R博士の愛した異層次元戦闘機たち   作:ドプケラたん

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永遠より永い夏

 生物はいつか死ぬ。それは地球の生態系の頂点に座す人間も例外ではない。

 どんなに天才的な頭脳の持ち主でも、死という絶対的な自然の摂理に抗う術はない。もしも死を乗り越えてしまったとき、その存在を生き物と呼んでいいのだろうか。

 では、AI── 機械はどうなのだろうか。機械の死を定義するなら、修復不可能になるまで壊れることだろう。だけど、定期的にメンテナンスをすれば半永久的に動き続ける。機械とは、ある意味で究極の生命体ではないだろうか。

 そんなことを考えながら病院の廊下を歩く。そして、その廊下の先にある集中治療室の前で立ち止まる。今日、僕は友人に会いに病院へ来た。この集中治療室の中に、その友人がいる。

 ほんの少しだけ息を吐き、ドアを開ける。

 部屋の真ん中には大きなベッドがあり、それに対して不釣り合いなほど小柄な少女が眠っている。

 その少女は── 円さんだ。

 既に自発的な呼吸すらできないのか、呼吸器が繋がっている。これが今の彼女にとっての生命線だ。

 円さんは今、病に犯されている。

 ずっと前から病は潜伏していた。既に治療が難しい時点にまで進行していた。決して治らない病気ではない。でも、円さんの虚弱な体質では致命的だった。

 円さんは病に倒れ、そのまま意識を失った。それからたったの一度も目を覚ましていないという。

 医者が言うには、保ってあと3日だそうだ。

 今この瞬間も、束さんは円さんの病を治そうと全力を尽くしている。当然、僕もそれを手伝った。

 だけど、僕らは神様でも何でもない。たった3日で円さんの病気を治すのは不可能だ。僕はそれを悟ったが、束さんは頑なに認めようとしなかった。

 病気を治すのは不可能。だけど本当に助ける手段はないのか、ずっと考えた。

 そして、思い至った。円さんの意識をデータに変換してしまえばいいのだ。仮に肉体が死んだとしても、その意識は電子の海の中に残り続ける。

 今日、僕はそのためにやって来た。倫理的な問題があるとか、そんなことで迷ってる猶予はない。

 アタッシュケースから装置を取り出す。

 コンピュータと、そのコンピュータのコードが繋がっているヘッドギアだ。

 ヘッドギアの装置で脳に刺激を与え、電気信号を発進させる。その電気信号をコンピュータで読み取り、円さんの思考回路を構築する。バイドの研究の過程で確立した技術だ。

 意識のデータ化が上手くいったとして、それが本当に円さんなのか。円さんの意識を模倣したに過ぎないAIではないのか。そんな意見もあるだろう。

 僕はその意見を真っ向から否定する。

 自分なりに魔導力学を究めて、ある結論に到達した。高度な知能を有する生命体にこそ、魂は宿るのだ。脳があるから思考が宿る。思考があるから感情が宿る。感情があるから思念が宿る。そして、思念があるから魂が宿るのだ。

 電子回路の頭脳であろうと、そこに魂は宿る。円さんの思考があるなら、そこに宿るのは紛れもない円さんの魂だ。

 円さんにヘッドギアを被せる。彼女は大切な友人だ。だからこそ、電子の海の中であろうと生きてほしい。そんな願いを込めて、装置を起動した。

 

 

 

§

 

 

 

 束は研究所のソファーに座り、ジッと壁を眺めていた。あんなに精魂込めていたISも、今だけは作る気になれない。

 篠ノ之束は天才だ。その能力の高さは多方面で発揮される。

 世界なんてイージーモード。何でも望んだ通りの結果になる。今までも、これからも、ずっとそうだと思っていた。

 だからこそ、今の胸中は最悪だった。

 円を救えなかった。大切な友達を救えなかった。なんでも出来ると信じていたこの頭脳でも、ついに特効薬を開発するのら能わなかった。一ヶ月…… いや、せめて半月でもあれば間に合ったはずだ。

 何でも思い通りになると付け上がって、この様だ。悔恨が胸を締め付ける。世界の悪意を前に、ただ立ち尽くすしかなかった。

 円の火葬が終わり、骨だけに成り果てたとき、束は泣き崩れた。こんなに泣けるんだと自分でも驚くくらい、両目から涙が溢れた。

 周囲の人たちも泣いていたと思う。しかし、(ゆう)は違った。悲しそうな表情は見せるが、決して泣くことはなかった。

 死人を生き返らせることは不可能だ。可能なこと、不可能なことの線引きくらいはしている。

 どうすれば良かったのか、どうすれば救えたのか、どうして世界はこんなにも残酷なのか、そればかり考える毎日だ。

 

