ボーカロイドソング二次小説集   作:PlusⅨ

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運命的なシチュエーションで 遊戯盤は廻り出す

「かんぱぁい♪」

 

 閉店後のカジノに、女性の陽気な声が響き渡った。

 

 カウンター上で三つのグラスが突き合わされ、二人の女性が肩を並べて上機嫌にグラスを傾ける。

 

「ん~、んまい!」

 

「やっぱり勝利の美酒は格別ですわねぇ」

 

 ニコニコと酒を減らしていく、美しきウワバミが二匹。

 

 一匹はおなじみ、フロアマネージャーのメイコ。

 

 その隣にいるのは、ウワバミならぬ例のたこ美女だった。

 

 ウワバミとたこは一杯目のグラスをあっさりと空にして、

 

「カイト、おかわり」

 

「めーちゃん、お願いだから店を閉めさせてよ」

 

「つれないこと言うんじゃないわよ。おごってあげるからアンタも飲みなさい。――ほら、レンも!」

 

 メイコが、たこ美女とは反対側の隣に座っていたレンの背中を、バシバシと叩いた。

 

 あまりにも強く叩かれ、レンは飲んでいたウィスキーをむせ返してしまう。

 

「けホッ、ゲホッ!?」

 

「ちょっとレン、それ何杯目?」

 

「まだ一杯目ですよ」

 

「うそ、ぜんぜん減ってないじゃない」

 

「師匠とそのお友達のペースと一緒にしないでください」

 

 レンは、メイコの向こう側に座るたこ美女を見た。

 

 美女は、レンの視線に応えるように愛用のたこヌイグルミの触手を振る。

 

「っていうか、この方が師匠の友人だったなんて初耳でしたよ」

 

「今はフロアマネージャーと客の関係だからね。営業中はあまり親しい顔もできないわよ」

 

 と、メイコ。

 

 この二人は、あの後、貴公子たちイカサマ師一味を相手に、連勝に連勝を重ね、彼らから大量のチップをむしり取ってみせた。

 

 その勝因には、レンが彼らのサインを見抜き、メイコに教えていたということもあったのだが……

 

 驚いたことにメイコも、そして美女までも、すでに彼らのサインのほとんどを見抜いていて、2ゲームもすればレンの出番はほとんどなくなってしまった。

 

 イカサマ師たちはサインを見抜かれた上に、二人のブラフとレイズに翻弄された。

 

 ついに追い詰められたイカサマ師たちは、例のカードすり替えを試み、そして失敗した。

 

 相手の手の内が分からずに警戒するのと、分かった上で警戒するのでは見えるものが全然違ってくる。

 

 レンはその瞬間を認め、サインを出した。

 

 テーブルの周囲で、息を殺しながら今か今かと待ち構えていたホールスタッフたちが、一斉に駆け寄り、メガネの優男と若い女はテーブルを引き立てられた。

 

 そのとき貴公子は、我関せずを決め込んでいたが、仲間が引き立てられていく際に、その彼らから「あいつも仲間だ」と告発され、一味は仲良く事務室へと連行されていった。

 

 その後のことはレンは知らない。

 

 まあ、裏カジノではないのだから暴力を振るわれたりすることはないのは確かだ。

 

 店側から起訴されるか、示談を持ちかけられるか。どちらにしろ貴公子たちは大金を失い、全てのカジノで出入り禁止になるだろう。

 

 もっとも、悪党の末路なんてレンにはどうでもよかった。

 

 美女が微笑みながら、

 

「懐かしいですわ。昔は二人で、いろいろなカジノを荒らし回りましたわねぇ」

 

「荒らし? 師匠たちって昔は何やってたんですか?」と、レン。

 

「向かうところ敵なしのさすらいギャンブラー。稼ぎすぎて、裏カジノから何度も命を狙われましたわ」

 

「マジですか?」

 

「そんなわけないじゃない」と、メイコが呆れ顔で否定した。

 

「彼女、ルカは私の学生時代からの腐れ縁、それだけよ。まぁこの子、学生寮で行われてた裏賭博のポーカー大会で優勝したこともあるけど」

 

「へぇ」

 

 そんな凄腕だったとは知らなかった。

 

「メイコ先輩は元締めでしたわね。私のゲームにイカサマの疑いがあるとか言って、優勝賞金を巻き上げられてしまいましたわ」

 

