太平洋戦争をアメリカ側から見た話です。あと超長くて糖分注意です。
注:ポーが船のことを彼女と言いますがこれは船は基本的に女性だからです。
ポーは椅子に座ると自らの戦争を話し始めた。
ポー「俺が生まれたのはテキサスのサンアントニオ郊外の農場。
俺の家はヌーベルフランスに移住したフランス人から始まる家で南北戦争中は南軍に参加、あのゲティスバーグの戦いにも参加していたらしい。」
ポーが生まれたのはテキサス州のサンアントニオ、現代ではアメリカのヴェニスの別名を持つ街だった。
テキサス独立戦争などではアラモの戦いなどの重要な事件の舞台となった街でもあった。
ポーの家、即ちアンティリーズ家は独立戦争以前のヌーベルフランス時代にローワー・ルイジアナに移住したフランス系の家であった。
南北戦争では南軍に参加し南北戦争の天王山ゲティスバーグの戦いに参加したりした名門だった。
ポー「で、テキサスに移り住んだのは南北戦争で南部経済が崩壊、そのせいでルイジアナの農場を放棄せざるを得なくなった。」
南北戦争は内戦という側面と史上初の近代的戦争という側面があった。
特に名将ウィリアム・シャーマン将軍が南部経済の中心地、ジョージア州で行った海への進軍として知られる一連の作戦は史上初の近代的作戦としての側面を持っていた。
この一連の作戦ではインフラを徹底的に破壊しながら前進し、近代戦というものを史上初めて行っていた。
この作戦の後、南部経済は完全に崩壊、南北戦争は終結を迎えた。
だがこの作戦の被害は甚大なもので南部経済の崩壊やインフラの破壊は長く南部経済に尾を引いた。
そしてポーの家もこの被害を受け当時はまだメキシコから手に入れて10年ほどしかたっていなかったテキサスに移住、そこで農業を始めた。
ポー「俺が生まれたころには実家は街一番の大農家で街の名士だった。
親父はかなり初期の飛行機野郎で子供のころから地元でアクロバット飛行とかをしていたよ。
ただ大戦にはいかなかった。当時は既婚者は操縦免許を剥奪されていたらしい。」
第一次大戦前、アメリカでは既婚者は飛行機の操縦免許を剥奪する法律があった。
そのためポーの父親やアメリカ空軍の父として有名なヘンリー・アーノルド元帥も当時は操縦免許を剥奪されていた。
ただこの法律は一次大戦中にはなくなったようでアーノルドも大戦中に操縦免許を取り直していた。
ポー「そこで俺は子供のころから銃と馬と飛行機に触れながら育った。
一応俺は一人っ子だったが農場労働者の黒人や中国人、日本人の子供と同世代だったから大して不自由はしなかったね。
親父は人種差別なんて全く気にしない人で誰にでも優しく接していたから人望も厚かった。」
ポーは子供のころから銃や飛行機などに触れて育っていた。
そして農場には黒人や中国人、日本人などの有色人種の移民が多く働いていた。
それに子供のころから触れていたため人種差別感情など一ミリも持っていなかった。
ポー「で、子供のころから色々あった。
俺が小学校を卒業するころには世界大恐慌が起きた。
その余波はこっちも食らったが何とか高校までは卒業できた。
だけどその頃には実家の金がなくなりかけてた。
そこで俺は予備役将校訓練課程が使えるA&M大学に入学した。」
予備役将校訓練課程、略称ROTCは1886年「モリス・ラングランド法」の成立により始まった制度だった。
これは軍が奨学金を出す代わりに士官候補生としての訓練や教育を大学の教育と同時に行うものだった。
制度を利用して士官になったものは非常に多く現在の米軍の士官の4割や第5代空軍参謀長カーチス・ルメイや第26代国防長官ジェームズ・マティス海兵隊大将などもこの制度を利用して将校となった人物だった。
