艦隊これくしょん 麒麟の凱旋 作:ひろつかさ(旧・白寅Ⅰ号)
かつて爆撃によって東京のあらゆる橋が破壊されたが、なぜか厩橋だけは軽微な火災のみで残っている。
浅草と向島方面を結ぶ数少ない橋であるため、多くの人々が往来している。
東京で生きている人々が意地で街灯を灯しているものの、電気供給が止められているため入手が安易なガスを用いたものが多くを占める。そのためか、灯りはか細く、何ともわびしい。厩橋は人々の表情を見分けるにはやや暗かった。
ただ、人の姿ははっきりと目に映るため、それを避けながら前に進んでいく。
「相変わらず、小林清親の浮世絵みたいな場所ですね」
「一昔前が明るすぎたんだ。元の状態に戻っただけさ」
暗闇の中で天津風がそう言い放つと、雪風がそれに続くように言った。
「二十年前までは日本の中心都市として発展し続けた街。他の都市に見習い明治以降から街灯の整備が加速化、大正以降になると電気の普及で電飾が登場。アジアの中でも屈指の電気の都市に生まれ変わった。だが、世界大戦による大規模空襲、そして深海棲艦の侵攻によってその輝きは失われた。防空灯火管制法が再び法律として成立したけれど、暗視装置を持ち、あまつや無差別攻撃を旨とする近代戦争の徒である深海棲艦を相手に有効に働くとは言えないわね」
「だがないよりはマシなのだろう」
「本気でそう思っているの」
「…まさか」
浅草・本所の街は完全に焼き払われ、幾つか残ったビルは痛々しい弾痕を残し、暗闇の中にぼんやりとその身を沈めている。その周囲を失われたものを埋るようにバラックが隙間なく並んでいる。
もはや区画はなく、ある程度の人数が通れる道が迷路のように張り巡らされているバラック街、雪風は銀次のメモを見ながら、そのどことも知れぬ闇の中を進んでいく。
「狐のサーバー所在地、確かに本所で合っていますけど、あの銀次って男の情報を信用して良いのですか?」
「何を言いたいのかはわかるぜ……奴は月見の銀次。立喰師っていう一種の粋人みたいなもんだ。だがそれは世を忍ぶ仮の名前、奴はマウザーの銀次っていう凄腕の元軍人さ、かつては東京を舞台にした対深海棲艦戦闘、『深川戦役』で民兵軍を束ね、東京の奪還に成功した優秀な指揮官だ。そして、彼が曾祖父の代から隠し持っていた、モーゼルM1932を使っていたことからマウザーの銀次と呼ばれた。今はこの本所・浅草界隈の露天商を束ねる大親分。あいつが姿を現したときシマを荒らす連中は、その肉片の一片たりとも残すことなく忽然と姿を消す。行政の役人や自治警の連中はあいつを悪の巨魁と呼んでいるが、ここの復興が急速に進んでいるのは間違いなく銀次の采配があってこそさ」
「そんな大物があんなところで一人……」
「あんな所だから銀次は安心してそばを手繰れるのさ、あの界隈は民兵崩れの連中が堅気しているんだ。銀次を襲ったやつがどうなるか想像に難くないだろ?だからこそ銀次に挨拶しとかにゃあならんのさ、下手したらうち等も東京湾の藻屑に消えるかもしれねぇからな」
「ふむ、でも、よくそんな人とコネがありますね」
雪風が足を止めると、目的地と思しきバラック小屋が三人の前に立っている。
「着いたわ、秋月」
秋月はため息をつきつつも、何ともみすぼらしい扉を三回ノックした。
「ごめんください。東海労働結社の者です。この周辺の労働状況について伺っております」
しばらく沈黙ののち、籠った声が返ってきた。
「今取り込んでおりますので、今度にしてください」
秋月は委細動じることなく、再びノックを三回たたき同じ文句を並べた。
