「お嬢さん、よろしければこちらに参加しませんか? そこでずっとゲームを見守るのも良いですが、間近でならばもっと楽しめると思いますよ」
貴公子に声をかけられ、彼女は慌てふためいた。
「あ……その、私は――」
「――見ているだけでは、手に入らないものもありますよ」
「――!?」
すべてを見透かしたような、貴公子の問いかけ。
(こいつ、余計なことをする)
レンは動揺を表に出さないよう押し殺しながら、次のゲームの準備を進めた。
彼女の迷いに揺れている視線が、自分に向けられている。
――あなたのそばに、行ってもいいの?
知るか。
レンは彼女から目を逸らした。
僕はお前のことなぞ知らない。それなのになぜつきまとう。
お前は一体何者だ――いや、知りたくもない。
僕の知らない“僕”を知っているお前など、邪魔なだけだ。
だがレンの苛立ちなどお構いなしに、彼女は意を決したようにテーブルへと――
「ぇあっ…そ、その、よろ…よしくおねがいします」
――あたふたしながらテーブルへと付く様子に、客たちから笑みがこぼれた。
「ねぇアンタ、ポーカー初めて?」と、若い女。
「は、ハイ。じつは、その《王女と召使》ぐらいしかやったことなくて」
「《王女と召使》?」
聞いたことのないゲームに、若い女は首をかしげたが、一方で美女が、
「あら、懐かしいわ」
と、嬉しそうに声を上げた。
「絵札だけを集めた変則ポーカーね。私も子供の頃によく遊んだわ」
「ほう、どのようなルールなんですか」と、貴公子。
「各スートのK,Q,Jのみで遊ぶんですの。枚数が少ないから一対一ね。ただ、一番強いのはKではなくてQというのが大きな違いかしら」
美女の説明に、彼女も頷く。
「そう、そうなんです。でも“レボリューション”っていうハンドだけはQじゃなくJが一番強くなっちゃうんですけど」
「あはっ、革命で王女様は没落しちゃうんだ」と、若い女。
「いえ、没落……じゃなくて、召使と入れ替わるっていうか……」
革命によって殺されそうな王女を救うために、召使が変装して身代わりになるのだ。
これが、このハンドによって強弱が逆転する理由だった……
(……僕は、なんでこのルールの理由を知ってるんだ?)
自覚のない記憶が湧き上がってきたことに、レンは寒気を覚えた。
身体の奥底から、見知らぬ自分が姿を覗かせたような恐怖。
この女がその原因だ。
「お客さま」
レンは、ここで初めて彼女に声をかけた。
「は、ハイっ!?」
彼女が驚いたように、声を上げてレンを見た。
その瞳の中に、驚きと期待が入り混じっているのを読み取りながら、
「ここのゲームも一般のポーカーとはいささか変則的なルールを採用しております。ご承知でしょうか?」
知らないならとっとと出てけ。
そういう意味を込めて、レンは言った。
「え…えぇっ? あの、その……し、知らなかった…です」
ごめんなさい、と消え入りそうな声でつぶやいた彼女に、メガネの優男が助け舟を出した。
「大丈夫、心配することないよ。席の脇を見なよ。そこにルールの説明とハンドの一覧表があるからさ」
彼女の隣にいた美女が、その一覧表を取り出して彼女に渡した。
「ほら、ここの説明文がルールの変更点で、こっちがハンド。そしてこっちがハンドのオッズ表。ストレートフラッシュ以上のハンドができるとオッズに従ってボーナスアップされるのよ」
美女が彼女に説明するが、その際にいちいち手元のたこヌイグルミの触手をつまんで、それで指し示して見せるので、その様子に皆の顔に笑みが漏れた。
しかも、たこの説明に彼女がすべて真剣に頷くので、それもまた場の空気を和ませるのに一役買っていた。
もっとも、レンを除いてだが。
「どう、できそう?」
「は、はい。多分大丈夫…です。ありがとうございました」
「よかったわ。じゃあディーラーさん、チップを交換してあげてくださらない?」
「……分かりました」
「よ、よろしくお願い…します」
彼女がそう言って、おずおずと差し出してきたのは、なんと高額コインの詰まった手提げ籠そのものだった。
受け取ろうとしたレンの手が、思わず止まった。ひとつのゲームで使うにはあまりに多過ぎる額だ。
「……お客様、本当によろしいのですか」
「え? あ、あの私、また何か変なことやっちゃったんですか?」
「いえ、その……」
レンは頭痛を覚えた。本当に何をしに来たのだ、この女は。
慌てて籠を引っ込めようとした彼女だったが、それを貴公子が止めた。
「お嬢さん、貴女は何かを求めてここへ来た。そのためにはすべてを投げうつ覚悟を持って。……貴女はそんな目をしていた。だから、それは覚悟の証なのでしょう。大丈夫、貴女は正しい」
何が、正しいだ。
口では意味深なことを言いつつ、しかしこの金は貴公子のものではなく、彼女のものだ。
それを盛大に使えなど、よくぞ言えたものだ。
レンは無表情に籠を受け取りながら、貴公子に対して嫌悪感が募っていくのを自覚した。
この男、近いうちに間違いなく何かを仕掛けてくる。
そのためにこの素人同然でしかも金の使い方も知らない彼女をここに招き込んだのだ。
レンは換金したチップを渡す際、彼女にだけ分かるように、声を出さずに唇だけ動かして言った。
(出てけ)
カモにされるぞ。とまでは言わなかった。言ったところで伝わらないだろうし、そんな義理もない。
レンの意図は今度こそしっかり伝わったようで、彼女は一瞬、ひどく当惑した顔をした。
レンの胸が、また痛んだ。
しかし彼女は、すぐに何かを決意したような表情になって、受け取ったチップから数枚を掴みだして、レンに差し出した。
「アンティです。受け取ってください」
「……多すぎます」
「え、ええ?」
このやりとりに、若い女が遠慮のない笑い声を上げた。
彼女は慌てて手元のルール表を見直し、手のチップを数え直して、そして改めてアンティを差し出した。
「う、受け取ってください」
「……分かりました」
どうなっても知らないぞ、という気分で、レンはアンティを受け取った。
カードが配られ、ゲームが始まる。
ディーラーズボタンは、老紳士の席に代わりに座った彼女の前に移動していた。
彼女は自分の手札と、手元に置いたハンドの一覧表を何度も交互に見比べていた。
その間に、左隣の美女から始まったベットが一巡し、彼女にまで巡ってくる。
だが彼女は、自分がどんなハンドが狙えるのかを確認するので精一杯で、自分にまで順番が回ってきたことに気づいていなかった。
「……お客様、ベットは如何いたしますか?」
苛立ちを抑え、レンが促す。
「へ? あ、べ、ベットですか。わ、わ、今やります」
彼女は慌てて手元のチップをつかみ、場に出そうとして、そこに既に積み上げられたチップの量に目を見張った。
「え、も、もうこんなに?」
これでもレイズが一度も出ていないので、先のゲームに比べれば小銭みたいな金額だった。
だがそれでも、彼女を気後れさせるには充分な額だったらしい。
彼女のそういった反応も、妙にチグハグだと感じさせる部分だった。
なにしろ彼女の手持ちのチップの量は、このテーブルだけで遊ぶには多すぎるほどの額だ。
それだけの大金を持っていながら、この程度の小金で狼狽してしまうのはどういうことだ?
