艦隊これくしょん 麒麟の凱旋 作:ひろつかさ(旧・白寅Ⅰ号)
かつて日本の中心都市として隆盛を極めた都市が存在した。その名は『東京』かつては江戸と呼ばれたこの土地に徳川家による武家政権が開かれ、約四百年間の安定した政治機構と都市計画をもって大都市へと発展する。
世界的にも江戸期は安定した時代として存在し、明治維新によって政権は江戸幕府からの政治形態を継承、同時に帝国国家としての現代政治の基盤を構成するために列島改造を断行、政権移行時の大規模な内乱、二度の対外戦争を経て、大正、昭和時代は災害・クーデター未遂・大規模化した世界大戦を乗り越えながら昭和・平成以降も『東京』は日本の中心都市であり続けた。
だが、今はその栄枯盛衰を極めた都市の面影だけが漂い、都民も雨風の吹き抜けるバラック小屋に住まう街となった。
計三回の大規模爆撃と小規模な『定期便』と称された戦闘機による地上掃射、さらに上陸型深海棲艦によって東京は戦場と化し、かつて栄光を誇った日本政府は内閣・国会機能を喪失、行政機能も同様であった。
かろうじて国防軍が政府の立て直しを図り、被害の少なかった横浜に都市機能を移す。
政治能力を失い、その土地のほとんどを焼き払われたために燃えカスが降り積もり、黒く変色し、ガラスの割れたビル群は完全なる廃墟として打ち捨てられ、かつて下町があった住宅地は一面が瓦礫とバラック小屋が立ち並ぶ平面な土地に変わった。
人々は度重なる空襲や戦闘から逃れようと東京を離れ、見も知らぬ遺体達は回収されることなく朽ち果てていく、人々はいつしかこの街を打ち捨てられた都、『廃都』と呼ぶようになった。
現在はある程度の復興が進んだが、品川と港区および海中トンネルの再開が始まるも、東京の主だった場所の復興はめどが立たず、民間レベルでの廃ビルのバラック化や闇市の形成によって、行政の目が届かない無法地帯に変わっていた。
港区にかつて高級住宅街の存在した麻布という土地がある。現在、国家技術保護特区麻布工業地帯がこの時代の一般名称となっている。
早くから復興の指定地域として国防軍建機部隊によって整備され、やや低めのビル群がポツンとその一帯に肩身を寄せ合っている。
ビルの一室から、その長いブロンド髪を下ろした女性が雨にかすむ虎ノ門の廃墟街を見つめている。
六月十六日、昼を過ぎたころである。
「金剛大尉、ビールを持ってきましたよ」
「ありがとう」
雪風は持ってきたビール瓶の蓋を抜き、コップに並々と注いだ。
「乾杯」
金剛は手にしたその一杯を勢いのまま口にした。
その乾いた喉をじっくりと潤していく、義体であってもこの心地よい感触からは逃れられない。
「今回の義体調整は早く済みましたね。前回が七時間でしたから、今回は三時間早い四時間です」
「前回は砲弾の直撃で腕の関節駆動系が破壊されていたから、交換に時間がかかったのよ。今回は消化器官と瞳孔レンズの交換のみで他は現行のままで良いと判断されたわ。ただ、二年間も使っているこの体もガタが来ているから、早くて今年の冬には新義体への交換が予定されているわ、そう言えばあなたは何回義体を交換したのかしら」
「始めは義肢からです。初の実戦でオリジナルの肉体が損失したので、急遽義体を用意して電脳を移設、以降はアンダマン沖の海戦後、私の注文で義体を大型化してもらい現在の義体二体目に変えました」
「互いに親にもらった顔は失っているというわけね」
「いくら遺伝子データーを基にして顔を構築したところで、それが本当に自分の顔だという保証はない。時折疑って、時折信じたふりをする。その繰り返しの中でようやく自分の姿を受け入れることができる程度です」
「私はそれが嫌で事細かく注文を付けたけれど、鏡に映った自分を自分であると、信じることができなかった。親でさえ始めは私であるのかを疑っていたわ。唯一、勇人だけは私だと信じてくれたわ」
「弟さんでしたね」
「そう、四人兄弟の末っ子でたった一人の男の子だったから、勇人を守るために妹二人はナパームに焼かれて、私は重度の火傷を負って助け出された。蘇生の最後の手段として私は電脳化し、意識が戻るころには望んでもいなかった義体になっていた。そして戦火の中を海軍士官として戦い、生き延びてきた。もしかしたら、私は国のためというより、家族のために戦ってきたのかもしれないわね」
