R博士の愛した異層次元戦闘機たち   作:ドプケラたん

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兎の巣穴

 屋敷から少し離れた場所にある、今はもう使われなくなった古い蔵。外観こそ普通だが、漆喰の内側はまるで膜のように鋼鉄の壁で覆われている。扉は厳重なシステムでロックされている。束の手で魔改造を施され、核シェルターも顔負けの強度になっている。

 蔵の中にあるのは世界でもトップクラスに充実した研究設備だ。ただし、部品やら着替えの服やらで散らかっているが。

 この蔵こそ篠ノ之束の自室兼研究所だ。

 束は柳韻から逃げるように自室に駆け込み、ISの作成を始める。ディスプレイの前に置いてある椅子に座り、五指を駆使して尋常ではないスピードでキーボードを打ち込む。ディスプレイには無数の文字の羅列が浮かんでは消える。コードの先にある正方形の物体。これこそがISのコアだ。束でさえ開発にはかなりの手を焼いている。完成にはまだ時間がかかるだろう。ただ、これさえ完成させればISの開発は一気に進む。

 自分だけの世界に没頭していれば、外のことを忘れることができる。柳韻はドアを叩きながら何度も「束! 出てきなさい!」と叫んでいるが、スピーカーをOFFにしてるので束の耳には届かない。

 扉は施錠されている。いくら柳韻でも鋼鉄の壁を壊す術はない。やがて諦め、部屋の前から立ち去った。

 電子音だけが響き、部屋に並ぶ設備のランプがしきりに点滅する。キーボードを叩く音だけが虚しく響く。

 プログラミングを中断し、膝を抱えて椅子に座る。その胸中に渦巻くのは一種の自己嫌悪のような感情だった。どれだけ作業に没頭しても、小さな薔薇の棘が刺さったような痛みを忘れることはできなかった。

 

「何やってんだろ、私……」

 

 友達を放っておいて、こんな所で何をしているのだろう。一緒に遊んだり、研究成果を見せるのを楽しみにしてたのに。(ゆう)や千冬の前で怒られて、気がつけば逃げ出してしまった。

 そんな想いが込められた束の言葉に、来客を伝えるアラームが答えた。

 ディスプレイが切り替わり、扉の前に立つ(ゆう)の姿が監視カメラを通して映った。

 (ゆう)を無視するわけにはいかない。扉前のスピーカーに回線を繋げ、マイクを手に持つ。

 

「ゆー君」

『あっ、束さん』

 

 スピーカーから束の声を聞くと、(ゆう)は監視カメラに向かって軽く手を振った。

 

「ちーちゃんは?」

『織斑さんは先に帰ったよ、外も暗くなったしね。だけど最後まで心配してた』

 

 夕陽も落ち、辺りは暗くなり始めている。(ゆう)のように帰りを待つ両親がいなければ問題ないが、千冬の場合はそうもいかないだろう。

 

「近くに誰もいない?」

『うん、僕だけだよ』

「……ちょっと待ってて」

 

 椅子から立ち上がり、出入り口の横にあるコンソールを動かす。

 何重にも張り巡らされた厳重なロックが一つ一つ解除れていく。鋼鉄の扉がシャッターのように上がり、収納される。

 扉の向こうにいたのは、こうして出迎えてくれたことに喜びの笑顔を見せる(ゆう)だった。

 

「ようこそゆー君、束さんのワンダーランドへ」

 

 今日、束は初めて自分以外の誰かを部屋に招いた。

 研究所に入ってからというもの、(ゆう)はずっと目を輝かせていた。束は知る由もないが、(ゆう)の部屋にある研究設備はまだ一般の範疇を超えていないのだ。(ゆう)が世界でも最先端を行く設備に圧倒されるのは無理もない話だった。

 

「どれもこれも最新鋭の設備だ…… まさか束さんのお父さんが買ってくれたの?」

「ううん、自分で稼いだんだ。世界中の大手企業にハッキングして、不正をネタに資金を強請ったりね。ゆー君もやってみたら? きっと私みたいに簡単にできるよ」

「僕はやめておくよ。駆け引きとかムリだし」

「そんなことないと思うよー? あっ、待ってて。今座れる場所を作るから」

 

 ソファーの上に散乱する私物を乱暴に地面に落とし、2人分の座れるスペースを作る。

 最初にソファーに座ると、続いて(ゆう)が隣に座る。

 沈黙が訪れる。(ゆう)は何かを言いたそうにしているが、束には何を言いたいのか予測がついていた。だからこそ、(ゆう)が話すまでジッと待つ。

 

「束さん、その…… 親と上手くいってないの?」

 

 (ゆう)はおずおずとした様子で聞いた。

 

「うん、まあね」

 

 対照的に、束はあっさりと肯定する。両親との不仲を隠す必要はない。それに、(ゆう)の言葉には真摯に答えるべきだ。

 

