清光や主との関係に特別な変化はなかった。相変わらず僕は清光を避けていたし、ふたりが一緒にいる時間が減ることもない。突発的に視界に入るとすぐに追い出して、必死にほかのことを考えた。そうすることで胸の痛みをごまかした。
五虎退の一週間の食事当番が終了して、普段どおり、全員が集まる大広間で食事をしなくてはならなくなった。僕は、清光からだいぶん離れて、五虎退と並んで食事をすませた。
僕は自室で、中断していた作業を続けた。壁からポスターをはがし、布団カバーを丸めて、壁際に並んだぬいぐるみをダンボールに詰め込む。気持ちを殺したのだから、いつまでも出しておくわけにはいかない。
最後のひとつ、猫の着ぐるみ姿のぬいぐるみを手に取った。僕だけのために清光が笑っている。もう二度と見られないんだなと思う。
「ふぅ……」
無理やりに踏ん切りをつけて、数々の清光の山に置いた。ダンボールの蓋を閉じる。積み上げた数個を持って、馬屋の裏に運んだ。すべてのダンボールが積み重なる中から、まずはひとつだけを地面に置く。
「いままで、ありがとう」
火をつけて距離を取る。燃え盛る炎の中で形を崩していくダンボールを、僕はしっかりと目に焼き付ける。まだ残っている僕の想いも燃え尽くして、すべてが消えてなくなるようにと願う。
ほとんどが燃えてしまい、炎が小さくなってきたところで次のダンボールを置いた。残り火が少しずつ燃え移り、大きくなる。
「その箱どうする気――なにやってるんだよ!」
馬屋の角から、清光が血相を変えて駆けてきて、僕の腕を強くつかんだ。びっくりして言葉が出てこずに、僕はただ清光の険しい視線を受け止める。炎に溶けてゆくダンボールに、清光の表情が哀しげに歪む。
「……なんで……なんで!!」
つかまれた腕にさらに力が加わり、僕は痛みに呻く。
「清光には関係ないだろ。僕がどうしようと勝手じゃないか」
「だって、これ俺だろ……?」
炎を映した揺れる瞳が、僕の心を惑わす。たまらなくなって目をそらした。
「もう必要ないから」
腕を締めつける力が緩んで、清光の手が僕から離れる。
「そうだよな、ずっと俺を避けてるしな」
「よかったじゃないか、主と……応援した甲斐があったよ」
パチパチとたくさんの清光の燃える音が、ふたりの重苦しい静寂に満ちた。いますぐ消えてなくなりたかった。まだ残った気持ちをすべて炎に焦がせたら、どんなにいいだろう。
僕は清光の傍らをすり抜けて、次のダンボールを抱えた。火にくべようとしたとき、また清光が腕をつかんだ。
「そんなに俺が嫌いか?」
「離してくれ」
「答えろよ」
「そんなのどうだっていいだろ!」
「よくねえよ!」
ダンボールが勢いよく地面に転がる。清光が思いっきり手で払いつけたからだ。
「なにするんだよ!」
気づいたときには、清光の腕の中にいた。僕は、わけがわからなくなって、腕の中から逃れようともがく。絶望に身を焦がしながら天を仰ぐ。
「早く消してくれ! 全部なかったことにしたいんだ!」
「安定!!」
「早く殺せえええええ!!」
「すきなんだよ!!」
息が止まった。なにも考えられなくなって、動けなくなった。だけど、心だけは強烈に痛くて、一秒も耐えられない。
「やめてくれ……そんなこと、言うな」
どこまで僕を傷つければ気がすむんだ。
清光がズボンの尻ポケットから取り出したものを、僕に差し出してきた。それは僕によく似たぬいぐるみだった。だけど、市販されているものとは違い、つぎはぎだらけで、ところどころに繕った形跡がある。
「皆の服から生地をもらって作ったんだ。安定からもらった俺のぬいぐるみを崩して」
思うように声が出なくて、代わりに、どうしてそんなことをするのかと目で問うた。
「安定の笑顔を持っていたいんだ。安定はいつでも俺のが見れるけど、俺はそうじゃない」
「主が、すきなんじゃ、ないのか」
「そんなこと一言も言ってない」清光はふぅっとため息をついた。「主には盾になってもらってたんだ。安定が近づいてきたら教えてもらって。これが完成したら、気持ちを伝えるって決めてた」
「そんなこと、ひどすぎる。あの夜、僕がどんな思いで……」
「ごめん。主がばらしてしまうんじゃないかって、怖かったんだ。それに、安定に甘えてた。どんなことがあっても安定は俺を想ってるって」
僕はそんなに強くない……。
だんだん火が小さくなってきていた。代わりに僕の想いは大きく膨らんでいく。胸が締めつけられて、痛くてたまらない。……想いを止められなくなってしまう。
「けど、安定はもう……」
ほとんど灰と化した跡に、憂いた目を落とす。そっと僕から離れて、馬屋のほうへ背中が遠ざかっていく。行ってしまう、僕の大切な人が。
だけど、僕の足は動かなかった。
――機会があるなら飛びつくべきだ。
以前、優を叱責した自分の言葉が頭に飛び込んできた。僕は口先だけだ、君を責める資格なんかなかった。自分の気持ちを殺したことといい、偉そうに言い放った言葉とは反対のことをしてきた。優、ごめん。もうやめるよ。
僕は泣きそうな熱を抱えて地面を蹴った。
しがみつくようにして背中に抱きつく。
「バカ!! あきらめるなよ!!」
思わず出た言葉は、自分を叱咤するものでもあった。そして、かつて優に願ったものだ。清光の背中の温もりよりも、僕の胸のほうが熱い。どんなに想いを叫び尽くしても足りないくらいに。
「ごめんな、せっかくくれたぬいぐるみ、めちゃくちゃにして。気に入ってたんだろ」
清光の真剣な声音が背中から、押しつけた僕の頬に伝わってきた。
「いいんだ。僕には、もうとびっきりの笑顔があるから」