エメラルドの大魔法使いと失われた主人公と最後の物語 後編 作:とましの
三成の案内のもとで公爵家屋敷へたどり着くと慶次は真琴と繋いでいた手を放した。すべてが眠りについた街を歩く間に寂しさが込み上げて真琴の手をつかんでしまっている。しかしいつまでも手を繋いでいるのは恥ずかしいと思ってもいた。そんな慶次のそばで第二王子の政宗が玄関扉を開かせる。
いつもと違い笑顔の薄い政宗の背にはいまも濃紺の大きな尾があるがこれも萎れたように垂れていた。
「あなたのソレは相変わらずですね」
覇気を失ったように垂れた耳と尾を横目にした三成がその素直な反応を指摘する。
「こればかりはな」
すると政宗は笑みをこぼして返しながら屋敷へ入って行った。どんな修羅場でも悠然と構えている弟だが、最近は落ち込んだ姿を見せることが多い。そんな弟の姿に眉をひそめた第一王子の信長は口を一文字に結んだ。そして何を言うでもなく屋敷に入ると飾り気の無い玄関ホールを見渡す。
昼下がりだというのに静かな世界で、三成は屋敷の応接室へ向かった。するとそこだけは音が生きていて人の会話が広がっている。
「あ! みんなだいじょうぶだった? なんかお屋敷の人たちがバタバタたおれちゃったんだけど」
応接室に入るとまず先に凜がやってきて問いかけを向けてた。彼は慶次の手をつかみ真琴を見上げつつもその目を三成へ移す。
「なんかまわりが静かになったから浅葱に空から見てもらったんだよ。そしたらいばらがいっぱいだって言ってたんだけど」
「眠りの森の呪いが広がっているんですよ」
「いばら姫の主人公がこの街にいるってこと?」
「そうですね」
異世界から来た凜は普通の子供よりもおとぎ話に精通している。そしてそんな彼の目は物語の役を見抜く力を持っていた。
そんなふたりの会話を聞いていた信長は射抜くような目で三成をにらむ。
「君たちは何の話をしてるんだ。僕と慶次と白い厄介者以外に主人公がいるのだとしたら、そいつが城を呪ったということかい」
「いばら姫は生まれつき呪われています。そして十五の年に呪いが発動して、国とともに百年の眠りに着くんですよ」
憤然と言葉を向ける信長に三成は落ち着きを保ったまま返した。そんなふたりを心配そうに見ていた慶次はとりあえず座らないかと言い出す。
「屋敷の人がみんな寝ちゃったなら俺がお茶入れるからさ。外寒かったろ? ちょっとあったかいものとか飲みたいかなーって」
険悪な雰囲気をなんとか払拭させようと慶次は作り笑いを浮かべる。するとそんな慶次の手を他ならぬ真琴が取った。
「俺も手伝う。あー……カップを運ぶくらいならできると思うからな。兄上たちも飲みますよね。慶次の入れたお茶は美味しいんですよ。優秀な先生に習ったおかげで」
「おお、それは楽しみだな。ぜひ頼む」
真琴の言葉に政宗が続けば、第三王子の幸村は疲れた顔でソファに座る。そんな王子たちの様子を眺めていたのはソファにいた西の魔女の蒼馬だった。
蒼馬は立ち上がると凜に座っているよう告げる。
「私はあちらの手伝いをしてきます。かまどに火をつけるのも手間でしょうから」
「蒼馬さんなら火をつけるのもあっという間ですもんね。おねがいします」
親切な西の魔女に凜は笑顔で頭を下げる。そうして西の魔女が立ち去ると凜は笑顔のまま三成を見上げた。
すると三成は首をかしげる。
「あなたは手伝わないんですか?」
「だってほら、いばら姫のこととか聞きたいし。あれってたしか、お姫様が糸車の針に刺さってねちゃうお話ですよね?」
同じ境遇の仲間と知ってから、凜は三成を恐れなくなった。むしろ妙になついた様子で楽しげに話しかけソファに座る。そして三成も、そんな凜の態度に何を言うでもなく返していた。