「ひどい横暴だ」

 

「そんなこともあったわね。でもあんたがイカサマしていたのは事実だったでしょ。試合中に見抜けなかったのは、今でも私の一生の不覚だわ」

 

「見抜かれてしまったこと自体が、私にとっての不覚でしたわ。おかげで手元に残ったのは参加賞のこのヌイグルミだけ。あの日の戒めとして、いまでもこうして持ち歩いているんですのよ」

 

 そう言いながら、たこを楽しそうに弄ぶその様子は、どうみても気に入っているようにしか見えなかった。

 

「っていうか、あの、ルカさんもイカサマ師だったんですか……」

 

「この店ではやりませんわよ。メイコ先輩の前じゃ、恐ろしくてできませんわ」

 

「僕だけだったら?」

 

「レン君は、もう少し、修行が必要ですわね」

 

 その一言に、レンはがっくりとうなだれた。カウンター上に肘を突き、背中を丸めグラスをちびちびと舐める。

 

 その様子に、メイコがため息をついた。

 

「暗い飲み方ね。まるで負け犬だわ」

 

「……わん」

 

「やれやれ、遠吠えもできないようじゃ重症だわ」

 

「イカサマ師相手に何もできずに、守るべき客の運否天賦に救われるディーラーなんて負け犬も同然ですよ」

 

「ばーか、一個のゲームの勝敗なんて気にしてんじゃないわよ。それに、救われたならそれでいいじゃないの。あの後、アンタはちゃんとイカサマを全部見抜いたんだし、結果としては上々よ。こういう時はね、運も実力のうちぐらい言って強がっていればいいのよ」

 

「僕の運じゃない。彼女の運です」

 

「救われる方だって運が強いのよ」

 

「……」

 

 レンは、メイコの言葉を聞きながらグラスのウィスキーを舐めた。

 

 運も実力のうち、なんて言いのけられるのは、幸運だろうと悪運だろうと、自分の人生に大した影響を与えることは無いという自信のあるものだけだ。

 

 そうでないものは自分の意志に関係なく、運に振り回されてしまう。

 

 普通の人間なら、例え運に振り回されようとも、それも人生の一つだと受け入れることができるだろう。

 

 なぜなら人間は、生まれた時から自分の実力を超える力――運としか言い様のないものに翻弄されながら成長し、その中で人格を形成していくからだ。

 

 そうやって育てられた者の中には、運もまた実力のうちと言ってのけるような、そんなたくましい人格だって生まれてくるだろう。

 

 だが、レンはそう言った意味では普通ではなかった。

 

 記憶も、人格も、自我さえも失っていた状態から、それらを短時間で、自分の実力だけで作り上げてきたのだ。

 

 もしも、それができなかったら、レンはいまだに意思も持たないまま、運否天賦に身をすべて任せて世の中を漂っていたかもしれない。そんな想像は、レンにとって恐怖以外の何者でもなかった。

 

 だから、レンは運否天賦に身を任せることを極度に恐れていた。それは、もはや強迫観念といってもいい。

 

 レンのスピナーとしての腕前も、カードの並びを一瞬で覚える記憶力も、カッティングマシーンの動きを読み取る超感覚も、すべてこの強迫観念ゆえに磨かれたものだ。

 

 それが今日、無残にも打ち砕かれた上に、それを運否天賦に救われた。これが屈辱でなくてなんだというのか。

 

 レンは手元に残ったウィスキーを一息に煽った。

 

 胸の内に巣食っていた悔しさが、アルコールとともに胸の内に落ちていく。

 

「もう一杯」

 

「お、レン。アンタも調子が出てきたわね。私にも頂戴」

 

「私にもくださる?」

 

「はいはい」

 

 バーテンが諦めたように笑いながら、三人のグラスに新たな酒を注ぐ。

 

 レンは浴びるように酒を飲んだ。

 

 飲むたびに、あの女の顔が脳裏にちらつき、それを打ち消そうと、さらに飲んだ

 

 やがて………

 

………しばらくの後。

 

 レンはカウンターに突っ伏して酔いつぶれていた。

 

 メイコがグラスを揺らしながら、その様子に苦笑する。

 

「ホント、仕方の無い子よねぇ」

 