「労働者の数少ない安息の時間を犯して恥ずかしいと思わないのですか」
「では私達、東海労働結社に協力していただけないのでしょうか」
読者諸君ならばその甘い声に十の昔に扉を開けていることだろう、しかし、
「だれもそのように言っておりません。だから今日はお帰り下さい」
「ああ、私はなんということをしたのでしょう。私達は労働者の努力と汗が無駄でないために活動してきました。しかし、だがしかし、その安眠は私たちの信念が正しいことを証明しなかったのです。常に労働者が淘汰される時代が続いてきた、工場の機械化によって労働者の魂はゴルゴンの魔女の窯へくべられてしまった。でも、我々は破壊された世界を再建する大義を帯び、この世界に蘇ったのです。もし、もしも神様がこの世を見ていらっしゃるならば、私達労働者は天が遣わされた使いなのです。
同志よ、私の良き同志よ、この扉の向こうで眠る同志よ、
どうか安らかなる夜をお過ごしください。貴方の安眠が良き朝を迎える糧になることを主に祈ります。そして、そしてこの時代が偉大なる労働者の時代であることに感謝しましょう。
労働者万歳!扉の同志に万歳!東海労働結社万歳!」
「あーもう!分かった!出るから、出るから静かにしてくれ!」
男が扉を大きく開けると、天津風の顔を見て真っ青になり、急いで閉めようとした。だが、天津風は笑顔でそれを静止した。
「田形技術曹長殿お久しぶりです」
「あ、天津風二曹っ……どうしてっ……ここがっ……」
「そのお話は中に入ってからしましょうか、狐さん」
古いバラックの小屋に不相応な電子機器が並べられ、部屋の隅では発電機が甲高い音をたてて回っている。
髪が雑に伸び、口髭を伸ばし、何とも張り合いのない顔がこの男の性格を表に出している。
かつて海軍特科工廠で艦娘用の制御ソフトを設計していたプログラマーであり、同じ所属で実験体となっていた天津風とは付き合いの長い同僚だった。
「そ、それで海軍さんが俺に何の用なんだ。む、昔は確かに勤めていたが、やめさせておいて不合理ってもんでしょうが!」
「三日前の十時五十分ごろ、そのたいそうな物でどこにアクセスしていた?」
「え……どこって、そりゃあ商売の秘密で」
「秋月」
「はい、海軍の高官のみが閲覧可能なデーターベースに意地汚い狐が一匹入り込んでいた。我々が調査したとき、管理主任までの突破口が丸見えでしたよ」
「そんな重要なデーターベースなら、防壁を自己修復できるだろうが!」
「そのわざとらしい偽造の修復跡が、防壁図から丸わかりだったのです。しかも、帰り道にも痕跡を残して」
「ま、まさかそれが俺の仕業だって言うのか?」
「お前はシテだよ。釣り狐なら尚更さ、あそこの防壁はわざと緩めに作ってある部分がある。お前はそれが罠だと知らず堂々と防壁を食い破って、ご丁寧にその背中に枝をつけられたまま、木の実のなる山を駆け回っていたのさ」
と、天津風が追い打ちをかけると田形は情けなく尻餅をついた。
「そ、そんな馬鹿なぁ」
「だが、お上はお前がおとなしくしているなら不問にしてやると言った」
「本当に?」
田形は妙に嬉しそうな表情で闇に紛れる天津風を凝視した。
「ただし、条件があります」
「へっ」
「情報提供の依頼主は誰だ。その情報を教えてくれたら、遊んで暮せる報酬がもらえるぞ。善良な市民からの情報提供としてな」
すると一転、男は顔を曇らせ口を塞ぎこんだ。
「ふん、だんまりというわけかい。雪風、少しぐらいはいいよな」
「やりすぎは禁物よ」
天津風が黒いジャケットのファスナーを鳴らしながら、散らばる雑貨類を踏みつけ、田形の後ろ襟を掴んだ。