親しげに話すふたりを眺めていた信長は政宗にうながされ凜の向かい側に座る。広い応接室は装飾品などなく、代わりのように花瓶がいくつも置かれていた。信長はそんな応接室に目を向けながら周囲の会話に耳を傾ける。
「眠りの森の呪いって、前に北の王が使ってたやつだよナ」
ひとりがけのソファでくつろぐ幸村が、三成にひとつ質問を向ける。そんな彼の手元には棒つき飴が握られていた。
「そうですね。しかしそんなものは魔法を扱える者であれば誰でもできる事なんですよ。ただその呪いの主がいばらの森の主人公だった場合、国を眠らせてしまうというだけです」
「その主人公がこの国に来てたんだナ」
「元々この国はいばらの国なんですよ」
客が多いとぼやこうとした幸村へ、三成が言う。しかしそんなことは知らない幸村は自然とその目を自分の兄弟へ向けた。
「赤ずきんの国だよナ」
「僕が生まれた時、この国に僕以外の主人公はいなかった」
「あなたがたは、ただ王位継承権を持つというだけで人を殺そうとしますか」
否定しようとした信長へ三成は冷たい瞳で質問を向けてきた。その唐突な質問に信長は眉をひそめてありえないと返す。
「そんなことがまかり通るなら政宗や幸村はどうする」
「しかしあなたの近衛隊長は、幼い頃から死ぬ事を望まれていました。けれどそれも当然でしょうね。生きて十五になれば今のように国が眠ってしまうんですから」
この中で最も長く生きている三成は王子たちの知らない事も知っている。それでなくとも三成は普段からあらゆる事を知る者として城で重用されてきた。そんな人間の言葉に信長は絶句したように黙り込む。
そんな信長に代わって幸村が口を開いた。
「近衛隊長がいばら姫なんだナ。けどそれならなんで今まで何もなかったんだヨ」
「十二年前、北の大魔女に頼んだんですよ。主人公として得るはずの幸福も特権も、その心ごとすべて封じてほしいと。そして望んだ通り『いばら姫』はこの世界から消えました。同時に心を凍らせ真実の愛を失ったあの人は呪いを解くこともできなくなりました」
大魔女に頼んでみずからを呪わせいばら姫を消す。さらにその呪いが解けないようにと心を凍らせ愛を手放した。そう聞いた信長はゆるゆると三成に目を向けた。
「だから……近衛隊長は僕に冷たかったのか」
「あなたにだけではありませんよ。慶次と会うまでは実母にも冷たかったので」
慶次と会ったことで改善したという三成に政宗がうなずいた。
「確かに最初と比べてかなり変わったな」
「そういえば、彩兎さんが魔法がかかってるかわからないって蒼馬さんに話してた」
穏やかに微笑む政宗を見つめていた凜が、不意に思い出したように口を開いた。
「隊長さんを好きにさせたはずだけど、なんかちがうって。魔法をかけたから隊長さんは疑わなくなったけど、愛されてる気がしないみたい。ちょっとむつかしいけど」
「南の魔女では北の大魔女の魔法は打ち消せませんからね。しかも南の魔女の魔法が無理矢理心を捕らえようとしたせいで、かえって呪いが強化されていました。最近のあの人が周囲に冷たくなったのはそのせいですよ。それにあの人は、自分が思ってるほど魔法を振り撒けていません」
「え、でもなんか、彩兎さんのお茶を飲んだ人はみんなスキになっちゃうって」
「北の王の力を狙っていたからとはいえ、少し頼まれただけで高級茶葉を提供したあげく慶次にお茶の入れ方を教える。そんな手間をかけてくれる人間が、普段から人に好かれないと思いますか?」
首をかしげた凜に、三成は教師のような口調で問いかけを向ける。まだ十歳の凜は幼い瞳で三成をじっと見つめていたがややあってひとつうなずいた。
「彩兎さんはやさしい」
「あなたはよく言いますね。この人は親切だ、この人は優しい人だと。そういう人間に好意を抱くのは簡単なことです。ただ魔女は全員が『自分は嫌われて当然だ』と思い込んでいます。その偏見が視野を狭めてしまうのでしょう」