そのためこの制度を利用するには強靭な肉体と強い精神力を求められる非常に厳しいものであった。
その中でポーはこの制度が使えるテキサス州立A&M大学に海軍予備役将校訓練課程で入学、理論物理学を学びつつ海軍将校としての訓練をこなして卒業した。
ポー「卒業後、俺はパイロットとしての訓練を受け見事アヴィエーターになった。」
米海軍には当時パイロットには二つの種類があった。
一つがアヴィエーター、もう一つがアヴィエーションパイロットだった。
これは前者が初めから将校としての教育を受けたのに対して後者は兵・下士官からパイロットになった者を指した。後者は1948年にパイロットの訓練資格が変更され全てのパイロット訓練性が士官扱いとなったため廃止となったが一応の資格は最後の有資格者が退役する80年代まで存在したという。
ポーはこの内の前者、アヴィエーターに分類された。
ポー「アヴィエーターとして最初に配属されたのは空母レキシントン、レディ・レックスだった。
彼女は巨大な船でこの基地よりも巨大だった」
レキシントンは満載排水量4万トン、全長270mという当時としては史上最大クラスの空母だった。
その巨大な船体には約2800人もの乗員と78機の艦載機が積まれていた。
ポー「彼女は本当に素晴らしい船だったよ。
そしてその素晴らしい船に乗り込んだ状態であの12月7日を迎えたんだ。
1941年12月7日、俺たちは海兵隊の航空機をミッドウェーに輸送中だった。
そして突然真珠湾からの無線が慌ただしくなったと思ったら艦長が総員戦闘配置って号令した。
すぐに俺はブリーフィングルームに向かうと隊長が『真珠湾が攻撃を受けた、これは演習ではない』って言うんだ。
やったのはジャップ、日本海軍だ。
すぐに俺たちはジャップの艦隊を探して飛び回ったが見つからず結局エンタープライズと合流して真珠湾に戻った。
そして真珠湾のいつもエンタープライズが停泊してた場所には標的艦ユタとオクラホマがひっくり返っていてアリゾナは見るも無残な姿になって沈んでウェストヴァージニア、カリフォルニア、ネバダは湾内で座礁、湾内のあちこちに焼け焦げた船がいっぱいいたよ。
もはや太平洋艦隊の、太平洋を守る最後の盾は俺たち空母部隊しかいなかった。」
真珠湾攻撃、それはアメリカにとってはあの9.11以前の最大の恥辱の日だった。
この日、真珠湾にいた米太平洋艦隊は日本海軍の攻撃によってその主力たる戦艦の大半を行動不能にされてしまった。
結果太平洋で動ける戦艦はコロラド一隻のみという状況に陥ってしまった。
当時はまだ戦艦は海軍の主力だった。
幸い太平洋艦隊の3隻の空母、レキシントン、エンタープライズ、サラトガは無傷であった。
3隻は海戦後即座に日本海軍機動部隊を捜索するが失敗する。
その後レキシントンは真珠湾に戻るがそこで彼らが見たものは無残な姿になった艦隊の姿だった。
ポー「こうして俺の戦争が始まった。
最初の戦闘は年が明けた2月20日にウィルソン・ブラウン中将の元、ニューギニアのジャップを攻撃した。
その戦闘で同僚のブッチ、エドワード・オヘアがなんとたった5分で5機もベティを落とした。
ブッチはその後海軍航空隊初のメタル・オブ・オナー、名誉勲章を授与されたよ。
だけどニューブリテン島のラバウル攻撃は失敗、燃料不足でそのまま帰還した。」
ポーの最初の戦闘は日本語名ニューギニア沖海戦だった。
この海戦は日本海軍航空部隊がラバウルに接近する米機動艦隊を攻撃したが大損害を被ったがアメリカも当初の目的に失敗したため撤退したなんとも消極的な戦闘だった。
ただこの海戦でレキシントン乗り組みのカポネの弁護士として有名だったエドワード・J・オヘアの息子エドワード・“ブッチ”・オヘアが4分で5機の一式陸攻を撃墜、名誉勲章を授与される戦果を挙げていた。
