なのでファシスト、ナチス、胸糞悪い奴、クズ、原子爆弾が平気で出ます。
注:死体のシーンがありますご注意ください。
プロローグ:知られざる英雄
1945年2月中旬、ドイツ上空
深夜、雪が舞い、遠くに見える空襲の炎と月明かり以外は何も見えない漆黒の闇の中を一機にユンカースJu88Rが飛んでいた。
ユンカースJu88は元々爆撃機、それも一時期流行った高速爆撃機と呼ばれるタイプの爆撃機だった。
だが大戦に入ってからは航空機の進化によって速度性能に見劣りするようになるがそれでもハインケルHe111の代わりとして大戦中期以降ドイツ軍の主力爆撃機としてドイツ軍を支えた。
この機の有名な戦果の一つと言えば43年12月2日に行われたバーリ空襲である。
時は43年12月、イタリア戦線はローマを前にして膠着状態に陥っていた。
即ちローマを守る最後の防衛線グスタフライン、そしてキリスト教の聖地でもあるモンテ・カッシーノでドイツ軍の激しい抵抗に遭い進めなかった。
そして激しい抵抗により大打撃を被った連合軍は損害補充と補給のため大量の物資をイタリアに送っていた。
その物資の揚陸港の一つがイタリア南部、アドリア海に面した港湾都市で当時25万人の人口を誇ったバーリ港だった。
当時ドイツ空軍は連合軍がイタリアのドイツ空軍を過小評価していることに気が付いていた。
そこでドイツ空軍はイタリア及び地中海地域で大規模な航空攻撃を行おうとしていた。
その目標としてこの地域のドイツ空軍の司令官でありかのレッドバロンの従兄弟、ゲルニカ爆撃の指揮官だったヴォルフラム・フライヘア・フォン・リヒトホーフェン元帥はこの地域のドイツ軍総司令官アルベルト・ケッセルリンク元帥に港湾都市のバーリを提案した。
そして事前偵察によって多数の商船がいることを確認したケッセルリンクはリヒトホーフェンにバーリの空襲を命じた。
リヒトホーフェンはこの作戦のために105機のJu88A-4をかき集め12月2日夜、決行された。
午後7時25分、荷役作業のため照明がつけられていたバーリ港上空にチャフが投下、それに続いて爆撃機がバーリを襲い港内で合計17隻の輸送船を撃沈、港の機能を約2週間に渡って奪い、44年2月まで使用不能にした。
だが空襲後、バーリ市内、そしてバーリ港から退避した船舶内で異変が生じ始めた。
医療スタッフや救助された乗組員、市民などに失明、化学やけどなどの症状が生じ始めた。
その数は分かってるだけでその日のうちに628名、これにバーリ市民数百名などに被害が出始めた。
実は撃沈された船の一隻にアメリカのリバティ船SSジョン・ハーヴェイという船があった。
そしてこの船の積み荷は米陸軍のM47爆弾、これはマスタードガスを充填した毒ガス兵器であった。
ジョン・ハーヴェイは空襲で被弾、その際に積み荷のマスタードガスが漏れ出た重油によってマスタードガスには理想的な溶媒となっていた海中に漏れ出し海に飛び込んだ商船乗組員に被害を出した。
さらに爆発と火災によって気化したマスタードガスはバーリ市内を襲ったのだ。
その被害は民間人に関しては正確な集計ができなかったものの、軍人だけで68名が死亡した。
これは大戦中最大の化学兵器による被害であった。
また大戦中にはツェルステーラー、駆逐機に転身、各地で活躍した。
例えばボルドーの第40爆撃航空団第Ⅴ飛行隊、この部隊はボルドー湾上空でUボートを狙う英軍機相手に死闘を演じた。
また夜間戦闘機となったものは数多くの夜戦エース、最も代表的なものは王子とも呼ばれた第2夜間戦闘航空団(NJG2)司令ハインリヒ・プリンツ・ツー・ザイン=ヴィトゲンシュタイン=ザイン少佐、第3夜間戦闘航空団(NJG3)司令ヘルムート・レント中佐などなどの乗機として活躍した。
