マントイフェルの妻との馴れ初め話
サーシャ「マイクロフィルムをお菓子の中に隠すなんて」
サーシャが隊長室のテーブルの上に置かれたマカロンの中に隠されたマイクロフィルムを見て呟く。
例のマイクロフィルムが発見されたため急遽ポー、パット、クルピンスキー、ロスマン、サーシャ、ラルが集まってその内容を話し合っていた。
パット「一つ言えるのはそうしないといけないような代物だってことだな。
まあこんなものを不注意にも一口で食おうとしたのは災難だったが」
ポー「ああ、弁護士呼んで裁判起こして歯医者代せしめてやる」
パットが言うとポーは口に手を当てながら答える。
マイクロフィルムが入ったマカロンを一口で食べようとしたためポーは派手に歯を痛めていた。
それを横目にラルはマイクロフィルムに入っていた資料を読んでいた。
ラル「ふむ、なるほど。これは極秘指定されるな」
ロスマン「どういうことですか?」
ラル「見ろ」
資料を読んでいたラルが感想を言うとロスマンが聞いた。
ラルは聞かれると資料を見せる。
ポー「なんだこれ?」
パット「ウォーロック?魔法使いの一種の名前だろ?
にしても何だこれ?SFか?」
見せられた資料にはSFの世界から出てきたような兵器、即ちウォーロックが書かれていた。
ポー「ふむ、ネウロイのコアを利用した兵器だとよ。
物理学を齧ったことのある人間としてはなかなか面白い兵器じゃない」
パット「目には目を歯には歯をネウロイにはネウロイをか、発想としては悪くないが技術が追い付いてないな」
その兵器の詳細を読んでポーとパットはそう結論した。
イギリスの変態兵器の多くは「発想はいいが技術が追い付いてない」というのが多い(パンジャンドラム、ハボクック等々)がこれも同じように「発想はいいが技術が追い付いていない」兵器だった。
サーシャ「でもそれが結局暴走したわけですよね」
ポー「だが資料を読むと暴走した原因は基地での戦闘で基地の電気系統を破壊されコントロールシステムがダウンしたのが原因らしい。
ただコントロールシステムがダウンすると暴走する欠陥はいただけないな。
戦場じゃあ電気系が落ちる事態ってのは考えられる可能性の一つだからな。
戦艦の巨大な砲塔と装弾装置だって電気が落ちて機関が止まっても手動で使えるようになってるぞ」
資料を読んでいたポーがウォーロックの欠陥としてフェイルセーフ設計の欠如という兵器としては最悪の点を挙げた。
フェイルセーフ設計、即ち「すべての機械は壊れるものであり一つぐらい壊れても安全には問題ないように設計する」というのは兵器はもちろん飛行機のような乗り物に関しては当たり前の設計である。
戦艦だってもし電気系が落ちても手動で発砲できるように設計されているし旅客機ではもし油圧系の一つが破損しても弁があるためそれを使って油圧系の損失を最小にできるし一本完全になくなっても他の系統があるため操縦は可能である。
ましてやコントロール側のシステムが落ちると味方を攻撃するというのは兵器としては最悪中の最悪の欠陥だった。
サーシャ「倒せたと言っても、これを我々が再現するのは不可能です」
ラル「だがこの資料から分かったことがある。
ネウロイの数にも限りがある。倒し続けていればいつかは巣が空になる」
ラルは資料からネウロイを倒す鍵があると踏んだ。
確かに物は有限であり根競べともいえる方法ならば行けるかもしれないがそれでは第一次大戦のような終わりのない消耗戦になるのが落ちである。
戦争というのは長期化して消耗戦化するほど国家にとっては不利益である。
現実的にはそんなことをすれば政治方面から圧力が飛んでくるだろう。
ロスマン「マンシュタイン元帥もこの情報を知れば火力を集中させてネウロイに消耗戦を仕掛けようとするでしょう」
ラル「だろうな」
パット「マンシュタイン?あああのドイツ軍最高の頭脳と称されてたやつか。
あいつが余計なことをしなければフランスは落ちなかった。」
