その夜、また電気羊の夢を見た。
私は電気羊に、いつものネギの他に、カッパからもらったタニシを食べさせた。
――美味しいね。懐かしい味だ。
電気羊はニッコリと笑った。
ま、そうでなくても羊の目はいつも笑っているようなものだけれど。
――幸せかい?
うん。
――よかった。
電気羊が「めぇぇ」と鳴いて、私は目を覚ました。
家の外に出てポストを確認したけれど、手紙は来ていなかった。
てっきり例の「ゆーがっとめぇぇる」で起こされたのだと思ったけれど、違ったようだ。
時刻はまだ夜明け前で、空も東の方がやっと青くなり始めたくらいだ。
早朝の凪の時間。
ネギ畑をゆらす風もなく、しんと静まり返った薄闇の中で、私は空っぽのポストを見つめ続けていた。
――幸せかい?
夢で聞いた電気羊の言葉を思い返す。
「私はいま、幸せだよ。笑っているよ……博士」
ポストに向かってつぶやいてみる。
けれど、この声も過去には届かない。
あの人には、届かない。
その事実を実感して、私は久しぶりに、寂しくなった。
「こんな朝っぱらから、何してやがるんですか?」
家の中からたこルカが這い出してきて、ポストを見つめていた私を見上げた。
「もしかして、手紙が来ないのが寂しいんですかー?」
私は首を横に振った。
「違うの。手紙を返せないから、寂しいの」
私はいつだって、待ってばかりだった。
この世界にひとり取り残されてから百年間、あの人の言葉を信じて待ち続けてきた。
けれど、それは本当にあの人への信頼だったのだろうか。
信じていたんじゃなくて、ただすがって、甘えていただけじゃないのか。
あの人はいつだって、そんな私を助けてくれた。
種を届け、ネギを送り、友達を与えてくれた。
私を、幸せにしてくれた。
でも、私はあの人に何をしただろうか。何をしてあげられた?
あの人は、幸せだったのだろうか。
――ミク、ミク」
メモリーに残された、あの人の笑顔が蘇る。
電気羊みたいに、いつも目が笑っているような人だった。
最後の眠りについたあの日の朝も、あの人はほほ笑みを浮かべていた。
――僕は、ちゃんと幸せだよ」
私も、ちゃんと幸せだよ。
それを、あの人に伝えたい。
ありがとう。と、伝えたい。
未来のミクから、過去のあの人へ……
「出せるかもしれませんよー?」
「え?」
「手紙のことですよ」
たこルカがポストによじ登りながら言った。
「以前、ちょっと興味がわきましてね、このポストの構造を調べてみたんですよ。……また変なものを創りやがりましたよねぇ」
その変なものというのは、ポストのことか、それともそんなポストを調べられるだけの知性を持ったタコのことか。
私の脳裏に一瞬よぎった疑問をよそに、たこルカはポストの上で続けた。
「因果律を基に時間を超えて、その時空の状況に対応した内容の手紙を届ける。……恐らく言語機能の持つ因果関係から未来と過去の概念を生み出す能力を利用してやがるんでしょうけど、これだけ複雑な行為に関わらず、その構造は呆れるくらい単純でやがるんですよ」
どれくらい単純か、分かります? とたこルカが私を見る。
私は首を横に振った。
構造どころか、たこルカが何を言っているかさえ、ちんぷんかんぷんだ。
たこルカは呆れたようにため息をついて、触手でポストをペシペシと叩いた。
「制御回路が直流回路なんです。それも恐ろしく単純な。それこそ、電流のプラスとマイナス方向を変えたら、機能そのものまで反転して、未来から過去へ手紙が送れてしまうような」
「んな、アホな」
あの人へ手紙を送れるかもしれないという事実に感動するよりも先に、このいい加減で適当な現実に呆れてしまう。
どうしてあの人は、こう、シリアスな雰囲気を台無しにするのが上手いんだろう。
私は真剣に落ち込みかけていた自分がバカバカしくなって、そしてなんだか可笑しくなって、クスクスと笑い出してしまった。
「もう、笑っちゃうよね」
「でも、こんなのでも現実でやがるんですよねぇ。……で、どうします? 手紙、送りますか?」
「うん!」
たこルカがポストの調整に取り掛かっているあいだに、私は家に戻って紙とペンを用意した。
それから、まだ寝ているはちゅねを起こした。
「はちゅね、博士に手紙を書こう」
「みく?」