「私がやることなすことにもいつも突っかかってくるんだよね。この前だって、部屋にばっかりこもってないで学校に行けって、壁をぶち壊して部屋から引きずり出されたんだよ? ほんっとーにムカつく!」

 

 まだ蔵の壁を鋼鉄にする前の話だ。柳韻は学校にまったく行かない束に業を煮やし、木刀一本で蔵の壁を破壊した。そして、嫌がる束を強制的に学校へ連行したのだ。

 学校で学ぶことなんて何もないと抗議した。それに対して、柳韻は「学校は勉学に励むだけの場ではない。友を作り、かけがえのない思ひ出を作る場所でもある」と返した。

 結局、学校を楽しむことはできなかったし、友達もできなかった。周りの人間がどうしてあんなに楽しそうにしてるのか、まったく理解できない。ただ、それは過去の話である。

 

「まあ、そのおかげでゆー君やちーちゃんにも会えたんだけどね」

 

 (ゆう)と千冬に出会ってから、初めて学校が楽しいと思えた。

 結局、柳韻の言葉は正しかったのだ。学校に行かなければ(ゆう)と千冬に出会うことはなかっただろう。

 

「……心の底から嫌いなわけじゃないよ。他の有象無象と同じだとも思ってない。ただ、どうやって接すればいいのかわかんないの」

 

 本気で嫌いならここにはいない。ただ、好きなのかと聞かれたら素直に頷くことはできない。

 顔を合わせる度に文句を言ってくるから、いつも苛立ちや怒りが先に顔を出してしまう。

 黙って束の話を聞いていた(ゆう)は、とうとうその口を開いた。

 

「好きでもないけど嫌いでもない。それでいいんじゃないかな。無理に家族と仲良くする必要はないと思うよ」

「えっ?」

 

 予想外の答えに面食らう。まさか肯定されるとは思っていなかった。

 

「僕の家族は母さんしかいないけど、仕事で家にはほとんどいない。だけど、少しも母さんに不満なんてないよ。研究さえ続ける環境があれば、僕はそれで十分だからね」

 

 このとき、束は初めて(ゆう)の家族について知った。

 父親は最初からおらず、唯一の家族である母も家にはいない。束には心が開ける妹がいるが、(ゆう)にはそんな家族は誰もいない。束よりもずっと孤独だったのだ。しかし、当の本人はまるで他人事のように淡々と語る。

 暗に「家族よりも研究が大事だ」と言い切る(ゆう)の姿は、見ているこっちが清々しく感じる。

 

「家族について悩んでるってことは、束さんには少なからず両親に思うところがあるってことじゃないの? ちょっぴりでいいから親の言うことを聞いてみなよ。そうすれば向こうから歩み寄ってくれるから」

 

 束は笑った。グダグダと悩んでいる自分が馬鹿らしかった。両親とほんの少しだけ仲良くなりたい。それが偽らざる望みなのだと、束は受け入れた。ほんの少しだけ、両親の煩わしい言葉に従うのも検討しよう。

 

「ゆー君って意外とドライだよね。神サマを信じてるくらいだから、汝隣人を愛せとか言うと思ってた」

「そ、そうかな」

 

 (ゆう)は困ったように笑う。しかし、束が元気になって嬉しそうでもあった。

 

 

 

§

 

 

 

 束はISに深い愛情を捧げている。だからこそ他人の手を借りようとしなかった。しかし、この夜は違った。親友の葉枷(ゆう)と協力して、ISを開発を進めている。(ゆう)の当初の目的は束を部屋から連れ出すことだったが、科学者の性なのか、いつのまにか最新設備に手を伸ばしていた。

 束にとって、今までにないほど充実した時間だった。当然の話だが、1人より2人の方が作業はスムーズに進む。しかも、(ゆう)は束と同レベルの天才なのだから尚更だ。

 このとき、束は誰かと協力する楽しさを初めて経験した。しかし、そんな楽しい時間は信じられないほどあっという間に過ぎていく。

 

「遅くなっちゃったし、そろそろ帰ろうかな」

 

 (ゆう)が壁に掛けてある時計に目を向けた。陽はとっくに沈み、小学生が出歩けば補導されるような時間だ。

 

「まさか1人で帰るつもり?」

「うん」

「ダメ、絶対にダメ。ゆー君はもっと自分の貧弱さを自覚しなさい!」

「そんなに遠くないし、大丈夫だと思うけどなあ」

 

 (2歳の女児)に負けたのに、何が大丈夫だというのか。

 街の治安は悪くないとはいえ、たった1人で夜に出歩かせるなんて言語道断だ。

 ここまで頑なに否定するのは、あの日の忌まわしき記憶が鎌首をもたげてやって来たからだ。自分が目を離してしまったから、(ゆう)が理不尽な暴力によって傷ついてしまった。あのときの暗い感情は胸の深いところに今も根付いている。あんな想いを味わうのは一度だけで十分だ。

 

