R博士の愛した異層次元戦闘機たち   作:ドプケラたん

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CAT FIGHT

 束には2歳の妹がいる。箒という名前で、決して掃除用具のことではない。

 初めて箒の姿を見たとき、あまりのラブリーさに衝撃を受けた。(ゆう)と出会うまでは唯一心を開くことができる相手だ。今日は存分に箒と遊ぼうと、そう思っていた。

 しかし、束は(ゆう)を追い学校へ戻っている。残念なことに、家に帰ったとき箒は布団の上でぐっすりと眠っていた。無理やり起こすのも可哀想だし、だったら(ゆう)のいる学校に向かおうと決めたのだ。

 学校に着いたとき、校舎に向かって走る3人の男子の姿を見た。他人に関心がない束でも彼らは悪い意味で印象に残っている。そう、(ゆう)を迫害しようとしていた屑たちだ。

 嫌な予感がして、彼らが走ってきた方向へと向かう。この先にあるのは体育館裏だ。

 体育館裏に着く。そこで目にしたのは── 地に臥せる(ゆう)と、ボロボロなったノートを踏み躙る少女だった。

 頭の中で何かがぷつりと音を立てて切れた。

 束の肉体はほぼ反射的に動いた。全力で地を駆け、勢いそのまま兎のように跳び上がる。束の狙いは頸、神経が集まる人体の急所だ。激昂する胸中とは裏腹に、束の思考はどこまでも冷徹に冷え切っていた。その心中には憤怒と殺意しかない。

 当たる、そう確信した。しかし、束の足は女の頸に当たることなく虚空を切る。少女は束の不意打ちを察知し、間一髪で躱したのだ。その超人的な反応速度に驚愕する。この少女もまた、自分や(ゆう)のように特別なのだと理解する。だけど、相手が誰であろうと関係ない。

 宙で体勢を立て直し、地面に着地する。背後にいる(ゆう)には指一本たりとも触れさせない。守りたいという確固たる意思と憤怒が胸中で渦巻き、その衝動に身を委ねて少女に飛びかかった。

 

「待て、誤解だ! 私の話を聞け!」

 

 今の束に敵と認識してしまった少女の言葉なんて届かない。それを察し、少女も言葉による解決という選択肢を切り捨てる。

 少女は束の猛攻を凌いではいるが、その表情に余裕はない。束の動きは常識から逸脱しており、それでいて合理的だ。少女は武道の心得があるからこそ翻弄されていた。最初こそ束を無傷で無力化しようと考えていたが、手加減すれば逆にこっちがやられかねない。

 無数の拳と蹴りの応酬。小学生のケンカというより、達人同士の殺し合いに近い。

 互いに決定打はくらっていないが、疲労と痛みは確かに蓄積していた。状況は膠着状態に陥っている。しかし、それは針の上に立つような危ういバランスで成り立っているのだ。何か些細な変化があれば、この膠着はすぐにでも崩れるだろう。

 そして今回、その些細な変化となったのは(ゆう)の存在であった。

 

「束さん!」

 

 名前を呼ばれて、ほんの一瞬だけ束の注意が(ゆう)に向く。

 少女はその隙を見逃さなかった。束の意識の網を掻い潜り、右拳を引く。

 束は少女の接近に気づいたが、もう遅い。矢のように引き絞った拳が、束の顔面に向かって放たれる。

 空気が震える。しかし、骨と骨がぶつかるような鈍い音はしなかった。少女の拳が束の鼻先三寸で止まっていたのだ。

 

「やっと落ち着いたか」

 

 少女が拳を下ろしても、束は止まったままだった。

 もし少女が拳を振り抜いていれば、束は間違いなく負けていた。それは当人である束が一番よくわかっている。だからこそ負けを認めざるを得なかった。その驚愕と屈辱感が、燃え上がっていた怒りの炎を鎮めたのだ。

 少女は未だに地面に落ちたままである(ゆう)のノートを拾うと、丁寧な手つきでノートの砂埃を払い落とした。

 

「まず、そこの彼に危害を加えたのは私ではない。……不注意でノートを踏んでしまったが。そこは本当にすまなかった」

 

 前半こそ毅然とした口調だったが、後半はバツが悪そうだった。

 

「うん、この人の言うことは本当だよ篠ノ之さん。この人は僕を助けてくれたんだ」

 

 (ゆう)は力なく地面に座りながら少女のフォローをするが、その声は死にかけの小動物のように微かなものだった。勝負の決め手となった大声はなけなしの体力を振り絞って出したのだろう。

 

「あいつら…… 生まれてきたことを後悔させてやる……!」

 