「……束さん」

 

 コーヒーカップを片手に持った(ゆう)が隣に座る。

 

「これ、飲みなよ。コーヒーじゃ苦いと思って、カフェオレにしたんだ」

「……ありがと」

 

 コーヒーカップを受け取り、口につける。

 ほのかな苦味と、まろやかな甘味が口の中に広がる。美味しいと、心の底からそう思った。だが、見知らぬ他人が同じものを作ったって、同じ感想は出てこないだろう。(ゆう)が作ったからこそ、そう思えるのだ。

 

「うん、美味しいようで良かったよ」

 

 (ゆう)が朗らかに笑う。

 その笑みを見て、ずっと束を苦しめていたある考えが脳裏に浮かぶ。

 もし、(ゆう)が死んでしまったら?

 (ゆう)だけじゃない。箒が、父が、母が、千冬が、一夏が死んでしまったら?

 考えないようにしても、ふとした瞬間に胸を過ぎるのだ。その度に心を砕くような恐怖が襲ってくる。

 

「ねえ、ゆー君は私を置いて死んじゃったりしないよね? わたし、こわいよ……」

 

 きっと、縋るような声だったのだろう。

 嘘でも頷いてくれれば、それでいい。

 しかし、(ゆう)は申し訳なさそうに首を横に振った。

 

「そんなことない…… なんて、言えない。人はいつか死ぬ。別れの時は絶対にやって来るんだ。それは明日かもしれないし、明後日かもしれない。僕の体は貧弱もいいところだし、束さんより先に死ぬ可能性の方が大きいと思う」

 

 そう言いながら、(ゆう)は束の手を握った。

 

「だけど、約束する。別れの時が来た後でも、たとえ死んで幽霊になったとしても、僕は君のことを想うよ」

 

 優しいようで合理的、そのくせ心霊現象を信じる(ゆう)らしい言葉だ。

 ただ、その言葉が何を意味するのか、束が真に理解することはない。

 

 

 

§

 

 

 

 自分の家よりも見慣れた束さんの研究所で、僕はある作業をしていた。束さんはいない。というより、いなくなるタイミングを見計らった。

 ディスプレイに無数の文字列が浮かぶ。このデータの海の中に円さんの意識が潜んでいるはずだ。

 だけど、こちらから何度シグナルを送っても反応しなかった。理論上は、円さんの思考パターンを完全に再現できているはずだ。CPUの処理能力が足りないのか、それとも別に問題があるのか、遂に分からなかった。

 僕はこのプログラムを、ISのコアに組み込もうと考えている。束さんが設計しただけあって、情報処理能力は格別だ。それに、円さんが目覚めたとき、僕ではなく束さんたちが近くにいた方が良いはずだ。僕はもう、束さんや千冬さんに会うことはないのだから。

 プログラムのインストールが終了する。

 束さんには、円さんの意識をデータにしたことを言っていない。元々、成功するかどうか賭けに近い目論見なのだ。下手に希望を持たせて、もう一度悲しませるようなことはしたくない。

 束さんの研究所を出るとき、思わず立ち止まって振り返る。

 永遠より長い日々を思い出す。とても幸せで、充実した日々だった。手放すのが惜しいくらいに。

 多分、この光景を見るのはこれで最後だ。もうすぐだ。もうすぐ、夏の終わりが訪れる。

 

 

 

§

 

 

 

 気づけば月日は巡り、8月31日。

 自宅のリビングのテーブルにつき、息子である(ゆう)の後ろ姿を眺める。

 この日、特に何をしたわけでもないが、(ゆう)と語り合った。取り留めのない話から、研究の話まで。ただ、今日に限って(ゆう)はよく話しかけてきた。(ゆう)なりに甘えているのだろうか。そんな珍しい様子に、嬉しいと思う自分がいる。

 

「母さん、コーヒー淹れたよ」

「ありがとう、(ゆう)

 

 (ゆう)が向かいの席に座る。

 

「なあ、(ゆう)

「何、母さん?」

「すまなかった。私はお前に甘えて、何一つ母親らしいことをできなかった」

「またその話? 学会で僕の研究が認められなかったのは母さんのせいじゃない。ただ運が悪かっただけだよ。だから何度も謝らないで」

「……違うんだ。いや、そうでもあるが。心のどこかで、お前の研究の支援さえしていれば母親らしいことができていると思っていた。だけど、それじゃあダメだって気づいたんだ。学会でお前の研究が認められなかったとき、どうやって励ませば良いのかわからなかった。こういう時こそ、真っ先に心の支えになるべきなのに。本当に、すまなかった」

