翌日。
閉店後のカジノ。
静まり返ったフロア内の一画には、一つだけ照明がつけられ、真下のテーブルに光を投げかけていた。
レンはそのテーブルのそばに一人で立ち、闇に包まれたフロアの奥に目を投げかけている。
その先、各種ゲームのテーブルが並ぶ静まり返ったフロアの中を、僅かな明かりだけを頼りに、カツ、コツ、と靴音が近づいてきた。
靴音は、ゆっくりと、慎重に、しかし確実に近づいてくる。
レンは、照明の下で、その靴音の主を待ち受けた。
暗闇の中から、光の中へ、彼女が――リンが姿を現す。
「お待たせしました」
「別に、待ってなんかいやしない」
「私なんかを待ちたくなんかなかった、っていうことですか」
「ひねくれた物言いだな。そんな意味じゃない。時間通りに来たから、待たされていた訳じゃないということだ」
我ながら意地の悪いものだな。
レンはそう思いつつも、そんな態度を改めることができないでいた。
それなのに、リンは、
「良かった」
そう言って、ホッと安堵の息と笑みを見せた。
それは彼女の人の良さか、優しさか。
レンは、そんなリンの姿を眺めた。
彼女は、黒く大きな襟のついた白いシャツに大きな黄色のリボンを結んだ、いわゆるセーラー服姿だった。
「学校の制服……なのか?」
「か、借りたドレス以外だと、もうこれしか…残ってなくて……あ、でもちゃんと卒業はしてるんですよ!」
リンは顔を真っ赤にしながら、しどろもどろに答えた。
レンはため息をつき、
「あれだけの大金を稼いだんだから、新しいドレスの一着ぐらい買えただろう」
「あ、あんな大金、借金返済以外にどうやって使えばいいのか分からかったですし、そ、それに、ああいう格好って、本当はすごい苦手なんです」
「まぁ、確かにな。あのドレスはあまり似合っていなかった」
「うっ…」
この言葉に、リンが傷ついたような顔をする。
レンはそれを見て心に何故か痛みを感じ、そこから自分でも思いもしなかった言葉が飛び出した。
「あんたはさ、もっと、華やかで可愛い感じのするドレスが似合うと思う。王女か、お姫様みたいな――」
レンは慌てて口をつぐんだ。
とても自分のセリフとは思えなかった。
レン自身も知らない、“過去の自分”が言わせた言葉だ。そう思った。
一方、リンはといえば、
「え…えと……えと……」
赤い顔がさらに赤くなって言葉さえうまく出ないでいる。
「げ、ゲームを始めよう」
レンは足早に、リンとテーブルを囲む形になるよう、反対側へと回った。
「ゲームの種類は、クラップス。ダイスを二つ投げて出る目に賭ける簡単なゲームだ。ルールの詳しい説明は必要か?」
「お、お願いします」
「このゲームは、さっきも言ったとおりダイスを投げて目を当てるだけだ」
レンはそう言って、ケースに入った五つのダイスをリンに差し出した。
「不正防止のために、この中から二つ選んで投げる。好きなのを取れ」
リンは黄色の半透明のダイスを二つ選んだ。
「賭けのやり方だが、それはこのテーブル上のレイアウトに示されている数字の、好きなところにベットすればいい」
「それだけ……ですか」
「うん、まぁ今回はそれだけだ」
「今回?」
「本当を言うと、賭けのやり方にはもっと多くの種類と、複雑なオッズが存在するんだけど、今夜はそれを全部省略して行う」
レンは、オッズは単純に数字の出る確率で計算し、そこに店に対する控除額は含まれないこと。
互いに当てた数字に対する取り分は、二人とは別に店から支払われ、外した場合は店への没収となること。
レイアウト上にベットできるのは数字上に同時に三ヵ所までとし、お互いに同じ場所にはベットしないこと。
そして、今回はレンもプレイヤーであるため、本来ならば客しか行わない投げ手(シューター)は交互に実施することを説明した。
「以上だ。理解したか?」
「は、はい」
「じゃあ、チップを渡す」
「念の為に聞きたいんですけど、フロアマネージャーさんはアンティはいらないと言いました。では、このチップは何を担保に支払われるんですか」
「僕たち自身、だそうだ」
レンは自分で答えながら、全くなんてものを賭けさせるのか、と呆れ返った。
