エメラルドの大魔法使いと失われた主人公と最後の物語 後編 作:とましの
謁見の間を出た光秀は回廊を慌ただしく歩く兵士を尻目に歩を進めた。するとすぐに魚住の広い背中を見つけて足を向ける。
「呪いがとけたからカーテンとか元にもどったってことかな。それなら魔法使いすぎてつかれた長政さんも元にもどればいいのにね」
広い回廊の片隅に立った魚住のそばで髪の長い少女が言う。そんな少女のそばで座り込んでいた長政はそこで立ち上がり軍服を整えた。そこで光秀に気づいたらしい長政は嬉しそうな顔を見せる。
「隊長、お疲れさまです」
「兄ちゃん」
挨拶を向ける長政の言葉に慶次の声が割り込んだ。さらに光秀の元へ駆け込んできた慶次はじろじろと光秀の様子を見る。
「兄ちゃん何もない? 痛いとことかかゆいとことか」
「なんにもねぇよ。それより……あー……」
どうすべかと悩みながら、光秀は帽子を持ち上げそばに突っ立っている兵士を見た。
「この客人は副隊長が対応するから、おまえたちは下がっていいぞ」
お疲れと声をかければ部下である近衛連隊の兵士たちは驚いたような顔を見せた。しかしすぐに会釈すると急ぎ足で立ち去っていく。
あきらかに挙動不審な部下を見送った光秀は理由がわからず首をかしげる。だが何を言うでもなくその目を長政に移した。
「まだ動けるか?」
「はい」
「ならとりあえず医務室で客とおまえの手当てな。あとは屋敷に帰って休め」
指示を聞いた長政は自然と魚住に目を向けた。しかしすぐにその目を光秀へ戻す。
「隊長は一緒に来られないんですか?」
「三成見つけて事情聴取しねぇとだからな」
「それもそうですよね。何かあったらまず三成さんだから」
「おまえのそれ語弊生むからやめろ」
やけに嬉しそうな長政に注意を向けた光秀は視線を感じて斜め下に目を向ける。すると少女が低い位置からじっと光秀を見つめていた。
「……どうした」
「魚住さんと一緒にいたくないのかなって、思ったんですけど」
「呪いが解けたからめでたしめでたしーってわけにもいかねぇだろ。城内の状況を把握して、俺が寝てる間に何があったか聞かねぇとだし」
「でも」
それでも魚住のそばにいるべきだと少女は訴える。おそらくこの少女は呪いを解いた魚住をねぎらって欲しいと思っているのだろう。
相手の気持ちを察した光秀はちらりと魚住を見た。
「俺と一緒にいたいか?」
「近衛隊長の役目を邪魔する気はないけどな。病み上がりをいつまでも働かせたくないとは考えてる」
「そっちか」
魚住が自分の考えを通すために駄々をこねるような男でない事は知っている。ただこの男が過保護だったということを、光秀はすっかり忘れていた。
「それに三成の事は俺も気になっていた」
しかしどう説得しようかと悩む光秀の目の前で魚住が新たな意見を出した。
「途中で二手に別れると言い出して、北の魔女と西の魔女を連れていったからな。魔女ふたりの力を借りるほどの事をしたんだろう」
魚住の話を聞いた光秀はわかったとうなずいて返した。
「おまえの手当ては三成を見つけてからな」
呪いが解けた直後の城内は突然夜になっていた事に驚く者であふれていた。そんな中で二階部分にある庭園が大きく破損していることを知り騒然となる。
季節ごとに様々なバラを咲かせる庭園は荒れ果て、樹木も多くがへし折れていた。
騒然となる兵士をかき分け外に出た光秀は月明かりの下で庭園を眺める。その隣に立った凜は驚きの声を漏らしながら階段を駆け降りていった。
長い髪を揺らして走る少女の向かう先には見慣れた白い魔女と弟の姿がある。そして見知らぬ男がいるが、おそらくそちらは凜と名乗った少女の仲間なのだろう。
「呪いが解ける直前に爆発音がしたんだが、誰か魔法でも失敗させたか」
凜に代わって隣に立った魚住がそう言いながら白い息を吐き出した。この時期は北方から風が吹き付け、夜は死者が出るほどまで気温が下がる。だが山を隔てた東の国にはこの寒気が流れることはないらしい。そのため東の国では冬でも雪が降らないと、光秀は幼い頃に父親から聞いている。
光秀はつけていた手袋をはずすとそれを魚住に押し付けた。
