エメラルドの大魔法使いと失われた主人公と最後の物語 後編 作:とましの
南の魔女が代々受け継いできた封印の魔法。それは二百年前に荒れ地の悪魔を封じた強力なものだった。そして南の魔女である彩兎は母から世界を救うためのものだと言われて育っている。
けれど彩兎はそれをいばらの呪いを封じるために使ってしまった。悪魔をランプに封じるほどの魔法でも、物語に守られたいばらの呪いには勝てない。そのため呪いを封じることができたのは一時だけだった。それでもその一瞬の間に主人公たちは呪いの根元にたどり着けている。
その点において、彩兎は最善の選択をしたと思っていた。
魅了の魔法を使ったとはいえ、いばら姫は自分を守ってくれた恩人である。その恩人が幸せになるためなら自分の魔法を差し出すことはたやすい。それは悪魔の攻撃に巻き込んでしまった事への罪悪感からくるものだった。
いばら姫は周囲を呪いに巻き込まないため、国を守るために独り戦ってきた。そんな誠実な人と比べ、魅了で周囲の人間を操る自分はどれほど卑怯だっただろうか。
封印の魔法を失った彩兎は眠っていた世界が動き出す中でひとり城内を歩いていた。いばらやつるが消え失せ城の人々が目覚める。それは確実に呪いが解けた証拠だろう。
階段を降りて二階部分まで来るとつるの失せた長い回廊は月明かりに照らされていた。ただふとそこで彩兎は足を止める。
ここ数日、この国の空は雪雲に支配されていたはずだ。それが今夜に限って月明かりが出るというのはおかしい。
そこまで考えた彩兎は先程の爆発音を思い出して庭園に出ようとした。けれどそうして外へ一歩踏み出した彩兎は破壊された庭園を目の当たりにする。
「彩兎さん! 無事だったんですね」
驚き立ち止まる彩兎の背後に怜の声が聞こえ振り向くと、駆け寄る彼は外を見るなり絶句する。
「王子様たちは目覚めたの?」
「はい。殿下たちは兵の指揮を行っています。まずは凍えた者や体調を崩した者の手当てをと考えておられるようで」
「あの王子様たちは本当に優しい人たちだね」
狼王子もそうだが、彼らは民に対しても分け隔てない態度を取る。そんな王子の態度は他の国では見られないと彩兎は思っていた。南の国でも荒れ地の向こうの帝国でも、そもそも王族は平民の前に現れない。重厚な城壁に守られた城の中だけで生活し、そこから外へ出る機会もほぼないと聞く。
「俺の陛下もお優しい方ですよ」
異例の存在に考えふける彩兎へ怜が真面目な顔のまま告げる。
「あなたの事をとても気遣ってくださっておられます」
「会ったことがないのに、それでも気遣ってもらえるのは嬉しいね」
怜が自国の王にどんな話をしているのか。魅了をかけて情報を引き出す間もそんなことを問いかけたことはなかった。そもそも怜のような近衛でもない兵卒が王と面識を得るなど思っていなかったのだ。
「……少し、試してもいいですか」
破壊された庭園を一瞥した怜は彩兎の腕をつかみ歩き出す。その珍しく強引な態度に驚きながらも、彩兎はされるがまま回廊に戻った。すると不意に柱の影へ押し込まれそのままの勢いで口付けられる。
城の人々が目覚めたとはいえ、月明かりだけが照らす薄暗い回廊は足音も聞こえない。そんな中で長い口づけをした怜はややあって彩兎から離れた。
月明かりの中に立つ怜の片方だけ金を宿した瞳が嬉しそうに細められる。
「やっぱり、俺はもうあなたに魅了されないみたいです」
「怜君、それを試すためにこんなところでキスしたの?」
「そうです。俺が話すことは、あなたに魅了されて引き出されたものではないから」
そう告げる怜は嬉しそうな顔で自分の胸に手を当てた。
「俺が彩兎さんに向けるこの思いは魔法で作られたものじゃない。あなたが魔女として弱いというのなら、俺があなたの剣になります。あなたを孤独にさせるすべてのものからあなたを守らせてください」