だが大戦末期には護衛にあらゆる面でJu88に勝るデ・ハビランドモスキートが護衛に就くようになり接近すればモスキートに襲われるようになった。
だがそれでも終戦のその日までドイツの夜の空を必死で守っていた。
だがこの機の機体は穴だらけ、左エンジンは止まり、主脚が左側だけ出、主翼からは燃料が漏れ出し、補助翼と主翼の先は半分吹き飛び、窓ガラスは弾痕で割れていた。
「って…ベック、レック、大丈夫か?」
この機を操縦していたニコルッシ・アレクサンダー・フェリックス・ハルトマン=ファルケンホルスト中尉、通称ニコはつい数分前、空襲に向かっていた英空軍のランカスター爆撃機編隊を迎撃しようとしたが接近した瞬間、護衛のモスキート数機に襲われ機体を急降下するなどして振り切った。
だが機体はモスキートによって穴だらけにされ左エンジンは止まり、右エンジンも冷却器を損傷しオーバーヒート寸前、補助翼を半分失い操縦桿は重く、燃料は漏れて長い尾を引き、何より彼自身左腕に窓ガラスの破片が刺さって血を流していた。
出血する中彼は乗っているレーダー手と機上整備員を気に掛ける。
ベック「ニコ、大丈夫だ。
幸い怪我はない」
レック「俺は無事じゃない。
足に一発食らった。」
だがレーダー手は無事だが機上整備員は足に被弾していた。
それを聞いて思わず愚痴る。
ニコ「シャイセ、このままじゃ長く持たない。
どこか適当なところに不時着するぞ」
ニコは今にも分解して落ちそうな機体をゆっくりと旋回させながら不時着できそうな場所を探す。
そして眼下に農場か畑らしきものを見つけそこに機体を向かわせる。
ニコ「これから不時着する!シートベルトしろ!」
ベック「ああ分かった!」
レック「分かった!ベック、手伝ってくれ!」
後ろの二人に声をかけると機体をゆっくりと降ろしていく。
そして30秒ほどしてまず脚格納扉が吹き飛ばされ出されたままの左主脚が地面につき吹き飛ばされる、そしてプロペラが地面を叩き始め地面に衝突する。
その瞬間、乗員にできることは祈って身構えるのみとなり機体は時速数百キロで郊外の農場を疾走する。
そしてニコは眼前にあるものを見つける。
それは空襲か何かで破壊され廃墟となった家であった。
だが彼らに何かができるわけでもなく機体はその家に衝突、機首は派手につぶれ燃料タンクからは燃料が漏れ始めた。
衝突から少しして、ベックとレックが気が付いた。
ベック「ん…ニコ、レック大丈夫か?」
レック「あ…ベック、何とか生きてる…
ニコは?」
二人は気が付いたが二人とも椅子ごと床から外れ、床に投げ出されていた。
二人は体中が痛む中暗闇の中でニコを捜して見つける、だが
レック「ニコ、大丈夫…」
ベック「ニコ、おい!ニコ!クソ!」
ニコは激突の衝撃で即死していた。
レック「ベック、そっちを持て。
燃える前に出るぞ」
ベック「ああ」
二人はニコの亡骸を抱えて胴体の裂け目から外に出た。
そして二人が出た直後、機体は燃え始めた。
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フィンランド、北欧にある面積338400㎢、人口約532万人(2012年)の国家。
フィンランド人、スウェーデン人、サーミ人、ロシア人などからなる人口を持ち公用語としてフィンランド語とスウェーデン語を使用、西にスウェーデン、東にロシア、北はノルウェー、南にはフィンランド湾を挟んでエストニアと隣接する国である。
