くれない色の恋慕   作:清水一二

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第12話

 清光の視線が、僕の胸に押しつけられた抱き枕に釘づけになっている。それから部屋中に溢れた清光のぬいぐるみや隙間なく壁に貼り付けられたポスターに移動する。清光がもう見たくないとばかりに、ぐっと目を閉じた。

 

 

「違うんだ、これは!」

 

 

 僕の言葉を振り払うようにして清光はくるりと背を向けた。

 

 

「いますぐ帰らせてくれ」

 

 

 絞り出すような悲痛にまみれた声だった。

 

 

「なんでだよ。いま来たばかりじゃねえか」

 

 

 清光が邪魔で脱衣所で足止めされている主が、伸び上がって室内を見回した。途端に驚愕の表情を浮かべて、最後に僕を見た。ただ呆然と眺めている。

 

 

 僕は身がすくんで足が動かない。激情に流れる光景を見守ることしかできない。

 

 

「主!!」

 

 

 清光の絶叫が主の肩をびくりと震わせた。

 

 

「けど……」

 

「早く!!」

 

 

 主の体が押しやられて、脱衣所のドアが乱暴に閉まった。

 

 

 追いかけたい。止めたい。このまま返してはいけない。だけど動けない。まるで清光が来るなと言ってるみたいだ。僕を全身で拒んでた。だから僕は、動けないんだ。

 

 

 じっと、無情に遮るドアを見つめる。その向こうで、いま、まさに起きていることがありありと脳裏に浮かぶ。ドアの隙間から、哀しいほどに眩い光の線がか細く床にこぼれる。僕と清光を結びつける、ただひとつの確かな証。だけど、一瞬にして断ち切れて、跡形もなく消えた。

 

 

 ドアの奥からは、物音ひとつ聞こえてこない。さっきまで感じていた重苦しいほどの人の気配を、僕は失う。

 

 

 清光が……消えてしまった。

 

 

 力が抜けて、僕の腕の中から抱き枕が床に落ちていく。金縛りが解けたかのように、僕はテーブルに並んだぬいぐるみを引っつかんだ。思い切り床に投げつける。

 

 

「こんなもの!」

 

 

 次々と手にとっては、壁に、本棚にぶつかって、ぬいぐるみが床に転がっていく。

 

 

 ベッドに上がって、壁のポスターの上端に手をかけて真ん中を引き裂いた。清光の顔や体に亀裂が走って、それもすぐに涙に掻き消された。

 

 

 台所からゴミ袋を持ってきて、本棚の上のぬいぐるみやパソコンの周囲を占領する文房具を放り込む。

 

 

 急に手が止まった。急激な拒絶が心の底から込み上げてきて、あっという間に体内を駆け巡る。僕は胸の痛みに溺れて、だけど強い気持ちをもって息をする。

 

 

 おもむろに、ベッドに落ちたポスターの半分を拾い上げた。机の引き出しからセロハンテープを取り出して、よろめきながらベッドに上がった。屈託なく笑う清光の顔、体とつなぎ合わせていく。

 

 

 どうしたいんだよ僕は……。

 

 

 はぁっと力が抜けてベッドにくずおれた。嗚咽が、止まらない。布団につっぷして、胸を締めつける痛みを吐き出した。荒らんだ悲しみの涙にくれて、ひたすらに心を浸す。たまらなくなって、清光の布団にしがみつく。

 

 

 会いたいよ、清光……。

 

 

 正直に話そう。清光のグッズを集めることになった理由を。いまよりもっと嫌われるかもしれない。二度と口をきいてくれないかもしれない。だけど、どうせ嫌われてるんだ。それならせめて自分の気持ちを言いたい。それでおしまいだ。

 

 

 

 

 

 

 翌日からバイトを休んだ。

 

 

 ヒノスーパーからダンボールを分けてもらって、清光グッズを詰め込んだ。朝から晩まで黙々と手を動かした。何日も、何日も。そのためだけに呼吸をしていた。

 

 

 帰らなきゃ。早く会わなきゃ。

 

 早く。

 

 早く。

 

 清光……。

 

 

 全身から迸る哀しみに耐えて作業をしていても、時おり襲ってくる、心の奥底から溢れ出る強烈な痛みには抗えなくて、そのたびに抱き枕に抱きついた。こんなにも僕の胸を締めつけるのは清光なのに、清光にしか僕の心は癒せない。僕は永遠にこの想いを抱えていくことになるだろう。

 

 

 ある日、インターホンが鳴った。気に留めず、大量のメモ帳や手帳、クリアファイルをひとつずつ手に取って、丁寧に箱の中に重ねていく。どれも大切なもので、乱暴には扱えない。このひとつひとつが清光なのだから。

 

 

 インターホンが連続的に耳の奥を刺激して、僕はようやく立ち上がった。ずっと同じ姿勢でいたせいで背筋から腰にかけて凝り固まり、苦痛に呻いた。

 

 

 ひどく気だるい体を動かして、ドアを開けた。そこには優と香帆さんが立っていた。ふたりとも心配そうに頬が歪んでいる。僕の顔を見た途端に、香帆さんがホッとしたように息をついた。

 

 

「ああ、よかった」

 

「バイトに来ないし、連絡もないから心配してたんだ」

 

「どうして、ここが?」

 

「書いてもらった履歴書に住所があったから」

 

 

 突然訪ねてきたことを詫びるように、優が目を伏せた。

 

 

「なんかやつれた? ちゃんと食べてる?」

 

 

 ふたりの手が強くつながれていて、僕を蝕む狂おしいほどの切なさが飛散した。体の内側が熱くなって、喉もとに込み上げてくる。歯を食いしばる。ふたりは僕の言葉をじっと待っている。