「こ、コールを…お願いします」
彼女は震える声と手で、チップを場に出す。
第1ラウンドが終了し、カード交換になった。
美女は1枚交換で、スペード10。
貴公子も1枚交換で、スペード11。
メガネの優男も1枚交換、スペード5。
若い女は2枚、スペードK、スペード8。
そして彼女も2枚交換だった。クラブK、クラブ10。
「あらまぁ」と美女がおかしそうにたこを撫でた。
「あなたを除いて、捨て札がスペードばっかりね」
美女の言葉に、彼女が狼狽した。
「え、あの、もしかしてスペード以外に捨てちゃいけなかったんですか!?」
「ううん、そんなルールないわ。ただ、面白い偶然だわ~って思っただけ」
美女はのほほんと笑って、コール。
貴公子、メガネの優男、若い女もコールし、彼女の順番になった。
彼女はまた一覧表で自分の手を確認し、
「こ、コールで」
結局、レイズもフォールドもないまま、あっさりとショウダウンになった。
結果は、美女がハートのJ、10、7、6、そしてダイヤ7で、フラッシュ崩れの7のワンペア。
貴公子はダイヤJ、ハート8と5、クラブ7、スペード6で、こちらはストレート狙いが外れてのノーペア。
メガネの優男が、ハートA、クラブAと5、スペード9、ダイヤ8で、Aのワンペア。
若い女がハートKと9、クラブQ、J、9。これもストレート狙いが外れての9のワンペアだ。
そして、彼女は……
「あ、あの…勝った……みたいです」
ダイヤA、スペードA、Q、ハートQ、クラブ6。AとQのツーペアで文句なしの勝利だった。
「おめでとう」と、美女と貴公子から賞賛の声がかけられる。
残る二人にも悔しさは見られない。
おそらく貴公子を含む先客四人とも、このゲームは最初から捨てていたのだろう。
ブラフもチキンレースもない、初心者のためのチュートリアルのようなゲームだった。
そのまま自然な流れで、次のゲームが始まった。
このゲームも、ほぼ同じような展開だった。誰もレイズもフォールドもせず、あっさりとショウダウンにたどり着く。
このゲームでは、見事に全員がワンペアだった。
彼女がQのワンペアで最高位に立ち、二連勝を収めた。
美女が、彼女の手札を眺めて、言った。
「あなた、ハートのQに縁があるようね」
「そう…かもしれませんね」
彼女が曖昧な笑みで応える。
それを見ていたレンは、ざわり、と後頭部の髪が逆立つような感覚を覚えた。
ハートのQ……
赤の12……
王女と召使……
何かが湧き上がってきそうな感覚を、レンは必死に追い払おうとしながら、その一方で必死にそれを手繰ろうとしている自分も同時に意識した。
その矛盾した思いを、貴公子の声がかき消した。
「どうやら、貴女には幸運の女神がついているようだ。いや、幸運の王女か。Qはその証ですよ。あなたは今、運命を味方につけている」
「運命……を?」
「ポーカーとは不思議なゲームです。カードの切り方、ベットのかけ方一つにも、その人間性が現れる。……迷っているなら、進んだほうがいい」
断定的な口調で、貴公子は彼女に告げた。
彼女は一瞬、ハッとした表情を見せたが、それはやがてどこか吹っ切れた表情に変わった。
「すごいですね。そんなことまで分かってしまうなんて」
「それでも勝てないのがポーカーの難しいところであり、面白いところでもあるのですがね。どうやら今夜の私は、幸運の王女には見放されたらしい」
貴公子の言葉に、テーブルの皆が笑った。
その中で、レンだけが、なにか嫌な予感をヒシヒシと感じていた。
貴公子が何か一言発するたびに、テーブルの雰囲気が彼に支配されていくような感覚。
カードのすり替えといった直接的なイカサマではない、別の何かで彼は既にイカサマを開始しているのではないか。
レンはそう思った。
次のゲームが始まる。
貴公子の強制ベットから、メガネの優男の強制レイズ。
若い女がレイズをかけた。
彼女は少し驚いた表情をしてみせたものの、しばらく自分の手札を見つめ、
「レイズ…です」
続いて美女がコール。
次の貴公子がフォールドし、手札を見せた。ノーペアだった。
「王女には本当、嫌われているようですね」
メガネの優男、若い女がコールし、カード交換へ。
前回と同じく、美女と、メガネの優男が1枚交換。
若い女と、彼女が2枚交換だった。
第2ラウンドでメガネの男と若い女がレイズをかけた。
彼女は一瞬ひるんだものの、コールでそれに応じた。
(危ういな)
レンは彼女の賭け方に不安を覚えた。戦術や戦略があってのコールとは思えなかった。
ショウダウン。
若い女と美女がワンペア。メガネの優男と彼女がツーペアだった。
数字の優劣で彼女が勝ち、これで三連勝となった。
彼女の手札には、またQが含まれていた。
(そういうことか)
レンは気づいた。彼女は貴公子に踊らされている。
Qは幸運の証だと印象づけられ、戦略も戦術も関係なしにベットさせられている。
そもそもポーカーの戦略も戦術も知らなさそうな彼女だった。ベットの判断基準を幸運の象徴という運否天賦に頼りたくなってもおかしくはない。
今のところ、その幸運の象徴は彼女を裏切ってはいない。だが、今のところは、だ。
そもそもこれが本当に幸運なのかどうかさえ、怪しい。
レンは貴公子が既にイカサマを開始しているという確信を抱いていた。しかし、その手段がまだ分からない。
(もうしばらく様子を見るか?)