「家族のいない私には無縁の話です」
「じゃあ何のために軍人で居続けているの?」
「飯を食うため、ではいけませんか?」
「いいえ、何も悪くないわ。私もそれと同じ理由で軍人を続けているもの、人の事を言えた口じゃないわ」
金剛はコップに残ったビールを飲み干すと、再び雨の廃都に目を向けた。
「先日、統合作戦本部から一通の手紙が来たの、陸戦経験のある艦娘と深海棲艦との交戦経験や、訓練を受けた海兵を中心とした対深海棲艦および、社会的暴徒を制圧対象とした執行部隊を新設する。近日中に少佐に昇進して部隊の隊長に就任してくれという話が来たのよ」
「完全に引き抜きですね、その命令書すでに木下司令の下にあると思いますよ」
「意地悪ね。元々、私が提言していたことだから、今回それが通ったと考えているわ。木下と吹雪は反対しているけれど、上層部を味方につければ後は良いほうに動いてくれる」
「それで……どうして私にそれを」
「私の新設部隊に来ない?あなたなら副長の座を与えられる。私の知っている海兵の中でも、あなた以上に実戦経験豊富な士官はいない。新部隊が今以上の働き場であることを保証するわ」
金剛は愚直なまでに軍人である。自分の行動に明確な自信を持ち、自分に着く兵士たちに絶大な信頼を持つ。彼女は目的を達するためならば自己の失うものを眼中に置いていない。吹雪とは対照的な人物像であることは昔から知っている。雪風にとっては良き先輩であり上司、だがそれとこれとは話は異なる。
「少し…考える時間を頂けませんか?」
やや形式じみた言葉を返すと、気に入らないのかやや苦い表情をした。
「そうね。返事は次の機会でいいわ」
と返し、コップにビールを注いだ。
〔コード04‐6、こちら第二遊撃部隊本部。非常呼集につき本部へ帰還せよ。なお本日非番である金剛、雪風両名も出頭せよ〕
通信の切れた瞬間、二人は顔を見合わせた。金剛は苦笑いを浮かべながら、ブロンド髪をバンドでひとまとめにした。雪風もタイミングを同じくしてジャケットを着用した。
「どうやら返事は当分先になりそうです」
「いいわ、良い返事を期待している」
二時間後に到着した両名を含めた第二遊撃部隊所属の艦娘が一堂に会した。
司令官兼課長の木下真之介中佐、隊長金剛大尉、旗艦雪風中尉、以下構成員は天龍准尉、龍驤准尉、浦風一等海曹、天津風一等海曹、秋月一等海曹、大鳳准尉、装備課兼鑑識課長明石准尉、の計十一名が集結した。
「先刻、小笠原沖の青ヶ島で複数の爆発があったと報告が来た。哨戒機による情報では島内と沖の両方で爆炎らしきものが発生していることを確認、恐らく小規模な戦闘があったと考えられる。だが、管区司令部に戦闘の報告がされていない。戦闘報告の期限は、二時間以内又は戦闘開始前に通告をしなければならない。また、戦闘をしたであろう部隊からの弁明はない。そして第一遊撃部隊は今夜出撃だが、三十分前に母艦が出港したばかりだ」
「爆炎を捉えた空中写真や、哨戒機が現地からの通報を受けて十二分後のものや」
ブリーフィングルームの中央にポップされた写真には炸薬量の違いによる燃焼の異なりが見て取れる。
「我が海軍内の乙式弾頭弾は高貫通力および少量炸薬を用いた内部誘爆を重視したもの、火災の広がりおよび燃焼煙はこの小さく白いものとなる。対して深海棲艦は逆である。貫通力は低いものの大口径の炸薬量の多い弾薬を使用する。必然的に陸地への被害は乙式弾頭弾のそれとは異なる。説明は以上や、司令」
「聞いての通りだ。我々の任務はこの深海棲艦と交戦した秘匿部隊の特定、および規律違反を犯した指揮官の特定だ。亡霊部隊と関連のある『狐』の一件は雪風と天津風に任せる。他の者は横須賀管区の航海記録および出撃又は出撃している部隊を特定しろ」
「司令、秋月をこちらに回してもらえませんか」
「二人では不服か、場所は割れているのだろう?」
「いえ、私と天津風はあくまで前進要員。我々としては情報分析のできる後方要員がほしいのです」
「いいだろう、雪風、天津風、秋月はスリーマンセルで行動しろ。以上、各自持ち場に向かえ」