 

 この話を切り出すべきか否か、ずっと迷っていた。

 今更すぎるのだ。気づけば(ゆう)は12歳。学会の件も一人で立ち直れるくらい大人になってしまった。

 だけど、今逃げ出してしまったら、もう二度と言えない気がした。

 

「……僕は、母さんに感謝してるんだ」

 

 (ゆう)の言葉に驚愕する。

 

「母さんは普通の母親じゃないけれど、僕だって普通の子供じゃないんだ。そんなのお互い様だよ。それに、普通の母親じゃ、僕はこんなに自由に生きることができなかった。母さんなりに僕を愛してくれてるのはちゃんと伝わってる。だから、その…… 僕を生んでくれたのが母さんで、本当に良かったって思ってるよ」

 

 少し気恥ずかしそうに、(ゆう)はそう言った。

 不意に目頭が熱くなる。そんな言葉をかけてもらえるなんて、自分には過ぎた報いだ。

 

「そんなことより、ほら。コーヒーが冷めちゃうよ」

「……ああ、そうだな」

 

 コーヒーで喉を潤す。

 一日中喋り続け、疲れてしまったのだろうか。急に眠くなってきた。全身が弛緩し、椅子の背もたれにもたれかかる。

 

「…………ゆう。おまえはわたしの、じまんのむすこ──」

 

 落ちてくる瞼に抗えず、視界が黒で覆われる。このまま意識も手放してしまいそうだ。

 

「ごめん。僕は行くよ、母さん」

 

 最期に、そんな言葉が聞こえた気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おめでとう、(ゆう)君。君はもう、巣から飛び立った若鳥だ。どこへだって飛んでいける」

 

 提督の隣で、(ゆう)は街の小高い場所から自分の家を眺めていた。

 日は沈み、辺りは闇で覆われている。ただ、(ゆう)の家の近くに限っては違った。燃え盛る(ゆう)の家により、昼間のような明るさになっている。

 

「あの家では君の母と、君と背格好のよく似た少年が燃えている。これで君は社会的に死亡した」

 

 提督が用意したのは、紛争地域で掃いて捨てるほどいる孤児の死体だった。あの炎では死体の判別なんて不可能だ。

 提督の部下により(ゆう)の家は燃えたのだが、入念な準備と万全な工作により、事故火として片付けられるだろう。

 

「僕が作った薬は、相手に一切の苦しみを与えない致死毒でした。きっと、眠るように死ねたはずです」

「我々が代わっても良かったのだよ? 苦しませないように殺す方法はたくさんある」

「……ケジメって言うんですかね。母を愛していたからこそ僕がやらなきゃいけないって、そう思ったんです」

 

 サイレンの音が聞こえてくる。消防車が(ゆう)の家の前に集まり、放水を開始した。

 

「素晴らしい覚悟だよ。ようこそ、亡国企業へ。それが君の新しい宿り木だ」

 

 一台の車が(ゆう)たちの前に止まる。この車も亡国企業が用意したものであり、運転手は信頼の置ける部下の軍曹だ。

 

「先に乗りたまえ、(ゆう)君。私は少し、やることがある」

 

 提督の言葉に従い、(ゆう)は車に乗り込む。

 (ゆう)を乗せた車は発進し、提督は手を振りながら見送った。

 そして、1組の男女が少し離れた場所の物陰でその様子を伺っていた。千冬の両親── 織斑百春(ももはる)と、織斑十秋(とあ)だ。

 

百春(ももはる)さん、葉枷君が……」

 

 十秋(とあ)の声は震えていた。

 見知らぬ男により、娘の友人がたった今連れ去られてしまったのだから当然だ。

 この現場に居合わせたのは偶然だった。夏休み最後の日、新学期に向けて千冬に何かプレゼントを買いに行こうとして、この現場に居合わせてしまった。

 ……いや、本当に連れ去られたのだろうか。(ゆう)が自分から乗り込んだようにも見えた。何にせよ、この場に残った男を逃すわけにはいかない。

 

十秋(とあ)、君は先に帰って、このことを警察に──」

 

 ポスンポスンと、間の抜けた二つの音が小さく響いた。

 

 




超展開なので読者の皆様に受け入れてもらえるかどうか心配です(震え声)
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