くれない色の恋慕   作:清水一二

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第15話

 大広間で、僕が朝食の焼き魚をゆっくり口に運ぶ間に、隣の清光は慌てたように味噌汁を飲み込み、白飯をかき込んでいた。相変わらずの光景に、僕はもうすっかり慣れてしまった。そそくさと主の横に座り込み、談笑をはじめるのがお決まりのパターンだ。

 

 

 僕はいつでも清光のそばにいたいのだけど、この時間だけは隣に座っていても、あっという間に逃げられてしまう。そのたびに切なくなるけど仕方のないことだ。

 

 

 僕は清光のほうへ、しきりに目を遣りながら時間をかけて咀嚼する。食事中の主と清光との談笑は、すでに当たり前の光景となっていた。おしんこに齧りつこうとする主が箸を止めて、スッと清光に差し出した。それをうれしそうに頬張る清光に、僕は苦しくなった。

 

 

 それでも遠くから見ているだけでいいと思うのは、バカげているだろうか。告白もせずに、いまは一緒にいられるだけでいいと思うのは甘えなのだろうか。あれほど優をたきつけておきながら、僕は臆病で、恋愛成就につながる行動はひとつもできていない。できないと言ったほうが正しいかもしれない。

 

 

 怖いんだ。もうあのときのような思いは味わいたくない。主の部屋で清光に拒絶されたあのときの……。あの状況はごまかせても、告白となると話が違う。ごまかしとは無縁の類のものなのだから。

 

 

 どうやら僕は、清光の真の笑顔を目の当たりにしてから、よりいっそう想いが強くなったみたいだ。眠っているときでさえ、胸の痛みが止まらない。いったい、この想いはどこまで募るのだろう。

 

 

 清光の部屋に主が入ったのを確認すると、僕は踵を返した。

 

 

「はぁ……」

 

 

 近ごろ、ふたりはどちらかの部屋に入り浸ることが多くなっていた。障子をぴしゃりと閉じているため、室内でなにをしているのか謎に包まれていた。

 

 

 だけど、本当はそんなこと謎でもなんでもない。清光と主はそういうことになったのだろう。だからほかの刀剣に知られては困るんだ。

 

 

 すでに関係を怪しんでいる刀剣は僕だけではないと思う。だけど、確信しているのは僕ひとりのはずだ。あの笑顔の件があってから、こんなふうに変わったからだ。

 

 

 自室の畳に座り込んで、今日はどっちから誘ったんだろう、と答えの出ない問いを幾度も考えた。意味などなかった。頭の中でぐるぐると自動的に繰り返されて、気持ちがどんよりとした深い渦に呑み込まれていく。

 

 

 あれから一度も笑顔の練習はしていなかった。目的が達成されたのだから、僕の応援はもういらないということなのだろう。

 

 

 厠の帰りに、廊下の向こうから清光がやってくるのに気づいて、僕は駆け出すのと同時に「清光!」と声を張り上げた。接近してくるまで待ってはいられない。

 

 

「あっ、悪い。部屋に忘れものしたみいだ」

 

 

 血相を変えて引き返す背中を、僕は足を止めて見送った。

 

 

「嘘だ……」

 

 

 相手が僕だとわかってから、明らかに視線が泳いだ、顔が引きつった、声がうわずった。

 

 

「清光ーー!!」

 

 

 わけのわからない渦巻いた感情が一気に溢れてきて、気がついたら叫んでいた。僕のなにがいけなかったんだ。どうして避けるんだよ。

 

 

 自室に駆け込んですぐに、ダンボールをひっくり返した。猫の着ぐるみ姿の清光を、離れていかないようにきつく抱きしめる。

 

 

「笑ってよ、清光。僕だけのために」

 

 

 ぼんやりと霞がかかった頭を持ち上げると、畳に散らばった丸まった清光のポスターが目に入った。破れた箇所がセロハンテープでつなぎ合わせてあるそれを、僕は持ち帰ってきた画鋲で板壁に貼りつけた。

 

 

 清光の笑顔ですべての壁が埋まると、今度は布団に着手した。シーツやカバー、それに枕が僕だけの清光に変わっていく。この部屋に抱き枕が存在しないのが無念で仕方がなかった。

 

 

 厳選したぬいぐみたちを壁際と枕もとに並べ終えてから、布団に寝ころんで枕を抱きしめた。室内の至るところに清光がいて、思わず頬がほころぶ。

 

 

「僕だけの清光だ」

 

 

 夕食の時間になっても、ずっと動けずにいた。この部屋から一歩も出たくなかった。どんな顔をして清光の隣に座ればいいのかわからなかったし、それ以上に清光が視界に入っただけでまた叫んでしまうかもしれない。

 

 

 にわかに廊下が騒々しくなり、障子に映る行き過ぎる刀剣たちの影をぼんやりと眺めた。食事を終えて、大広間から思い思いの場所に向かうところだろう。思い出したようにお腹の虫が騒ぎ出した。清光はいつも遅くまで主と話してるから、まだいるだろうな。