マンシュタインという名前を聞いてパットはフランス戦の最大の功労者ともいえる名将エーリヒ・ゲナント・フォン・レヴィンスキー・フォン・マンシュタイン元帥の名前を思い出した。
彼はフランス戦で従来の一次大戦のシュリーフェンプランの焼き直しであった作戦に対して当時戦車部隊による通行は不可能と言われていたアルデンヌ高地を突破してマジノ線とフランス・イギリス軍主力を迂回する作戦を提案、メヘレン事件で従来の作戦の一部がベルギーに漏洩したこともありこの作戦が実行されフランス軍は大混乱に陥り世界最強のマジノ線は遊兵と化しフランス軍とイギリス軍の主力がダンケルクで包囲されフランスは降伏した。
彼はまたドイツ軍においては歩兵の友であり最も頼りになる対戦車兵器となりドイツ軍を支えた突撃砲を考案、さらには難攻不落とたたえられたクリミア半島セヴァストポリのセヴァストポリ要塞を落としスターリングラード戦の直後にはドン軍集団を率いて東部戦線南翼の崩壊を阻止、第3次ハリコフ攻防戦では現代でも機動防御戦のケーススタディとして現代でも教えられる「バックハンドブロウ(後手の一撃)」でソ連軍を粉砕するという戦果を挙げた大戦時のドイツ軍では名将の中の名将であった。
サーシャ「ひょっとして」
ラル「そうだ。
ムルマンに向かっている物資の中にグリゴーリ攻略の切り札が積まれているに違いない」
ポー「ムルマン?ムルマンスクじゃないのか?」
ふとポーはなぜかバレンツ海の重要港として知られる港がムルマンと言われてることに疑問を持った。
ロシア語の文法上ムルマンではなくムルマンスクと言われるのが正しいはずである。
ましてやロシアでは都市の規模によって名前が変わることは多いのだ。
例としてセヴェロドヴィンスクをあげると最初に作られた集落はスドロストイという名前でありその後38年に都市に昇格した際当時の人民委員会議議長(首相相当)で後の外務人民委員ヴャチェスラフ・ミハイロヴィチ・モロトフにちなんでモロトフスクとなり57年に現在のセヴェロドヴィンスクとなっている。
そのためムルマンだけでは文法上正しくないのだ。その上ムルマンという単語はコラ半島全域を表す単語だった。
パット「そんな小さなことはどうでもいいだろ。」
ロスマン「とにかく、それで私達に護衛を」
そんな港の名前という小さなことを気にするポーにパットは突っ込む。
ロスマンはその話を聞いて不可解な船団護衛のことと繋がって納得していた。
その横でクルピンスキーがふと呑気なことを言う。
クルピンスキー「ぶどうジュースあるかな?」
ラル「ない」
ポー「ワインは軍需物資だから一本ぐらいはあるだろ。」
ラルは即否定するがポーはワインは軍需物資だから一本ぐらいはあると言う。
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マントイフェル「ふう」
夕食後、マントイフェルは射撃場にいた。
射撃場の的にStg44とS18を撃っていた。
この少し前、食事中に船団護衛に向かうウィッチが選ばれパット、マントイフェル、クルピンスキー、菅野、二パ、ひかりが選ばれていた。
マントイフェルは構えていたStg44を下ろすとふと背後に気配を感じて振り返る。
マントイフェル「誰だ?なんだトゥルトか」
クルピンスキー「なんだってなんだよ、マントイフェル」
振り返るとそこには同じようにStg44を持ったクルピンスキーがいた。
マントイフェル「ヴァルトかゲルトでいいって言ってるだろ?」
クルピンスキー「君がいくらいいって言っても呼ぶ気は無いね。
だってその呼び方をしていたのは君の奥さんじゃないのかい?」
マントイフェル「ふ、そうだよ。トゥルトは結婚する前から俺をそう呼んでたよ」
マントイフェルが渾名でいいと言うがクルピンスキーはそう呼ぶ気は無かった。
なぜならその呼び方はマントイフェルの最愛の妻が呼んでいた呼び方だと推測していたからだ。
そしてその推測は当たっていた。
クルピンスキー「ふーん、時々君の奥さんの話を聞くけどどんな人だったんだい?