隊員が次々と退出する中、木下は一人天津風に課長室に来るように命令し部屋を後にしていった。
「天津風、地下駐車場で待つ」
「諒解」
「人を呼びつけておいて何ですか」
「あいつはどうなんだ」
「まだ一つも進展していませんよ。第一游隊に情報を提供して以来、それっきりです。接触するまでに状況を」
「俺が聞いているのは雪風の事だ」
「……いつも通りですよ、ぶっきらぼうで仕事のできる奴。司令は違うと」
「自分で報告書に書いておいて言う台詞がそれか」
「最近、情緒に乱れあり、そう書いたことですか」
「お前はあいつの現状をどう思っている」
「書いた通りです。でも時折思いがけないことを口走ったりしますよ」
「人なんて生き物は、自分からも他人からも、思い描いたものに則した姿をしていないものだ」
「司令、私は義体になって十二年、海軍の世話になって同じくらい。言ってしまえば最古参の龍驤よりも古株です。艦娘の中にだって自分の現状に辟易している奴なんかいくらでも居ます。一度死んだはずの肉体に、残らないはずの魂この世に残っている。二度死ぬなんて言葉がありますけどね、本来なら現実に生きている人間が物理的に遭遇するときは稀、異常とも言いますけどね。艦娘になる。いや、義体化した人間なら誰でも体験できるのです。あいつはいつも正確な言葉で自他を推し量ってきたあいつが、自分の言葉を疑った。小声で独り言なんてする野郎じゃないことは知っているでしょうに」
「シーザーを理解するためにシーザーである必要はない。仕事ができるなら問題にはしない」
「じゃあなんで俺をここに呼んだのです」
「お前が一番あいつの近くにいるからだ」
艦娘という人種はない。ましてやそのものの本当の名ではない。
正式名称は『特別攻撃兵器十三号』である。
国内の研究者が完成させた人体機能喪失者、植物人間用義体は調節によって肉体の機能を飛躍でき、軍は海軍研究所の提言通りに一騎当千の義肢および義体使用者の徴用を開始した。今までの兵士の枠に当てはまらない彼らのために専用装備を用意し、特攻任務の名誉を持たせる意味合いで各々に旧日本海軍の艦名を与えた。
たとえ肉体のオリジナルが脳だけであっても、特殊装甲の義体に身を委ね、命と引き換えに兵器になった者はこの計画動員の半数に及ぶ。
初期段階の計画では男性の徴用も意図としてはあったが、義肢の調整に男性ホルモンが異常をきたす恐れが発生し、戦争省は結果の良好であった女性を中心に徴兵する方針を決定した。
その中心は十代から二十代後半の肉体損失者および機能不全者から、ある程度精神的に安定し、基準を満たす女性から選ばれた。
彼女らは施設(特科工廠と呼ばれる施設で、攻撃を避けるために場所は極秘として扱われている)で手術され、リハビリが終了すると自動的に各地の海兵団の所属となり基礎訓練を受け、海軍兵学校に転入となる。
約半年で各種装備の教育および実戦訓練を受けて各管区の艦娘部隊に配属となる。
艦娘に与えられる呼称は彼女たちの軍内外における正式名称であり、兵学校転入時に銘名式が行われ、その名前を受領する。これ以降、彼女たちは本名の使用を制限される。また、この銘名の折に専用装備も軍服と共に一式付与される。
艦種は志願または徴兵条件によって異なる。
戦艦・空母・重巡は士官学校の試験合格者と士官教育を修了した者にのみ志願が許される。
軽巡・潜水母艦・水上機空母・工作艦は海軍兵学校にて各兵科の教育を受けたものに許可される。
そして駆逐艦と潜水艦は一般からの志願者および士官学校定員外者から選定される。
「それで司令とどんな話をしたの?」
「義体は心地いいかだとさ」
「で、あんたは何て答えたの」
「シーザーを理解するためにシーザーになる必要はない」
「天津風らしいわね」
秋月が心配そうに装甲バンのトランク部に目を向けて、そこに用意された対人装備一式を見つめながら二人へ顔を向けた。
「これから何する気ですか」
「何って、『狐』に会いに行くのさ、お前が見つけてくれたんじゃないか」
「でもわざわざ執行実包(四課内ではダムダム弾のことを差す)まで持ち出すなんて、カチコミでもする気ですか?」
