くれない色の恋慕   作:清水一二

11 / 17
第11話

「優も?」

 

 

 店の前で待っていた香帆さんがそう言った。優は気まずそうに唇を歪めた。

 

 

「ごめん、お邪魔だったかな」

 

「お邪魔ってなによ」

 

 

 微妙な距離を保ちながら歩くふたりに、僕はヤキモキする。相変わらず胸が痛みに響いたままなのに、優の押しの弱さには我慢ならない。僕は優を香帆さんの隣に押しやった。僕は優の隣、車道側を歩く。夜を照らすヘッドライトがむなしく通り過ぎていく。

 

 

 駅の向こう側にある専門店に着いたのは、閉店の二十分前だった。

 

 

「早く早く」

 

 

 店内に駆け込んでいく香帆さんに、僕たちも続いた。

 

 

「僕は向こうに行くから、優は香帆さんについててあげて」

 

「え!?」

 

「がんばって」

 

 

 僕はふたりとは反対の通路を駆けていく。棚の端のほうまでやって来ると足を止めた。昨日、たっぷり買い物を楽しんだから、今日は香帆さんにつきあっただけだ。

 

 

しばらく清光の煌びやかなシールやペンケースなどを眺めて過ごした。どれもこれも部屋にあるものだけど、ずっと見ていても全然飽きない。

 

 

 腕にはめた清光の時計を見ると、閉店までもう十分を切っていた。僕は急いでふたりを探す。二階にあるコスチュームコーナーで、ハンガーにずらりとかけられた刀剣たちの衣服の間に、ふたりは挟まれていた。

 

 

 香帆さんが優の胸に紺色の衣服を当てている。あれは一期一振のものだ。

 

 

「似合う! あっ、ねえねえ、どう思う?」

 

 

 僕に気づいて声をかけてくる。衣服の列をひとつ挟んで、僕は近づいていく。

 

 

「確かに穏やかな顔立ちは似てるような気がするけど、性格は全然違う」

 

「いいのいいの。容姿だけなら一期一振と似てるから。髪、水色に染めてみない?」

 

「え!? ムリだよー」

 

 

 コスプレって髪を染めないといけないのか。大変だな。っと、それどころじゃなかった。僕は腕を伸ばして、清光の時計を見せた。

 

 

「それより、あと五分で閉店だよ」

 

「やっば。買ってくる!」

 

 

 彼女は床に置いた買い物かごを引っつかんで、慌ててハンガーの道から抜け出した。僕と優はゆるりと向かう。

 

 

「香帆さん、元気だね」

 

 

 通路を駆けていく後ろ姿を眺める優の口もとがほころんでいる。誰が見ても、香帆さんに好意を抱いているとわかるくらいにやわらかな笑みだ。彼女のああいうところに惹かれたのだろうか。

 

 

「またまた清光グッズ買っちゃった」

 

 

 夜道を行きながら、香帆さんが袋を掲げた。

 

 

「僕は昨日買ったから、今日はなし」

 

「また新商品が入荷したころに行こうよ。清光グッズなら、なんでもいいって感じ」

 

「僕もだ。笑顔が一番だけど、結局、どんな清光も、清光だから」

 

 

 香帆さんが、うんうんっと楽しげにうなずいているのに対して、優はどこか別のところに目を遣っている。ああ、入れないんだ。清光の話は優にはわからない。なんとか話を変えなくては。僕はあれこれと思考を巡らせる。

 

 

「優、最近、失敗が減ったよね」

 

「接客?」

 

 

 香帆さんがくいついてきた。

 

 

「そうかな。なんか手がふるふるしてて危なっかしいよ。見ててハラハラする」

 

「でも、ショートケーキの苺は落とさなくなったよ」

 

 

 優が勝ち誇ったように笑む。

 

 

「そんなことで自慢しないの。当たり前のことなんだから」

 

「ごめん……」

 

 

 どうしてそこで黙ってしまうんだ。苺を落とさなくなったのは、かなりの進歩じゃないか。もっと自信を持つんだ。

 

 

 香帆さんがちらりと優に視線を向けた。

 

 

「ねえ、あれってわざとでしょ」

 

「なんのこと?」

 

 

 優が不思議そうに香帆さんを見遣ると、彼女は視線をそらした。

 

 

「紅茶をこぼしたり、ケーキを倒したり、注文と違うものを出したり……」

 

「どうして、俺がそんなことを」

 

「だって、あたしだけじゃない。いつも……嫌がらせしてたんでしょ」

 

「違う。香帆さんの前だと緊張するんだ」

 

「意味わかんない! なによその言いわけ」

 

 

 優が哀しそうに目を伏せた。その痛々しさに、僕はたまらなくなって優の腕をつかんだ。震えていた。

 

 