僕とは似ても似つかない人に聞こえるけど」
ふとクルピンスキーはマントイフェルがよく言っていたが詳しくは知らない彼の妻のことを聞いた。
それにマントイフェルは少しの間クルピンスキーを見つめるとタバコを取り出して火をつけ吸い始めると話し始めた。
マントイフェル「トゥルトのことか、いいよいつかは話さなきゃならないと思ってたからな。
トゥルト、フルネームはヴァルトルート・ザビーネ・グレーフィン・フォン・マントイフェル、旧姓ヴァルトルート・ザビーネ・フォン・ディープゲン=クレンツは俺の三歳年下の君にそっくりな女性だった。
ユンカーのディープゲン=クレンツ家の三女で世間では変わり者でお転婆として知られたよ。」
クルピンスキー「変わり者?」
彼の妻は同じユンカーでインスターブルクに本拠地を持っていたフォン・ディープゲン=クレンツ家の三女でお転婆娘、変人として知られていた。
マントイフェル「ああ、俺と彼女が出会うときも親父から『ディープゲン=クレンツ家の三女には関わるな』って釘を刺されたよ。
出会ったのは俺が陸軍で少尉任官してすぐの1934年のことだ。
マントイフェル家では代々将校として任官したその年に妻を娶るのが習わしで俺は全く気乗りしないまま親父に連れられてケーニヒスベルクで街のお偉方やら貴族の令嬢ばっかりのパーティーに連れてこられた。
で、俺は全く気乗りない上に昔から華やかな場が苦手でな、すぐに会場を抜け出して近くのビアホールに行った時にたまたま相席した時に出会ったんだ。
運命の出会いってのはああ言うものだと思うほど素晴らしい出会いだった。
あの時は彼女はパーティー用のドレスを着ていて俺は陸軍の礼装を着ていたとはいえ互いにそれが例のディープゲン=クレンツ家の三女だとは全く気づかなかった。
ただふと気になり別に話しかけなくても良かったのに話しかけたんだ、『あんたもパーティー抜け出したのか?』って。
そしたら『まあね、君も?』って聞いて来た、それに俺も『ああ、昔からああいう華やかな場は苦手なんだ。貴族なんだがな』って返したよ。
俺の返事を聞くと彼女も『僕も同じだよ。貴族の娘だって言うのにこう言う派手なドレスも化粧も大っ嫌い。君のその軍服みたいな服の方が好きだけど父さんはあんなのは女の子着るものじゃないって言うんだよ、何が女の子だか別に好きなもの着て好きなところで好きなことして良いじゃないかって、僕はもう子供じゃないのにね』って言ったんだ。
それで意気投合、そこからいなくなったことに気がついた親父と召使いが俺を探しに来るまで二人で飲んでたよ。
で、親父に見つかって教えてもらってから始めてそれがあの変人だって気がついたんだ。」
マントイフェルと妻の出会いというのはなんともひょんなものだった。
互いにパーティーが嫌で抜け出し会場近くのビアホールで出会うと言うなんとも奇妙なものだった。
だがラブロマンスにその程度のことは小さいことだった。
マントイフェル「それからは四六時中彼女のことを考えるようになり親父の縁談、中には有名な貴族の娘や親族もいたけどそれを全部断った。
そして親父に彼女と結婚したいと言ったよ、そしたら猛反対。
あの変人、女らしくないやつと結婚するのか!ってな。
俺からすればなんだその程度のことだった。
別に俺が求めていたのは家事をしてくれるお手伝いじゃない、一生ただ側にいて互いに全てをさらけ出せる人、それだけを求めてた。
だから俺は親父を説得して再度、彼女と会って結婚を申し込んだ、そして即OKを貰った。
彼女はまだ19歳だったが俺のこと受け入れてくれた、そして彼女も俺のことがずっと気になっていたらしい。
それで結婚を受け入れた。
だけど結婚してから彼女がなんで変人って言われるかわかったよ、簡単な話両性愛者だった。
彼女は女の子も男も好きという人だった、だがな法律では同性愛は違法だった。」