この国は古くよりスウェーデンとロシアという地域大国に翻弄されて来た。
それは1917年の独立後も変わらず、1918年のフィンランド内戦ではソビエト政権の赤軍の介入を受け、それから20年後の39年の冬には当時史上最強を誇ったソ連軍に侵攻された。
だがフィンランド人は座して死を待つなどということはしなかった。
彼らは自ら銃を持ち抵抗した。
侵攻開始から僅か数日でフィンランドの殆どの男は軍に入り銃を持ち前線に向かった。
そして礼儀知らずのリュッシャにフィンランド流の手厚いもてなしをした。
もてなしを受けたロシア人たちは苦戦どころか敗退を繰り返した。
粛清で骨抜きにされた彼らにはフィンランドのもてなしはきつすぎた。
碌な支援もない中フィンランドは善戦する。
だが世界は非情であった。
ほとんどの国はこの北欧の小国に手を差し伸べなかった。
差し伸べてもその支援は少なく、そして遅すぎた。
フィンランドは負けなかった、だが勝てなかった。
彼らは翌年、春と共に屈辱的な講和条約を結ばされた。
その内容は戦争で失った土地よりも多くの土地を失い、そして工業の中心を根こそぎ奪われ、フィンランド人の精神的な故郷たるカレリアを失った。
彼らにこの条約は屈辱以上のものであった。
だが彼らに手を差し伸べる国は一つしかなかった。
ドイツだ。
ドイツはソ連への侵攻のための足掛かりとしてフィンランドを仲間に引き入れた。
そして1941年6月、フィンランドはソ連に対して新たな戦争を始めた。
冬戦争の続き、継続戦争である。
だがこの戦争でもまた世界は、歴史は非情だった。
ドイツは冬になると負け始め、名将マンネルヘイム率いるフィンランドは戦争からの離脱を検討し始めた。
だがドイツによって枢軸側に縛り付けられソ連との戦争により戦争は長引いた。
そして44年6月、ソ連はヴィボルグ・ペトロザヴォーツク攻勢を開始した。
これはもはやフィンランドには破局に等しいものだった。
彼は死力を尽くしてソ連と戦った。
そして第2防衛線の街タリとイハンタラの地域で激戦が発生した。
スカンジナビア史上最大の戦闘、タリ=イハンタラの戦いである。
この戦闘によりフィンランドはソ連軍を止めた。
この一連の攻勢はフィンランドに対して多大なる影響を与えた。
だがソ連軍は目標まで到達できず、さらにはフィンランド軍の主力を殲滅できなかった。
それでもフィンランドにとっては戦争離脱を決めるのに十分だった。
1944年9月19日、モスクワでモスクワ休戦協定を結んだ。
この奇跡的な大戦末期の枢軸からの離脱は成功した。
だが新たな戦争が幕を開けた。
ラップランド戦争である。
だが互いに戦闘を避けようとしたためその内容はバルト海諸島をめぐるタンネ・オスト作戦とバルト海を除いて初期は戦争と言っても激しいものではなくドイツ側がフィンランドに撤退の予定表を渡す代わりにインフラの破壊を認めるなどなんとも奇妙な状況が発生した。
だがフィンランドはソ連の圧力によりドイツと戦う羽目になった。
オルハヴァの戦いとトルニオの戦いで初めて両軍は本格的に激突、この戦いでフィンランド軍はドイツから貰った兵器をドイツ軍に向けるという何とも因縁めいた出来事が発生した。
その後は両軍ともに本格的な戦闘を何度も繰り返すがそのほとんどが「早く撤退したい装備と機動力に優れたドイツ軍」とそれを追いかける「兵力不足で装備と機動力に劣り疲弊しきった同程度のフィンランド軍」という図式でありいくらフィンランド軍が必死でドイツ軍を追いかけようと自動車化されたドイツ軍はあっという間に撒いてしまった。