貴公子が本格的に彼女からチップをむしり始めるまで手出しを控えようか。レンはそう思った。
が、不意にテーブルの外から強い視線を感じ、レンは顔を上げてそちらを見た。
フロアの隅から、メイコが、レンを睨みつけていた。
その唇が、声を発さずに告げた。
――その子をテーブルから外しなさい。
メイコも彼女がターゲットになっていることに気づいたのだ。
(まだ貴公子の手の内が見えません)
レンはそれとない仕草でサインを送ったが、メイコはそれを受け入れなかった。
――彼女を外しなさい。
イカサマを暴くことよりも、客を守れ。メイコはそう言っていた。
レンは了解のサインを返した。
「お客様、チップの量がかなり多くなっております。一度、精算の上、カウンターにて換金されることをオススメいたします」
もともと籠いっぱいのコインをチップに替えたのだから、彼女の目の前には大量のチップが山となって積まれていた。
その上で三連勝模したのだから、彼女の前はチップで溢れているといっても良かった。
「え……」
彼女は答えようとして、言いよどんだ。
提案としては至極真っ当なものだった。
しかし彼女は、レンの目を見てしまった。そこに浮かぶ、拒絶の意思を。
彼女が勧められるままにテーブルを立てば、すかさずメイコが彼女に近づき、戻ってこないように誘導する手はずになっていた。
彼女はそれに気づいてしまった。
彼女は首を横に振った。
「いいえ。迷惑かもしれませんけれど、もうしばらくこのテーブルに居させてください。……まだ、あなたのそばに居たいんです」
彼女の言葉に、美女が「まぁ」とたこで口元を抑え、若い女が口笛を吹いた。
メガネの優男が大げさに頭上を仰いだ。
「驚いたね。こんなところで恋の告白だ」
茶化すようなその言葉に、しかし彼女は真顔でレンを見つめていた。
恋する女の子の表情には見えないな、とレンは思った。昨日のルーレットにいた女のような目だ。
レンはその目を見返して、はっきりと告げた。
「申し訳ありませんが、私はあなたを知りません」
しかし、彼女はもう当惑も寂しげな表情も浮かべなかった。
「これ以上の迷惑を、あなたにかけるつもりはありません。ただ、私自身が納得したいだけなんです。勝手な言い草ですけど、今日だけ、このテーブルにいることを許してください」
事情も知らない頑固者め。
レンは歯噛みしながら、メイコにサインで、彼女がテコでも動きそうもないことを伝えた。
メイコからの返信。
――守れ
畜生、面倒なことになったぞ。レンは了解のサインを送りながら、悩んだ。
守るといっても、貴公子の手段が分からなければ手の出しようがない。
(やはり様子見しかない)
レンは先ほどと同じ結論を下した。だが、その心理的プレッシャーはだいぶ違っていた。
ゲームが始まる。
貴公子の強制ベットに、メガネの優男の強制レイズで、若い女のベットへ。
若い女が初手からレイズをかけた。
彼女はほとんど迷うことなくコール。
美女もコール。貴公子がレイズ。メガネの優男はコール。
若い女がまたレイズした。
彼女はコール。美女もコール。
貴公子がレイズ。
これには、流石に彼女の顔に不安が現れた。
以降は全員がコールで応じ、第1ラウンドは終了。カード交換へ。
貴公子が2枚交換。ダイヤ8、スペード6。
メガネの優男は1枚。ハート5。
若い女は2枚交換だ。スペードJ、ハート7。
彼女も2枚交換。ダイヤ10、スペード5。
美女も2枚交換。スペードK、クラブ9。
第2ラウンドでは貴公子がレイズをかけ、メガネの男が早々にフォールドした。
開示された手札は、
スペードA、ハートA、クラブK、ダイヤQ、ハート10、ダイヤ5。
ハンドはAのワンペア。
若い女もレイズ。彼女がコールで応じる。
美女がフォールド。
ダイヤA、スペード8、ダイヤ7、ダイヤ6、ハート6。
ハンドは6のワンペア。
貴公子がコールし、ショウダウンとなった。
貴公子のショウダウン。
ダイヤK、ダイヤJ、クラブJ、スペード10、ダイヤ9。
ハンドはJのワンペアでしかないのに、それを見た彼女が息を飲んだ。
彼女のショウダウン。
ハートQ、ハート9、スペード9、クラブ8、スペード7。ハンドは9のワンペアだ。
彼女の負けだった。
そもそも、ここの変則ドローポーカーでワンペアだけで勝つのは難しい。
しかし彼女は前回、前々回と高いハンドの出ていないゲームで勝ってしまっただけに、そこを見誤った。
それに、何よりも彼女を駆り立てた原因がある。
ハートQだ。彼女にとっての幸運の象徴。
これが手元に来たという事実が、彼女を無謀なショウダウンに導いた。
だがこれで彼女も、王女が幸運の象徴などではないことに気がついただろう。
そう思っていたレンに、若い女の歓声が届いた。
「ぃやったぁ、私の勝ちぃっ♪」
拡がった手札は、クラブA、クラブQ、クラブ10、クラブ7、クラブ5。
フラッシュだった。
「あはは、やっぱり王女って幸運の象徴よねぇ」
チップをかき集める若い女の言葉に、彼女が敏感に反応したのがレンにも分かった。
今のセリフで、彼女が王女の呪縛から逃れるチャンスは潰えた。
彼女の手にQがくれば、彼女はまた無謀なコールを続けてしまうだろう。
しかし、若い女の今のセリフ、偶然か?