マントイフェルの妻ヴァルートが変人と呼ばれた所以、それは両性愛即ちバイセクシャルだったからだ。
当時ドイツには刑法175条の男性の同性愛をはじめとしたいくつかの法律によって同性愛は全面的に犯罪とされ、ホロコーストの間には同性愛者はユダヤ人、ロマ、ジプシー、精神障害者、障害者、スラブ人、共産主義者などともに虐殺の対象とされていた。
実際ナチス時代には当時の陸軍のトップフォン・フリッチュ大将が同性愛スキャンダルで失脚、その後彼はポーランド戦で自殺的な戦死を遂げていた。
当時のドイツというのは性的少数者には生きにくいどころか生命の危機しかなかった。
マントイフェル「だから俺は必死で隠した。
トゥルトも外ではよい妻を演じて世間では評判のおしどり夫婦だったよ。
オリンピックの代表から外れた時も二人でガルミッシュパルテンキルヒェンオリンピックやベルリンオリンピックも見に行って同僚を応援したりしたよ。」
するとマントイフェルは一枚の写真をポッケから取り出した。
そこには数人のドイツ陸軍将校と一人の日本陸軍将校、一人のクルピンスキーにそっくりな女性が2頭の馬と共に写っていた。
マントイフェル「この写真はベルリンオリンピックの時に馬術競技で出場する同僚だったオッペルン=ブロニコフスキー少将とハインツ・ブラント大佐、それにロルフ・リッパート大佐の応援に行ったときに偶々バロンニシと出会って6人で記念撮影した時の写真だよ。」
ベルリンオリンピックの馬術競技出場者の中には大戦時の名だたる機甲部隊指揮官の名が連なっていた。
まず前回1932年ロサンゼルスオリンピック金メダリストで日本を代表する機甲部隊指揮官バロン西こと西竹一。
ドイツ軍の中でも珍しいモスクワの戦い、スターリングラードの戦い、クルスクの戦い、ノルマンディーの戦いなど戦争の趨勢を決めた数々の戦いで戦車部隊を率い指揮し戦いの勝敗を分ける戦闘を指揮し負けた別名「必敗の指揮官」とも称される名将、ほとんどの戦いで「彼が勝っていればその戦いは勝てた」というような戦闘ばかりでこの異名が付いた。また戦後の1964年にはカナダ代表チームのコーチとして来日している。
そしてハインツ・ブラント、ゲオルク・ブラント騎兵大将の長男で大戦中は陸軍参謀本部作戦課主任参謀として中央で活躍したが7月20日事件で上司のアドルフ・ホイジンガー大将と共に巻き込まれ戦死していた。
ロルフ・リッパートはその後大戦中機甲部隊指揮官として活躍、1944年10月の東プロイセン攻防戦では第4装甲師団を率いて第11親衛軍を撃破していた。
彼らは全員マントイフェルの当時の同僚か上司であった。
というのも戦前、オリンピックの規定で馬術競技参加者は全員現役の騎兵将校である必要があった。
そして騎兵将校というのは比較的金持ちが多い、それは騎兵将校が伝統的に高価な馬術装具を自前で用意する必要があったからだ。
なので父親が騎兵将校だが息子は別兵科の将校という場合も多く例えばゲルト・フォン・ルントシュテット元帥は歩兵科出身だが父親は騎兵将校だった。
マントイフェル「それでこの俺の隣にいるのが妻だ。」
クルピンスキー「あれ?僕にそっくり。
というか君、左目あったの?」
ふとクルピンスキーは写真の女性が自分にそっくりなこととマントイフェルの左目があるのに気が付いた。
マントイフェル「まあな、当時はまだ戦傷を受ける前だったからな。
この戦傷はスペイン内戦で対地攻撃中に対空砲火を食らってな、その破片が左目から入ってこめかみから出て行ったんだ。
ただ細かい破片はまだ少し残っていて今でも時々痛むよ。」
クルピンスキー「へえそうなんだ。」
マントイフェルの怪我は1938年にスペイン内戦でコンドル軍団の第88戦闘飛行隊に所属していた時に共和国軍側の対空砲火を受け負傷した結果だった。
スペイン内戦ではドイツはフーゴ・シュペルレ少将(当時)が率いるコンドル軍団を派遣していた。