 束はすぐにあの3人が(ゆう)を痛めつけた犯人なのだと思い当たった。というより、最初からあの3人が何かしたのはわかっていたのだ。故意ではないとはいえ、(ゆう)のノートを踏んでいたのが感情を爆発させるトリガーとなってしまっただけで。

 束の心に怒りの炎が再燃する。今にも報復に向かいかねない様子だ。しかし、今回はブレーキ役がいた。

 

「待て、馬鹿者」

「あいたぁ!?」

 

 少女の鋭い手刀が束の脳天に叩き込まれた。鈍い音が響き、束は割れるような頭部の痛みに悶える。

 

「怪我人を置いてっていいのか? それに、私にも何か言うことがあるはずだ」

「っ!」

 

 束は少女に背を向け、地面に座っている(ゆう)の元へと走った。膝を地面に突き、心配そうに(ゆう)の顔を覗き込む。

 

「大丈夫、ゆー君!?」

 

 必死にノートを守っていたのだろう。他の箇所比べると、腕にはたくさんのすり傷や痣ができている。束と違い、(ゆう)の身体的スペックは高くない。むしろ凡人にすら劣る。

 (ゆう)が大きな怪我を負わずに済み、束は安心した笑顔を浮かべる。だが、この怪我の状態では立つのも辛いだろう。

 

「ジッとしててね?」

 

 束は(ゆう)を腕に乗せて、そのまま軽々と抱え上げた。俗に言うお姫様抱っこだ。普通なら男女が逆だが、(ゆう)は嫌がるような素振りを見せない。

 

「ありがとう、篠ノ之さん」

 

 (ゆう)も安心した笑顔で礼を述べる。私刑から解放されたのもそうだが、束たちの殺し合いが無事終わったことに安堵していた。

 ふと、(ゆう)は目を瞑りながら腕を組んでいる少女を目の端で捉える。気のせいか、彼女から怒りのオーラが滲み出ているように感じる。

 

「それと、早くあの人に謝った方がいいよ。勘違いで殴りかかっちゃったんだし」

「うぐっ」

 

 (ゆう)が謝るように促すと、束は後回しにした面倒ごとが発覚したように顔をしかめた。

 束は我儘かつプライドが高いが、認めた相手以外にはそれが顕著だ。やはり名前すら知らない誰かに頭を下げるのは抵抗があるのだろう。

 どうやって謝らせるか、説得の言葉を脳内に並べる。

 

「…………ごめんなさい」

 

 駄々をこねると踏んでいた(ゆう)は少し驚く。若干不貞腐れながらも、束が少女に向かって素直に頭を下げたのだ。

 偶然の要素が大きいとはいえ、束に勝った相手なのだ。有象無象ならいざ知らず、束が頭を下げるに足る人間だと認めるには十分すぎる。

 

「ああ、許そう。幸い大きな怪我もないしな」

 

 少女はあっさりと許した。あたかも父親が子供に「悪いことをしたら謝りなさい」と躾けるように、そこまで怒りを抱いてなかったのかもしれない。

 

「あの、助けてくれてありがとうございました。でも、どうして体育館裏に?」

 

 体育館裏は人目につかない場所であり、それこそいじめが行われていても気づきにくい。少女はどうして体育館裏に来たのか、(ゆう)はそれが気がかりだった。

 

「ただならない大声が聞こえたものでな、様子を見に来たんだ」

 

 その大声に心当たりがないことはない。無我夢中ではあったが、「篠ノ之さんは関係ないだろ」と叫んだ記憶が(ゆう)にはある。

 少女はランドセルを背負っているが、その状態から察するに、学校の玄関前から校門にかけてを歩いていたのだろう。校舎内や学校の敷地外で聞き取るのはいくらなんでも不可能なはずだ。

 玄関前から校門にかけてのどこかで(ゆう)の叫び声を聞き取ったとしても、驚異的な聴力と言う他ない。

 

「えっと、僕は葉枷(ゆう)といいます。あなたは?」

「織斑千冬だ」

 

 これが後にブリュンヒルデと呼ばれる最強の女性、織斑千冬との出会いだった。

 運命の歯車は少しずつ、しかし着実に揃いつつある。歯車が噛み合い、廻り始めるのは遠くない未来である。

 

 

 

§

 

 

 

 織斑さんが僕を助けてくれた日を境に、僕の友達が2人に増えた。その友達の名前は織斑千冬さん。彼女は僕らと同じ小学5年生、つまり11歳だ。僕と束さんとは違うクラスに所属している。

 成績優秀でスポーツ万能、そして小学生離れした美貌。学校で知らない者はいないらしい。僕と束さんは知らなかったが。

 ちなみに、束さんはウサミミと素行の悪さのせいで同じくらい有名で、僕はというと名前が少し珍しいだけで有名でも何でもない。実際、織斑さんも篠ノ之さんのことは一方的だが知っていた。