彼の体は半端に宙を舞いながら、壁に叩きつけられた。無様に尻餅を着いたのもつかの間、彼の顔面に膝蹴りが入った。
田形の鼻から血がだらだらと流れ出た。
「どこぞの鉄屑屋が教えてくれたのさ、この辺りで法外な値段でスキャンダルネタを記者に叩き売りしているプログラマーがここにいるってな、いや正しくはハッカーと呼ぶべきかな、田形技術元曹長殿」
「頼む!勘弁してくれ!あの頃は本当に天津風さんにはお世話になりました。感謝しています。お礼もしますから何卒、何卒!」
「さん付けされるほど偉くなっちゃいねぇよ。で、吐く気になったか」
「だから、俺の商売での信用がなぁ……」
「信義に二種あり、秘密を守ると、正直を守ると也。両立すべきことにあらず、で、吐く気になったか」
田形が諦めの表情を見せた瞬間、月明かりが出始めた外から閃光が走った。
「伏せろ!」
雪風が叫んだ瞬間、木製の窓扉が砕け、田形の胴体を貫通した。月明かりのない方向へ田形の胴体を蹴飛ばすと、天津風の後ろ髪を一発がかすめた。
「天津風、一時の方向にある廃ビルだ!C25G型ユニットC装備用意!秋月はそこの男を応急手当、デカ物から情報を抜き取って!」
「諒解!」
雪風と天津風はギターケースから、コート25G型を取り出し、ストックを装着、銃口サプレッサーを差し込み回して固定、6×35P弾三十発弾倉を差し込み、初弾を装填、二人は小屋を飛び出しそれぞれ廃ビルへと走り始めた。
彼女達はバラック小屋の屋根を飛び越え、人々の間を縫ってビルへと近づいていく。
彼女たちは義体がゆえに常人ならできない動作や負担に耐えることができる。それどころか、400メートル先の廃ビルに到達するまで14秒とかからない。
〔こちら天津風、裏口に取りついた。奴さんはまだ上にいるようだ〕
〔天津風は裏口から、私は正面から侵入する。古いビルだから、中央にしか階段がない〕
〔そこから行く他ねぇな〕
天津風は周囲をクリアリングしながら侵入する。このビルには階段が中央と外の非常階段にのみ設けられた独特な様式になっている。二階に上がると、フラッシュライトを点灯し周囲を確認、細かに部屋を確認しながら中央の階段が伸びるフロアが視界に入り、ライトを消灯、月明かりを利用して三階を警戒した。
〔雪風。二階のクリアリングは終わった。そっちは〕
〔こっちも二階に上がるわ、でも気づいているわ〕
〔ああ、そうじゃなきゃわざわざ見晴らしのいい場所で狙撃なんかしねぇ〕
〔恐らく三階の右奥、左は吹き飛んでいて光が差し込んでいるわ〕
天津風が音もなく出ると、階段前で雪風と互いに銃口を向けあった。やや雪風が早い。
天津風が目くばせすると、雪風は息を殺しながら階段を上がり始める。その後ろから後方を警戒しつつ天津風が階段を上がる。
だが雪風の正面に現れたのは敵ではなく一発の手りゅう弾であった。
強烈な閃光とともに一帯が煙幕に包まれる。二人は警戒しながら静止、三階と二階に耳を澄ます。
だが、音は上からでなく下からであった。地面にパイプを叩きつけたような音が響くと、二人はすかさず階を上がったが、走り去る影はC25の有効狙撃距離を過ぎていた。
「しまった!狙いは田形の方だ!」
田形の応急処置を終え眠らせると、月影から機器に有線を接続し、膨大な情報から顧客データーを抜き始めた。
「こいつ、信用と言っておきながら客の情報も売り物にしている!」
遠くから駆けてくる音が耳に入る。
〔来るぞ、秋月!〕
その瞬間、黒いマスクを被る影が拳銃を構えながら扉を突き破った。
影が狙いを定めたのは部屋の奥で眠る田形である。
(まずい!)
