R博士の愛した異層次元戦闘機たち 作:ドプケラたん
近所には地元の土地神伝承を信仰している神社がある。盆と正月は祭りで賑わい、境内には剣術道場が開かれている。篠ノ之神社という名前で、その名前から分かる通り束さんの実家だ。
僕は今日、そんな束さんの家に遊びに来ている。
本堂の裏には屋敷がある。篠ノ之一家はそこに住んでいるらしい。
屋敷には縁側があり、僕はそこの陽当たりのいい場所に座っている。その隣には束さんがいて、蕩けた表情で妹さんを抱いている。妹さんは大人しく、陽に浴びて気持ち良さそうに微睡んでいる。
「どう、ゆー君! 箒ちゃんのこの可愛いさは!? 寝顔がまたぷりちーで、この世に舞い降りた天使みたいに──」
束さんのテンションは最高潮だ。妹さんの可愛らしさを褒めちぎる言葉が湯水のように溢れ出る。
ふと、気合を込めた雄叫びと木刀で打ち合う音が聞こえてくる。妹さんはその音に反応して、閉じかけていた目をパチクリと開ける。束さんは忌々しそうに道場の方向を睨む。
境内の道場で剣術教室が開かれているのだ。束さんのお父さんは神主であり、剣術道場の師範でもある。ただ、束さんは剣術に興味がなかったから道場に足を踏み入れたことがないらしい。
ふと、誰かが近づいてくる気配を感じた。
「あっ、織斑さん」
「やっほーちーちゃん」
道着姿の織斑さんが道場の方から歩いてきた。その手には木刀が握られている。
織斑さんと束さんには意外な接点があった。なんと、織斑さんは束さんのお父さんの剣術道場に小さい頃から通っていたのだ。今まで互いに面識がなかったのは、間違いなく束さんが道場に近寄らなかったからだろう。
サボるのは無理だと断言していたけど、その理由に納得した。お膝元と言ってもいい場所でサボっていれば、気づかれるに決まっている。
「稽古は終わったんだ」
「ああ」
「じゃあ道場にいるのは?」
「先生だ。剣術教室の後も、ああやって鍛錬を重ねている」
「そうそう、いつもうるさいんだよねー。ぶっちゃけ研究の邪魔! 箒ちゃんも目を覚ましちゃうしさぁ!」
「育ての親をそう悪く言うな」
「あいたっ」
織斑さんの軽めのチョップが束さんの頭部に炸裂する。束さんは頬を膨らませてブーブー文句を言う。
「む」
「箒ちゃん?」
妹さんが織斑さんに近寄り、織斑さんが持つ木刀をペタペタと触り始めた。木刀に興味があるのだろうか。
「あああぁぁぁ、カッコいい、カッコいいよ箒ちゃん!! 凛々しき女騎士!! 現世に舞い降りたジャンヌ・ダルク!!」
「あはは……」
熱狂する束さん、離れるに離れられず困った表情でその場に佇む織斑さん、そして苦笑いを浮かべる僕。こんな強烈なお姉さんを持つ妹さんがどんな風に育つのか、僕は少しだけ気になった。
妹さんは織斑さんが持つ木刀を掴み、その場から動こうとしない。純粋無垢な彼女の眼は木刀だけに向いている。
最初こそ僕たちは「木刀が欲しいのかな?」と微笑ましく眺めていたのだが、その表情は段々と曇っていった。
とんでもない執着心なのだ。何に惹かれるのか、妹さんは一度も木刀から手を離さない。それどころか自分のものにするよう引っ張り始め、その力は段々と強くなってるように見える。
「ねえ、ちょーらい」
片言ながらも、普段の大人しい雰囲気とは対照的に語気が強く感じた。よほどこの木刀が欲しいのだろう。
「………すまない、ダメだ」
妹さんは宝物を見つけたようなキラキラした目をしているが、織斑さんはどうにかといった感じで拒否した。
木刀といえど、使い方によっては非常に危険だ。妹さんに奪われないよう、織斑さんは木刀を強く握る。
あの織斑さんが2歳の女児に得物を奪われるなんてことは、それこそ天地がひっくり返っても有り得ない。妹さんがどれだけ木刀を引っ張っても、織斑さんの手から木刀が離れることはなかった。