「魔女って魔法が使える以外はふつうの人だもんね。北の魔女さんもおもしろいし、魔女はみんないい人だよ。三成さんはたまにおれのこと無視するし怖いけど」
「あなたはそんな怖い人間によくこうして話しかけられますね」
「いい人ってわかってるからね」
えっへんと胸を張った十歳児に三成は微笑をこぼした。そこへ新たに応接室に魚住がやってきて、同時に奥からお茶を入れた慶次が戻る。
「しまった! 一個足りない!」
魚住に気づいた慶次は足りないと言いながらトレイをテーブルに置いた。
「魚住さんはとりあえず俺のを飲んでてよ」
「光秀はどこだ」
慶次の親切を流して魚住は廊下へと振り向く。そうして近衛隊長の姿を探しながら信長を見た。
「王子がここにいるのなら近衛隊長も来てるだろ」
「近衛隊長は眠ってしまっているよ」
「まだ調子が悪かったのか」
病み上がりだからと納得した魚住は踵を返す。
「部屋にいるのか?」
「近衛隊長はいばら姫の主人公で、先程その呪いが発生した。だから近衛隊長は父上や他の者たちとともに城で眠っている」
応接室を出ようとした魚住に信長は端的な説明を向けた。すると魚住は驚きの顔で振り向きどういうことだと問い返す。
「あいつはいばら姫なのか? けどここは赤ずきんの国だろ。それに永遠の眠りにつく呪いは防いだはずだろ」
「呪いの矢の話じゃない。近衛隊長自身が元々呪われていたんだ」
「ならどうすれば助けられる。また物語をやり直すのか」
「そんなことはわからないよ!」
立て続けにぶつけられる質問に信長は苛立ちを隠さないまま言い放った。すると魚住は口を閉ざして服の襟元から首飾りを引っ張り出す。長い鎖には濃い緑の石がついた指輪が吊るされていた。
鎖に繋がれた指輪を手のひらに乗せて見つめていた魚住はややあってその目を三成に移す。
「あいつは無事なのか」
指輪を鎖ごと服の中へ戻した魚住はまっすぐに問いかける。すると三成は平然とした顔で無事だと返した。
「百年眠り続けることになりますが死ぬことはありません」
「そいつは無事とは言わねえだろ。どうすりゃいい」
「この物語の終着点は、百年後に王子がいばらの森をくぐり抜けて救う事です」
「俺は百年も生きてられねぇし、そこまで待つのも勘弁したいとこだ」
「では物語を歪めますか」
「は?」
待てないと言う魚住に三成は今までと変わらない口調でおかしな事を言う。そんな三成をそばにいた全員が見つめた。
そんな中でトレイからカップを移動させていた慶次が口を開く。
「みっちゃん、物語を歪ませるって意味がわかんないんだけど…」
「そのままの意味です。正式な物語の流れを無視して結末を迎えるんですよ」
「それって簡単?」
「あのいばらはこの先、百年は主人公の元へ向かう道を塞ぐでしょう。それを破壊する力と魚住さんがいれば可能ですよ」
「いばらを切るってことは斧でがつーんとやるんだな。それなら俺でもできる!」
三成の説明に慶次は気合いの入った顔と共に拳を固めた。三成はそんな慶次に否定を向けるでもなく立ち上がる。
「俺は少し準備をして来ます。殿下たちはどうぞご自由におくつろぎください」
何やら考え込んでいるらしい信長に告げながら三成は応接室を後にした。するとなぜか魚住があとをついてくる。
「俺がいれば結末を迎えられるってのはどういう意味だ」
「そのままの意味ですよ」
廊下を歩き玄関ホールへ戻ると階段へ向かう。それでもまだ魚住は三成の背後をついてきていた。
「俺には何の力もないぞ。物語をやり直したってのも、あの妃たちだからな」
「物語をやり直す必要はありません」
「そもそもあいつは南の魔女に魅了されてるんだろ。ならあいつに……」
「確かに南の魔女はあの人の認識を歪ませました。しかし大魔女の呪いで凍り付いた心を捕らえることはできませんよ。言ったでしょう。凍り付いた心の扉をこじあけようとしたせいで逆に閉ざされたと。大魔女の呪いを打ち破れずかえってそれを強めてしまった。それが南の魔女の限界です」