脇のホルスターから身軽なS&WM38が抜かれ、ドット・ポインターの赤い光が相手の右目へ正確に照射された。相手は怯み発射された一発が田形の右上へ逸れた。
舌打ちをしながら、反撃の銃口が秋月に向けられる。
その銃口に怯えることなく二発を発射し、右手を撃ち抜いて拳銃をその手から落とした。
赤い光線は影の頭部に当てられる。
「動くな!」
強制認識音声で相手を威圧したが、まったく動じない。多くの義体であるならば、体の動きは完全に静止する。
彼女ははっきりと判断した、この影は同じ艦娘である。
「お前はどこの所属だ!なぜ田形元技術曹長を殺そうとする!答えろ!」
だが何も答えない。
やがて、二つの足音が別々に近づいてくると、影は走り出し、秋月の追撃の一発が外れた。だがそこには雪風が待ち構えていた。
走る影の足に銃弾が掃射される。だがその瞬間光学迷彩が働き、人影は暗闇の中に没してしまった。
雪風はしばらく消えた方向を警戒しながら、ゆっくりと後ろへ下がった。
「敵は?」
追いついてきた天津風が、雪風に問いかけると、彼女は銃を下ろし、首を横に振った。
小屋に入ると、秋月は有線を引き抜き、ギターケースを手に持った。
「どんな奴だった、敵は」
「おそらく艦娘ですよ。強制認識音声をはじいた」
「だろうな。お前を連れてこなかったら情報もパーになっていたな」
「情報ならたっぷり抜いておいたよ、この機器そのものが外部記憶装置で、顧客情報を大事そうに保存してあった。隠しファイルもわかりやすく置いてあったところ、なんとも間抜けなハッカーね」
「仕事が良いようで、警察に通報してこいつとはおさらばだ」
「え、ウチが管轄するのじゃなくて」
「所轄が調べたもの全部後から貰う、その方が楽でいいじゃないか」
「ひどいなぁ」
「ちゃんと所轄も給料分の仕事をしなくちゃな、俺たちを見習ってほしいもんだよ秋月ちゃん」
「我々が働きすぎなだけなのでは?」
三時間後。場所は戻り、遊撃隊本部ビル内のブリーフィングルーム。
「兎にも角にも、奴の引き出したデーターから謎の艦娘の目的を探るしかないですね。どうやら亡霊を負っているのは諜報部と遊撃部隊だけではないことは確かです。遺留物はSVUA-3消音狙撃銃、GLOCK42自動拳銃がどこの部隊で消費された物か辿っても、十分な痕跡は得られるでしょう」
そう秋月は話を終えた。
ブリーフィングルームには立体映像と通信音声で参加できるように、有機立体スクリーンが備えられている。
この場には雪風・天津風・秋月を除いて全員が集合している。
捜査に関するまとめ役となるのは、現役艦娘の中で古参中の古参である龍驤である。
「ほな、話をまとめようや。現在あたしらが追っとる亡霊部隊の目的は不明、現在硫黄島沖を越えて北進中、第一遊撃部隊が撃滅のため追撃中。しかし、亡霊を追っているのはウチらと諜報部、それに第一遊隊だけやない。まず一つは深海棲艦、艦隊の編成からして、亡霊の撃滅を任務にしていると思われる。何かしらの原因で奴らのコントロール下を離れた亡霊に対して、秘密保持又は処理のために追撃していると思われるが、奴らの殲滅部隊をウチらが沈めたことで詳細は分からず。もう一つは、国内の海軍部隊による、秘密作戦又は殲滅を目的とした亡霊を追う第三者。秋月の報告の通り、亡霊に関する情報を抜き出していた田形を消そうとした。だが、国内に記録を隠しきれる場所はない。必ず痕跡がある筈だ。そして、問題なのはその秘密作戦の意図が測りがたいことだ。本件における私たちの任務は、海軍内における我々に報告のない秘密作戦を行う軍法違反部隊の特定、および軍裁判所代理権限をもって違反事項の特定を行うものである。以上や、他に報告事項はあるか?」
暫し、隊員の返事を待った後、木下へ視線を向けた。
「捜査は続行、速やかに部隊を特定するんだ。以上、解散」