「寒いんだから肌の露出を控えろよ」
素手のままでいればそこから熱を奪われる。それを告げた光秀は魚住に手袋を持たせて階段を下った。
庭園に降りると月を見上げていた弟がこちらに顔を向けてくる。
「三成、おまえここでなんかしたのか」
「水素爆発のメカニズムについて説明しろという事ですか」
「あー……いや、そこはいいや。で、そのナントカ爆発で庭園がここまでぶっ壊れたのか」
「そうなりますね。西の魔女が守ってくれたおかげで怪我を負わずに済みましたが」
爆発の衝撃は広い庭園を破壊するほどの威力があった。しかしその中にいながら怪我はないと聞けば光秀も安堵の息を漏らす。
「よくわかんねぇけど、あんまムチャすんなよ」
「確かにここまで影響を及ぼしてしまうと真相を隠せなくなりますね」
さすがにここまで壊す予定ではなかったのか、三成は真面目な顔で周囲を見やる。そしてさらに修繕にどれほどかかるのかと無駄な計算まで始めた。そんな弟のズレ具合に笑いをこぼしながら、光秀は北の魔女に目を移す。
雪が吹き飛び土がむき出しとなった地面に座り込む北の魔女は視線を受けて笑った。
「あんたも大変やったな」
「俺は何もしてねぇだろ。それより痛むとこがあるんなら医務室行けよ」
「心配してくれてありがとな。ケガはしとらへんよ」
「なら良いか。回廊に長政がいるから元気な顔を見せてやれよ」
副隊長の居場所を伝えた瞬間に立ち上がった北の魔女は疲れた様子も見せず走り去る。それを見送った光秀は階段で北の魔女が魚住と言葉を交わすのを見た。面識などなかったはずのふたりだが、いつの間にか言葉を交わす仲になったらしい。
だがふと凜を紹介された時の事を思い出した光秀は頭と視点を切り替える。
「なぁ三成。あの帝国から来た姫のことは知ってるか」
「オズの魔法使いの主人公ですよ。物語にのっとってここまで旅をしてきたそうです」
何でも知ってる書記官と周囲に知られている弟はすぐに答えをくれた。しかし光秀は首をかしげる。
「この国に来た理由は何なんだ?」
「オズの魔法使いの物語では、主人公はエメラルドの国で大魔法使いと会います。そして大魔法使いに願いを告げて、最後は元の世界に帰るんですよ」
「おまえは帰らないよな」
三成の説明を聞きながらあふれた言葉を素直に吐き出す。すると三成は一瞬驚いたような顔を見せた。だがすぐに目を細めるとそのまま笑いをこぼす。
「本当にあなたは頭が悪いですね」
「は?」
「手間のかかる兄と弟を放置してどこへ帰ると言うんですか」
暗にどこにも行かないと告げる三成を前にして、光秀は顔をしかめながら視線を背けた。それなら良いとつぶやきながらもこらえきれずくしゃみを漏らす。
そこでやっと三成は兄が外套も手袋もつけていないことに気づいた。しかし光秀は寒いとつぶやきながら凜たちの元へ向かう。
そのため三成は手袋の所在を問いかけられないまま、こちらにやってくる魚住を見た。そして手袋の所在を知る。
「呪いを解いてくださってありがとうございます」
「礼を言われるほどの事じゃねぇ。それよりこれはどこの魔女の仕業だ?」
「俺が魔女の力を借りて物語を壊しただけの話ですよ」
「物語を壊した……って、どういう事だ。予定より早く結末を迎えるのとは違うのか」
「世界の理を破壊することにより主人公が主人公たる理由を失わせる。いつまでも幸せに暮らす事を約束された人生と、物語をやり直す権利を壊したんです」
難しい言葉を並べ立てる三成に、魚住は疲労感のにじむ顔でため息を吐き出した。
「そんなことをして意味があるのか」
「主人公がいるからと、周囲が幸福を分けられることはありません。さらに言えば主人公が王になったからと国が繁栄する保証がなくなりますね」
「そいつはうちの国にも影響する事じゃねぇか」
人魚姫として生まれた魚住だが、自分が主人公であるという自覚はあまりない。今まで母国でもどこでも主人公として何もしていないためだ。しかし今回の騒動では他の主人公と同様に最後まで呪いを受けていない。その点で自分はやはり人魚姫なのだと思えた。