(偶然じゃない。“演出”だ)
レンはようやく、貴公子のイカサマの一端に気がついた。
あの若い女は、貴公子の仲間だ。
明確な証拠はない。
しかし、このテーブルに貴公子が加わってから、老紳士と彼女以外で勝っているのは、若い女だけだった。それも毎回、レートがつり上がったゲームで、ここぞという時に勝っている。
おそらく、貴公子が演出で獲物を高額レートに誘い込み、若い女がそれを喰らうのだ。
しかし、それだけで確実に勝てるのだろうか。
その理由は、サインだろう。
レンがメイコと、目立たない微かなサインで意思疎通しているように、貴公子と若い女にもサインがあるのだろう。それでお互いのハンドを教え合っていたに違いない。
40枚の変則ポーカーで、捨て札に加え、フォールドプレイヤーの手札公開もありのルールだ。
10枚分のカードが分かれば、ハンドの絞り込みでかなり有利に立てるのは間違いない。
しかも……レンは視線をチラリとメガネの優男に向けた。
彼は相変わらず、隙さえあれば若い女の胸元に目を向けている。
おかげで手元がかなり留守になっている。
ともすれば若い女の位置からでも端の1~2枚は簡単に見えるときもあるだろう。そうなればハンドの絞り込みの確率は更に高くなる。
(退くなら今のうちだぞ)
レンは心中で告げながら、彼女を見た。
彼女はレンの視線に気づき、真っ向から見返してきた。
――勝負は関係ない。私はここに居たいだけ。
(正気か?)
この頑固者め。レンは忌々しくそう思った。
忌々しいのは彼女の頑固さと、そして何故かその彼女の性格を把握してしまっている自分に対してだった。
自分の知らない“自分”が、時折姿を覗かせては、
「彼女はこういう人間なのだ」
と、当然のような顔で告げて去っていく。
それが忌々しく、腹ただしく、苛ただしかった。
だが、メイコから「守れ」と命令された以上、守るしかない。
ならば仕方ない。神業を見せてやる。
レンはカードを集めなおすと、それを一度テーブル上に横に滑らせながら一列に並べ、端のカードを指で弾いた。
カードの列をウェーブが流れ、すべてのカードが裏返された。すぐにもう一度、端のカードを弾き、カードを返す。
カードを再び一組のデッキにまとめ、それをカッティングマシーンに入れた。
貴公子が質問してきた。
「ふむ、今の行為に何か意味が?」
「いえ、ちょっとした手慰みです。癖になっていまして、時々出てしまうんですよ」
答えながら、レンは、カッティングマシーンに触れた手のひらに全神経を集中させた。
ボタンを押し、離すタイミング、カッティング中の機械の細かい反応、それらを感覚をフル動員して感知し、読み取る。
取り出したカードデッキ内の順番を、レンはすべて把握していた。
レンの人並み外れた記憶力、計算能力、集中力、洞察力を総動員して初めて成すことのできる神業だった。
ただしこれは、最初に一瞬とは言えカードをすべて表に返して見なければいけないので、客から見れば不自然に思われてしまうことと、なにより全神経をフルに使うのでレン自身に相当な負担を強いることから、ここぞという時にしか使用できない、切り札のようなワザだった。
それを今、繰り出した理由は、貴公子と若い女のあいだで交わされるサインを見破るためだ。
レンはここまでの彼らの仕草や、各ゲームでの彼らの手札を思い出しながら、手元のカードを配った。
ディーラーズボタンが回ってきた貴公子に、
ハート10、クラブ10、ハート7、ダイヤ6、スペード6。
メガネの優男に、
クラブA、ダイヤJ、ハート8、クラブ7、スペード5。
若い女には、
スペードA、ハートJ、ダイヤ10、ダイヤ8、ハート5。
彼女には、
ハートA、スペード10、スペード9、クラブ8、ダイヤ5。
そして美女に、
クラブK、クラブJ、クラブ9、スペード8、クラブ6。
レンにとって、全プレイヤーの手札はガラス張りも同然だった。
配ったカードも、ただ覚えていただけではない。すべて計算した上で配っていた。
貴公子にツーペアを配ったのは、イカサマコンビにフルハウスを狙わせるためだ。
貴公子が10か6を引けばフルハウスが成立するが、若い女の手札には既にダイヤ10がある。
残り1枚のスペード10を引き当てる確率は1/30だ。
狙うなら若い女も持っていないハート6とクラブ6の方が1/15と可能性は高い。
しかもメガネの優男も6を持っていないことが分かれば、確率2/25でほぼ1割代だ。
ここにフォールドと捨て札が加われば確率は更に上がっていく上に、ディーラーズボタンを持つ貴公子は、それをすべて確認した上でベットを行うことができる。
だから、貴公子は若い女に6の有無を確認するサインを送るはずだ。
貴公子は片手でテーブル上に伏せられた手札をわずかに見ながら、何気なくもう片手を、テーブル上のチップに置いていた。
その指先がチップに描かれた数字に触れている。
メガネの優男の強制ベットに続いて、若い女の強制レイズ。
若い女はレイズし終えると、何気なく右手の指に何枚かのチップを挟んだ。
そしてまた胸の下で腕を組みながら、小首をかしげ、盛り上がった丘陵の周りを左手の指で軽くなぞる。
隣のメガネの優男の視線がまた釘づけになり、手元が留守になった。
若い女は、腕を組みながら、盛り上がった胸の下で、右手に挟んでいた数枚のチップを指で弄び始めた。
この一連の動作がサインだと、レンは気づいた。
この二人が、これまでもゲーム中に同じような動作を何度か繰り返していたことを、レンは記憶していた。
指とチップの枚数、数字でカードの数字を。
そして数パターンの姿勢でハンドの情報を交換している。
これまでのゲームでの彼らの動きと、出たカードの目から、レンはそのことを看破した。
あとはそれぞれのサインの具体的な意味が分かれば、彼らのイカサマを完全に暴くことができる。
数字に関してはほぼ見破ったが、ハンドとサインの関係については不明瞭な手が多かった。
だが少なくともこのゲームでフルハウスまでのサインは見破れるはずだった。
フォーアカインドは既に出たのでサインの検討はついている。
それ以上のハンドとなると、出る確率自体が少ないのと、種類も少ないので、ほかのハンド以外のサインという消去法で警戒できるはずだ。
レンは、若い女と貴公子の挙動を、注意深く記憶に刻み込んだ。
その間に、ベットは彼女の順番に移っていた。
彼女は手札を見て迷っている。
当然だ、とレンは思う。
彼女の判断基準となっていたQは注意深く取り除かせてもらった。各スートのQはすべて交換用の山の一番下に集められている。
メガネの優男と若い女が3枚交換を行ったところで、彼女には絶対に回ってこない位置だ。
彼女の手札は現時点でノーペア。
幸運の王女の加護もなしではまずフォールドすべきカードの組み合わせだった。
「……コールします」
(バカなっ!?)