「そうね、押し込みじゃなくて戦争になるかもね」
「雪風さんまで…兎に角です。話し合いだけですよ。お願いしますから」
「そうね、天津風」
「努力しよう」
東京都浅草、現在最大規模のバラック街を形成し、唯一残る鉄道には簡易な補修のみを受けた黒ずんだ電車が走っている。
駅前には無数の店が立ち並び、闇市には多くの人々が灯りを求めて足を運ぶ。まるで終戦直後の様相を見せている。銃器をギターケースに隠し、軍服ではなくラフな色の暗めの服に身を包み、街を歩いていく。
闇市では覚せい剤や麻薬が公然と売られ、この地域の小役人がそれで懐を温めていることは安易に理解できた。
「ねぇ、そこでそばでも手繰っていかない?」
「これから『狐』に会うというのに、いいでしょう。お腹が空いていたところですから」
「それは何より」
暖簾をくぐると人がやっと三人か四人立てるスペースの前に狭いカウンターが広がり、使いまわしのために小豆色の木箸が醜く剝げている。
すでに居たフロッグコートを羽織る白髪の老人が決して真ん中を譲らず、秋月は渋々隅に体を寄せた。
「親父さん、かけ三つ、月見一杯、代金はここにぴったりと」
「はいよ、しばらくお待ち」
「あれ、雪風さん一杯多くないですか」
乾いた老人の声が雪風に向けられた。
「嬢ちゃん、余計なお世話だぜ」
「女にだって粋ってもんがある。それに月見の銀二から講釈が聞けるなら、かけの一杯や二杯安いものよ」
その白髪の老人はその透き通った真っすぐな目を雪風へ向けた。やや猫背になっていた彼の体がゆっくりと整った。
「雪風の嬢ちゃんか」
「お久しぶりです」
「前は、そうか、きつねコロッケのお雪の連れで来た時以来か、あそこのマッハ軒はドロンしちまった。今はここだけで一杯を求める日々さ」
「マッハ軒は横浜に移りましたよ。吹雪少佐から伝言です。たまには東京から出て来いとね」
「へっ、何が東京だ。俺の生きる場所はこの廃都だって決まっているんだ。今更立喰師に身を落とした俺が、ここから出ていけるかよ」
しばらくして銀二の前に置かれた月見そばは、そば粉の少ないまがい物で、濃い灰色に太めの乱雑な麺が特徴、そして卵はややあ薄い黄色である。
「だがこうして奢りのそばにありつけるのはありがたいことだ」
銀次は彼女たちの前にそばが出された時には、既につゆを飲み干し、雪風のもとに善光寺の七味を置きしばらくどんぶりの底を見つめていた。
雪風もほかの二人より早くつゆを飲み干すと七味を銀次の方に寄せた。
「嬢ちゃんが顔を出したってことは、何かしら用があってのことだろう。聞こう」
秋月は気が付いた。銀次は店の箸を一切使っていない。懐に忍ばせていた割り箸で月見そばをたぐっていた。なぜ、彼がそのような真似をするのかを理解できなかった。
「この界隈で怪しい客をとっているプログラマーを探しているの、誰ともあまり交わろうとしない男」
天津風はようやく気付いた。彼は七味をたっぷりと月見にかけていたのにも関わらず、どんぶりには一片のかけらも残っていない。この男はどのようにして一杯のそばを美しく食べ終えることができたのか、なんとも度し難いことである。
「一人心当たりがある。紙をよこしな」
そして秋月と天津風は気づく、たかがそばを食うだけに真剣になっている自分たちほど無粋なものはないと、二人はたった一つの美しく食べ終えられたどんぶりから目をそらし、目の前の自分の手中にある一杯に集中した。
「ありがとうございます」
「嬢ちゃん、俺は立喰師なんて上手な生き物じゃねぇ、俺は屑鉄屋だ。この何もかも焼けちまった東京で使えそうな奴を拾って、そいつを抱き合わせてもう一度東京にしようとしている。馬鹿な野郎だ。国の奴らや、地回りの奴らに食いつかれたら肉の一片も残らねぇだろう。だがな、俺の街も、俺の生き方も、誰にも邪魔させはしねぇ!死ぬんだったら、そこら辺の野良犬の糧になってやる。じゃあな、嬢ちゃん、吹雪に伝えといてくれや、またうまいそばでも手繰ろう、とな」
「確かに」
雪風はさりげなく銀次の懐に金を忍ばせる。
銀次は何も言わず、暖簾を抜けて闇市の人込みへ消えていった。
彼の食したどんぶりはすでに洗われて、重なる丼の中に消え去っていた。