だとしたら、自分の主人公としての特権が失われれば国の繁栄も失われるのだろう。
「そんな勝手なことしでかして、他の主人公たちが怒らねぇと思ったのか」
「特権に頼るだけの無能な愚か者がいたとしても、そんな輩の話は聞きませんよ」
相変わらず鋭いトゲを持っている書記官の言葉に魚住はさらなる疲労を覚えた。しかし三成はそんな魚住から目を移して光秀の背中を見やる。
「物語の上では、主人公は定められた相手以外と結ばれることはないんですよ」
「いばら姫の呪いを解けるのは決まった相手だけなんだろ?」
「呪いを解く鍵が真実の愛だとしても、それを抱く相手は役柄とは関係無いようですね。主人公を狙うはずの西の魔女が主人公を慕うのと同じことです。人は人である限り理性と心を持ち、それに従い相手に好意を抱く。しかし物語は、そういった人の関係性や感情を無視して結末へ向かいます」
西の魔女が凜を大切にしていることは魚住もよく知っている。謁見の間へ向かう間もその前も西の魔女は凜だけに心を向け、凜のために動いていた。
だがそんな西の魔女の気持ちは物語の中では黙殺されるらしい。だとしたら自分の光秀への気持ちもいつか消されるのかと、魚住は小さな不安を手にする。
思い返せばこの国に来た直後、初対面の西の魔女から忠告を受けていた。陸の奥まで王子を追いかけても無駄になると。
「俺はどう努力しても、いばら姫のあいつのそばにいられねぇのか」
「だから物語を壊してあげたんですよ。鈍感な人魚姫」
思考が落ちかけた魚住に、寒風に負けないほど冷たい言葉が入り込む。そのため三成に目を向ければ相手は涼やかな顔を見せていた。
「物語が失われた以上、あなたの努力次第でどんな結末も迎えることができます。国家の繁栄も衰退も王の力量によって決められるでしょう。そして努力次第では、白雪姫が魔女の子と結ばれることもできます。もちろん人魚姫も例外ではありませんが……」
そう言いながら、三成はふと遠くに目を向けた。
「弟の俺が言うのもなんですが、仕事馬鹿な上に面倒な人ですよ」
優しさとは遠い三成の忠告に魚住は笑いながら手元を見た。近衛隊長としての光秀はとにかく仕事人間で自分やその周囲を二の次にしようとする。しかしそれでも外は寒いからと手袋を貸すくらいの事はしてくれるらしい。
厳しいのかぬるいのか、ついていくので精一杯なほど光秀は思考速度が速い。けれど思えば初めて会った時からそんな光秀が気になって仕方なかった。それはおそらく光秀があのいばら姫だったためなのだろう。
呪いによって心を凍らせていたとしても、いばら姫の強さに変わりはない。そして弱者を守り手を差し述べてくれようとする優しさもあの時のままだった。
「面倒でもなんでも、あいつなら良いんだよ」
凜の眼前で西の魔女は片膝をついて怪我はないかどこも痛くはないかと問いかける。その保護者のような質問の嵐を眺めていた光秀へ凜が顔を向けてきた。
「隊長さん、この人は蒼馬さんです。西の魔女なんですよ」
「あー……オズの魔法使いの主人公たちってのは三成に聞いた」
この世界にはいくつもの物語が伝えられ、主人公や役が存在する。そして主人公たちは何度も生まれては結末を迎えてを繰り返すらしい。そのあたりに興味のない光秀は、オズの魔法使いの物語も知らない。
「で、この国で大魔法使いに頼みを聞いてもらうんだろ? そのために俺を助ける手助けをしたって認識でいいか?」
いばらの森の呪いでその大魔法使いとやらも身動きが取れなかったのだろう。そう簡単に考える光秀の目の前で西の魔女がゆっくりと立ち上がった。
「あなたを救うことは大魔法使いの条件にはありません。大魔法使いの出した条件は、南の魔女と浅葱との問題を解決するように、という旨だけでしたから。そしてその条件はあなたを救うという共通目標の元で解決しましたね」
「あ! そうか。彩兎さんも浅葱も力を合わせてくれてたから」
蒼馬の指摘に条件の事を思い出したらしい凜が声をあげる。そんな凜へ蒼馬は優しい笑顔を向けた。
「それよりも、姫のお身体が冷えてしまいますから話は後にしましょう。それにあなたも病み上がりの身でこんな寒空にいてはまた寝込みますよ」