これを提案したのは、もちろんレンではなく、メイコだ。
ノーリミットの勝負なのだ。金だけではなく、文字通り全てを賭けろ。と、いう事らしい。
提案ではなく命令だよなぁ、とレンは思いつつ、あらかじめ用意しておいた三十六枚のチップの束を、リンの前に並べた。
そして、同じ量のチップを自分の前にも並べる。
リンもノーリミットの意味を分かってここにやってきていたのだろう。レンの答えを聞いたあとも特に何も言わず、チップを受け取った。
「さて」
レンはテーブル上のチップを示して、言った。
「これが僕たちお互いの値段ってわけだ。このゲームに勝った者は相手を好きにできる。何しろ自分自身を賭けているんだからな。それでもし僕が勝った場合は、君をどうしようかな?」
レンはわざと好色そうな物言いで、リンに不躾な視線を向けた……
……多分、好色そうで不躾な視線になっているはずだった。
レンは、リンを前にしてどんどん余裕をなくしていくのを自覚した。
リンが、レンをまっすぐに見つめ返して、言った。
「あなたが勝ったら、私を好きにしてもらって構いません」
「好きにするって意味が分かっているのか」
「煮るなり焼くなり、思う存分」
「僕の部屋に連れ込んで、好き放題おもちゃにした挙句に、飽きたら外に放り出してもいいんだな」
「はい」
迷いなく答えられて、逆にレンの方がたじろいだ。
「じゃ、じゃあ、もし君が勝ったら、僕をどうするつもりだ?」
「何も、しません」
「何も?」
「はい」
「訳がわからない。だったら、このゲームには何の意味があるんだ?」
「意味なら、ありますよ。あなたと一緒にゲームができる。それだけで十分。それに、私はちゃんと勝ちますよ」
「……すごい自信だな」
リンは「ふふ」と笑って、
「ひとつだけ、ルールを加えさせてもらってもいいですか?」
「どんな?」
「私はこれから、ある数字だけに賭け続けます。私のチップが無くなってしまえば、あなたの勝ち。でも、それまでにあなたが私のことを思い出してくれれば、私の勝ち。どうです?」
「バカな。そんなの、勝負にならない」
「そうでしょうか」
「だいたい、どうやって僕が君のことを思い出したか証明するんだ。僕が誤魔化せばそれで終わりだ」
「あなたは、そんなことをしないと思うけれど……」
「君は、僕の何を知っている?」
「そうね、ごめんなさい。私は今のあなたを何も知らない。じゃあ、こうしましょう。あなたが、私の名前と、あなた自身の本当の名前を思い出せたら、私の勝ち」
「君はバカだ。条件が全然変わっていないじゃないか。それに君の名前ならもう知っている。リンだ」
「それは愛称よ、本名じゃないわ。それにあなたも、レンじゃない」
「――っ!?」
レンじゃない。そう言われたことに、レンの胸の内がざわりと泡立った。
僕はレンだ。
その強烈な自負が、リンの明らかに不利なルールを訂正する気を失せさせた。
「いいだろう、そのルールでやってやる。後悔したって遅いからな」
「ありがとう、レン」
「僕はレンじゃないんだろう?」
「愛称よ。私はずっと、そう呼んでいた」
リンはチップを三枚、手に取り、その全てをレイアウト上のある数字に置いた。
それは、12。確率は1/36。オッズは12倍だ。
単純に確率のみでオッズを決める今回のルールでは最高倍率の目であり、同時に最も低い確率でもある。
レンは最も確率の高い数字から順に、5、6、10にそれぞれ一枚ずつベットする。
ダイス二つを投げた場合、もっとも出る確率が高い数字は7であるが、クラップスというゲームは本来、この一番でやすい数字をゲーム終了の目としているため、レイアウト上には存在しないのだ。
もっとも、レイアウト上に存在しないだけで、本来のベットの種類には7に対する賭けも含まれているのだが、今回のゲームではそれも省略されている。
ベットが終了し、レンは、リンにダイスを投げるように促した。
「テーブルの端の壁に当てるように投げるんだ」
「はい」
リンは素直に頷き、ダイスを振った。
彼女の手から放たれた二つのダイスは緩やかな放物線を描き、テーブルに貼られた緑の絨毯(ダルベール)を跳ね回った。