ポー「次に俺たちはヨークタウンと組んでニューギニア島のラエとサラモアを空襲した。
こちらは成功してほとんど損害なく多くの輸送船を撃沈した。」
ラエとサラモアへの空襲は米海軍にとっては初の本格的な空母部隊による攻撃だった。
この作戦で日本軍は4隻の船舶を失い多数の商船が損傷する事態となった。
日本軍は結局この二つの街を占領するが海空戦では米海軍の完勝だった。
ポー「そのあと一時的に真珠湾に戻ってレックスは主砲の8インチ砲を取り外す工事を行ったんだがその途中で次の作戦に向かった。
目的地は珊瑚海だった。」
ラエ、サラモアへの空襲を終え真珠湾に戻ったレキシントンは8インチ砲を取り外して5インチ砲に交換する改装が行われる予定だった。
だがその最中、海軍の暗号解読部隊が日本軍の次なる行動を察知した。
それはニューギニア島のポートモレスビー、ここを抑えれば北オーストラリアを攻撃できるだけでなく珊瑚海の制空権、ニューギニアそのものを失う可能性があった。
珊瑚海航路の封鎖と北オーストラリアへの攻撃、ニューギニアの喪失、この3つが揃った時起きる最悪の可能性はオーストラリアの戦争脱落。
それは是が非でも避けなければならなかった。
そのためアメリカ海軍は空母レキシントン、そしてヨークタウンを珊瑚海に派遣、ここに史上初の機動部隊同士による海戦、珊瑚海海戦の火蓋が切られた。
ポー「珊瑚海ではまず俺たちはジャップの翔鶴型空母を撃沈した。
その日の夕方、今度はジャップの攻撃部隊を迎撃、ケイトを一機撃墜して初戦果になった。」
珊瑚海海戦では米艦隊はまず空母祥鳳を撃沈した。
だがアメリカ側は祥鳳を翔鶴型空母と誤認していた。
そしてその日の夕方に日本海軍は米艦隊を薄暮攻撃を仕掛けるがレーダーに発見され迎撃、大損害を被った。
ポー「で、その後、すっかり日が暮れてからレックスに着艦しようと上空を飛んでたらなんとジャップの攻撃機がレックスに着艦しようとしたんだ。
驚いたよ。そいつらが逃げた後着艦したんだがレックスはその時大変なことになったらしく副長が『白兵戦用意!』なんて指示したぐらいだったらしい」
この日、日本海軍の攻撃隊は海戦史上唯一ともいえる珍事を犯していた。
それはなんとレキシントンを味方空母と誤認、それに着艦しようとしたのだ。
幸い着艦直前にそれが敵空母と分かり再度上昇、逃げ切ったがこの珍事はその後二度と起きなかった。
ポー「翌日、今度は別の空母部隊を発見、味方が攻撃に行っている間俺はレックスの直掩として残った。
現地時間11時を少し過ぎたころ、ジャップの攻撃隊が来た。
俺はレックスに攻撃を仕掛けようとする攻撃機や爆撃機を撃墜しようとしたがゼロが護衛についてた。
そのせいで戦闘が始まってすぐに被弾、何とか機体を着水させるのが精一杯だった。
ゼロはワイルドキャットよりも速く、機動性が高くてドッグファイトになれば勝ち目はなかった。」
翌日の1942年5月8日、珊瑚海海戦の最大の戦闘が始まった。
この戦闘で米艦隊は日本艦隊を攻撃、日本艦隊も米艦隊を攻撃した。
そしてポーは米艦隊の直掩機としてレキシントン上空にいたが戦闘が始まってすぐ翔鶴零戦隊に撃墜された。
当時の零戦とF4Fのキルレシオは1:2程度でF4Fはまだ不利だった。
ポー「不時着水して救助を待っていると目の前でレックスが魚雷を食らって水柱が上がり被弾して炎上していた。
あれは悔しかった。目の前で何年も乗っていた家のような船が燃えてるのに何もできないんだ。
それから戦闘が一段落すると直掩艦のハムマンに救助された。
そこで甲板から火災を鎮火して着艦を再開していたレックスを見ていると突然彼女が爆発した。
さらに断続的に爆発が続いた後、フェルプスが乗員を救助して処分した。
