艦隊これくしょん 麒麟の凱旋 作:ひろつかさ(旧・白寅Ⅰ号)
減光灯は貧しく、わびしく、そして淡い。
戦時用として配給されている電球は、僅かに二十ワット程度の光量しかなく、古い銀色の傘が僅かばかりの光を集約させる。
「あまり、うまくないな」
冷めたコーンスープはコーンの姿がほとんどなく、パンは乾燥がひどく奇妙な嚙み心地、ただ鶏胸肉だけが大きく皿を占有している。天津風はこれが軍隊の飯かと、ケチをつけた。
「ウチは質素が売りなんだ!」
「そこは飯も修行の内とでも言っておけよ」
天津風と鹿島のくだらない応酬をよそに、雪風と初月は黙々と食事する。
「雪風、よくもそう黙々と食えるな」
「ペラペラ文句を並べるから口に入らないのよ」
「気にした方が負け、か」
「そうよね。鹿島」
間違いはないが、と引きつった顔を無理やり笑顔にした。
食事が始まり約十数分、初月が発した言葉が『はい』が二回、『いいえ』が二回だった。
「そう言えば、俺らしか居ないようだが他の隊員はどうした」
「食堂の食事は一日二回のみ、朝と昼、希望があれば夕飯も出される。
でも多くの隊員は外食か手料理で夕飯を済ませるから、滅多に来ないのよ。ちなみに金剛隊長の命令で間食も認められている」
「二食耐えて、二食自由。もしかして、ここに来るのが嫌だったんじゃないか、鹿島さん」
「文句あるなら、食わんでも宜しいのよ?客人だから」
「残念だが俺の腹はマズイ飯ほどよく飲み込むもんでね、心配は無用だ」
「あの……」
あの初月から、はいといいえ以外の言葉が出た。
「どうした?ん?んんっ?」
鹿島は初月の言葉に驚いたが、本当に驚いたのがお盆の上に載せられた、本来ここにはあり得るはずのないものが置かれていた。
「あんた……そのシベリアどうしたの?」
「購買所で手に入れました」
「待て!幻の間宮印シベリアが購買所で手に入るものですか!言いなさい!誰に流してもらった!」
「いえ、普通に購買所に売っていました。何でも金剛隊長が隊員に糖分を与えろという命令があったらしく、今日から発売だそうです」
シベリアのカステラ生地に焼かれた間の字印は、海軍陸戦部隊つまり梟部隊の前身である、第一四〇海兵師団に存在した補給大隊通称『間宮隊』の焼き印字であった。
梟部隊との統合によって分散しているが、海軍一飯が多くて美味い部隊として知られている。この部隊は数の少ない小豆を用いた『羊羹』を作っていたが、幻と呼ばれた甘味糧食が存在した。
その美味しさに、風邪で寝込んでいた一人の士官を、翌日には全快にさせたことで、その味覚、栄養において深海棲艦以上の破壊力を持つと噂されたのである。
そう、それこそが海軍内で至宝と呼ばれた、間宮印の『シベリア』なのである。
しかし、その美味がゆえに将官・士官・下士官・水兵間で高い中毒性を持つことが明らかとなり、士官・下士官が水兵の手に入れた『シベリア』を集るという事件が発生。
更には、手に入りやすい間宮羊羹を、市販のカステラ生地に挟んだ『シベリアまがい』が裏取引され、味は間宮印に及ばないが隊内の公正な取引を妨害するものとして駆逐された『偽造シベリア事件』といった痛々しい事件が続いたのである。
指揮官の間でシベリアは確かにうまいが、美味すぎるために隊を崩壊させかねないと危惧した。
一度は配給停止に追い込まれたが、士官たちが販売停止を抗議、兵士の士気にも影響を与えてしまったため、数を用意するために二日に一回から、週一回の支給に修正された。
だが、それでも入手困難であり、師団を訪ねる者の間では『シベリア』は言葉では存在するが、我々の目の前には存在しない。