そのままテーブル端の壁にぶつかり、中央まで跳ね返って現れた数字は、3―3で、合計は6だった。
レンの勝ちだ。
もっとも、確率5/36であり、このゲームでのオッズは2倍。
収支的にはマイナスだった。
レンは一枚失い、チップは残り三十五枚。
リンは三枚を失い、残りは三十三枚となった。
「先ずは、僕の勝ちだ」
「そうね」
リンは全く臆することもなく、再び12に三枚のベットを行う。
レンも、先程と同じく、5、6、10にベット。
シューターは、レン。
ダルベールに放たれたダイスが示したのは、5-1の6。
先程と同じ量のチップが、店への没収として、テーブルの隅に移動した。
(こんなの、勝負とはいえない。ゲームですらない)
レンは、リンがまた12にベットするのを見てそう思いながら、自分もまた前回と同じ場所にベットした。
何しろレンが勝つ確率4/36と5/36と3/36、つまり1/3に対し、リンは1/36の勝負だ。
5、6、10のオッズがそれぞれ3倍、2倍、4倍なので、レンにとって収支がプラスになることはなくとも、まず確実にリンの方が先にチップが尽きる。
リスク回避に努めてさえいれば、まず負けるはずのないゲームだった――
――リンがダイスを振る。
出た目は、6-6の12だった。
オッズ12倍で一気に三十六枚に膨れ上がったチップが、リンの元に収まった。
リンは言った。
「王女に感謝しなくちゃね」
「イカサマ師の言葉だ。あんなのを間に受けるなんて、どうかしている」
「違うわよ。これは私に“王女と召使”を教えてくれた人の言葉」
「僕のことか?」
「思い出したの?」
「全然」
「そう」
リンはさほど落胆した素振りも見せずに、12にベットする。
レンも同じ位置にベット。
「偶然は二度も続かないぞ」
「可能性はゼロじゃないわ。さぁ、投げて」
レンは投てき。
出た目は6-6の12。
「そ…そんな……」
「これじゃ、ゲームが終わらないわね」
「バカなっ、二回連続で12が出る確率は1/1296なんだぞ!?」
「でもゼロじゃない。ロイヤルストレートフラッシュに比べれば格段に高い確率だと思うけれど」
「そんなもの、比べる基準がおかしい。イカサマだ!」
「ダイスを用意したのはあなたよ。投げたのも、あなた」
「っ!?」
リンに指摘され、レンは押し黙る他になかった。確かに、イカサマの証拠はない。
「いいよ、分かった。認めるさ」
レンは深呼吸を一つ、頭を冷やす。
「リン、君は確かに幸運の持ち主だ。だけど、それが長く続くはずがない。君が提案したルールじゃ、君は絶対に勝てないんだ」
「いいえ、あなたは絶対に思い出すわ」
「思い出したとしても、言うものか」
レンがそう言い返すと、リンは少しキョトンとして、それからクスクスと可笑しそうに笑い出した。
「そうね、そうなったら、私は絶対にレンに勝てないね」
「わ、笑い事じゃないだろう。真面目にやれよ」
「うん、そうだね。ごめんね、レン……でもさ――」
リンは最後に何かつぶやきながら、12にベットする。
「――思い出してくれたなら、負けてもいいよ」
(なんだよ、それ……)
レンは口に出して反論しなかった。
反論よりも、当惑していた。
リンは、必ず勝つと言っておきながら、本当は勝つつもりなど無いんじゃないだろうか。
もしかすると、レンのものになることを、望んでいるとでも言うのだろうか。
だったら、このゲームは、勝負はいったい何の意味があるんだ。
二人がひとつのテーブルを囲むためか。
それで、何が得られるというんだ。
(彼女が望んでいるのは、僕の記憶だ)
だが、それを思い出した上で、まだレンが“レン”のままで居られたなら、レンはこのゲームで勝利し、記憶とリンの両方を手に入れることができる。
それはまさに、レンにとって最高の勝利――
(――最高?)
レンは、リンの思惑よりも、自分の気持ちに当惑した。
(僕は、彼女を、リンを欲しがっているのか?)
そもそも、なぜ自分はこの勝負を受けたのか。
(師匠の言うとおり、やっぱり僕は、リンに惚れたのか?)