不思議そうに首をひねるはちゅねに、紙とペンを渡す。
「文字でなくてもいいの。絵でもネギでも、なんでも、あなたが伝えたいと思うものを、ココに残してみて」
はちゅねはしばらく白い紙とにらめっこしていたけれど、やがて絵を描き始めた。
ネギ畑のなかで笑う、私たち三人の姿だった。
たこルカも準備をあっさりと終えて、家に戻ってきて、手紙を書き始めた。
内容は、文章ではなく大量の数式だった。
「もうちょっとマシなものが創れるよう、私なりに理論を整えて教えてやがるんです」
でも、あの人は理論もへったくれもないから、多分、無意味だと思う。
けれど、それがたこルカの伝えたいことなら、例えそれが無意味でも、無駄じゃないと思いたかった。
私も、自分用の紙に手紙を書いた。
最初は、これまでに起こったことを全部書こうと思った。
種を植え忘れるな、とか、ネギの繁殖力をちょっとは抑えろ、とか、マンボウじゃなくてマグロが良かった、とか……
……キリもなく浮かんでくるあれこれを、私は頭を振って追い払った。
言いたいことはたくさんあるけれど、伝えたい想いは、ひとつだけ。
私は手紙に、
《ありがとう》
と、書いた。
《ありがとう、私をこの世に生んでくれて》
《ありがとう、私と一緒に生きてくれて》
《ありがとう、私に素晴らしい日々を与えてくれて》
ありがとう、
ありがとう、
永遠に伝えたい、この想い。
《ありがとう、私はちゃんと、幸せです》
私たちは手紙をポストに投函した。
ポストはランプを点滅させて、派手な機械音を立てながら、ガタガタと震えだした。
「ちょ、ちょっと、たこルカ。大丈夫なの、コレ!?」
「多分、大丈夫なんじゃないですかー?」
「多分!?」
「実験なしのぶっつけ本番でやがりますからね。100%大丈夫なんて言えませんよ」
「おいおいおいおいおい」
やっぱりコイツもあの人の創造物だ。一番重要な部分で抜けている。
私はポストに駆け寄って、手紙を引っ張り出そうとしたけれど、それよりも早く、ポストはポンと軽い音とと共に、白い煙を大量に噴き上げた。
「ゆーがっとめぇぇる」
白い煙とともに、大量の手紙も勢いよく吐き出され、宙を待った。
私たちの手紙じゃなかった。
私たちの周囲を取り囲むように舞い落ちて来るのは、あの人の文字。
《ミク、ミク、君からの手紙が来たよ。信じられない。奇跡だ。また奇跡が起きた!》
《僕は今まで、二つの奇跡に遭遇してきた》
《一度目は、ミク、君がこの世に生まれたことだ》
《そして二度目の奇跡は、君が心を持ってくれたこと。これ以上の奇跡なんて、もうないと思っていた》
《でも、でも、それ以上の奇跡が起きた。君が幸せに生きてくれていることだ。嬉しいよ、こんなに嬉しいことはないよ。僕は幸せだ!》
《ありがとう、ミク。ありがとう――――愛している、永遠に!》
読み終えたとき、手紙は強く握り締められすぎてシワクチャになり、とめどなくこぼれ落ちる水滴でふやけてグシャグシャになっていた。
「あ~あ、せっかくの手紙がもったいないことになってやがりますねー」
たこルカが呆れたように笑った。
その触手には、彼女宛らしい大量の数式が書かれた紙の束があった。
「みっく、みくぅ~♪」
はちゅねが、あたりに散らばった何枚もの絵を、嬉しそうに拾い集めている。
そのどれもが、はちゅねが描いたよりも下手くそな絵だった。
太陽はもう地平線から高く昇っていて、ネギ畑を渡って朝の風が吹いた。
風は私の髪を揺らし、濡れた頬を優しく撫でた。
遠い昔の、あの人の手の感触を、私は思い出す。
あの人は、いつだってそばに居てくれた。
それは、今も、ずっと。
私の心から、あの人への想いが溢れ出す。
溢れ出した想いは、涙とともに声となって、世界に溢れ出した。
「ふぇっ……ひっく…――」
優しくて あたたかくて、こんなにも涙が零れてる。
「はか…せぇ……はかせぇ……」
嬉しいよ、切ないよ、こんなにもあなたで溢れてる。
「博士ぇ、博士ぇ……っ」
優しくて、あたたかくて、こんなにも胸が締め付けられる。
会いたいよ。
逢いたいよ。
あなたに、逢いたいよ。
あなたが、恋しいよ。
恋しくて、
恋しくて、
ああ、なんて深く切ない――
――永遠の恋。
――了――