「たまにはこんな飲み方も良いじゃないですか」

 

「たまにならね。でも、そろそろこの子にもお酒以外に慰めてくれる相手がいてもいい頃よ」

 

 メイコはそう言ってグラスをカウンターに置くと、暗くなったホールを振り返って、その奥に目を向けた。

 

「待たせちゃって、ごめんね。もうこっちに来てもいいわよ」

 

 メイコがそう呼びかけた先、ホールの暗がりから、一人の女性が姿を現した。

 

 ブロンドのショートカットに、エメラルドの瞳を持った、あの彼女――リンだった。

 

 リンはメイコに向かって微笑み返しながら、首を横に振った。

 

「待たせたなんて、謝らないでください。待つといったのは私の方からなんですから」

 

「ロイヤルストレートフラッシュを引き当てた幸運の女神を待たせるなんて、こいつも罪な男ね」

 

 メイコが笑いながら、カウンターに突っ伏したレンの頭をべしべしと叩いた。

 

 リンは、それでレンが起きてしまいやしないかヒヤヒヤした様子で見ていたが、レンは完全に酔いつぶれているのか、ピクリとも動かなかった。

 

「いらっしゃいませ、お客様。……ところで、めーちゃん。どうしてこの子がここに?」

 

「景品の一環てところかしら。この子、レンのファンらしいから、今夜の打ち上げに招待したのよ」

 

「うふふ、ゲーム中に告白までしましたものねぇ」

 

「え、告白? 本当に?」

 

 バーテンに目を向けられて、リンは苦笑を浮かべた。

 

 それは同時に、寂しそうな笑みでもあった。

 

 リンは言った。

 

「昔の知り合いに、とてもよく似ていたんです。もしかしたら本人なんじゃないか、そう思ってずっと見ていたんですけど……どうやら、違っていたようです」

 

 リンは寂しげな笑みを浮かべたまま、ルカの隣に座った。

 

「何になさいますか?」

 

「ごめんなさい、お酒はまだ飲めないの」

 

「ソフトドリンクもありますよ。オレンジジュースなどはいかがですか」

 

「では、それでお願いします」

 

 バーテンが冷蔵庫からオレンジジュースを用意し、グラスに輪の形にスライスしたオレンジを添えてカウンターに差し出した。

 

「ありがとうございます」

 

「あなた、未成年?」と、メイコ。

 

 リンは頷いた。

 

「十八です」

 

「昔の知り合いってのも、同じ年なのかしら?」

 

「はい」

 

「恋人?」

 

「えっと……」

 

 リンは言葉につまり、グラスのストローに口をつけた。

 

 オレンジジュースを一口、コクリ小さく喉を鳴らして飲んでから、リンは答えた。

 

「……多分、違います」

 

「多分って?」

 

「好きって言ってくれたこともあったし、結婚の約束もしたんですけどね。でも、小さい子供の時の話ですし、彼だって本気じゃなかっただろうし、覚えてもいないだろうな、って……」

 

 それを聞いて、ルカが微笑んだ。

 

「あらあら、可愛い話ね」

 

「そのまま何もなければ、きっと、甘酸っぱい思い出になっているところでしょうね」と、メイコ。

 

「ええ、何もなければ……」

 

 リンがポツリとつぶやく。

 

 その一言に込められた重さに、カウンターに沈黙が降りた。

 

 メイコはグラスを傾け氷を鳴らし、

 

 ルカはたこを弄び、

 

 リンはオレンジジュースをまた一口のんだ。

 

 ややあって、リンが、口を開いた。

 

「彼……突然いなくなっちゃったんです」

 

「………」

 

 メイコは口を挟まず、ただ、先を促すかのようにグラスを揺らし氷を鳴らした。

 

 リンは続けた。

 

「七年前でした。その日、彼が私の家に遊びに来てくれるはずだったのに、いつまでたっても彼は現れなかったんです。しばらくして彼の家族から連絡があって、彼が家を出たきり行方不明になってしまったことを知りました」

 

 それからずっと彼を探していました。とリンは言った。

 

 彼の家族が、息子はもう死んだ、と諦めてしまった後も、リンだけはずっと探し続けたらしい。

 

「それで、ウチのカジノでこいつを見つけたということね」と、メイコ。

 