 

 

「……ごめん。バイトは、もうやめる。帰るんだ」

 

「帰るって。地方の実家に?」

 

 

 優が驚いた様子で目を見張る。

 

 

 今度は僕が目を伏せた。これ以上、ふたりを見ていられない。と、視線の先で、それぞれの鞄に、僕があげたおそろいの清光が幸せそうに揺れていた。また、どうしようもなく切なさが込み上げてきて、歯を食いしばる。だけど、もうムリだ。抑えられない。

 

 

「片付けが、残ってるから」

 

 

 僕は強引にドアを閉めた。

 

 

「ちょっと、安定!?」

 

 

 香帆さんの声に背を向けるのと同時に涙が零れた。頬を伝って床に落ちていく。拭いても止まらないことはわかってたから、流れ落ちるままにして、口の開いたダンボールの傍らに沈み込んだ。

 

 

 清光のぬいぐるみをダンボールの内側に並べていく。いろんな表情の清光の上にぽたり、ぽたりと雨が降る。帰らなくては。

 

 

 清光がいなくなった部屋は寒々しく、僕の存在までもが消えてしまったみたいだった。テーブルもベッドも壁もまっさらで、僕はただ細胞に溜め込んだ痛みを吐き出すだけ。床で膝を抱えて、ベッドにもたれて主を待っている。

 

 

 窓際に積み上げられたダンボールのせいで、陽が射し込まず薄暗い。室内に充満した濡れた息。空気中に染み渡る寂寥。存在が消えてしまった僕。日を追うごとに孤独が僕を壊していった。

 

 

 脱衣所のほうで音がした。僕は全身から失意を吹きこぼしながら急いでドアを開けた。ちょうど主がノブに手を伸ばしたところだったらしく、突然現れた僕に仰け反った。

 

 

「びっくりするじゃねえか。って、おまえ大丈夫か、顔が真っ青だぜ」

 

「早く連れて帰ってくれ」

 

 

 僕は夢中で主の腕をつかむ。

 

 

「待てよ。落ち着けって」

 

「清光に会わなくては!」

 

「わかった。わかったから落ち着くんだ」

 

 

 僕は主の腕を、室内に無理やり引っ張る。

 

 

「安定!!」

 

 

 ぴしゃりと頬を叩かれたのかと思った。主の凄まじい怒号が、僕の焦燥を打ち破る。僕は呼吸が止まって、主の顔をまじまじと見つめた。

 

 

「このダンボール箱は?」

 

「えっ……」

 

 

 窓際に積まれたダンボールを見遣る。

 

 

「持って、帰る。大事なものなんだ。ずっと僕を助けてくれた」

 

「そうか……けど全部はムリだな」

 

「どうして!?」

 

「俺とおまえが触れたものだけしか持って帰れないんだ」

 

「じゃあ、すべての箱を抱きしめる。主も協力してくれ。体の一部が少しでも触れてたらいいんだよね」

 

「そうだけど……」

 

「頼む。これがないと僕は……」

 

 

 主が静かに息を吐く。

 

 

「本丸には清光がいるんだぜ。ぬいぐるみじゃない、本物の」

 

「関係ない! これも大事な清光だ。頼む」

 

 

 僕は頭を下げた。目を閉じて、深く祈る。

 

 

「わかったから顔を上げてくれ。まったく。こんなの前代未聞だぜ。和泉守兼定の、お気に入りの女を連れて帰りたいってのよりはマシだがな」

 

「ごめん……」

 

「しょうがねえな、そんなに大事なものなら。さて、手も足も全力で伸ばすか」

 

 

 声を出したら泣いてしまいそうで、強くうなずく。縦二列に高く積み上げられたダンボールに、主と分担して手の指先からつま先まで思いっきり伸ばした。

 

 

 僕のぶんは、どうにかすべてのダンボールに触れられた。主のほうはどうだろう。訊きたいけど声が出ない。喉もとに熱い塊が詰まって苦しい。主が手のひらを差し出してきた。巾着袋に自分の手を重ねる。

 

 

「行くぜ!」

 

 

 主の声がして、たちまち僕は光に包まれた。あまりにも眩しくて、目を閉じる。清光はどんな思いでこの光の中に身をおいていたんだろう。考えれば考えるほど、胸の痛みが全身に響く。息が、できない。

 

 

「おい、安定。おい」

 

 

 気づくと肩を揺さぶられていた。僕は必死になって酸素を取り込む。あえぎながら見回すと、見慣れた本丸の主の部屋にいた。

 

 

 戻って、きたのか。

 

 

「清、みつは」

 

「行く前に声をかけたけど、部屋に閉じこもったままだ」

 

 

 自然とうつむいてしまう。わかってたことじゃないか。僕はもう嫌われてる。だけど清光と話したい。あいつが僕を嫌いでも僕は……。

 

 

 長い廊下を走って、自分の部屋を通り過ぎ、清光の部屋で足を止めた。苦しくて、はぁ、はぁと肩で息をする。

 

 

 呼吸が整わないまま、いつものように障子に手をかけた。だけど、手が震えて、力が入らない。それとも障子が重くなったのか。どちらにせよ自ら開けることは叶わなかった。

 

 

「清光。開けてくれ。話があるんだ」

 

 

 緊張に打ち震えながら、じっと返事を待つ。だけど、室内からはなにも聞こえてこない。清光の気配はひしひしと感じるのに。中で息を殺しているんだろう。

 

 

「清光!」

 

「……少し、ひとりにしてくれ」

 

 

 沈んだ声音だった。いっそ怒鳴られたほうが楽なのかもしれなかった。逃げたい気持ちもある。だけど、僕があきらめたら、すべてが終わってしまう。

 

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