立体スクリーンから三人の姿が消えると、決まったことのように全員がブリーフィングルームを退出していく、木下が席を立とうとした時、ポケットの携帯が鳴った。
誰からの電話であることを確認することなく応答のボタンを押した。
「どうした」
「こちら本部ビル受付、第一遊撃部隊の吹雪様からお電話です」
「このまま繋いでくれ」
「了解しました」
椅子に座り直し、吹雪が第一声を発する瞬間を待った。
だが、しばらくたっても声がしない。
「もしもし吹雪さん?お疲れ様です」
「え、ええ、木下さん、お疲れ様」
やや疲れた声が木下に一瞬のうちに状況を理解させた。
「撃滅に成功した、のではなさそうだね」
「……貴方には謝らなくてはならないわ。亡霊部隊に反撃を受けてそのまま戻ってきてしまったわ」
事態は悪い方向に進みつつあるのではないか、まず、彼女から戦闘の全容を聞き出す必要がある。
「敵との交戦のこと、聞かせてもらっていいかな、吹雪さんが、いや第一遊隊が戻ってきたということは亡霊の殲滅は交戦経験の多いこっちに回ってくるはずだ。相手を知っておきたい。吹雪さん」
沈黙を破り、ゆっくりと戦闘の導入について語り始めた。
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同十六日、午前八時八分。
北硫黄島沖に敵艦隊発見の報を受けた第一遊撃部隊母艦、特務巡洋艦「富士」は横須賀を出港し、敵進路上に急行した。
軍令部属、連合艦隊直下組織、「第一遊撃部隊」は第二遊撃部隊と異なり、司令部からの命令で行動する東京湾防衛部隊の主力であり、地方管区の手に負えない敵を殲滅する火消し部隊でもある。
構成要員は旗艦および隊長兼任の戦艦級大和中尉、第一戦隊旗艦阿賀野型軽巡級矢矧中尉、同戦隊駆逐級冬月、同涼月、同磯風。第二戦隊旗艦空母級葛城、同戦隊駆逐級朝霜、同初霜、同霞であった。
艦橋から前方を見据える吹雪の隣に立つ大和は耳打ちするように進言した。
「吹雪、もうすぐ当該海域よ。ここは接敵する前に敵の発見を急がせた方がいいわ」
マップケースから布状ディスプレイを取り出すと、表示される海図を睨み静かに頷いた。
海図には既にペンによる筆記が保存され、赤い線が索敵域を明確に指定していた。大和は想定していた通りであることを確認すると、無線を起動した。
〔こちら旗艦大和。葛城は各三十度の範囲に放射状に偵察機を飛ばせ〕
〔空母葛城、諒解した〕
吹雪はかつて大和の部下であった。四年前の第四四任務部隊当時は、大和が少尉、吹雪は二等海曹であった。だが、吹雪が指揮官として頭角を表し始めると、士官不足に伴い戦闘の功績が優秀な者、又は能力が十分と認められた者に艦娘であっても、佐官クラスの教育を受ける権利が与えられ、気が付けば大和は前線部隊の古株となった中尉、吹雪はその政治力と戦術眼を買われ少佐にまで出世し、立場は逆転していた。
しかし、吹雪は後方指揮官の性格が強く、前線指揮官としてはやや柔軟性に欠いたため、その役を大和に託すことが多かった。大和もそれを重々承知したうえで旗艦の席に座っている。
「もし、もしも本当に夕立がいるのだったら」
「吹雪」
「中尉、もし夕立が亡霊となり亡霊部隊の旗艦となっているなら、偵察機は相手に私たちの位置を正確に教える羽目になりかねない。良天候下での奇襲作戦は彼女の十八番だった」
「もう第一、第二戦隊を出しましょう。あなたの予想が外れたことは一度たりともなかった」
「今度こそ外れであってほしいと思う。両戦隊は大和中尉指揮の下艦の左右に展開し、敵の奇襲に備えろ。敵の正確な規模が分からない今、むやみに動く必要はない。この艦を盾にしても構わない」
「諒解」
当該海域への到達時間は十分を経過、雪風は既に亡霊部隊は北進しているのではないかと考えた。