幻は追うためにあるが、我々はその味を知った時、深海棲艦よりも恐ろしいものの片鱗を味わうと囁かれた。
つまり、需要が高すぎるがゆえに、外からは都市伝説扱いされたのである。
だが、師団の改変に伴い、間宮部隊は分散。
その二分の一が梟部隊に吸収された。海兵師団出身の将官・士官・下士官・兵士たちは、もはや幻の一品となったシベリアのことを思い、涙した。
鹿島もその一人であったが、今、自分の生徒がそれを手に入れている。
「購買!は、もう閉まっているわね……」
鹿島は頭を垂れて落ち込んだ。
だが初月は鹿島に話を求めていない。彼女は話を切り替えた。
「二年前、第二次珊瑚海海戦の裏でドイツ亡命部隊を殲滅した、アンダマン沖海戦があったというのは本当ですか」
雪風の鋭い視線が初月に向けられる。
「それは」
「天津風、少し黙って」
初月は雪風に対し、臆することなくその真っすぐな瞳を彼女に向けた。
「それを知って、どうするの」
「ただ、知りたいのです。私はただ自分のうちに飲み込むために」
「……いいわ、いつか誰かに話さなくてはと思っていたわ」
「いいのか、機密事項だろう?」
天津風の問いに自然と言葉を返していた。
「風のうわさも侮れない。それに、初月は私以上に多くを見ることができるはず、私はそれを鑑みてあなたに悲劇を話す。いいわね」
初月はゆっくり頷いた。
時を遡って、二〇七七年、
遊撃部隊は拡張が行われた。連日の戦闘で海軍は激しい消耗を強いられる中、隊はその中核を保っていた。
その中核とは、遊撃部隊旗艦・吹雪中尉であった。
実戦における彼女の指揮は奇抜で、火力を小型艦に依存する特異な戦い方をしていた。
従来よりも機動防御を重視し、複数へ火力を集中し突破する戦術は遊撃部隊を最精鋭部隊へと押し上げた。そして隊で高いスタンドプレー能力を発揮していた一人の艦娘がいた。
吹雪と夕立がスカウトした艦娘・雪風であった。
単独時でも二十数機の敵護衛機群を突破。一個艦隊の戦艦を強襲によって撃破しながら敵艦隊の位置を報告するという、他とは異なる能力を発揮した。
だが、彼女もこの頃は、身長の低い第一ロットの義体を使用し、本人も至って明るく落ち着いた性格の、一人の艦娘に過ぎなかった。
彼女にはドイツに一人の友人がいる。その友人はドイツ海軍パンツァー・ボート部隊の主力艦娘『プリンツ・オイゲン』その人であった。プリンツは日本海軍との合同演習の折に来日し、遊撃部隊に研修生として半年間在籍した。
隊の新入りだった雪風とは気が合い、互いに友人として認知していた。
雪風が空母・戦艦撃沈の功績で異例の二階級特進を果たした折、プリンツは自分の愛用していた自動拳銃を彼女に贈った。それは、イニシャルが刻印されたCz-75であった。
しかし、彼女の滞在はドイツ国内の情勢変化に伴い、一か月早く打ち切られた。
同年、四月五日、
呉港ではドイツ東洋艦隊の出港を見送る人々が艦艇へ手を振っている。オイゲンはタグボートに乗るべく桟橋を雪風と肩を並べて歩いていた。
「さみしいね。私たち、ようやく友達になれたのにね」
「でも……突然すぎるよ」
うつむく雪風を見て、オイゲンは気を張って見せた。
「大丈夫、今度は東洋艦隊に入って、一緒に戦えるようになるから」
「できるの」
「できるって、何だって私のアドミラルは優しい人だから、気難しいお偉いさまは東の果てに行って来いって言うわ。だから、そんなさみしい顔をしないで、雪風」
「ちょっと耳を貸して」
耳元で話されたことに、少しだけ驚いたが彼女の意図を汲んだのか、自身も同じようにした。
「私の本当の名前は、クリームヒルト、クリームヒルト・ゲベアナー」