「怜君……君が良くても、君の王様はそれを許してくれないと思うよ。だって僕は魔女で人々は僕たち魔女を忌み嫌う。君は王様が僕を気遣ってくれると言うけど、実際に会えばどう思うかわからないよ」
「大丈夫ですよ。陛下はあなたの境遇を理解してくれています」
「境遇って……」
怜の言葉を素直に信じられない彩兎は微苦笑をこぼす。そこで唐突に、長く広い回廊にいっせいに明かりが灯された。
突然の事に驚く彩兎と怜の耳に遠くから人々の声が聞こえ始める。その声を聞いた怜は彩兎の手をつかみ笑みをこぼした。
「人のいないところで続きをしても良いですか?」
「この状況でまだ話すことがあるんだね」
「あなたの理解が得られるまで諦めるつもりはありませんから」
人々の声が近づくのを耳にしながら怜は回廊を歩き出す。そして手を繋がれた彩兎も拒むことなく歩き出した。
すると回廊の向こうから第二王子とランプの悪魔がやってくる。どうやら回廊の照明は悪魔の仕業らしい。
悪魔は怜たちのそばにたどり着くなり足を止めて彩兎を見た。
「爆発の直前に魔法の気配がしたけど、もしかして封印の魔法使っちゃった?」
茶化すような物言いで、悪魔はにこやかな顔を彩兎へ向ける。
「これでオレを封じれるヤツはいなくなったってわけだ。あとはゆっくりランプを壊す方法を探ればオレは晴れて自由の身だね」
「僕が死ねばすぐに南の魔女は生まれるよ。物語というのはそういうものだからね」
「あーあ、それは残念。さっきの爆発聞いたでしょ? あれ、その物語が壊れた音なんだよね。つまりこの世界は主人公の幸せな結末を保証しなくなったってわけ」
本当は自分の手で壊したかったんだけどと、悪魔は楽しげな顔で言う。そんな悪魔を彩兎は絶望をはらんだ瞳で見つめた。しかしそんな彩兎の視界に怜の後ろ頭が入り込む。
「浅葱さん、そういうイタズラは駄目だって言ったじゃないですか」
「えー、もう怒るの? もうちょっと遊ばせてよー」
「駄目です。それに王子殿下と兵の方々が待ってますよ」
まだやるべきことがあるだろう。そう告げた怜に悪魔は笑顔のまま肩をすくめた。
「ランプに火を灯す手間をオレが省いてあげてるだけだよ。まぁ、お姫様が世話になってる国だし? これくらいはしてあげないとね」
悪戯っぽく笑った悪魔は軽く手を振り立ち去っていく。それを見送った怜は繋いだ手に力を込めながら彩兎を見た。
「大丈夫ですよ」
「そう、みたいだね。でも……」
物語が破壊されたとはどういう意味なのか。どうしたらそんなことができるのか。まったく見当もつかない状況に彩兎は視線を落として思案を巡らせる。そんな彩兎を見つめていた怜は微笑をこぼすと何を問うこともなく歩き出した。
「魚住さんは近衛隊長さんが守ってくれると思うので、俺は屋敷に戻ろうと思います。透さんの無事を確認して、状況報告をしたいと思うんですけど」
「じゃあ、僕は屋敷に戻るよ。考えたいこともあるし」
「わかりました。職務を終えたら彩兎さんの屋敷へ向かいます」
この国に持ち込んだ文献に物語に関するものがあっただろうか。そんな事を考える彩兎に怜はいつもと変わらない口調で言う。そのため彩兎はついそれを聞き流してしまいそうになった。
「……ん? 怜君、うちに来るの?」
かなりの間をあけてその事に気づいた彩兎は小さな驚きとともに問いかける。すると怜は当然でしょうと嬉しそうな顔で言う。
「さっきの続きをすると言ったでしょう。今夜は彩兎さんを放しませんよ」
「続きって説得をするという意味じゃないの?」
「説得の必要なんてないですよ。俺はあなたを愛してます。ですから彩兎さんは、安心して俺を好きでいてください」
十六歳と若い怜は、引くと言うことをしないまままっすぐに気持ちを向けてくる。そのため彩兎はもう彼を突き放す事を諦めた。
「言われなくても……もう君以外いらないよ」
城を出ると空には明るい月が浮かび彩兎を冷たい風が吹き付ける。凍えるほどの空風に当たっても、彩兎の中にある浮わついた思考は冷める事がなかった。