レックスはフェルプスの魚雷を食らって沈んだが彼女は最後まで腹を見せず淑女だったよ。」
レキシントンは戦闘で魚雷2発と爆弾2発が直撃、彼女は炎上するが米海軍の素晴らしいダメコン能力により何とか鎮火に成功した。
鎮火後彼女は攻撃隊の収容を開始するがその最中に最初の爆発が発生、さらに続いて二回目の爆発で前部エレベーターが吹き飛び深刻な事態となった。
そして3回目の爆発でとうとう前部機関室が浸水、浸水は激しくすぐに喫水下全域から乗員が避難、そして漂流を始め司令部は彼女の処分を命じた。
命じられた駆逐艦フェルプスは乗員の収容後レキシントンに魚雷を発射、自沈処分とした。
彼女は乗員の目の前で沈んでいったが船底を見せず沈んだ。それを評してある乗員は「彼女は最後まで淑女だった」と評した。
ポー「その後俺はトンガタプ島を経由して真珠湾に戻りレキシントン飛行隊の生き残りとして損傷を突貫工事で修理中のヨークタウンに移った。
そこで新型のF4Fに機種転換したんだが訓練なしだった。
とにかく一分一秒でも早く前線復帰させるのが優先だったらしい」
ポーは真珠湾に戻ると珊瑚海での損傷を突貫工事で修理中だったヨークタウン、別名オールド・ヨーキィに移った。
ヨークタウンの損害は深刻だったが既に日本艦隊が次なる作戦、即ちミッドウェーを攻撃することを掴んでいた海軍は彼女を急いで戦列に戻そうとしていた。
そのため彼女の修理はいささか乱暴でとりあえず運用には支障がない程度にまでしか修理されなかった。
ポー「彼女に乗り込んですぐに次の戦いが始まった。
任務はミッドウェーを攻撃する日本艦隊の撃退。
相手は4隻の空母、こちらはホーネット、ビッグEことエンタープライズ、そしてオールド・ヨーキィの3隻だけ。
勝ち目は少なかったが俺たちがここで勝たないとアメリカは負けることぐらいは分かっていた。」
ミッドウェー海戦の米艦隊の主力はヨークタウン、エンタープライズ、ホーネットの3隻のヨークタウン級空母、相対する日本艦隊の戦力は空母赤城、加賀、蒼龍、飛龍の4隻、数の上では負けていた。
だが彼らがここで勝たなければ戦争はアメリカの負けに終わってしまう。
太平洋戦争の行く末は彼らの肩にかかっていた。
ポー「ミッドウェーで戦闘が始まってすぐ、俺は本来ならレックス以来のボス、ジョン・サッチ少佐と共に出撃するはずだったんだが直前に俺は艦隊直掩に回された。
で、俺がヨークタウン上空を回っていると無線で大変なことが起きたことを知った。
エンタープライズのクラレンス・マクラスキー少佐の部隊とヨークタウンのレスリー少佐の部隊が空母三隻を撃破した。
これで一気に形勢逆転した。」
ミッドウェー海戦では本来悪手の筈の戦力の逐次投入が功を奏した。
最初に南雲機動部隊に襲いかかったヨークタウン攻撃隊に直掩機がかかりっきりになっている時に上空にエンタープライズのマクラスキー隊とヨークタウンのレスリー隊が襲い掛かったのだ。
その結果4空母のうち3隻が被弾、沈没した。
ポー「その後、ヨークタウンに連中の攻撃が集中した。
直掩の俺たちで何とか半分を落としたが残りがヨークタウンに集中、何発も爆弾を食らった。
だけど素晴らしいものでたった30分で離着艦できるまで修理された」
その後の反撃でヨークタウンは被弾するもたった25分で離着艦ができるまで修理された。
ポー「だけどその直後、今度は攻撃機がやってきてヨークタウンが被雷した。
側面に大きな水柱が上がって艦はみるみるうちに傾斜していった。」
応急修理から40分後、第二波の友永隊がヨークタウンに襲いかかった。
この攻撃でヨークタウンは2本の魚雷を被雷した。
ポー「もはや彼女は助からず艦長が総員退艦を指示した。