「じゃあ、拳銃のあの刻印って」
「私が本当の名前を忘れないようにってイニシャルを彫ってもらったの」
「……あなたが忘れたら、必ず私が思い出させてあげるから」
「ありがとう、雪風。また、会う日まで」
「またね、プリンツ」
そう互いに明るく振舞いながら、タグボートに乗り込んだ。
「別れは済ませたようだね」
雪風の先輩である夕立が肩を叩いた。
「でも、日本に戻ってくるって言っていました。でも、いつもより無理をしていたのかも」
「大丈夫、あなたが信じてあげれば、必ず希望はある」
「そうですね。私が信じてあげなきゃ」
「きっと、大丈夫」
雪風は袖で涙を拭い、手を振った。もう一度親友に会うために、大切な人を失わぬように、それを願い、強く欲しながら、大きく手を振った。
プリンツは帰国後、上層部は命令書が出された。
彼女のアパートに届けられた命令書が入った封筒を彼女は急いで封を切った。
「貴官は現任地より、モッセ研究所に移動し別命あるまで待機せよ。なお、現居住地の家具・雑貨の移転は政府機関が行う……どういうこと?」
プリンツは急いで電話の受話器を手にしたが、すぐにそれを置いた。
ドイツ国内では、にわかに極右政党ティルナパンが台頭し始め、軍備増強にも積極的であった。
しかし、内政では強引な政策がドイツの戦時経済を圧迫し始める。
プリンツが日本に滞在する最中、業を煮やした国防軍将官がクーデター事件を起こす。一時はベルリンが占拠された。しかし、政府機関となっていたヴルダルク党秘密警察が暗躍しドイツ国内での報道を統制、主犯格の名を挙げて国家の敵と宣伝した。
元々、延々と戦争を続ける軍に不信を抱いていたドイツ国民はティルナパンの行動を支持、また各地の連隊がクーデター一派の呼びかけを拒否しベルリン奪還を掲げて離反した。さらに暗殺されていたと思われたティルナパン党党首にして大統領である、エリカ・カイル大統領が生存していたことが大々的に報道され、クーデター一派を非難する演説が放送され、形勢は決した。
半ば内部崩壊の態で制圧され、主犯格の多くが逮捕、又は逃走中に射殺された。
主犯格達の裁判が行われたのは、エリカ大統領が遊説から戻って直後であった。そして海軍内部に部隊で協力を確約していた将官がいた。
PzB部隊司令ヴァルター・ハイムマン少佐であった。チェルダー・ヴァイスとは旧知の仲で考えを同じくし、今回のクーデターに後方支援役としてメンバーに入ることを承諾した。その考えに賛同的であった艦娘たちや海軍士官・兵士も協力し、ヴァイスが尋問の末自白したことで、その存在が明らかとなった。
思想の反する敵だが、国内では英雄的な存在。彼らを極秘裏に抹消するため、ヴルダルク主導の下、海軍内に残っていた共犯者の粛清に乗り出した。プリンツが帰国した五月には民間から協力していた多くの同志がヴルダルクによって獄中に投じられ、ヴァルターの首にその魔の手が迫っていた。
そして艦娘部隊のプリンツ・オイゲンも例外なく粛清の対象となっていた。
尾行されていた彼女を、PzB部隊の協力者が救出。
緊急出動を名目に四隻の軍艦が出港。プリンツもこれに合流した。この時行われた軍上層部の党に対する反抗をその逃走劇の一幕に加えながら、プリンツと上司であるヴァルター・ハイムマン少佐そして彼に従うPzB部隊と同志の部隊を伴い、亡命をすべく大西洋からアフリカ大陸へ向かった。目的地は日本、現地で武装解除し、日本の外交介入を信じた。
だが日本ではそれと異なる方向に事態が動いていた。
遊撃部隊司令、木下真之介大尉は珊瑚海での攻勢作戦から突如外されたことを知る。自ら出頭して軍令部本部長に直談判すべく横浜を訪れたのは、五月三十日の午後であった。
