そして戦争終結は国際法上の外交上の終結としてます。
なので実は1945年から91年までのキャラ(つまりガチ戦後人間)も出る可能性があります。
後この作品ではイギリスは「ブリティッシュエンパイア」ではなく「ユナイテッドキングダム」という扱いです。
題名は007ロシアより愛をこめてのオマージュです
「Wo viel Licht ist, ist starker Schatten」(光が強ければ影も強い)
ーー戯曲ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲンから
第二次世界大戦における最も活躍した英国戦闘機は?
この質問に対して多くの人はこう答えるだろう。
スーパーマリンスピットファイアと。
イギリスにおいてスピットファイアはただの戦闘機ではない。
あの戦争、そして英国の最も苦しい時の象徴。ジョンブルらしい不屈の頑固さの現れである。
それに異論のある人はいないだろう。
だが世界大戦に参加して活躍した英国戦闘機はスピットファイアだけか?
答えはノーである。
スピットファイアだけでなく、数多くの戦闘機――一部は非常に紅茶の匂いがするが――が活躍した。
その代表例がホーカー社の生み出した嵐三兄弟、即ちハリケーン、タイフーン、テンペストの3兄弟である。
この三機は第二次世界大戦で大活躍した機である。
ハリケーンはバトルオブブリテンで活躍、ドイツ機を最も多く撃墜したことで知られる。
タイフーンは前線の兵士からティッフィーの愛称で親しまれ、連合軍地上部隊の頭上から支援した。
だがタイフーンはある悲劇を起こしたこともあった。
1945年4月、当時ドイツに残った最大クラスの船であり、3回に渡る東プロイセンからの難民輸送で約25000人を運んだ客船カップ・アルコナはドイツ北部の港町リューベックにいた。
このまま終戦まで何事もなく停泊すると思われた矢先の4月19日、ハンブルクのガウライターカウフマンからある依頼をされた。
それはハンブルクからリューベックを移送するハンブルク郊外にあったノイエンガーメ強制収容所の24か国から集められたユダヤ人約8000人を収容すると言うものだった。
こうしてカップ・アルコナは海に浮かぶ巨大な収容所となった。
だがカップ・アルコナと運んできた貨物船ティールベックの船倉のユダヤ人は希望に満ち溢れていた。
あと数日でナチスは連合国に敗れ、自分たちは生きて故郷に帰れると思っていた。
だがその願いはその連合軍によって打ち砕かれた。
5月3日、終戦の5日前。突如リューベック港内に空襲警報が響いた。
リューベック港を英空軍のタイフーンが空襲したのである。
リューベック港内最大の船舶であるカップ・アルコナとティールベックに空襲が集中、2隻は松明のように燃え上がりあっという間にバルト海の波間に消えた。
2隻に乗っていたユダヤ人8000人のうち生きて故郷に戻れたのは50人ほどだった。
これはドイツでの客船ヴィルヘルム・グストロフ撃沈に並ぶ悲劇だった。
では最後のテンペストはどうか?正直に言うとあまり活躍しなかった。
登場が遅すぎたため大して活躍しなかった。だが、この機を駆ってドイツ軍と戦ったパイロットはたくさんいた。
その例の一つがピエール・クロステルマン、極東の変態国家で女体化されたこともあるフランス一のエース。
そして、今、ハルツ山地上空を飛ぶドイツ機のコックピットにいるパイロット、アルバート・“バーティ”・クロンカイト中尉もその一人だ。
バーティ「どうだマントイフェル?テンペストはどんな感じだ?」
マントイフェル『ああ、かなりいいな。操縦が楽だ。』
この時テンペストに乗っていたのは書類上は鹵獲機のフェリーのためもう一機のドイツ機、フォッケウルフTa152H-0に乗っているはずの隻眼のヴァルター・ハインリヒ・フリードリヒ・ゲルト・フォン・ツェレウスキー・グラーフ・フォン・マントイフェル中尉だった。
二人とも出身が貴族だったので意気投合、記念にフェリーフライトでそれぞれの乗機を交換して飛んでいた。
バーティ「こっちはかなり重い。疲れるよ。よくこんなの飛ばしてたな。」
マントイフェル『飛ばしてたって言っても殆ど飛んでないぞ。
最近はおたくらが24時間飛んで飛び上がったらすぐ集まってタコ殴りで戦闘はおろか訓練飛行すら危険だよ。』
Ta152は操縦したイギリスのテストパイロット曰く疲れる飛行機といわれている。