 ここで黙ったらダメだよ。取り返しのつかないことになるかもしれない。僕の願いが通じたのか、優の腕に力がよみがえるのが伝わってきた。

 

 

「……忘れものの話をしたこと、覚えてる?」

 

 

 問うた香帆さんの唇は震えている。伏せた長いまつ毛が、哀しげに揺れる。優は肯定も否定もしない。ただじっとうつむいて、体中を流れる感情に耐えているようだった。

 

 

「一番最初に忘れものをしたのは香帆さんだよね。俺が追いかけたのは、香帆さんだよね。あのとき、忘れものを渡したときの、ありがとうって言った香帆さんの笑顔がまぶしくて、忘れられなくなったんだ。いまでも、ずっと心に残ってる」

 

 

 香帆さんのまつ毛が、もうひと波揺れて持ち上がる。優の真剣な想いが、彼女の複雑な感情をしっかりと受け止めた。

 

 

「うそよ」

 

「ほんとだよ。あの瞬間から香帆さんが俺の心を離さない」

 

「じゃあ、忘れものってなんだか知ってる?」

 

「手帳、でしょ」

 

 

 香帆さんを見つめる優の眼差しは、とても優しくて愛に溢れていた。弾かれたように、彼女が口もとを手で押さえた。嗚咽が漏れる。震える肩を、体を、優の腕が優しく包み込む。

 

 

「お、ぼえて、る。あたし、も。ずっと……」

 

 

 涙に濡れる香帆さんの声を聞きながら、僕は背を向けた。

 

 

 立ち並ぶ雑居ビルや百貨店の窓から漏れ出る明かりが、街灯の存在を隠している。人に紛れて歩く僕の姿も消えてしまう。誰でもない僕になる。だけど、胸の疼きが全身を震わせて、僕は否が応にも自分の存在を認めてしまう。

 

 

 ふたりを見て確信した。僕を愛してくれる人はきっとどこにもいない。やっぱりいないんだ。あんなに煌めいた愛を、僕は知らない。僕が永遠に経験することのない純粋なものだ。そんなものを誰が僕に注いでくれる。

 

 

 ずっと感じてた。この感情はなんだろうと。ふたりの関係がよくなってうれしい。そのはずなのに僕は本当の意味では満たされていない……。

 

 

 僕が本当に見たいのは清光の笑顔だ。優を清光の代わりにしていた。清光の代わりは誰にもできないというのに。

 

 

 そうだ、誰でもいいわけじゃなかったんだ。清光……どこにもいない。この世界に存在してない。僕の記憶の中だけに生きている。

 

 

 ここに、あいつはいない。

 

 

 

 

 

 

 香帆さんは指名を優に戻した。

 

 

「だからそれは平野藤四郎だって」

 

 

 彼女のついたテーブルで、優がさわやかに笑う。

 

 

 僕の胸はいつまで疼くつもりだろう。あの笑顔が清光だったらどんなにいいか。

 

 

「いつもより哀しそう。どうしたの?」

 

 

 傍らでコーヒーの入ったティカップを持ったまま僕を見上げる少女は、大きな瞳に憂いを湛えている。勤めはじめたときから僕を指名してくれている、すっかり常連のお客さんだ。

 

 

「そう、かな。いつもと変わらないよ」

 

 

 僕が微笑むと、少女の目尻が沈痛そうに垂れ下がる。

 

 

「おねがいだから、そんなに淋しそうにしないで」

 

「大丈夫だよ。ありがとう」

 

 

 努めてやわらかく微笑んだつもりでも、少女の瞳はいっそう哀しみの色が深くなるばかりだ。僕はそれほど哀愁を漂わせているんだろうか。

 

 

 テーブルを離れて優の背後を通る。カウンターに戻ってシンクにたまった汚れた皿を洗う。本当は接客するべきなんだけど、少しの間だけでもひとりになりたかった。

 

 

 まもなく優がティカップを手にやってきた。にこやかにココアをそそぐ。香帆さんのお代わりらしい。時おり、ちらりと顔を上げて、彼女の存在を確かめている。ふたりの視線がぶつかって、途端に愛色の雰囲気が立ち込めた。

 

 

 その甘い世界が僕の内側に侵入して、無数の針に変化する。容赦なく、やわい箇所を突き刺してくる。ふたりの煌めく愛は、こんなにも僕を痛くさせる。

 

 

 部屋に帰って一番に抱き枕に抱きついた。

 

 

「清光、ただいま」

 

 

 腕の中に清光を感じながら、込み上げてくる切なさを分散させようと必死になった。会いたいよ、清光。

 

 

 ふいに、誰もいないはずの部屋で物音がした。脱衣所のほうだ。なんだろうと顔を向けたとき、開いたドアから清光が出てきた。

 

 

「へえ、ここが主の部屋か」

 

 

 一瞬で、全身が硬直した。互いの表情が凍りつく。どう……して。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。