僕に限ってそんなことはないと思うけどね。ちょっと気にかかっていたから、とりあえず書いておいた》
そのまさかだよ。
あんたに限ってそんなことありまくりだよ。
って言うか、気にかかっていたなら手紙に書くんじゃなくて、その時点で調べておいてよ!?
《それともう一つ、昨日、白衣を洗濯した時にポケットからもうひとつ種が出てきたんで、念の入れついでに予備として同封しておいた。もし植木鉢の種に何らかのトラブルがあったときは、こっちを試してみて欲しい》
「おいおいおいおいおい」
白衣から出てきた種って、どう考えてもそっちが植え忘れた種でしょうが。
タイムマシンといい、植木鉢といい、どうしてあの人は一番重要な部分で抜けた真似をしでかすんだろうか。
実はわざとやっているのか?
そのあたり色々と問い詰めてやりたいけれど、残念ながらあの人はもう過去の人で、手紙ももう、残すは最後の一文だけになっていた。
《ミク、とりあえず今日はこれぐらいにしておくよ》
まるでチンピラの捨て台詞みたいだ。
《また手紙を書くよ。何枚も、何枚も、君が寂しくないように。君が泣いてしまわないように。でも、できれば君がこんな手紙なんか必要としないくらい、楽しく、笑って暮らしていることを祈るよ。――それじゃあ、またね》
「…………博士」
私はいちど手紙から目を離し、空を見上げた。
視界が滲んで、雲が見えなかった。
私は滲んだ視界を指で拭って、そしてもう一度、手紙を最初からゆっくりと読み直した。
その途中で何度も、指で目元を拭わなければならなかった。
書いてある内容はひどいものだったけれど、それでも、私にはまだこの手紙が必要らしかった。
便箋を逆さに降ると、その奥から確かに一粒の種が、ポロリと転がり出てきた。
私はそれを植木鉢の土に埋めた。
一度、私の手で揉みほぐされた土は、空気を含んで柔らかく、種を優しく包み込んだ。
私はもう一度、植木鉢に水をやり、日当たりの良い場所に置き直した。
そして私も、そのそばに腰を下ろした。
それから私は、日が暮れるまで、何度も、何度も、過去から届いた手紙を読み直し続けた。