俺はそのまま最寄りのハムマンのそばに不時着、ハムマンに拾われてヨークタウンの乗員たちと合流した。
彼女は傾斜していたが沈み始めてはいなかったようで艦長が船を救おうと乗員を集めていた。」
ポーはその後着水しまたハムマンに拾われてハムマンに拾われたヨークタウン乗員と合流した。
ポー「で、俺はハムマンからヨークタウンに移って何とかして彼女を救おうとした。
そして一晩かけて艦を水平にすると真珠湾まで曳航され始めた。
だけどその日の昼間、潜水艦の雷撃を食らった。
それでそばにいたハムマンが沈没、ヨークタウンも沈み始めた。
俺たちは何とか護衛のベンハムに救助された。
ヨークタウンは一晩たった後、艦載機の残骸が耳障りな音を立て、魚雷とハムマンの爆雷で穴だらけになった醜い船体を晒ながら沈没した。」
ヨークタウンは何とか応急修理によって真珠湾に運ばれ始めたがその直後、日本の潜水艦伊一六五の雷撃によってそばにいたハムマン諸共被雷、懸命の努力もむなしく沈没した。
これはポーにとっては2回目の乗船の沈没だった。
ポー「その後、俺はホーネットに移った。
それからしばらくは真珠湾周辺で訓練にいそしんでいたが東部ソロモン海戦でエンタープライズが、潜水艦の雷撃でサラトガが損傷、さらにワスプが潜水艦によって撃沈されたせいで彼女が急遽前線に戻った。」
ホーネットに移り数ヶ月は真珠湾近辺で訓練に勤しんでいたポーだったが東ソロモン海戦(日本名第二次ソロモン海海戦)でエンタープライズが損傷しサラトガが大破、ワスプが撃沈されると太平洋に残った稼働空母はホーネット一隻になってしまった。
当時はまだ米帝の物量チートは発動していなかった。
そのため急遽ホーネットは激戦地ガダルカナルへと向かいそこで修理を終えたエンタープライズと合流した。
ポー「そして次の戦いが始まった。
ジャップがガダルカナルをなんとしても守ろうとしてまた機動部隊を送ってきた。
この海戦で俺はホーネット直掩として海戦に参加したが彼女を守れなかった。
攻撃は彼女に集中、炎上した。
その上エンタープライズも損傷した。
俺は最初の攻撃の際に腕に被弾してさらに燃料が漏れ急遽不時着水してポーターに拾われたんだが、その直後に潜水艦の雷撃でポーターが撃沈され俺は海に投げ出され腕と足を骨折した。」
南太平洋海戦、アメリカ名称サンタクルーズ諸島沖海戦は日米海軍航空隊にとっては質・量ともに最大の戦闘だった。
この戦闘で日本海軍は一時的に米艦隊の稼働空母をゼロにするが日本側は被害を恐れ戦闘は消極的でありその結果海戦そのものはアメリカの戦略的勝利だった。
だがその代償にホーネットを失いエンタープライズが中破してしまった。
さらにポーは第一波攻撃で被弾、不時着水して駆逐艦ポーターに拾われるが直後、ポーターは潜水艦の雷撃--正確にはエンタープライズの雷撃機が着水の際に投棄した魚雷が当たってしまった前代未聞の事故--によりポーは海に投げ出され腕と足を骨折した。
ポー「俺はショーに拾われてハワイに戻って入院したんだがそこでジフテリアに感染、結局43年の6月まで入院した。
その後俺はF6Fに機種転換するのと休暇を兼ねて本国に帰還、そこでF6Fに機種転換訓練をしたんだがその途中で着陸時に脚を折る事故をして重傷を負って44年の1月まで入院した。」
その後ポーは入院するがそこでジフテリアに感染したため入院が長期化、さらにその後F6Fに機種転換するがその最中に着陸時に脚を折るというF6Fの設計上の欠陥に起因する事故で重傷を負ってしまった。
ポー「その間に俺はインディペンデンス級軽空母のサン・ジャシントに配属され44年の4月に合流した。
それから俺たちはマリアナ諸島を攻撃した。
そこでジャップと激突した。」