「事情を聴かぬことには、私の部下が納得して作戦から降りることができません。それとも、何かしらの不届きが私にございましたでしょうか」
しわ寄せた老人の瞳が眼鏡越しに木下の顔を覗き込んだ。
「まぁ、そうムキにならんでもよかろう。君たちはよく働き、よく敵を撃滅している。そんな君たちを信用しているからこそ、部隊が多大な出血を受けていることは心が痛い。私としては君たちにはまず休養と補充を受けてもらいたい。今回の作戦もそれを考慮して計画されている。それを話さずにいたことは本当に申し訳ない」
「補充した折には、我々は作戦の後方支援をしましょう」
「その頃には決着はついている」
「この情勢下に一つ問題があります、当ててごらんに入れましょうか?いま、日本に向かってきているドイツの亡命部隊ですね、おそらくドイツ本国は討伐部隊を出したくないでしょう。そこで、前もって協定を結んでいた国にそれをお願いする。その協定の国は」
「もう、喋るな小僧」
穏やかな老人の顔から、平穏の二文字が消された。
「東雲の部下はどうしてお前みたいな奴ばかりなのかな、ぬけぬけと極秘事項を知りおって」
「補給は即刻、出撃も高速艦を使って早い方がいいと、お考えで」
「君たちは補充と休養を受け次第即刻出港、逐次の補給はここに書いてある。最終的な殲滅目標はドイツPzB部隊の殲滅だ。全員殺しても構わん」
投げ出された書類を受け取ると、何一つ文句を言わず。
「諒解しました」
と返事をした。
「この殲滅作戦は極秘だ。よって君たちにはこれ以上の理由は話せん。あと、木下君。逃げるなよ」
ドスの効いた声が木下に突き刺さる。老人の殺意に満ちた目が、木下に一瞬だが身の危険を予感させた。
各隊員には作戦実行直前に情報が開示されることとなり、旗艦の吹雪にのみ話が通された。
「命令とあれば従いましょう。それが深海棲艦相手であったなら、私はこんな感情にはならなかったでしょう。しかし、艦娘同士の戦闘は例がなく、何より彼らと親交のあった我々には到底、許容しがたい任務です。なぜ我々でなければならないのですか、私は雪風を説得できる自信はありません」
「説得できないのか」
「ここ数度の戦闘で、那智、妙高、足柄、朝雲を失い。感情の浮き沈みの激しい子です。命令を許容することはできないでしょう」
「君はどう思っている」
「嫌ですよ、ええとても嫌ですよ!あなただって分かっているでしょう!これ以上、考えさせないでください」
「無理だ。これはドイツとの軍事協定で決められたこと、亡命者の生死を問わないと条文に書き込んだのは軍令部だからな、それに俺たちは、そういう任務を遂行するために作られたも同然なんだ」
「……奇襲を主とした作戦計画を立てます」
「頼む………」
遊撃部隊母艦、特務巡洋艦「日進」が出撃し、シンガポールで補充の人員と艦娘を加え、インド洋を横断し始めた。
部隊の構成は旗艦駆逐級・吹雪中尉、第一小隊隊長戦艦級・金剛大尉、同小隊空母級・龍驤、同小隊駆逐級・照月、
第二小隊隊長重巡洋艦級・羽黒少尉、同小隊軽巡級・天龍、同小隊駆逐級・陽炎、第三小隊隊長駆逐級・夕立、同小隊戦艦級・武蔵、同小隊駆逐級・雪風といった編成にされた。この編成が決定された時点で夕立は自分たちが深海棲艦ではないものと戦闘することに、薄々感づいていた。
そして、PzB部隊の補給がインド洋アンダマン諸島方面で行われるとの情報が入り、ついに木下は艦娘たちに情報の開示と遊撃部隊への命令が伝達された。
この時、雪風は予定調和のごとく木下に対して意見した。