 けれどリンは、首を横に振った。

 

「この人を見かけたのは、カジノの外。街で偶然、通りを歩いているこの人を見かけたんです。あまりにも似ていたものだから、思わず後を尾けちゃいました。そうしたらここのカジノの裏口から入っていったんで、ここで働いているんだと知ったんです」

 

 へぇ、とルカが頷く。

 

「そうなの。じゃあ、それで慣れないカジノにまでやってきというわけね」

 

「やっぱり、すぐに分かっちゃいましたか?」

 

 と、リンははにかむ。

 

 ルカが微笑みながら、

 

「ええ、見ればすぐに。こういうところ、初めてなのでしょう」

 

「はい。昨日初めて来たとき、すごい緊張しました。何を着ていけばいいのか、お金がいくら必要なのかも知らなかったですし」

 

「ですけど、あなたがゲームに参加している時の姿は、実に堂々としていましたわ。あのハイレートの勝負で最後まで自分を失わないでいられるというのも、中々のものですわよ。それとも、実はあの程度の金額はお小遣い程度でしたとか?」

 

「お小遣い? まさか」

 

 ルカの冗談交じりの言葉に、リンも笑って答えた。

 

「あの時に賭けていたお金って、実は私の全財産だったんです」

 

「え?」

 

「こんな高級カジノに来るなんて初めてだから、いくら必要なのかも分からなくて。だから、身の回りの物を全部売って、それでも足りないかもしれないから借金もしてきたんですよ。……あ、これじゃ全財産を超えちゃってますよね」

 

 リンはそう言って、自分の言葉にくすくすと笑いながら、

 

「この服だって、実は借り物なんです。しかもこれ一着しかないから、二日続けて同じ格好で来店したら、変な女って思われるんじゃないか心配だったんですよね」

 

 あくまで明るく話すリンに、ルカはたこを手元から取り落としてしまった。

 

「あ、あなた、そこまでして――」

 

 カラン、とメイコが空になったグラスで氷を鳴らす。

 

「ルカ。たこさん、どこかに転がって行っちゃったわよ」

 

「え、……あ、まぁホント」

 

 ルカが慌てて足元を見渡し、落としたヌイグルミを探した。

 

 たこは店の隅にまで転がっていた。

 

「あ、たこちゃん。どうしてあんな遠くまで転がちゃったのかしら? ……たこちゃ~ん」

 

 ルカが席を立ち、たこを拾いに行く。

 

「カイト、おかわり」

 

 そのたこを蹴り飛ばした張本人であるメイコが、グラスをバーテンに差し出しながら、リンに目を向けた。

 

「あなたも、もう一杯いかが?」

 

 メイコの誘いに、リンは静かに首を横に振った。

 

「いいえ、私はもう帰ります。ここに来た意味も、もうなくなっちゃったみたいですし」

 

 リンはそう言って席を立ち、

 

「今夜はお誘いくださいまして、ありがとうございました。それと、ディーラーさんにも伝えておいてください。付きまとってごめんなさい、もう二度とここへは来ません。…と」

 

 リンは深々と頭を下げると、カウンターに背を向けて立ち去ろうとした。

 

「待ちなさい」

 

 メイコがその背中を呼び止める。

 

 リンの立ち去ろうとしていたその足が、止まった。

 

 メイコは、リンがもういちどカウンターに振り返ったのを確認すると、隣で眠るレンの後頭部に手を伸ばした。

 

 メイコの指が、レンの金髪をかきあげる。

 

 露わになった後頭部の古傷に、リンは思わず息を飲んだ。

 

 メイコは、レンの髪の毛を戻しながら、言った。

 

「こいつね、昔のことを覚えていないの。記憶喪失ってやつらしいわ。七年前に、街の路地の片隅に倒れていたところを孤児院に拾われたのよ」

 

「それじゃ、まさか……」

 

「だからといって、こいつがあなたの言う“彼”かどうかは知らないけれどね。多分、誰も知らないわ。こいつ自身もね。なにしろ自分の名前どころか、はっきりとした自我さえ失っていた。――ひとりで歩くことや、食事することさえできない、本当に真っ白な状態に戻っていたらしいわよ」

 

 メイコの淡々とした説明を聞き、リンの顔がみるみると青ざめていった。

 

「本当に、全部忘れてしまったんですか?」

 