レンは思わず彼女を睨みつけそうになった。だがディーラーが感情を表沙汰にするなど論外だ。
レンは必死にポーカーフェイスを保ったが、その胸のうちは苛立ちでいっぱいだった。
いったい、この女は何を考えているんだ?
レンの思考をよそにベットは続く。
続いての美女はコール、そしてレイズ。
それも当然、美女の手札はあと1枚クラブのカードが来ればフラッシュの完成だった。
レンは、今回のゲームの勝者をこの美女に割り振っていた。
貴公子にはフルハウスを狙わせるが、完成はさせない。せいぜいレートを吊り上げさせながらゲームを長引かせ、二人のあいだのサインをより多く引き出させた上で、チップをむしり取らせてもらおうとレンは考えていた。
なにしろ美女は負け続きだ。
しかも彼女に劣らぬ無茶な賭け方や駆け引きの下手さで、無駄な出費が多すぎる。少しぐらい還元しなくては、イカサマ師に狙われてもいないのに自滅してしまうところだ。
もっとも、本人は全く気にする様子もないあたり、さすがは残念な美女といったところか。
レンは残念な美女がせっかくの好ハンドを無駄にしないことを祈りながら、貴公子の出方を注視した。
貴公子は当然、レイズをかけてくる――と思っていたが、彼は考え込んでいた。
(何を考え込む必要があるんだ?)
レンが疑問に思ったとき、貴公子の目が、レンに向けられた。
冷気さえおびているような、鋭い視線だった。
レンはその視線に捉えられ、一瞬、呼吸を忘れた。
(――読まれた!?)
直感的にそう思った。貴公子に警戒された。
貴公子がフォールドを宣言した。
「……やめましょう。やはりQがなければ勝てる気がしません」
ツーペアで、それもフルハウスが狙えるにも関わらず第1ラウンドで降りるなど、素人でもやらないだろう。
貴公子の行動に、ハンドの種類さえあやふやな彼女を除き、全員が呆れたような表情を見せた。
(彼女への僕の反応が、気づかれてしまったんだ……)
レンは悔やんだ。
彼女のコールに対して反応してしまった自分の、一瞬、ほんの一瞬の顔の筋肉の動き、目の動きを、貴公子に読み取られてしまった。
貴公子はその僅かな情報から、レンが彼女の手札を知っているのではないか、という疑いを抱いたのだろう。
その上で、狙いすましたかのような好カードが手中にある。レンが何かを仕掛けてきたと強く疑ってもおかしくなかった。
メガネの優男のコールに続き、若い女までもフォールドした。
ハンドに関するサインの情報は、これで入手できなくなった。
カード交換を終え、第2ラウンドはメガネの優男がノーペアでフォールドし、彼女と美女でショウダウンとなった。
結果はレンの予定通り、美女がフラッシュで勝利。
だが、ほとんど無意味といっていいゲームだった。
リスク覚悟の神業に見合うだけの情報を集められなかったばかりか、守るべき彼女の金を失わせてしまった。
これでは完全に失敗だ。
だが、そもそも勝敗を度外視してこのテーブルに居続ける彼女を、イカサマ師から守れということ自体が無茶なのだ。
そんな彼女を守るには、やはりこのテーブルから去ってもらう以外にない。
しかし、どうやって?