「本当に、本当に攻撃が必要なのですか?せめて」
「必要だ。ドイツは国内の治安安定に協力するように求めている。そして要らぬ事態に深海棲艦に漬け込ませる隙を与えてはならない。速やかな解決が急がれている」
「要らぬ事態って……それでも」
「それでも命令だ。分かっているな雪風」
これには木下は納得していなかった。だが、作戦を徹底しなければならない。この作戦の本質は日本の強襲後ドイツ艦隊が残存部隊を殲滅するというものだが、明らかに完全排除を目論んだものであり、自分たちが事態に介入できる数少ない機会なのだ。だが、その考えが知られれば次に消されるのは自分である。木下は自分の怒りを押さえつけて彼女らに、ただ冷徹であり続けるしかなかった。
アンダマン諸島に差し掛かる直前、深海棲艦の攻撃に遭遇、陽炎が行方不明となった。
悩む雪風に対し、姉貴分として気を張ってきた陽炎はこの迎撃戦への発信直前に彼女に言った。
「逆らえない事ばかりがこの世界じゃない。生きていれば、何とかなる。そうでしょ、雪風」
龍驤の揚げた偵察機が、アンダマン沖に停泊するPzB部隊の艦隊を発見。彼らから日本側への亡命を希望する電文が送られ、翌昼までに返答を願うと木下に通達され、ドイツからの追撃艦隊が目前に迫っていることから、翌明朝に布告と同時に奇襲をかけることが決定した。
六月十日の早朝、雪風は陽炎の遺品となった軍服を纏い、明石が強襲用に用意した「雪風用強襲特化兵装」を装備、艦尾のカタパルトに歩を進めた。この装備は旧来の連装砲二門、魚雷発射管四門を改め、7・7mm連装砲を吹雪と同様に手持ち式に改良、魚雷発射管を八門としハンドアームによる左右への水雷展開を可能とした。さらに、対艦を想定し九八式二十粍単装砲を一門負い、両腰には十二粍長砲身単装砲を二門積んだ。機動力を確保するために新型機関を内蔵した推進器も装備された。
現地時間午前六時二分、PzB部隊旗艦に布告を送信。その十分後、体操中の水兵たちに突如砲火が降り注いだ。
日進からの砲撃が着弾すると同時に、雪風が単独で西方より侵入し、前衛で待機していた一隻の上部構造物を一斉射によって破壊した。北方で待機していたドイツの艦娘たちが報告を受け救援に駆け付けたが、すでに三隻が火の海に包まれていた。そして、艦娘が出撃し手薄になったPzB部隊母艦に接近、水平射による攻撃を抜けながら雪風は母艦の艦橋に照準を合わせた。
雪風のコンタクト・ディスプレイが、T字レティクルの中央で死を悟る上級将官の顔を映した。プリンツが言っていたヴァルター・ハイムマン少佐であると分かった。だが、照準管制を行う人工知能は正確にヴァルターの頭部を撃たせた。顔が首付け根から吹き飛び、同時に焼夷徹甲弾の炎が艦橋内で暴れまわった。
PzB部隊の指揮系統は消失した。だが、艦娘部隊は依然として健在であり、遊撃部隊は苦戦を強いられた。
戦艦級・ビスマルクは驚異の粘りを見せ、彼女の撃破と引き換えに羽黒と夕立が沈んだ。さらにプリンツ・オイゲンと駆逐艦の猛攻、さらに水中に隠れていたUボート級艦娘によって吹雪は両方の義足と左手を吹き飛ばされ、作戦指揮が不可能となった。だが、火力強化された遊撃部隊は少しずつ数に置いて劣勢のドイツ艦娘たちを追い詰めていく、本来母艦との連携攻撃が主体であるため、補給の続かない駆逐級から大口径狙撃による洗礼を受け沈んでいった。
プリンツは母艦を行動不能にした雪風に執拗な攻撃を浴びせ、雪風の左腕と半分近くの装備を奪った。
だがしかし、プリンツも雪風の正確な反撃によって皮膚装甲はその効力を失い、各関節の駆動系が数十発の被弾に耐えきれず狂いだしていた。彼女の経験によって辛うじてバランスを保っていた。