「なら……」
「もっと力のない自分には何もできない。そうやって諦めて口を閉ざして、あの夜のように救いの王子が現れるのを待ちますか」
魚住の言わんとしたことを先に告げた三成は厳しい瞳で振り向いた。そんな三成の発言に驚いた魚住は眉をひそめて視線を落とす。
「知ってるのか」
「大魔女の呪いで心と思い出を封じるまでは、何度も話してくれましたからね。俺だけでなく、当時この屋敷にいた第二王子も知っています」
「……そうか」
そこまで長い付き合いなのかとつぶやいた魚住は深いため息を吐き出した。
沈黙の中で二階に進んだ三成は長政の部屋へ足を向けた。昼下がりということもあり明るい室内にはなぜか秀吉だけでなく彩兎もいる。しかしベッドで布団にくるまる長政のそばにいたのは怜だった。
「書記官さん、長政くんが眠くてしんどいて言うてんけどなんやろ」
「魔女の子であることを拒絶しているせいで役を失っているんですよ。民と同じように眠りたいのであればそのままでも構いませんが」
「あいかわらず冷たいなぁ」
真っ先に訴えてきた秀吉に冷静な言葉を向ければ呆れた態度を返される。三成はそんな秀吉に目を向けることなくまっすぐに枕元へ向かった。
怜が立ち上がり場所をあけてくれた事で、三成は長政の枕元のそばで膝を屈する。
「ただの民としてこのまま眠りにつきたいですか?」
「……悪魔になるなら……ふつうの人でいいです」
半分寝惚けたような声色で長政は普通になりたいと言う。そんな長政をまっすぐに見つめていた三成はややあって目を細めた。
「では仕方ないですね。あの人を呪いから救う手伝いを頼みたかったのですが」
そう言い放ち三成はあっさりと立ち上がる。すると長政は寝乱れた頭のまま慌てて起き上がった。
「隊長がどうしたんですか」
「あなたの母親がかけてくれた呪いが解けていばらの森に捕らわれてしまいました。あなたの力であれば城をおおういばらを退けられると思うのですが、嫌なのでしょう?」
「嫌じゃないです。隊長を救いたいです。でも俺は悪魔かもしれないんです。力が強すぎて世界を壊してしまう」
「大魔女の力を引いている上に北の王の力もありまますからね。悪魔に匹敵する力くらいはあるでしょう」
「だから怖いんです」
「あなたが幼い頃から怖がりなのも知ってます。しかし物語を歪ませるにはその強い力が必要なんですよ」
「でももし僕が誰かを傷つけてしまったら…」
「北の魔女と西の魔女なら治せますよ。それに東の魔女ならあなたの力を消すこともできるでしょう。他に疑念や問題はありますか?」
長政が抱える不安や恐怖など、あらゆるものを三成は端的に片付けてしまう。そのため長政は困惑した様子のまま秀吉と彩兎を見た。
「……助けて、くれますか」
十五歳の長政は幼さの残る顔を曇らせたままふたりに問いかける。すると秀吉は顔を赤らめ当たり前だと言い放った。
「俺は長政くんを助けるために魔女を辞めなかった男やで」
「ところで東の魔女というのは誰ですか?」
えっへんと胸を張る秀吉の脇で彩兎が三成に問いかける。とたんに秀吉はきょろきょろと三成と彩兎を見やった。
そうして視線を受ける中で三成は怜に目を向ける。
「かなり血は薄いようですが、悪魔の力を阻むくらいはできるでしょう」
「はい。浅葱さんに協力してもらっていろいろ試しているので……でもどうして俺が魔法を消せるのを知ってるんですか?」
「能力について詳しくは知りませんが、あなたが東の魔女であることはわかっていました。目覚めることができて良かったですね」
やはり端的で他人事のような話ぶりで三成が言う。しかし秀吉と彩兎はそんな三成の言葉に驚きを禁じ得なかった。とくに彩兎は怜に向かって魔女だったのかとつぶやく。