損失を出してもこのテーブルに固執するというのなら、逆に利益を与えてやろう。
彼女の目の前をチップで溺れさせ、どうしても一度カウンターへ向かわざるを得ないようにするのだ。
レンは、メイコに向かって、自分の作戦をサインで送った。
メイコの返信は、了承だった。レンに割り当てられた損失額を超えていいという許可だった。
カジノに必要なのは一日の利益よりも、客の信頼だ。
客をイカサマ師から守るためなら、多少の損失もやむを得ない。
レンは、もういちど神業を使用することに決めた。
再度カードを並べて一瞬だけ裏返し、カードをまとめる。
貴公子がポツリとつぶやいた。
「悪い癖だ」
「ええ、自分でもそう思います」
レンはしれっと答えた。
普通ならこんな態度は、客を馬鹿にしていると捉えられてもおかしくない。
しかし相手は自らが「紫の貴公子」と呼ばれていることを承知で、それでもカジノに踏み込んでくるようなイカサマ師だった。
レンの見せた態度は、これ以上お前の好きにはさせないという、貴公子への警告でもあった。
「………」
貴公子はレンに向かって、何も言わなかった。
代わりに、彼女に向かって、こう言った。
「失礼ながら、お嬢さん。先ほどのゲームを、貴女はなぜフォールドしなかったのですか? まるで、フォールドしてしまえば、その時点でこのテーブルを去らなければならないとでも思っているようだ」
「………ええ、そうかもしれませんね」
彼女はかすかに笑って答え、そして、レンに目を向けた。
レンは強く訴えかけてくるその視線を無視して、カードをカッティングマシーンにセットした。
そのボタンに手を伸ばす。
二度目の神業。
先ほどと同じように集中力を限界にまで高めると、頭の片隅がチリチリと痛んだ。
レンを他所に、貴公子は彼女に向かって言った。
「貴女の態度はナンセンスだが、見習うべきでもあるようだ。勝負は強気なものが制する。私は少し臆病風に吹かれてしまっていたようです。王女の加護を当てにするのはもうやめましょう」
レンは貴公子の言葉を聞き流しながら、カッティングマシーンのボタンを押す。
若い女が言った。
「どうせ王女も革命で落ちぶれちゃうものね」
隣のメガネの優男が、おかしそうにクックッと喉を鳴らして笑う。
「僕たちの気分次第で、持ち上げられたり、落とされたり。こんな扱いじゃ、王女はさぞかし僕らを恨んでいるだろうな」
「いいえ、そんなことは無いと思いますよ」
そう言って首を横に振ったのは、彼女だった。
彼女は言った。
「王女は、例えどんなふうに扱われたとしても、相手が幸せだと納得できたなら、それで本望だと思います」
(っ!?)
それを聞いたとき――聞こえてしまったとき、レンの集中力が一瞬途切れ、カッティングマシーンのボタンを離すタイミングがわずかに狂った。
(しまった)
ずれたタイミングから、すぐに現在のカードのシャッフル状況を計算し、当初に計画していた順番に並び替えるために、あとどれだけシャッフルが必要かを割り出す。
美女が、彼女に言った。
「優しい王女さまなのね」
「……昔、私にそのゲームを教えてくれた人が、そう言ったんです」
彼女の言葉に、レンの手元がまた狂う。
(――くそっ!)
集中力が途切れかけている。
冷静になれ、と自分に言い聞かせ、再度計算し直し、ボタンを押す。
(よし)
これで自分の思った通りにカードは並んだはずだった。
レンはデッキをシューに収め、全員分のアンティを受け取ると、カードを配った。
ディーラーズボタンはメガネの優男に移っている。
彼の手札は、
スペードA、ダイヤK、クラブ10、ダイヤ7、スペード7。
若い女に、
クラブK、クラブ9、スペード8、ハート7、クラブ6。
彼女には、
ハートQ、スペードQ、ハート9、ダイヤ9、スペード6。
美女には、
ダイヤA、クラブA、スペードK、スペード10、クラブ8。
貴公子には、
ハートA、ハートJ、ハート8、ハート6、クラブ5。
レンは、若い女と貴公子に対し、それぞれストレートとフラッシュが狙える手を配った。
彼らがこれに食いついてくるかは五分五分だが、もしまた警戒してフォールドするならば、それはそれで警告が効いた証であるからそれでいい。彼らのこれ以上は目立った真似を控えるだろう。
だが、食らいついてくるなら、ここで容赦なく叩き潰すつもりでいた。
若い女からの強制ベット、彼女の強制レイズに続き、初手となる美女のベット。
(あまり無茶なベットをしてくれるなよ)
レンは心中で美女に対し願ったが、正直、この常連客に関してはさほど心配はしていなかった。
ゲーム展開は下手くそだが、先ほどのゲームで勝たせたこともあって、資金的にはまだ余裕がある。
それに、これは最近になって気がついたことだが、この美女は考えなしにゲームしているように見えて、そのくせ何故かいつも収支的にはややプラスで勝ち越していくのが常だった。
美女は胸の前に置いたたこのぬいぐるみに、その形の良い顎を載せ、手札を眺めてしばし迷った末にコールした。
続いて、問題の貴公子のベット。
レンは、貴公子が若い女とサインを交わし合うのを確認した。
貴公子からはフラッシュ狙いのサイン。
若い女から10と5のカードの有無を確認するよう、サインが送られている。
(さぁ、どうする?)
「……レイズ」
食いついてきた。
これで場は整った。
次のカード交換でイカサマコンビはそれぞれ求めるハンドが成立するはずだった。二人は共謀して、さらにレートを釣り上げてくるだろう。
だが、それでも勝てない。
なぜなら、この二人よりも更に強いハンドがこのゲームでは出来上がるからだ。
次のメガネの優男のベット。
「レイズ」
(……え?)
レンは意外に思った。
メガネの優男の手は7のワンペアだ。せいぜいツーペアを狙えるぐらいで、ここはコールにとどめておくのが無難な選択だった。
この男がブラフを苦手としているのを知っているだけに、このレイズは予想外だった。
続いて、若い女。
こちらもやはりレイズ。
これは予想どうりだったが、図らずも三連続レイズになってしまったことで、次の彼女へのプレッシャーが高まってしまった。
ここで降りてしまわなければいいが……と、レンが先ほどと逆の心配をし始めたところへ、
「コールします」
彼女も食らいついてきた。
レンは内心で胸をなでおろす。
よかった、これで彼女に仕込んでおいたフルハウスが無駄にならずに済む。
念の為に混ぜておいたハートQの存在も、彼女の背中を押す役に立ったのかもしれない。
美女もコール。
このまま全員がコールで、第1ラウンドは終了するものとレンは予想していた。
だが、しかし、
「レイズ」
「レイズ」
「レイズ」
また、三連続レイズ。レートが最高額まで跳ね上がり、賭金が膨れ上がった。
(おかしい)
あのメガネの優男、強気にでるにしてもやり過ぎだ。
まさか、この男もイカサマ師の仲間か? と、レンは疑ったが、すぐにその疑念を打ち消した。
五人のテーブルにイカサマ師が三人では、獲物にすべき鴨が二羽しかいなくなる。これでは取り分が少なすぎるどころか、ヘタをすれば赤字にすらなりかねない。
それに、メガネの優男は、これまでのゲームでもイカサマ師たちのサインに呼応する素振りも見せていなかった。ただ一方的に自分の手札を盗み見られていただけだ。
では、しかし彼はいったい何を思ってレイズをかけ続けたのか……?