双方ともに満身創痍で浅瀬に対峙していた。
艦艇から飛び降りて島へと兵たちを横目に、赤々と燃え盛る一隻が誘爆を起こし周囲を真っ白に染め上げる。
そして弾薬の爆ぜる音が轟々と燃え立つ艦から響いてくる。
雪風は手動式の照準器を手にし、左腰の12・7mm砲をプリンツへと向けた。照準管制AIが雪風の手に合わせて逐次照準を修正する。それは相手側からも同様の動作が見えた。プリンツの拳銃型照準装置にはドットサイトが搭載され、雪風にはT字1.5倍率スコープが装着されている。照準管制映像と照準器との奥に互いの悲し気な表情が見えた。
そして引き金を引いた。
雪風の放った砲弾がプリンツの右肩付近を貫通し、肩と首周辺の皮膚が破れ、体内の筋肉組織が露わになった。そして、空を見上げるようにして彼女の体が海面へ叩きつけられた。
プリンツは撃てなかった、雪風だけが引き金を引いた。
雪風は戦闘管制AIを強制終了させ、体の自由を奪い返すと、雪風は脇目も振らず沈みかけたプリンツの体を引き起こした。
ドイツPzB部隊には既に抵抗する力はなく、反撃があったのは艦娘部隊からだけであり遊撃部隊の面々に攻撃する気力は失われていた。
司令官の木下は攻撃中止を命令した。同時に負傷者の救助と捕虜の収容を指示、PzB部隊の艦艇は三隻が炎上し座礁、一隻が第一艦橋を失ったが航行可能であった。そして、艦娘たちは圧倒的な戦力を前に僅かな数で抵抗したため、プリンツ・オイゲンを除いた四人が撃破された。
木下は後から急行してきたドイツ側の抗議をはねのき、PzB部隊の生き残りを捕虜として保護した。
これが木下のできる精一杯の抵抗であった。
「…………プリンツ?」
彼女の裂けた皮膚から血を模した赤いオイルが噴出している。雪風は皮膚修復材を使って噴出を止めた。
雪風の黒い軍服が、赤く浸る。
プリンツには確かに意識がる。しかし雪風の声が届いているかは疑問であった。
日進の甲板上には艦内に入らない負傷した水兵たちで溢れ、傷の手当てのために日本・ドイツの両海軍衛生兵が艦の内外を駆け回っていた。
雪風は付近にいた水兵に声をかけた。ドイツ語を話す少女に若い水兵がやや驚いた表情を浮かべる。
「君……ドイツ語が話せるのか」
「プリンツ・オイゲンから少しだけですが」
水兵の視線が目を見開いたまま横たわる痛々しいプリンツに向くと、状況を察し雪風の問いに答えた。
「私は君たちとビスマルクたちが戦っている場に漂流していた。彼女たちは善戦したが、その子を除いて沈んでいったよ」
背中が凍り付くような感覚がした。おそらく彼女の耳には届いていない、だが、体が修復された後にどうやってその事実を伝えるべきか迷った。彼女の尊敬し、愛したヴァルター・ハイムマン少佐はもうこの世にはいない、それどころか親友である自分が、彼女の愛する物を奪った。
そうか、故郷にも海にも心の居場所を失った彼女は私に全てを望んだ。プリンツが本気だったなら、私に勝てたのかもしれない、愛する人の仇をとれたに違いない。でも、プリンツは敵討ちを望まなかった。
「よ……う……こ……?」
振り向いた先で、目線のみを自分に向ける彼女ははっきりと私の名前を呼んだ。
「……プリンツ、いや……クリームヒルト」
「……あなたが言っていることが聞こえない。さっきからずっと何もきこえないの、」
やはり、義体に弾丸が貫通したとき、その衝撃によって聴覚が破壊されたのだ。
これでは彼女に事実を伝えることができない。
「陽子、ビスマルクお姉さまたちは何処にいるの」
雪風は彼女の手を取り、何も答えることをせず、無理に笑顔を取り繕った。