蒼馬は凜を思いやるついでのようにそれを光秀にも分け与える。しかし光秀はそんな蒼馬にほだされるでもなく同意しながら凜を見下ろした。
「女の子の身体を冷やすのは問題だからな」
大事にしねぇととつぶやいた光秀は城内へ戻るべく歩き出す。そんな光秀の背中を眺めた凜はある重大な誤解に気づいた。
庭園から城へ戻ると回廊から眺めていた兵士たちの姿が消えていた。そしてその代わりのように緋色のマントに身を包んだ信長がいる。
「庭園は派手に壊されたようだね」
信長は黄緑色の瞳を外へ向けたまま問いかけた。そのそばで立ち止まった光秀は肩越しに振り向き仕方ないとつぶやく。
「壊れたもんは直せばいいんだよ」
そう告げた光秀は長政の姿を見つけた。しかしそばにいるはずの慶次と北の魔女の姿がない。
「ふたりはどうした」
「殿下のもとへ行かれました。えっと…殿下たちはここへ着くまでに呪いにかかってしまったんです。役柄の順で呪いにかかるらしくて」
「……へぇ」
長政の説明を聞いた光秀はちらりと信長を見た。脇役から順に呪いにかかっていくのだとしたら、魚住が謁見の間に届くのもわかる。そして信長は魚住こそが呪いを解く鍵だと理解して案内役を務めてくれたのだろう。
ここは感謝すべきだろうかと考えていると、信長は顔をしかめた。
「言っておくけど僕は何もしてないよ。三成と副隊長とそこにいる使者がいなければ、呪いを解くことはできなかった。もちろん白い役立たずを含む魔女たちの力も大きい。だけど今回も、僕は君を助けることはできなかった」
己の無力さを思い知らされた信長は素直にそれを告げる。しかしそれを笑った光秀は信長の頭に手を乗せて無造作に撫でまわした。
「おまえはよくやってるよ」
「そっ……そんなことは言われなくてもわかってるよ。それより撫でるのはやめなよ」
一瞬の間をあけて声をあげた信長は慌てた様子で引き下がる。しかしそんな信長の態度に光秀は軽い笑いをこぼす。
「疲れてんだろ。さっさと飯食って寝ろよ」
優しい言葉を向ける光秀を、信長は赤い顔をますます赤らめながらにらみつける。
「僕のことより、自分の心配をしたらどうだい。病み上がりのくせに謁見の間で半日も寝ていたら病が再発してしまうんじゃないのかい」
君は元々虚弱だったからねと生意気な言葉を吐き出した信長は胸をはって見せる。その上で魚住に目を向けると光秀を連れ帰るよう命令を下した。
「政務官の補佐だが知らないけど、どうせ使者としての仕事は多くないんだろう。だったら僕の近衛隊長を監視する役目を与えるから今すぐ連れて帰りなよ」
「ちょっと待て、こいつは……」
「そうだな。俺も連れて帰ろうと思っていたところだ」
信長の命令を止めるべく口を挟む光秀だが、それを魚住にかき消されてしまう。そのため光秀はにらむように魚住を見上げた。しかし魚住はそんな光秀の視線を気にする事なく信長にも気をつけるよう告げる。
「最後まで呪いを受けなかったと言っても疲労感はあるからな。凜も王子も、今は平気だからと無理はしないほうが良い」
「確かにそうだね。あの寒さの中を走ったのだから、疲れはあるかもしれない」
冷静な魚住の言い分に納得した信長は素直に返しながら凜を見やった。
「君も今夜はゆっくりと休むべきだよ。それと今は気づかなくても、もしかしたらどこかに打ち身などがあるかもしれない。もしどこか痛むようならすぐ僕に言うんだよ」
「はい。あっ、でも王子さまも、カゼに気をつけてくださいね。北の魔女さんが王子さまは寒さにすごーく弱くてたおれそうだっていってたし」
「そうだね。あの白ネギと遭遇したら虚言を言い触らさないよう矯正しておくよ」
心底心配した上での凜の発言に、信長は笑顔で恐ろしいことを言い放つ。そのため凜は失敗したと思いながらも笑顔を崩せなかった。しかしふと凜は信長の雰囲気が昼間と違っていることに気づく。
口では恐ろしい事を言うが、その笑顔は本当に嬉しそうなものに見えるのだ。けれどその理由を考えているうちに、信長は乱れた髪を直しながら立ち去ってしまう。そのため凜は答えが得られないまま首をかしげた。