と、レンが考え込んだ横で、彼女がコール。
テーブル上にチップが溢れかえった。
そこへ、
「フォールドしますわ」
美女が、ゲームを降りた。
その手札が開かれる。
(――あっ!!??)
それを見た瞬間、レンの顔から血の気が引いた。
美女の手札は、
クラブK、スペードJ、ダイヤ7、スペード7、ダイヤ6。
レンが配ったと思っていたカードとは、まるで違う手だった。
(狂ったままだった……!)
カッティングのタイミングがずれたまま、復旧しきれなかったのだ。
だとすれば、全員の手がレンの思惑とは全く見当違いになっているということになる。
だが……だが……
「レイズ」
貴公子がさらに賭金を跳ね上げる。
この男は先ほど、たしかにフラッシュのサインを送っていた。ブラフではない。貴公子はフラッシュが狙える手を持っているのだ。
「レイズ」
呼応するように、メガネの優男が自身三度目となるレイズをかける。
この自信、ブラフでないなら、彼もスリーカードか、ストレートか、それ以上か、とにかく好ハンドができている可能性が高い。
そして、
「レイズ」
若い女。彼女が送っていたサインは、数字以外は判断がつかないモノだった。
まだ見せていないストレートか、もしくはフルハウス以上のハンド。だが、ノーハンドの時に見せていたサインとは別物だった。
どちらにしろ若い女には、貴公子とメガネの優男の手は見えているはずだった。その上で既に美女の手札も公開されている。
判断材料は充分すぎるほど揃っていた。勝算があっての行動に違いなかった。
そして、彼女は、
「コールです」
迷いなくゲームを続ける、その彼女は一体どんな手を持っているというのか。
少なくともフルハウスはありえない。
このゲームでフルハウスが成立する確率は30/9130。約0.3%だ。
カード交換を含めてようやく桁がひとつ繰り上がるかどうかというハンドが、すでにフラッシュやストレートなどのハンドが成立しているか成立間近の状況で、都合よく彼女のもとに現れているとは思えなかった。
「レイズ」
「レイズ」
「レイズ」
ついに四週目のレイズに達した。
彼女は、
「コールです」
レイズを使い切った貴公子と、メガネの優男がコールし、ようやく第1ラウンドが終了した。
テーブル上には、レンでさえ滅多に見かけない金額が積み上がっていた。
カードチェンジが始まる。
ディーラーズボタンを持っているメガネの優男からの交換だが、彼はノーチェンジ。
すでにハンドができていたということだろう。
続いての若い女も、ノーチェンジだった。
(ハンドを成立させるために、10か5を欲しがっていたんじゃなかったのか?)
若い女の意図が読めず、レンは焦った。やはり情報が少なすぎた。サインが読み切れない。
そして彼女の交換。
「三枚チェンジをお願いします」
無茶苦茶だ。と、レンは頭を抱えたくなった。
先にも言ったが、三枚交換はせいぜいワンペアしか持っていないと自分から宣言するのと同じ行為だ。
しかも彼女が捨てたカードは、ハートK、スペードK、クラブJ。
絵札ばかりだ。これではワンペアかツーペアが成立するにしろ、低位の数字ばかりで、強いハンドにはならない。
(何を考えている。勝負を捨てる気かっ?)
レンが彼女を見たとき、彼女もまたレンを見返し、強い視線で応えた。
――私のゲームの相手は、あなたよ……
(なぜだ…?)
――あなたが、私の知っているあなたかどうか、確かめたいの……
「ノーチェンジ」
貴公子の声が、レンの目を彼女から引き剥がした。
貴公子もまた、すでにハンドが、フラッシュができていたというのか。
第2ラウンドが始まる。
若い女がレイズ。
それに彼女がコールする。
やめろ、とレンは声に出して叫びたかった。
お前のやっていることには何の意味もないんだ。
僕は、レンだ。
お前の知っている、名も知らない“過去の自分”なんかじゃないんだ!