ポーはその後クリーブランド級軽巡洋艦を改造した軽空母サン・ジャシントに配属されマリアナ沖海戦、アメリカ名称フィリピン海海戦に参加した。
ポー「マリアナの沖でジャップの艦載機数百機と空中戦になったんだが敵は恐ろしく弱かった。
それこそ七面鳥を撃つようにね」
マリアナ沖海戦での日本海軍航空隊は練度の低下が激しく七面鳥撃ちに例えられるほどだった。
これは直前に米潜水艦隊の妨害もあったがそれとともに米艦隊はレーダーを使い早期に日本艦隊を察知、逆に待ち伏せしたため大損害を被った。
そのためこの海戦はほぼワンサイドゲームに終わり日本側は宝石よりも貴重な多数の航空機搭乗員と空母3隻、タンカー2隻、そして大量の潜水艦と航空機を喪失したのに対してアメリカ艦隊は44機が撃墜、87機が事故又は不時着で喪失、兵士の損害は航空機搭乗員76名と艦船乗組員33名のみ、6隻が損傷程度だった。
ポー「それから今度は小笠原諸島を攻撃した。
そこで俺と仲の良かったTBF乗りのジョージっていうやつがいるんだがそいつが父島で撃墜された。
ジャップは脱出したジョージを捕まえようとしたが俺は機銃で追い払った。
それから数時間してジョージは味方の潜水艦に救助されたらしい。」
ジョージは幸運だった。
この後父島では人肉食事件が発生していた。
彼は数時間漂流した末味方の潜水艦に拾われた。
ポー「その後、俺たちはフィリピンでマックの陸軍を支援するため移動した。
そこでジャップの艦隊の総攻撃を受けた。」
レイテ沖海戦、それは史上最大の海空戦である。
両軍合計300隻以上の艦艇、航空機2000機以上がぶつかった大激戦だった。
この戦いで日本海軍は再建不能な損害を被った。
ポー「俺はサン・ジャシントが配属されていた第38.4任務部隊の上空直掩がほとんどでシブヤン海に発見した艦隊への攻撃には参加しなかった。
ただそこで仲間は世界最大の戦艦を撃沈したらしい。
そいつは何でもヤマトクラスとかいうらしい。
で、俺はその大金星を逃したが翌日エンガノ岬沖に発見したジャップの機動部隊攻撃に参加した。
この攻撃で翔鶴型空母など3隻を撃沈、俺もゼロ戦を3機ほど撃墜した。」
サン・ジャシントはこの海戦でラルフ・E・デヴィソン少将の第38.4任務部隊に所属、シブヤン海海戦には参加しなかったがエンガノ岬沖海戦には参加、小沢艦隊の壊滅に寄与した。
ポー「だがその間にサマール島沖に展開していた第77.3任務部隊がなんとシブヤン海にいたはずの艦隊に襲撃された。
すぐにブル、俺たちの指揮官のハルゼー中将はタフィ3を救出するために向かったが結局逃がした。」
だがハルゼーの第3艦隊がエンガノ岬沖の小沢艦隊に集中している間に一度撤退したはずの栗田艦隊はサンベルナルジノ海峡を突破、サマール島沖に展開していた弱小第77.3任務部隊、通称タフィ3を襲撃した。
だがこの商船より多少マシ程度の防御力と雀の涙程度の艦載機しかない護衛空母と駆逐艦、そして潜水艦や仮装巡洋艦と撃ち合える程度しかないはずの護衛駆逐艦は奮戦し「戦艦のように戦った駆逐艦」サミュエル・B・ロバーツや駆逐艦ジョンストン、ヒーアマン、ホーエルは栗田艦隊に突撃、巡洋艦鳥海、筑摩、熊野、鈴谷などに大損害を与え鳥海、筑摩、鈴谷を撃沈、熊野を大破させる大戦果を挙げた。
ポー「だがここでジャップは恐ろしい戦術を取り始めた。
サーシャ、もし君なら爆弾に高度な技術を使用せず高い信頼性と命中率を両立した誘導能力を付与するにはどうすると思う?」
ここでポーはサーシャに聞いた。
それにサーシャは少し考えた。
サーシャ「無理ですよね。高い命中率を得るには高度な技術力が必要ですよね?」
ポー「そうだな。“常識的に”考えたら不可能だ。
だが、戦争と恋はあらゆることが許されるって格言走ってるだろ?