そろそろ諦めてくれないだろうか。祈るように妹さんの顔を伺った織斑さんだが、次の瞬間その表情が固まった。妹さんが両目に涙を溜めて、とても悲しそうに顔を歪めているからだ。
「びえぇぇぇえええええん!!!!」
「!?」
妹さんの癇癪が炸裂する。その大声量は容赦なく僕たちの鼓膜を震わせる。
「あわあわあわわわ」
「束さぁん!?」
天災的な頭脳を持つはずの束さんは見事にパニクっていた。
「こ、これはどうすればいいんだ……!?」
妹さんは大声で泣き叫んでいるが、木刀を握る力は少しも緩んでいない。織斑さんといえど、泣いてる子供を振り払えるような修羅の心を持ち合わせていないようだ。その場で固まって動けない。
つまり、この状況で動けるのは僕だけということだ。
「ぼ、僕がなんとか引き離すよ……!」
「ああ、頼む!」
僕は背を向けている妹さんに屈みながら近づく。気づかれないようにゆっくりと進み、やっと腕を伸ばせば届く範囲まで距離を詰める。
抱き上げようと手を伸ばしたそのとき、妹さんは背後から何かが迫る気配を感じ取ったのだろう。妹さんは突然振り返ると、僕に向かって乱暴に拳を突き出した。
その拳は淀みなく真っ直ぐ伸びて、僕の頬を的確に捉えた。戦いの才能を感じさせるその一撃は、束さんが平常通りなら大騒ぎして褒め称えただろう。
「あいたっ」
僕は後ろに倒れ、尻餅をつく。頬がジンジンと痛み、僕の心は一発で折られた。
「クーン……」
「おい葉枷!?」
殴られた頬をさすりながら退散する。多分、世界でも初めて10歳の少年が2歳の女児に敗北した瞬間だろう。
もう観念して木刀を渡しなよ。そんな言葉が脳裏に浮かび、口に出そうとしたそのとき。
「あらあら、どうしたの箒?」
部屋の奥から和服を着た美女が現れた。彼女は縁側から降りて妹さんに近づくと、あっさりと抱き上げた。妹さんは驚いて木刀から手を離す。
和服の美女は妹さんの背中を優しく撫でてあやす。その手つきはこなれていた。
嗚咽を漏らしてはいるが、あれだけギャン泣きしていた妹さんは大人しくなっている。
「お、おお…… 泣き止んだ!」
僕と織斑さんがホッとする中、束さんだけは複雑な表情を浮かべていた。
「ごめんね千冬ちゃん、稽古で疲れてるのに迷惑かけちゃって」
「いえ、迷惑だなんてそんな」
和服の美女は織斑さんと何度か言葉を交わした後、僕の方へと歩み寄る。
「こんにちは、あなたが束のボーイフレンドね?」
和服の美女の正体に予想がついた。
「も、もしかして束さんのお母さんですか?」
「ええ、束の母です。どうぞよろしくね」
険しい山嶺に咲く一輪の花のような笑みだと思った。とてもではないが、二児の母とは思えない若さと美しさだ。ただ、親子なだけあって束さんや妹さんと似ている。
ふと、束さんのお母さんが何かに気づいたように遠くを見た。
「あら、あなた。それに
今度は道場の方から2人の大人の男性が歩いてきた。1人はラフな服装の爽やかな人で、もう1人は袴に身を包んだ厳格そうな人だ。
「父さん!?」
「おう、千冬! 暇だから見学してたんだけど、その様子じゃ気づいてなかったみたいだな。剣を持った姿、カッコよかったぞ! 父さんが10歳のときよりずっと強いんじゃないか?」
ラフな服装の人が織斑さんのお父さんみたいだ。なら、束さんのお母さんに「あなた」と呼ばれた袴の人が束さんのお父さんだろう。いかにも剣術の師範って感じだ。
「久しぶりだね束ちゃん! おじさんのこと覚えてる? まあ、まだ赤ん坊だったし覚えてるわけないか!」
「……」
織斑さんのお父さんに話しかけられているが、束さんは返事をしなかった。ただ、いつものように悪意があって無視をしているというより、どうコミュニケーションを取ればいいのかわからないように見えた。
「束! 失礼だろ、きちんと返事をしないか!」
「柳韻、そんな声を荒げるなって」