そのためバーティはかなり飛ばすのに苦労していた。
するとバーティが目的地周辺に雲がかかっていることに気が付く。
バーティ「なあそろそろ飛行場だが雲が垂れ込めてるな。」
マントイフェル『ああ。どうする?』
バーティ「とりあえず雲の下に出よう。」
そういうと降下して雲の下に向かおうとする。
だが突如、目の前に山が現れる。
バーティ「しまった!」
マントイフェル『シャイセ!』
必死で上昇しようとスロットルを全開にして機首上げをするが機体は降下を続け山腹に時速480キロで衝突した。
彼らは岩は雲の中にあることを忘れていた。
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「ソ連が恋しくない者には心がない。ソ連に戻りたい者には脳がない」
ーーウラジミール・ウラジーミロヴィチ・プーチン
ソ連、正式名称ソビエト社会主義共和国連邦。この国は世界初の社会主義国家。
ロシアとその周辺国を舞台とした壮大な社会科学の実験上として生まれた国。
だがその結末は悲惨だった。最終的に約70年間共産主義によって支配されたが次第に経済が疲弊、そしてとうとう1991年、東西冷戦終結後ソ連は自ら崩壊した。
だが1945年、おそらく当時のロシア人それどころか世界中の全ての人が信じないだろう。
この当時労働者のユートピアとされた国が50年後みすぼらしくなり無惨にも崩壊するなどとはつゆほども思っていなかっただろう。
なにせこの日、即ちUTC+9時1945年9月2日午前十時少し前、ソ連は新たな栄光の歴史を作っていた。
それは悪名高いナチスの同盟国日本を降すという勝利の歴史だ。
その時間、丁度降伏文書調印式が行われていた東京湾から北西に千数百キロ、満州上空をスピットファイアに似た赤い星を描かれた戦闘機が飛んでいた。
それはヤコブレフ設計局が開発したソ連の誇る名戦闘機ヤコブレフYak9Tである。
木金混合という古めかしい基本設計だが高い機動力であらゆるドイツ機より勝っていた。
この名機はその特性から主に爆撃機の直掩機として運用されたためこの機を駆って戦ってエースのスコアは多くない。
それでも多くの英雄を生み出した名機である。
この機は左側には「Азербайджанская Республика и Советский Союз победят с товарищами」(アゼルバイジャン・ソビエト共和国は同志と共に勝利する)、右側には星と「Для товарищей героев Ленинграда」(同志レニングラードの英雄のために)と書かれていた。
この機はアゼルバイジャン・ソビエト共和国の人たちの寄付によって作られた機であり乗っているのはソ連邦英雄でありレニングラード出身のエースであった。
乗っていたのはレニングラード大学医学部卒の共産党員レオニード・イリイチ・クトゥーゾフ上級大尉、通称リョーニャであった。
リョーニャ「ボーバ、これで戦争は終わるな。」
ボーバ『ああリョーニャ。これでやっと家に帰れるよ。』
ほぼ戦争が終わった以上編隊を組んでいる二人のパイロットは気を抜いて雑談に興じていた。
このころにはソ連軍でも質は別としてすべての飛行機に無線が備わっていた。
リョーニャ「そうだな。ところでボーバはどこ出身だ?」
ボーバ『キエフだよ。』
リョーニャ「キエフか、キエフ風カツレツのキエフだろ?」
ボーバ『そしてウクライナ一の町さ!今度来いよ。良いところだぜ。』
リョーニャ「シベリアに送られなければ行ってみるよ。」
ボーバ『党員のあんたが言うか?』
ウクライナ出身の同僚と話していると進路上に雲が出てきた。
リョーニャ「雲だな。大したことないが。」
ボーバ『ああ。このまま突っ切ろう。』
そういって2機は編隊を組んだまま雲を抜けた。だが、
リョーニャ「うわ!」
ボーバ『なんでこんなところにいるんだ!』
雲を抜けてすぐのところに突然ペトリャコーフPe-2が現れリョーニャの機が空中衝突した。
ヤクはペトリャコーフの右主翼に胴体下部をぶつけ機体後部がもげてばらばらになりながら落下した。
ペトリャコーフは衝突で右の補助翼とフラップを失い右にロールしながら錐もみ状態に陥り空中分解した。
ボーバはボリスラフの愛称、リョーニャはレオニードの愛称です。
機体の星はソ連邦英雄でソ連邦英雄は星形の勲章なんで兵士たちからは星を貰うとも言われていました。
正直カップ・アルコナの悲劇はもっと知られるべき