一つあるじゃないか特別な技術も装置も必要とせず訓練だけで高い誘導能力を与えられる方法が」
サーシャは不可能だと答えるがそれにポーがヒントを与える。
そして恐ろしい可能性が浮かんだ。
サーシャ「まさか…人そのものを誘導装置に…
で、でも無理ですよね?そんなことしたら搭乗員諸共…」
ポー「だが連中はそれをやった。
飛行機を爆弾にしたんだ。狂ってやがるよ」
レイテ沖海戦で初めて使用された狂気の戦術、それは特攻、特別攻撃だった。
この戦術は自殺がタブーなキリスト教徒には理解不能な恐ろしいものだった。
ポー「この後、俺は休暇のため一度船を降りた。
で、クリスマスの直後にサン・ジャシントに戻ってグラティテュード作戦に参加、そこで多数の商船を撃沈した。」
グラティテュード作戦は45年の年明け早々に行われた空母部隊による南シナ海での通商破壊作戦だった。
この作戦により日本の南方航路は事実上破壊されサイゴン(現ホーチミン)、サンジャック、香港、高雄などベトナムから中国、台湾に至る主要な港全てが空襲を受け54隻の輸送船、18隻の日本海軍艦艇と2隻のヴィシーフランス艦艇を撃沈した。
これ以降日本の南方航路は完全に封鎖された。
またこの作戦中にかの有名なホーネット上空を飛行するSB2Cの写真が撮られているのは余談である。
ポー「その後サン・ジャシントは沖縄攻撃に参加、そこでジャップのヤマトクラスを撃沈した。
その様はすごいもので数百mもの爆炎が上がった凄まじいものだった。
多分あれは一生瞼に焼き付いて離れないだろうな。
あれ以上に衝撃的なものを見たことなんてないしこれからもないだろう。」
サン・ジャシントはあの坊ノ岬沖海戦に参加、大和の僚艦浜風を撃沈した。
そしてポーはその攻撃に参加し空の上から大和の最後を目撃していた。
ポー「そしてその後もジャップの体当たり攻撃が続いて俺はその迎撃に精を出していた。
そのさなかにエンジントラブルを起こして墜落、こうなったってわけさ。
こんな感じかなサーシャ。」
そしてポーはすべてを話し終えた。
それにサーシャは暗い顔をしていた。
サーシャ「そうですか…ポーさん、辛かったんですね。」
ポー「いや、そんなことはない。
俺は祖国アメリカのため、そして自由と権利のため戦った。
これは俺の誇りであり名誉だ。
栄光ある合衆国軍人としてのな。
そして俺は奴らを一ミリも恨んでいない。
なぜなら彼らも俺と同じように祖国に忠誠を誓い義務を果たして戦ったんだ。
これを汚すということは自分の名誉そのものを汚すことになる。
テキサスの男は一度倒したものを貶めたりしない。
それはそれを倒した自らの名誉と誇りそのものを汚すことだ。」
ポーは日本兵を恨んではいなかった。
それは彼の中にある軍人としての矜持からだった。
合衆国には倒したものを見下したりしない美風がある。
これは傲慢さもあったがそれを見下し貶めることは自らの誇りを貶めることと同義だった。
サーシャ「名誉と誇りですか、ポーさんからそんな言葉が出るなんて」
サーシャはポーの口から名誉や誇りといった単語が出てきたことに微笑む。
ポー「おいおいおい、サーシャちゃん、俺を何かと勘違いしてないか?
俺だって誇り高き海軍の男だ。
名誉と歴史ある海軍の先人たちの後を継ぎ伝統を受け継ぐ男だ」
それにポーが返した。
サーシャ「そんな男には見えませんけど。
伯爵と同じぐらいの女好きのアレな人に見えます」
ポー「俺とあいつを一緒にするな。
俺はあいつとは違う。危険な火遊びはしない主義だ。
それに俺だって一度に口説こうとするのは一人だけだ。
本命のな」
ポーはサーシャに言う。
それは半分告白のようなものだがポーにはその気はさらさらなかった。
なにせアメリカには告白なんて言う概念自体ないのだ。
サーシャ「本命、ですか…
私がなんていうか分かってるんですか?」
ポー「まあ予想できるかな?ここで賭けてもいい。」
サーシャにポーは返し近づき顔を近づける。
ポー「どうする?君がノーと言えば俺は君のことを全部忘れる。
さあどうする?」
顎に手を添えながらポーがサーシャに言う。
サーシャは動揺しポーから目をそらす。
そして数秒すると突如サーシャがポーにキスした。
サーシャ「ポーさん、愛してます」
ポー「分かってる」
ポーは一言返した。
北極圏に近いペテルブルクの夜は長い。
TBF乗りで父島で撃墜されたジョージはあのジョージ・H・W・ブッシュです。
あのやり取り、ぶっちゃけスターウォーズのあのシーンぽいものやりたかっただけです、はい。
これから色々あって更新速度遅くなるかも?