そんな三人から顔を背けた三成は再び長政に目を向けた。
「すぐに準備をしてください。時間の経過とともに呪いが広がってしまいます」
速やかに告げた三成は長政の返事を待つことなく部屋を出ようとした。しかしふと足を止めると彩兎へ振り返る。
「あなたは人を魅了するのに体液を使っていますね」
唐突に向けられた三成からの指摘に彩兎の顔がこわばった。しかし三成は変わらず眼鏡越しに冷淡な視線を向けている。
「東の魔女を魅了するほどの量の体液を使えば近衛隊長を魅了できたかもしれません。なぜそうしなかったんですか?」
「……それは」
三成の厳しいと思える問いかけに彩兎はうまく返すことができなかった。
口づけで与えられる体液の量などたかがしれている。それ以上の量を相手に与えるには性行の際に相手の中へ直接入れるしかない。それを相手は知っているのだろう。そう思うまま、彩兎は苦味を含んだ笑みをこぼす。
「何度も身体を重ねて体液を入れ続ければ、確かに心も完全に捕らえられたかもしれないね。でも近衛隊長さんにそういうことはできなかったんだよ」
「あの人を意のままにできれば、悪魔に軍を差し向けることもでききましたよ」
「そこまでのことは考えていないけど、僕の仕事の力にはなれたかもしれないね」
「ではなぜそうしなかったんですか」
「隊長さんはたぶん、情報のために簡単に肌を重ねる僕とは間逆の人なんだよね。潔癖なのか知らないけど、手袋越しでしか僕に触れないし触れられることも嫌っていた。それは魅了した後も変わらなかったんだよ」
微苦笑とともに告げた彩兎は金色の瞳を怜へ向けた。
「それに触発されたのかもしれないけど、怜君以外の人を抱きたいと思えなかったんだ。本当におかしな話だけどね。もちろんこのまま触れずにいれば、いずれ怜君にかけた魅了も消えてしまう。でもきっと僕の気持ちは変わらないよ」
相手から好意が失われても、こちらの気持ちは変わらない。そう告白した彩兎に怜は勢いよく首を横へ振った。
「俺は彩兎さんのことが好きです。それはこれからも変わりません」
「僕が言うのもなんだけど、それは魅了の魔法のせいなんだよ」
「そうかもしれません。でも元々彩兎さんは魅力的な人ですから」
一歩も引き下がらない怜に彩兎は微笑のまま三成に目を向けた。
「近衛隊長さんを利用した僕でも、罪悪感はあるからね。あなたの指示には従うよ」
「では城へ行く準備をしてください。夕暮れが近づけば気温も下がりますから防寒を忘れないでくださいね。もう街のすべてが機能していないでしょうから、暖を取る手段はこの屋敷以外のどこにもありません」
「わかった。僕は一度屋敷に戻ってありったけの防寒具を持ってくるよ」
怜に腕をつかまれたままの彩兎が笑顔で返した。それにうなずいて返した三成は部屋を後にする。するとやはり魚住がついてきた。
「あいつに潔癖の印象はなかったな」
「昔はありませんでしたよ。しかし心を凍らてから、人の温もりを避ける傾向にありました。凍らせた直後は人と関わる事すら拒絶していましたけどね。しかしその拒絶も少しずつ解けていきました」
「真実の愛がなんとかってやつか」
「幼くまっすぐな弟にほだされて、凍っていた心が少しずつ溶けていたんです。あなたと再び知り合った時には人並みの接触はできていたと思いますよ」
「そうだな。俺が触っても嫌がってなかった」
夏の終わりに出会った男とは、初対面で助けられた事から縁が始まっている。謎の多いその男に守られ、単独で戦おうとする男に心配を向けた。そしてあの男がこちらをかばって呪いの矢を受けた瞬間から違う思いを抱いている。
命をとして守ってくれた男への心配は思慕へと変わった。そして物語をやり直すことで、再びあの男と言葉を交わす機会を与えられる。けれど相手がこちらの国の王位継承者と知り、抱いた想いは胸に閉じ込めた。