「とにかく、ゆー君は絶対に外に出さないから!」

「なら僕はどうやって帰ればいいのさ」

「考え方が硬いよ、ゆー君。束さんの部屋に泊まっていけば、帰る必要なんてナッシングでしょ?」

「い、いいの!?」

「もちのろん! ゆー君ならバッチコーイだよ!」

「ありがとう束さん! 今日は一晩中ISの開発をしよう!」

「うん!」

 

 もっと長い時間、(ゆう)と一緒にISの開発をしていたい。そんな想いから出た提案に、(ゆう)は快く乗ってくれた。(ゆう)も同じ気持でいてくれたことを嬉しく感じる。

 (ゆう)が泊まってくれるとなれば、喜んでばかりもいられない。いかに効率よく作業を分担できるか、頭の中で今日一日の開発スケジュールを組み立てる。

 

「あっ、束さんのお父さんとお母さんにも一応言っておいた方がいいよね」

 

 聞き捨てならない一言だった。鏡を見なくとも、己の表情が一気に曇ったのがわかる。

 

「……その必要はないよ。食料なら十分あるし、電気と水道も通ってる。バスルームだってあるんだよ。その辺のボロアパートよりずっと快適なんだから」

 

 だから両親を頼る必要なんてどこにもないのだ。

 しかし、(ゆう)は束の主張に対して首を横に振った。

 

「部屋から出よう、束さん。こういうときに頼られれば、きっと束さんのお父さんとお母さんも喜ぶはずだよ。仲直りするチャンスだよ」

 

 頭では理解してる。しかし、どうしても踏ん切りがつかない。そんな心境を見抜いたのか、(ゆう)はそっと束の肩に手を置いた。

 

「不安なら僕もついてるから」

「……うん。ありがとう、ゆー君」

 

 (ゆう)の手の温かさが、自分が一人じゃないことを教えてくれる。ゆー君と一緒ならきっと大丈夫。そんな気持ちにさせてくれる。不安は消えないけれど、とても軽くなったように感じた。

 

 

 

§

 

 

 

 僕は今、篠ノ之家の屋敷の玄関前にいる。隣には束さんがいて、その表情は普段と特に変わりない。だけど、多少なりとも不安を感じているはずだ。

 だけど、ずっとこうしていても何も始まらない。インターホンを鳴らし、玄関の引き戸が開くのを待つ。

 そう時間がかからない内に、玄関引き戸の奥から誰かが近づいてくる気配を感じた。

 

「どちら様でしょうか……?」

 

 ガラガラと音を立てて引き戸が開けられる。

 出てきたのは束さんのお母さんだった。

 

「束……!? それに、(ゆう)君まで……」

「こんばんは。夜遅くにすみません」

 

 束さんのお母さんは驚愕した表情で固まる。

 

「ほら、束さん」

 

 束さんはやっと重い口を開いた。

 

「頼みがある。ゆー君を一晩泊めさせてほしい」

「!」

 

 沈黙の時間が続く。

 事の成り行きを見守る。この瞬間だけは口出しせず、空気のように徹するべきだ。

 束さんと同じ目線の高さになるまで、束さんのお母さんは膝を屈ませた。嬉しそうに、慈しむように微笑んでいる。

 

「あなたが、私たちを頼ってくれるなんて」

「嫌なの?」

「そんなわけないわ。束、私たちを頼ってくれてありがとう。柳韻さんには私が話を通しておくから、心配しないで」

「……ふん」

 

 気恥ずかしいのか、束さんプイッとそっぽを向いた。

 束さんが家族に歩み寄ろうと、勇気を出して一歩踏み出した。これから先、多少なりとも家族との関係も改善するだろう。

 

「束を連れ出してくれて本当にありがとう、(ゆう)君。お礼にご馳走を用意するから」

「いえ、実際大したことはしてないですよ。少し背中を押しただけで」

「上がってて、(ゆう)君。こんな時間だし、晩御飯も食べてないでしょう?」

「え? あっ、はい……」

 

 本当は束さんの部屋に戻ってIS開発の続きをしたいけれど、束さんのお母さんの勢いに流されてしまった。

 

「それにしても、まさか束の友だちがウチにお泊りしてくれる日が来るなんて! お友達を家に呼んでくれただけでも嬉しいのに、お母さん幸せだわ!」

「さっきから大袈裟すぎだから」

「そうだ。(ゆう)君、ご両親に泊まる連絡はした?」

「はい、大丈夫です」

「そう、ならいいの。自分の家だと思ってゆっくりしてね」

 

 玄関に上がり、篠ノ之家にお邪魔する。

 

「ねえ、いつの間に連絡したの?」

 

 廊下を歩いていると、束さんが僕にしか聞こえないくらいの小さな声で聞いてきた。

 

「してないよ。連絡しなくても大丈夫ですって意味だから」

「なーる」

 

 家に母さんはいないし、事実を話したら色々と面倒そうだ。

 だからぼかすような形で答えたが、一応嘘は言っていない。

 




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