だが、義体は雪風自身の微妙な揺らめきを隠すことが出来なかった。
プリンツは真っすぐな瞳を閉じ、全てを察した。そして、再び目を開けると空を見上げた。
力の入らないはずの手が僅かに震えるのを感じた。
「雪風、なんで急所を外したの、あなたに最後を看取ってもらえるなら、それでいいと思ったのに、どうして私を殺してくれなかったの、そんな情けを受けるためにあなたに銃口を向けたわけじゃないのに」
雪風は答えることができなかった。
「その後のPzB部隊の生き残りは、急行した東洋艦隊によってが収容された。だけど、プリンツ・オイゲンだけ身柄の引き取りを拒否した。ドイツ政府はプリンツの生存を認めず、既に戦死したと判断。東洋艦隊は本国からの通告を受け、彼女を収容することなく日本を出港していった。プリンツは日本海軍の保護下に移された。彼女はドイツ国籍から生存の二文字をはく奪されたため、あくまで海外からの艦娘という曖昧な名目で扱っている。無論、ドイツは彼女を完全に見捨てた」
「まさか、まだ国内にいるのか」
「そうよ、呉海軍保護療養所で静かに暮らしているわ」
天津風の問いに返すと、目を閉じ少し顔を伏せた。
「時々、会いに行っているのですか」
初月の問いにそのままで目を開き、答えた。
「定期的にね。今、彼女を覚えているのは私と隊の古参くらいだわ」
「それでも……見捨てないのですね」
「それが友人であった者としてできる小さな償いだと、思っているわ」
「でも、プリンツ・オイゲンにとってあなたの存在は忌まわしい記憶でしかないのではありませんか?あなた自身が直接的な手で止めを刺さずとも、あなたという存在がプリンツに逃避する場所を作り、その首を少しずつ締め上げている」
「逃げ込む場所なんてこの世界には無い。あるのは、現実を受け入れるために用意された時間の重なりだけよ」
初月の頭には雪風とプリンツ・オイゲンの現実がまざまざと浮かび上がる。たしかに、二人には居場所はなかった。
「初月、これからあなたは深海棲艦ではなく人を相手に引き金を引くことになる。それは時代の楔となる独裁者の玩具かもしれない。でもそれは、時代の毒を一身に負うことと変わることはない。私はその先を既に見た。あなたがこの先へ進んだ時、何を得て、何を失うかは、あなたの手にかかっている。拳銃を持った手を他人は引きはがすことはできないし、その引き金を引くこともできない、最後にそれを使うあなたが全てを決めるのよ」
「私は見る必要はない。命令を受けて引き金を引くのが兵士です。あなたは本当に軍人ですか」
「軍人である前に私たちは人間よ、たとえオリジナルの肉体が脳だけになっても」
雪風の考えを汲み取り、肩の力をぬくと初月は盆に置いていたシベリアを四切れに分けた。
「どうそ、お話を聞かせて頂いたお礼に」
「いただくわ」
雪風は差し出された一切れを手にすると、流れるように口へ運んだ
初月は天津風と鹿島に残りを渡すと、自身も一切れを口にした。
二人のやり取りを黙って聞いていた天津風と鹿島もシベリアの貴重な一切れを口にした。
「甘いなぁ」
鹿島は嬉しそうに笑みを浮かべた、よく咀嚼しその貴重な一切れを味わった。
「これは確かに美味い。横浜で売っている市販品とは仕上げ方が違う。なるほど、海軍の将官どもが横浜のカステラや羊羹に目もくれないわけだ」
「そうね」
初月は表情一つ変えることなく食し終えると、スープ皿に蠅が止まっているのを見つけ、追い払った。
彼女は何を望んだのか、窓から暗闇に包まれた空を見上げた。
闇夜にカラスの鳴き声が響くと、彼女は小さく微笑んだ。
次回は五月六日に更新します。