コンドル軍団にはアドルフ・ガーランドやヴェルナー・メルダース、ギュンター・リュッツオウ、ヴォルフ・ディートリッヒ・ヴィルケ、ゴットハルト・ハンドリック、ヴァルター・エーザウといった有名なエース達や色々な意味で有名なハヨ・ヘルマン、悪名高いオスカール・ディレルヴァンガー、連合軍に最初に投降した将軍としても知られるヴィルヘルム・フォン・トーマ、蒋介石の次男蒋緯国、レッドバロンの従兄弟のヴォルフラム・フォン・リヒトホーフェンなどがいた。
またスペイン内戦参加者にはロドルフ・ド・エムリコート・ド・グリュヌやニコライ・グズネツォフなどもいた。
マントイフェル「この怪我のせいでいったん空軍を退役、大戦まではケーニヒスベルクで地元の馬術学校で馬術を教えていたよ。
大戦が始まってすぐに俺は空軍に召集されてまた戦闘機パイロットとして戦った。」
マントイフェルはスペイン内戦の戦傷で軍を退役し予備役となったが大戦が始まると召集を受け空軍に現役復帰した。
マントイフェル「大戦中は色々あった。
あんまり話したくはないが。
妻のいたケーニヒスベルクは44年までは大きな出来事はなかったが44年にソ連軍が迫ると妻は俺の陸軍時代の友人を頼ってゴーテンハーフェンに避難、さらにそこにソ連軍が迫ると貨物船ゴヤに乗って避難しようとしたんだが、ゴヤが撃沈された。
乗っていたほとんどの人が助からなかったらしく妻の遺体さえ発見されなかった。」
マントイフェルが悲しげに語る。
彼の妻は史上最悪の海難事故の一つドイツ海軍貨物船ゴヤ撃沈で行方不明となっていた。
ゴヤの沈没による死者、生存者数は諸説あり一般的に死者6000人以上、生存者182人で救助後まもなく9人が死亡とされている。
これはかのヴィルヘルム・グストロフ撃沈(死者9000人以上)に次ぐ最悪の悲劇であった。
大戦中東ヨーロッパにおけるドイツ民間人の死者数は諸説あるがドイツ政府の公式統計によると約63万5000人と推計されている。
この内ソ連軍の戦争犯罪が27万人、ドイツ人追放で16万人、ソ連での強制労働で20万5000人とされている。
マントイフェル「しかもな、当時妻は妊娠していた。
俺の子供がいたんだ。
辛かった、毎日泣いていてもう涙も枯れたよ。
戦争が終わってすべてが終われば妻の後を追おうとも思ったけど君と出会った。」
さらに悪いことに当時彼の妻は妊娠していた。
彼は妻と同時に子供も失うという悲劇を味わったのだ。
そのショックからある種の鬱から自殺願望まで持ってしまった。
彼はクルピンスキーの頭を見ながら続ける。
マントイフェル「もしかしたらトゥルトは君と出会うことで俺を生かそうとしてるのかもな」
クルピンスキー「なにそれ?」
マントイフェルの独白にクルピンスキーは首を傾げる。
マントイフェル「おかしな話だと思うが妻は生きろって言うために君に合わせてくれたのかも知れない。
あんまり幽霊とかそういう話は苦手だが運命ってのは信じるタイプだからね」
クルピンスキー「ふーん、意外とロマンチストなんだね。」
マントイフェル「悪いか?おっと、こんな時間か。
明日は早いから寝るよ、お休み」
するとマントイフェルは照れ隠しのように時計を確認して銃を持って立ち去って行った。
ロシアの都市名は大体ある程度規則があるんです。
ただ例外もある模様(モスクワ、サンクトペテルブルク、エカテリンブルグ、シュッセルブルグ、ペルミなど)
あとややこしいのがカリーニングラード州の街。
元々ドイツ領なんで名前がまるっきり違う場合が多い(例えばインスターブルクは現代では東プロイセン侵攻を指揮して戦死したイヴァン・ダニーロヴィチ・チェルニャホフスキー大将の名を冠してチェルニャホフスク(チェルニャホフスキーの街の意)になってる)
なんでムルマンは法則から派手に外れてる(正しいのはその後にスクが付かないと)
あとムルマンスクってどうもロシア革命以前はロマノフ・ナ・ムールマネなる名前だったらしい。