「そうらしいわよ。今のこいつは、そこからもう一度成長し直した別人って言ってもいいかもね。まぁ、私は今のこいつしか知らないから、過去とどう違うかなんて全然わからないけれど」

 

「……そっか。そう、だったんですか。……なんだか、納得した気が…します」

 

 リンがうつむき、沈んだ声で、ぽつり、ぽつりと呟いた。

 

 その声がかすかに震えているのは、いっそ赤の他人であったほうがまだ救いがあったかもしれないからだろう。

 

 不意に、リンが顔を上げた。

 

 大きな瞳に溜まった涙を、溢れてしまわないように指で拭いながら、細く震える声で彼女は言った。

 

「今度こそ、本当に納得しました。これで私も、これ以上彼を探し続けなくて済みます。ここに来て、良かった。本当に…良かっ……」

 

 震える唇が噛み締められ、もうそれ以上、言葉を紡ぐことは出来なかった。

 

 涙はもう指で拭いきれず、リンは両手で顔を覆った。その指の隙間から、涙が溢れ出す。

 

 閉店後のカジノのバーに、リンの嗚咽が響き渡った。

 

 たこを拾って戻ってきたルカが、リンの側に寄り、彼女の肩を優しく抱いた。

 

 メイコが、カウンター席から立ち上がりながら、

 

「ねぇ、あなた」

 

 と優しさのこもった声で語りかけた。

 

 それはまるで泣く子をあやす母のように。

 

 だが、彼女が次に告げた言葉は、そんな優しさとは無縁の挑戦的なものだった。

 

 メイコは、こう言った。

 

「まだ、勝負を降りるには早すぎるわよ」

 

「……えっ?」

 

 リンは覆っていた両手を離し、顔を上げた。

 

そんなリンに、メイコは強気な笑みを浮かべた。

 

「記憶なんてものはね、たとえ心が忘れてしまっても、身体のどこかに刻み込まれて覚えているものよ。こいつがあなたを思い出す確率は、絶対にゼロじゃないわ」

 

「で、でも…そんなの……」

 

「ほら、これを見なさい」

 

 メイコはそう言って、一枚のチップを取り出した。

 

「これは?」

 

「昨日、あなたがルーレットで一目賭けしたチップよ。あなたはすぐに去ったから知らなかったでしょうけど、ルーレットはあなたが選んだ数字を出したわ」

 

 それを聞き、リンは驚きに目を見張る。

 

 メイコは続けた。

 

「配当は36倍。確率は1/37ね。そして今日、あなたは確率1/164502のロイヤルストレートフラッシュを引き当ててみせた。この二つを連続で出せる確率は1/6086574。ほとんどゼロと言ってもいい確率を、あなたは引き出してみせた」

 

 メイコはそう言いながら、片手に持っていたチップを指で弾いた。

 

 天井へ向けて高々と上がったチップは、そのままリンの手元に落下し、リンは慌ててそれを両手で掴んで受け止めた。

 

 リンが手を開く前に、メイコが言った。

 

「運試しよ。チップを見る前に、表か裏か、当ててご覧なさい」

 

「………表」

 

 答えながら、リンが手を開く。

 

 脇から、ルカもその手元を覗き込んだ。

 

「あら、表だわ。おめでとう。ルーレット、ポーカー、そしてチップトス。三度連続で当たりを引く確率は1/12173148よ」

 

 ルカがリンの手からチップを素早く回収すると、リンから離れ、メイコの横に並んだ。

 

 メイコはリンを正面に見据え、言った。

 

「まだ勝負を続ける気があるなら、明日のこの時間に、ここへ来なさい。アンティはいらない。あなたたち二人のためのステージを用意しておくわ」

 

「……賭け金は?」

 

「ノーリミット。あなたの全てを賭けて、かかってきなさい」

 

「分かりました」

 

 リンははっきりと答えた。

 

 その唇はもはや震えておらず、その瞳から溢れる涙の代わりに、強い意志を感じさせる光をたたえていた。

 

 リンは、メイコとルカに一礼すると、しっかりとした足取りでバーを去っていった。

 

 その後ろ姿を見送りながら、メイコは言った。

 

「あの子、良いギャンブラーになるわ。まるで昔の私を見るよう」

 