吹雪は意を決す、矢矧の第一戦隊に敵予想進路を逆走するように指示した。恐らく、自分たちが敵の頭を取っていることは明らかだった。ここは味方哨戒網が入り込む場所であり、抜け道は富士が進む予想進路上だけである。
だが哨戒機からの発見報告はない、緊密に連絡を取り合っているのにも関わらず今だ亡霊はその姿を現さない。
大和はそれを警戒し、艦の後ろについて敵の接近を警戒していた。
(頼む、早く見つけてくれ)
吹雪は心の中で、そう祈った。
大和の心中では緊張が音を立てて思考を鈍らせようとする。吹雪の言った通り、偵察機二機との交信が途絶えたままである。つまり、敵は索敵を突破。第一戦隊との衝突は免れない。
彼女の兵装は近接信管を備えた20mm三連装砲九門が巨大な方針を全方位に向けられている。
とはいえ、その破壊力を代償に強力な反動を全身にかかるため中距離戦ではオーバーパワーである。
副砲の三連装7mm砲九門が頼りである。
だが、敵が一撃離脱の奇襲を本艦にかけるとすれば、目標はこの大きな標的ではなく戦術的に有効でないものを攻撃にかかる。その目標となるのは自分ではない。
大和が指示を出そうとしたその瞬間、受信された無線通信が状況を変えた。
〔こちら矢矧、敵部隊を発見、交戦に入ります!〕
〔夕立は見えるか!〕
〔いない!〕
大和は状況が最悪の方向へ向かっていることを直感、すぐに葛城へ無線を開いた。
〔葛城!今すぐに左舷に退避しろ!早く!〕
だが護衛を突破した高速で侵入する一体が既に葛城の間合いに踏み込み、三発の魚雷が発射された。
やや銀色がかった髪、その特徴的な髪結び、その姿は間違いなく夕立であった。
艦橋から外の戦闘を注視していた吹雪は右舷で大きな水柱が立つのを目撃、衝撃が船を振動させる。そして、その視界に夕立の姿がはっきりと映った。そして、互いの視線がぴったりと重なった。
吹雪は死を覚悟した。
夕立が手にする連装砲が吹雪に向けられた瞬間、艦尾方向から激しい砲音とともに夕立に衝撃波が加えられ海面がいくつもの水柱を形成、強い揺れが艦を左右に振った。
吹雪の視界から夕立は消えた。
「大和か!」
大和が艦の後方から主砲九門を一斉射、夕立から司令を守った。
態勢が整い、矢矧からの報告を聞くと吹雪へ回線を開いた。
〔こちら大和。吹雪司令、、異常はありませんか?〕
〔こちら吹雪、心身ともに以上なし、艦の航行に異状ない。そちらの状況を報告せよ〕
〔現在、矢矧が敵重巡を撃破、駆逐艦中破、残りは二体を放棄し逃走。現在手負いの駆逐艦に止めを刺しています。こちらの被害は、現在…空母級葛城からの応答ありません。消息不明〕
〔……ご苦労、このまま艦の周囲を警戒、第一戦隊を合流次第、母艦に収容する〕
〔旗艦大和、諒解〕
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わずか十数分足らずの戦闘で亡霊部隊の重巡と駆逐艦を沈めた。だが、隊の航空戦力である葛城を失い、あまつや司令官を失う一歩手前まで追い詰められた。
大和が主砲の一斉射によって腰関節が破損し継戦不可能になったのも大きかった。
吹雪は追撃を中止し横須賀に帰還した。
第一遊撃部隊は敵の主力撃破と全容の解剖に成功する。ただ、敵が吹雪を認識し殺そうとした。その敵が夕立そっくりであるという事実が残った。
受話器越しに考えを巡らす木下は、吹雪が生きて帰ってきたことがどれだけ幸運なことであるかを感じ取った。
「そうか、この事はウチの隊員に共有して構わないかな」
「ええ、でも」
「分かっている。君がこの一件に関われるように便宜を図ろう。それに、その亡霊部隊の動きが腑に落ちない。協力してくれるね」
吹雪は大和の修繕をするため、旗艦臨時に矢矧を置き、軍令部から任務の解除を通告される。
第一遊撃部隊の任務は東京湾防衛に戻り、亡霊部隊殲滅の任は自動的に第二遊撃部隊が負うこととなった。
第二遊撃部隊の役目は自然と亡霊へ焦点が合わされた。