その後ロヴァニエミの戦いなど数回の激戦の末1945年4月25日に最後の部隊がノルウェーに撤退した。
両軍の死傷者はフィンランド軍戦死774、行方不明262、負傷約3,000、ドイツ軍戦死1,200、負傷2,000、捕虜1,300でドイツ軍が撤退する際に撒いた大量の地雷はその後も長くラップランドで多くの人命を奪った。
その後フィンランドはソ連の影響を受けながらも資本主義を維持するスタンス、いわゆるパーシキヴィ路線を取り冷戦を生き抜いた。
そして現代ではフィンランドは世界一幸福な国、平和的な国、民主的な国の一つとして知られている。
1945年2月、雪が舞うフィンランド・ソ連国境付近。
雨が降るその上空を青と白の真新しい国籍章をつけたラウンデルをつけたBf109G‐2が飛んでいた。
これはフィンランド空軍のBf109であった。
フィンランド空軍は意外なことに各国の空軍の歴史の中でも特に歴史ある空軍であった。
設立は1918年、正式な空軍としての独立は1928年、これはイギリス空軍、スウェーデン空軍に次ぐ古さであった。
このBf109Gを操縦していたのはフィンランド空軍第33戦隊所属のスウェーデン系フィンランド人ヤン・オーラ・ハンマルフェルド中尉だった。
ドイツ生まれで父親は第一次世界大戦でバイエルン王国軍第27猟兵大隊に所属して戦い、その後はフィンランド内戦で白衛軍に参加しフィンランドの独立のために命を落とした。
彼が生まれたころには父親は戦死していたが彼は母親、そして祖父母や周りの人から父親は祖国の英雄だと教えられそれを誇りにしているような男で冬戦争、継続戦争と戦い抜き多くの機種を渡り歩いたエースであった。
元々彼は第24戦隊所属であったが継続戦争後の再編で彼は第34戦隊を改変した第33戦隊に移っていた。
ヤン「ヤーカリ13、ロメオ異常なし」
司令部『ヤーカリ13、了解。帰投せよ』
ヤン「ヤーカリ13、了解。」
ヤンは司令部からの帰投命令を受けると旋回して基地に向かい、着陸しようと減速する。
だがその直後機体がガタガタと嫌な音を立て始め突然機体が急降下した。
ヤン「ペルケレ!失速だ!」
機体は着氷により失速した。
航空機というのは例外なく着氷に弱いのだ。
僅かな、たった1,2ミリの氷でさえ紙やすりのような役割を果たし気流を乱して揚力を奪ってしまう。
彼は気が付かなかったがこの雨はただの雨ではなく過冷却水滴と呼ばれるいわゆる雨氷の一つであった。
過冷却水滴は金属などの固体に触れると瞬間的に氷結する、そのためこのBf109の主翼は氷に覆われ気流を乱して揚力を得られなくなっていた。
そして氷というのは肉眼では非常に分かりづらいのだ。
そのため彼は着氷に気が付かず減速してしまい失速したのだ。
彼は必死で機体を立て直そうとするが高度が足りず何とか機首を殆ど水平にしたところでフィンランドの針葉樹林に墜落した。
第24戦隊って44年末に第31戦隊に改変されていて問題はこの第31戦隊の情報がないんでその代わりに情報のある第33戦隊に移動させました。
何で改変されたかって言うとモスクワ休戦協定でフィンランド軍の動員解除と軍縮があったんです(ただ空軍は陸軍よりかは優遇されて一部部隊は「ラップランド戦争後」にやってもいいって言われてた)
ヤンの墜落シーンはメーデーのアメリカンイーグル機墜落のシーンを参考にしましたね。
ちなみにこの事故以降、航空機の歴史にローズローンという単語が残りました。(ローズローンは墜落した場所の名前)
バーリ、ストパン2だとほとんど出てこないけどイタリアの主要な港だからね。
バーリ空襲はもっと日本で知られるべき。