 織斑さんが「同い年なのに堅苦しい敬語を使う必要はない」と言ったとき、初めて彼女が僕らと同い年なのだと知った。小学生らしくない僕が言えることではないが、大人びた雰囲気と容姿から上級生だと誤解していた。だからこそ、織斑さんと話すときは敬語を使っていたのだ。思わず驚いた声をあげてしまったが、織斑さんは複雑そうな表情をしていた。実際の年齢より上だと誤解するのは僕が初めてではなく、酷いときは高校生に間違えられたそうだ。やはり女性として年上に見られるのは気分が良いものではないのだろう。素直に謝っておいた。

 ファーストコンタクトからは信じられないくらい、束さんと織斑さんも仲良くなっている。束さんが暴走しようとすると、織斑さんがガッチリとブレーキをかける。そんな関係性だ。最初こそ束さんは少しよそよそしいというか、織斑さんとどう接すればいいのか迷ってる感じだったけれど、僕と同じように砕けた接し方をするようになった。

 今思い出すと、2人が仲良くなったのは織斑さんが「どうして束を苗字で呼ぶんだ?」と僕に指摘したのが契機だった気がする。

 束さんと織斑さんのケンカを止めたあのとき、咄嗟に「束さん!」と叫んだ。それ以降も普段通り苗字で「篠ノ之さん」と呼んでいたんだけど、その日を境に束さんと呼ぶことにした。ぶっちゃけ、篠ノ之さんって語感的に言いにくい。

 束さんは僕が名前を呼ぶことにいたく喜んだ。どうやら、親しみを込めて名前呼びしてほしかったらしい。その日から、束さんは織斑さんのことを「ちーちゃん」と呼ぶようになった。多分、束さんは認めた相手に男なら君付け、女ならちゃん付けして呼ぶのだろう。

 千冬さんは別のクラスなのもあって、学校での生活は特に変わらない。ただ、あの3人はこれ以上僕に絡まなくなった。目を合わせただけで軽く悲鳴をあげて逃げ出す始末だ。どういうことか束さんに聞いたら、悪い顔で笑うだけだった。僕としてもそんなに興味はないので、深くは聞かなかった。

 こうして、今日という日も無事に過ぎていった。帰りのHRが終わり、放課後を迎える。待ち構えていたように机に突っ伏していた束さんが飛び起きる。

 

「ふぅ、やっと今日の学校も終わったか」

「束さんはずっと寝てたよね」

「うん、バッチリ快眠だった!」

 

 毎日同じやり取りをしている。束さんのストレートなやる気のなさは、僕も少し見習うべきかもしれない。

 

「そういえば明日は土曜日だね」

 

 今日は誰もが待ちに待っていたであろう金曜日だ。

 学校が休みの日は家にこもり、ひたすらバイドの研究だ。そして、月曜日には束さんと互いの研究成果の発表をする。

 それが普段の過ごし方だし、嫌なわけではない。ただ、今週はいつもと違う特別な過ごし方をしたい。例えば…… 束さんの家に遊びに行くとか。

 

「ねえ、明日束さんの家に遊びに行っていいかな? 束さんがどんな場所で研究をしてるか気になるんだ」

「えぇ!?」

 

 試しに提案してみたら、束さんは驚きの声を上げた。

 

「迷惑かな……?」

「ウェルカムだよ! 一度ゆー君を箒ちゃんと会わせたかったんだよね!」

 

 束さんは満面の笑みを浮かべる。喜びを著すように束さんの頭の上のウサミミがピンと伸びる。歓迎してくれて良かった。

 

「2人とも、何を話しているんだ?」

「織斑さん」

「ちーちゃん」

 

 織斑さんが教室にやって来た。何故か女子からの歓声が聞こえる。いつもなら放課後になった瞬間、束さんが僕を連れて織斑さんの教室に突撃する。それがなかったから、こうして様子を見に来てくれたのだろう。

 

「明日ね、ゆー君が束さんの家に遊びに来るの。ちーちゃんも来てくれるよね!」

「午後から稽古があるが、それでも構わないか?」

「えー!? そんなのブッチしちゃいなよ!」

「いや、それは無理だろう。それはそうと葉枷、お前は剣術に興味はないか? お前は少し貧弱すぎるからな。体力をつけるべきだ」

「…………考えておくよ」

 

 こうして、明日は束さんの家に遊びに行くことになった。

 束さんが持ち寄る理論には、最先端の設備がなければ不可能なものが往々にしてある。束さんはどんな環境で研究をしているのか、それを知るのが楽しみで仕方がない。あわよくば貸してもらいたいものだ。

 

 




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