 

 

 ため息と共に、天井を仰いだ。お腹をゆっくりとさすっては、ため息が漏れた。

 

 

「うわっ!」

 

 

 誰かのうわずった声がして目を開けた。いつのまにか眠っていたようで、やけに頭が重かった。

 

 

 開いた障子の向こうで、五虎退が引きつった表情で部屋を見回していた。彼の頭上に広がる空が、この世の終わりを告げるようにくれない色に染まっていた。

 

 

「あの……」

 

 

 言い淀む五虎退の横から、移動する背の高い影が障子に映る。

 

 

「閉めろ!」

 

「は、はいっ!!」

 

 

 ぴしゃりと閉まる威勢のよい音が、ひどく硬く聞こえた。僕の眉間に、険しいしわが寄っているのを感じた。

 

 

 何事だと訊ねる日本号の懸念に満ちた声がして、僕の全身が痛いくらいに強張った。じっと息を潜めて、呼吸が乱れないようにと努めた。僕の声を聞いただろうから、室内にいることは知られている。それでもこうして、いまが過ぎ去ってくれるのを待つ以外に方法はなかった。清光でなくてもこの部屋を見られるわけにはいかない。僕は障子の外の様子を、五感を駆使して感じ取ろうとしていた。

 

 

「大丈夫です……勝手に開けちゃったから、怒られちゃって」

 

「声をかけなかったのか?」

 

「えっと、眠ってたみたいだから聞こえてなかったのかも」

 

「そりゃあ災難だったな。だが、言い方ってもんがあるだろ。よし、俺が一言言ってやる」

 

 

 日本号の長い腕が障子に伸び、いまにも開けようとするその手を、五虎退の影がつかんだ。

 

 

「僕が悪かったんです! だからケンカしないで」

 

 

 日本号がゆらりとしゃがみ込み、大きな手が頭に置かれた。

 

 

「ケンカなんかしねえよ。ただ注意するだけだ」

 

「少しでも険悪な空気になったら、僕は日本号さんとケンカします!」

 

 

 虎の尖った鳴き声が加勢する。

 

 

「なんだよ。わかったよ」

 

 

 日本号の影が再び縦に長く伸び、障子を横に移動していく。たちまち消えてなくなると、部屋の前にはうつむき加減の五虎退の影の形だけが残った。重い気持ちを引きずりながらも、僕は少なからず安堵していた。

 

 

「あの……開けても、いいですか?」

 

 

 おずおずとした口調に、僕はごくりと唾を飲み込む。またあの引きつった顔を見なくてはいけないのかと思うと、嫌でたまらなかった。だけど、五虎退にはすでにこの有り様を知られてしまったし、日本号から助けてももらった。僕は覚悟を決めて、うつむいたままの五虎退に目を移す。

 

 

「入って、すぐに障子を閉めて」

 

 

 五虎退の小さな頭が臆病そうに縦に動いて、音もなく障子が開いた。思いつめたように唇を引き結び、腕に抱いた虎も心なしか深刻そうな黄金色の双眸を僕に向けている。後ろ手に障子が閉じられる間、僕は虎から視線が外せずにいた。

 

 

「ごめん、さっきは怒鳴って」

 

「いいんです……」

 

 

 変わらずうつむいた五虎退の顔を、今度は心配そうな思いを目に宿して虎が見上げた。もしかしたらこの部屋を見たくないから、顔を上げられないのだろうかと僕は思った。

 

 

「このことは内密にしてほしい」

 

「わかってます、誰にも言いません……」

 

 

 しばし重苦しい沈黙の抑圧を感じて、僕は浅い呼吸を繰り返した。

 

 

「あの……燭台切さんが、夕食はどうするのかって」

 

「清光は、いる?」

 

「え?」

 

「大広間に……」

 

「どうだったかな。片付けに忙しくて」

 

 

 僕が押し黙ると、「見てきます」と五虎退が膝立ちになった。

 

 

「一緒に行くよ」

 

 

 廊下では、しっかりと前を見据える五虎退と異なり、今度は僕が下を向いてばかりいた。清光がその辺りにいないかと気が気じゃなかった。主と一緒にいる姿なんか見たくない。ふいに見上げた虎の深刻そうな視線とぶつかった。五虎退はとっくに何事もなかったような顔つきに戻っている。それじゃあ……。

 

 

 僕は虎の頭を優しく撫でた。そうせずにはいられない清光を想う痛みとは別の、やわらかな痛みが襲ってきたからだ。

 

 

「明日から……隣で食べてもいいか?」

 

 

 はじめ驚いたような顔をしたが、すぐににこやかに微笑んだ。

 

 

「今夜からです。僕もいまからだから」

 

 

 そういえば食事当番はあとからだった。

 

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