「レン」
「あ、え?」
自分で自分の気持ちを図りかねている時に、当の相手から名前を呼ばれ、レンの心臓は跳ね上がった。
「な、なに?」
「ベット、しないの?」
「あ、あぁ」
レンはチップをつかみ、レイアウト上に並べる。
リンがダイスを握り、
「ねぇレン、三回連続で12が出る確率は?」
「……1/46656」
「レン、すごいね。すぐに計算できちゃうんだ」
たかが掛け算の問題でしかないのに、リンが幼い頃と全く変わらない調子で、レンを褒めた。
昔、彼女にポーカーのルールを教えた時も、リンはやっぱり同じようにレンを褒めていた。
リンは、どんな些細なことでも無邪気にレンを褒めるので、レンは嬉しさよりも恥ずかしさの方が先に立ってしまい、それで……
「早く投げろよ」
……こんなふうに、ついついぶっきらぼうな態度をとってしまうのだった。
リンはダイスを投げる。
出た目は、4-6の10。
「やっぱり、三回連続は無理だったね」
リンはあははと笑って、軽く肩をすくめた。
リンはチップをテーブルの隅に押しやり、新たなチップを12においた。
そしてダイスを拾い、レンに差し出す。
「はい、レンの番だよ」
「君は……負けてしまってもいいのか?」
「う~ん。負けるつもりはないけれど、レンが自分のことを思い出してくれたなら、このゲームには負けてもいいかなって思ってる」
「僕のものになってもいいっていうのか?」
「もらってくれるの?」
「僕は……僕は、君のことを何も知らない」
「思い出したら分かるわ。でも、思い出せなかったり、思い出しても私のことは分からないままだったりしたら、しょせん私はその程度の存在だったということだから、捨ててくれたって構わない」
「そんな…そんなこと……だいたい、君だって僕のことを何も知らないじゃないか」
「これから知っていくわ。例え今のあなたがどんな人でも、私はあなたに拒絶されるまで側に居て、あなたを知り続ける。でもね……」
「でも?」
「……レンは、全然、変わってなかったよ」
「…え?」
「ほら、ダイス」
リンがテーブルに身を乗り出し、向かい側に立つレンの手を取った。
レンの手に、リンの手の平の柔らかな感触と、硬いダイスが握られた感触。
リンが離れる。
「僕は……変わってないのか?」
「私が、七年ぶりに見かけたあなたをどうしてここまで信じられるか、分かる? あなたは記憶を失ってしまったかもしれないけれど、でも、やっぱり私の知っているあなたのままだった」
「………」
「勝負に挑む時の真剣な表情。人を見ていないようで、本当はちゃんと見ているその眼差し。厳しい言い方をするけれど、本音は誰よりも相手のことを考えている、その優しさ。……昔から、何ひとつ変わっていなかった。レンは、レンのままだったよ」
「………」
レンは何も言えなかった。
何も答えられなかった。
ただ、自らの内側に向けた問いを、心の中で繰り返し発し続けていた。
(僕は、僕のままでいていいのか?)
――いいんだよ。
心の内側から、誰かがそう答えた。
(僕は、“レン”のままでいられるのか?)
――ああ、大丈夫だよ。
(僕は、“過去の僕”の代わりに彼女に愛されてもいいのか?)
――彼女が、そう望むなら。
(僕は……リンを愛してもいいのか?)
心の声は答えなかった。
その代わり、レンは誰かに、背中を押された気がした。
レンはテーブルに身を乗り出し、ダイスを握っていない方の手で、向かいに立つリンの頬に触れた。
リンが、驚きに目を見張る。
「…レン?」
手のひらに伝わる、彼女の感触。
その柔らかさに、
温もりに、
レンは感覚を集中した。
タブローを回す時よりも静かに、
カッティングマシーンを読み取る時よりも深く、
優しく、リンの頬を撫でる。
その指に伝わるかすかな刺激が、レンの身体の奥底に刻まれた、大切な記憶を蘇らせていく。
レンは、そのなかでもいちばん大切な記憶に、
思い出に、
想いに、
つけられた名前を口にした。
「リリアンヌ……」
彼女が、息を飲んだ。
レンはもう一度、その名を告げた。
「君の名は、リリアンヌ。……僕の大切な王女様だ」
「レン……っ!?」
リンが、リリアンヌが、喜びとともに、その瞳に涙を溢れさせた。
その涙がこぼれ落ち、頬を伝い、レンの指先に触れる。
その涙を拭おうとしたレンの手を、リリアンヌが両手で包み込んだ。
「ねぇ、レン。言って。……あなたの、本当の名前を」
レンは、自分を見つめる彼女の潤んだ瞳の中に、一人の少年の姿を見つけた。
その少年が、レンに向かって頷いた。
大丈夫だよ、と安心させるように。
そして、勇気づけるように。
レンは、自分の名を口にした。
「……アレン」
瞳の中の少年が、嬉しそうに笑い、そして閉じられたまぶたの向こうへと消えていった。
目を閉じたリンが身体をテーブル上に乗り出し、その唇がレンの唇を塞いだ。
レンは片手に握りしめていたダイスを投げ出し、リンの身体をしっかりと受け止め、そして力いっぱい抱きしめた。
「あぁ、レン!」
「リン……っ!」
ダルベールの上で抱擁と口づけを交わす二人。
その足元で、投げ出されたダイスが、二人にとっての運命の数字を出して、止まった。
――了――
あとがき
作者はルーレットもポーカーもクラップスもやったことありません。
なので描写とかルールとかツッコミどころしかないような気がしますが、生温い目で笑って読んでいただければ幸いです(^。^;)
最後がちょっと駆け足になってしもうた気が。
あ、そういやレンの記憶喪失の原因を書くの忘れてた。
まぁいいや、バナナの皮で滑って転んだということにしておこう(゜∀。)