「嫌ですわ先輩。あんな素直な子がひねくれちゃうだなんて、悪い冗談ですわ」

 

「確かに、言っていい冗談と悪い冗談があるわね」

 

 メイコは、ルカからたこをひったくると、それを思いっきり蹴り飛ばした。

 

「きゃぁああああ、たこちゃーん!?」

 

 バーを超えて、カジノの広いフロアの暗がりの中に飛んでいったタコを追いかけ、ルカが走っていく。

 

「ふん、私にだって純情な頃はあったんだからね」

 

「昔は、って。めーちゃん、自分で言ってて虚しくならない?」

 

「五月蝿い、カイト。……ほら、レン。あんたもいつまで狸寝入りしているのよ」

 

 メイコの手が、レンの後頭部をまたスパコンと叩いた。

 

「……痛ってぇ」

 

 レンが頭を押さえながら顔を上げた。

 

「あら、頭痛? 飲みすぎよ」

 

「バカなこと言わないでください、師匠。あれだけ頭をしばかれりゃ、誰だって起きますって」

 

「だったら本当に起きなさいよ。あの子がいた間、ずっと顔を伏せていたじゃないの」

 

「あそこで僕が話に加わったら、話が更にややこしくなると思ったんですよ」

 

 まったく、とレンはため息をつきながら頭を掻いた。

 

 その指が、古傷に触れる。

 

 レンは続けた。

 

「師匠、ノーリミットのゲームだなんて何を考えているんですか。相手はチップに表も裏もないことさえ知らない素人ですよ」

 

「本物のギャンブルにテクニックなんかいらないのよ。必要なのは運と度胸だけ。あの子はそれを両方持っているわ」

 

「それが僕にダランベール法から教え込んできた人間の言うセリフですか。僕がやってきたことをよりにもよってあなたが否定しないでください」

 

「勝ったときに1増やして、負けたら1減らす? そんなのおもちゃのルーレットで遊ぶ時だけにしときなさい。人生っていう運命の勝負盤には賭けどきってものがあるのよ。小細工なんか通用しない、裸一貫でぶつからなくちゃ進めないときがあるってこと」

 

「だからって、その賭けどきってやらを師匠が勝手に決めないでください。僕の人生は、僕自身のものだ」

 

「そうやって、自分で自分をコントロールできているつもりでいるの? 今日のざまで、よく言えたものね」

 

「うっ……」

 

「あんたは運否天賦を恐れるあまり、テクニックに逃げすぎていた。いつまでもそれじゃ、あのイカサマ師連中と変わりゃしないわよ。ここいらで覚悟を決めて、幸運の女神を捕まえてご覧なさい」

 

「だからって……彼女が探しているのは、僕じゃない。過去の“僕”だ」

 

「でも、惚れたんでしょ」

 

「なっ――!?」

 

 思いがけないことを指摘され、思わず言葉につまる。

 

 そんなはずがないと否定しようにも、喉がつかえて声が出ず、かわりに顔がカッと赤くなった。

 

「ほ~ら、頭で否定してても、身体は正直なんだから」

 

「……い、いやらしいことを言わないでください」

 

「いやらしい意味に捉えているのはあんた自身よ、このマセガキ。私が言いたいのは、あんたが忘れようとも過去は必ずついてまわって来るっていうことよ。あの子が、あんたを見かけてここへやってきたみたいにね」

 

「………」

 

「女の子があれだけの覚悟を決めて追いかけてきたのよ。あんたも男なら、分かってるでしょうね」

 

 男なら、か。

 

 レンは心中でため息をついた。まったく、逃げ道のないことを言ってくれるよ。

 

 男というのは、哀しいほどにプライドしか持っていない生き物だ。否定されたら生きてはいけない。

 

 だから、リンを拒絶するにせよ、受け入れるにせよ、どちらにしろ勝負から逃げるという選択肢はどこにもない。

 

「……水」

 

 レンは、バーテンから差し出されたコップの水を一息で飲み干すと、カウンター席から立ち上がった。

 

「受けて立ちますよ。それで師匠、ゲームの種類は?」

 

「クラップス。どんな優秀なスピナーでも、ダイスの目までは操れないでしょう?」

 

「上等ですよ」

 

 レンはそう言い捨てて、バーをあとにした。

 

 

 

 

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