「レイズ」
「レイズ」
「レイズ」
「コール」
レンの気持ちをよそに、冗談としか思えないレイズとコールのかけ合いが続いた。
すでにフォールドした美女を除き、イカサマ師を含め四人の客は、それぞれ手持ちのチップの大半を超える額をベットしてしまっていた。
そして彼女以外の三人が、ついに第2ラウンドでもレイズを使い切ってしまった。
メガネの優男が最後までレイズを使い切ってしまったことに、レンは驚いた。相当な自信だ。
だが、イカサマ師コンビも絶対の確信を持ってレイズを賭け続けてきたはずだった。メガネの男に勝ち目はない。
彼女に至っては言わずもがなだ。
(くそ、また失敗か)
次のゲームでは彼女に加え、メガネの優男も守らなくてはならないだろう。場合によっては外してもらわなくてはならないかもしれない。
レンは傷ついたプライドの痛みを抱えながら、ショウダウンの行方を見守った。
メガネの優男が、自信満々に、自分の手札を公開する。
その内容は、
ダイヤK、ハート9、スペード8、ハート7、スペード5。
完全な、ノーハンドだった。
(そんなはずがない)
レンは混乱した。そんな手でこのメガネの優男がブラフを張り続けられるはずがなかった。
だが、メガネの優男は平然としている。
まるで、既に勝ったような表情だ。
いったいどういうことなんだ? と、レンが混乱に陥りかけたとき、若い女が手札を公開した。
それは、
クラブ10、クラブ9、クラブ8、クラブ7、クラブ6。
「あはっ、ストレートフラッシュ♪」
出現確率、実に1/27417。約0.004%の高ハンドだった。
おおっ、とメガネの優男がわざとらしく声を上げ、驚いたふりをした。
レンでなくてもすぐにそう気づいてしまうくらい、下手な演技だった。
(そうか……そういうことだったのか………)
レンは、ようやくイカサマ師たちの手段の全貌に気がついた。
メガネの優男は、やはりイカサマ師たちの一味だったのだ。
彼の役割は、隣の若い女にカードを流すこと。
カードをすり替えられたのだ。
しかし、そうまでしてここまでの高ハンドを出す意味があったのか。
あるのだ。
このハンドが意味するところは、もうひとつあった。
それは、このカジノでは、ストレートフラッシュと最上位ハンドであるロイヤルストレートフラッシュの二つに対し、ボーナスオッズが設定されているということ。
そのオッズは30倍。
テーブル上の賭金の実に30倍の額が、イカサマ師たちに支払われるのだ。
その差額を払うのはもちろん、カジノだ。
そう、貴公子たちの狙いは客ではなかった。
狙われたのは、カジノそのものだ。
この金額は、レンに割り当てられた損失額を大き上回るものの、カジノの経営自体に影響を与える額ではない。
しかし、演出として善良な客に支払うのと、イカサマ師たちにまんまと出し抜かれてむしり取られるのでは、意味合いが全く違う。
これは金額の問題ではなかった。
店の信用と、レンのプライドを賭けた勝負だった。
貴公子が、自分のカードをテーブルに放り出し、その秀麗な顔に勝ち誇った笑みを浮かべた。
テーブル上の手札は予想通りダイヤのフラッシュだったが、貴公子にとってそんなことはどうでもいいのだろう。自分の手札など見向きもせずに、他の仲間二人と満足気な笑みを交わしていた。
彼らはカジノとレンに勝負を挑み、勝ったのだ。
レンはディーラーとしてのプライドだけでなく、自分の存在意義そのものまでが足元から崩れていく感覚を抱きつつ、チップの支払いを行おうとした。
そのとき、
「――勝ちました」
凛とした声が、テーブル上に響き渡った。
その声に、レンや、イカサマ師たちの動きが止まった。
彼女が、テーブルに手札を開いていた。
そこに現れていたのは、
ハートA、ハートK、ハートQ、ハートJ、ハート10。
通常の52枚ポーカーならば出現確率1/649740。
この40枚ポーカーにおいてさえ確率1/164502。約0.0006%の最上級ハンド。
ロイヤルストレートフラッシュだった。
イカサマ師たちの顔に浮いていた笑みが、完全に凍りついた。
レンでさえ、しばらくは息をすることを忘れた。
「あ、あの……勝ち、ですよね?」
その言葉に、レンは我に返り、慌てて答えた。
「は、はい。あなたの勝ちです」
「よかった」
彼女が、花がほころぶような笑顔を浮かべた。
その瞬間、テーブルの背後で一斉に歓声が沸き起こった。驚いて彼女が背後を振り返る。
そこには大勢の客が詰めかけていた。
レンも気づかないうちに、このテーブルはフロア中の客の視線を集めていたのだ。
それもそのはず、冗談のようなレイズの応酬の果てに、ロイヤルストレートフラッシュなどという奇跡にも近いハンドが出たのだ。
しかもそれを出したのが素人同然の若い女性だ。ほとんどフロア全体が湧いたような騒ぎだった。
「え……えと、どうしよう……」
盛り上がる観客に、驚き、うろたえる彼女に、ホールスタッフが数名、そばに近寄ってきた。
「おめでとうございます、お客様。当カジノでは、ロイヤルストレートフラッシュを引き当てた方にはボーナスオッズに加え、各種賞品を贈呈させていただいております。……ディーラー、お客様に説明を」
「は、はい」
レンはテーブル脇から賞品一式の目録を取り出し、彼女のそばへ寄った。
そして彼女に向かって賞品の一つ一つを説明し、最後に、彼女のサインをもらう。
――“リン”
これが、彼女の名前だった。
レンは目録を渡すとき、彼女にだけ聞こえるように、小声でその名を呼んだ。
「……リン」
彼女の顔が、パァっと明るくなった。ゲームの勝者と宣言された時よりも、なお喜びに満ち溢れた表情だった。
そんな彼女に、レンは告げた。
「ここにもう近寄るな。出ていけ」
短く、小声で、しかしはっきりとレンは告げた。
リンの表情が強張り、そして、その顔から感情が消えていった。
リンは目録を受け取ると、うつむいたまま立ち上がり、テーブルを後にした。
テーブルの周りに詰めかけていた他の客たちが、何も知らないまま、彼女を拍手で見送っていく。
ホールスタッフたちがテーブル上の大量のチップを換金し、籠に詰めると、慌ててその後を追っていった。
テーブルには、レンと、たこ美女、そしてチップのほとんどを失い呆然としているイカサマ師たちが残された。
美女が、たこの足を持ち上げ、言った。
「ひとり抜けてしまいましたけれど、どういたしましょうか。このまま次のゲームを始めます?」
「あら。じゃあ、私を仲間に加えてもらってもいいかしら?」
周りに詰めかけていた客たちの中から、一人の女が進み出てきた。
赤いドレスをまとった、ショートカットの勝気そうな女性だった。
その姿に、レンは呆れ返った。どうりでさっきは見かけなかったわけだ。
それは、いつの間にかフロアマネージャーの制服から私物のドレスに着替えた、メイコの姿だった。
「ええ、大歓迎ですわ」
と、たこ美女。
彼女はイカサマ師たちに向かって、
「みなさまもよろしいですわね?」
促されて、イカサマ師たちは壊れたおもちゃのように首を縦に降った。
「じゃあ、遠慮なく………楽しみましょうか」
不敵な笑みを浮かべて、メイコが席に着く。
レンはデッキを組みながら、フロアを見渡し、リンの姿を探した。
彼女の姿は、どこにも見当たらなかった。
レンはそのことに安堵と、そして一抹の寂しさを感じながら、カードを配った。
そこから先のゲームは、阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。
……主にイカサマ師たちにとってだったが。