束さんのお父さんは厳つい声で束さんを叱り、織斑さんのお父さんはそれを諌める。
叱られた束さんはというと、返事をしないまま逃げるように屋敷の中へと消えてしまった。廊下の板を踏みしめる音だけが虚しく響き渡る。
「……すまない、
「気にしてないよ。あれくらいの年頃の子は気難しいものさ」
暗くなった雰囲気を払拭するように織斑さんのお父さんが小さく咳払いした。
「さて、そこの君は初めましてだね! 俺は千冬のお父さんの織斑
「葉枷
まるでふわりとそよぐ春風みたいに優しく笑う人だなと思った。
ふと、束さんのお父さんの方に目を向ける。織斑さんのお父さんを春風に例えるなら、束さんのお父さんは大樹のような人だろうか。物静かだけど、ドッシリとした佇まいには不思議な存在感がある。自由奔放な束さんの性格とは正反対だ。
「……葉枷君」
突然束さんのお父さんが僕の名前を呼んだ。人を否応なく緊張させる鋭い声だ。何事かと思い、少し身構える。
「……いつも娘が世話になっている。これからも仲良くしてやってほしい」
「は、はい」
「……そうか、ありがとう。私はこれで失礼する」
それだけ言い残すと、束さんのお父さんは屋敷の中へと足早に去っていった。束さんを追いに行ったのだろう。
「もう、相変わらず口下手なんだから。ごめんなさい、
「そんなことないですよ。束さんを心配してるのはなんとなく伝わってきますし」
そういえば、僕は今日初めて父親というものに触れた気がする。束さんが少し特殊なだけかもしれないけど、父親って大変なんだな。
「それと、ああなった束はしばらく部屋から出てこないと思うの。2人とも、せっかく遊びに来てくれたのに本当にごめんなさい……」
それは大変だ。まだ束さんの研究部屋を見ていないのに。
§
篠ノ之家の屋敷の客室で、千冬は何をするでもなく座布団の上に座っていた。座卓を挟んで向かい側には
座卓の上にはお茶菓子と二つの茶碗が置かれている。茶碗には透き通った緑色のお茶が注がれている。きっと上質な葉が使われているのだろう。ただ、今はお茶を飲んで一息つけるような気分ではなかった。
束が部屋から出て来るまで、この部屋で待っているように言われた。しかし、もう長い時間が経つ。束は本当に部屋から出て来るのだろうか。普段から束と接していて、彼女とその両親の確執は深いと感じていた。説得に応じて部屋から出てくるとは考えにくい。
「おっ、茶柱」
そんな呑気な様子を見て、呆れたように眉間の間を指で触る。デリケートな問題だからこそ立ち入り過ぎないのも大切だが、それでも少しは心配したらどうだろうか。
「なあ葉枷、束を心配してないように見えるのは私の気のせいか?」
「気のせいじゃないよ。束さんにも年相応の部分があるんだなって、少し安心してる。友達の前で親に怒られて、恥ずかしくて逃げちゃったんでしょ? まあ、確かに家族と上手くコミュニケーションを取れないのは問題だと思うけどね……」
その言葉を聞いて目を丸くした後、それもそうだと軽く笑った。無意識のうちに、千冬も束のことを特別だと考え過ぎていた。 誰だって友人の前で親に怒られれば、気恥ずかしくて逃げ出したくなるだろう。確執という一言で括るには大袈裟なのかもしれない。
かつて
「そうだな。あいつは普段はおちゃらけているが、妙に達観した部分がある」
「織斑さんには言われたくないだろうなぁ」
「……」
冗談っぽく言ってるが、なんとなくカチンと来た。怒りを込めて
「うひぃ!?」
千冬の怒りの視線を感じたのか、
「あ、謝る! 謝るから睨まないで! ごめんなさい!!」
空かさず頭を下げた
「束のことは心配だが、今日はもう遅い。明日になったらもう一度来よう」
「……うん、そうだね」
こうして、千冬と
帰り道が別々になったとき、
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