自分の立場を取り戻した魚住は話題を戻すべく口を開いた。
「家族への愛情も、真実の愛になるんだな」
「呪いを解くほど強いものではありませんけどね」
「けど今回は完全に解けたんだろ。こんな寒い時に城で寝ちまって」
せっかく熱が下がったのにとつぶやく魚住の前で不意に三成が噴き出した。突然の事に驚く魚住の目の前で三成は手で口を抑えて背を丸める。
「なんで笑ってんだよ」
「…すみません」
笑いをこらえているらしい三成に魚住は腕を組みため息を吐き出す。
「あいつが真実の愛ってのを手にしたから大魔女の呪いが解けた。けどいばらの森の呪いまでは解けなかったってことだよな」
「いばらの呪いはあの人自身のものですから」
魚住の問いかけに、なんとか持ち直したらしい三成が答えてくれる。この男はこの国では優秀な書記官として重用されているらしい。そしておそらく誰よりもいま起きている事について詳しく知っている。むしろ彼以外の者は王子たちですら何も知らない様子だった。
「これを渡しておきます」
三成は肩にかけていたカバンから藍色の表紙の本を取り出し魚住へ差し出す。自然とそれを受け取った魚住は本を開いて中を確認した。
「海図だな」
「それを求めていた時は、きっとまだ自覚していなかったのだと思います。だから大魔女の呪いも解けませんでした。しかしおかげで南の魔女に魅了されずにすみましたね」
「今となっちゃ良かったのか悪かったのかわからねぇな」
もっと早く自覚してすべて思い出していれば魔女に対しても何か手も打てただろうに。そう考える魚住の目の前で三成は首を傾けた。
「良かったと思いますよ。心の凍っていないあの人は潔癖ではありませんから、本気で魅了されていたかもしれません。そうなれば機密事項を含むあらゆる情報が引き出されていたでしょう。貿易商である彼には国家の抱える情報は大切な武器となります」
「……だから怜を魅了したのか」
「東の国の内部情報は周辺諸国にとって大金を払っても欲しい代物ですからね。特に新しい王がどんな人間か。それを知る事ができれば外交を司る者も助かります」
三成の話を聞きながら魚住は手元の本に目を落とす。そしてふと、この国の王子たちの態度について思い出した。
あの四人の王子たちは魚住が何者であるかを知らないようだった。第四王子にいたっては直接どんな仕事をしているのかと聞いてきたほどだ。だとしたら光秀は彼らの側近であるにも関わらず何も報告していなかったのだろう。
「光秀は東の国について何も言ってないのか」
「報告はあがってますよ。隣国内での噂の原因は不明であるということは」
「城の中のことは報告になかったってことか」
「主席政務官は頭脳明晰で国政の大半を担っている、とはありましたね。なのでこちらとしては当面はその主席政務官を意識した外交方針になるようです」
「それだけか」
「はい」
魚住の質問に端的に返した三成は再び歩を進め出す。しかし数歩進んだところで肩越しに振り向いた。
「もし王の事を知っていたとして、それを隠匿する理由はわかりますか?」
「知るわけないだろ。むしろそっちのが知ってるんじゃねぇのか。元恋人なんだから」
「兄は自分の考えを出さない人ですよ」
再び向けられた質問にうんざりと返した魚住は新たな返答に固まった。そうしてかなりの間をあけて我に返った魚住は眉を歪ませる。
「兄貴って、あいつのことか」
「しかし血の繋がりはありませんから、俺に王位継承権はありません。この国でもあなたの国でも」
「……元恋人じゃなかったのか」
自分は光秀の弟相手に大人げなく嫉妬していたのかと魚住は顔をしかめた。そんな魚住に三成はため息を漏らしながら眼鏡を押し上げる。
「あなたたちは目の前の事に捕らわれすぎです。もう少し相手を知ろうとしてください」