くれない色の恋慕   作:清水一二

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第2話

「じゃあ、オレの手のひらに、安定の手のひらを重ねてくれ」

 

 

 主の手には黒色をした長方形の巾着袋が乗っている。

 

 

「これは?」

 

「オレが本丸にやってきたときに身に着けてたもんだ。これに触わって、自分の部屋に戻りたいって強く願うと戻れる」

 

 

 僕はおそるおそる巾着袋を指で突いた。硬い感触が伝わってくる。

 

 

「中身はなに?」

 

「言えねえな。もし知られたら、オレはこの本丸にいられなくなっちまう」

 

「まじ? それはダメ! 別に知りたくないよな、なっ、安定!」

 

 

 腕をつかんで目の前に迫ってきた清光に、僕はすっかり気が抜けてしまった。

 

 

「顔、近いよ、清光」

 

「知りたいのか、知りたくないのか、言うまでは引かねえからな」

 

「わかった。知らなくていいよ。だから落ち着いて」

 

 

 それなら許す、と清光が距離をとる。

 

 

「おまえたち仲いいな」

 

 

 主の陽気な笑い声に、清光の表情がぱっと輝く。ああ、このふたりの組み合わせはしばらく見られないのか。三ヶ月……あっという間のようで長いような、よくわからない期間だな。

 

 

 僕は主の手のひらに自分の手を重ねた。主が目を閉じる。深く自身の内側に入り込んでいるようだった。

 

 

「兼定さんも言ってたけど、楽しんでこいよ。また三ヶ月後に会おうぜ」

 

 

 そう言って口角を思いっきり上げた。とびっきりの笑顔が、溢れる光の中に溶けていく。いや、違う。僕と主が呑み込まれているんだ。ふたつの体が光に包まれて、重なる手が、腕が、強力な光線にちぎれていく。僕は怖くなって、力のかぎり叫ぶ。同時に、あまりの眩さに目を開けていられなくなった。

 

 

「落ち着けって!」

 

 

 強く肩を揺さぶられて、僕は我に返った。おずおずと目を開ける。

 

 

「着いたぜ」

 

 

 主の声に、僕は周囲を見まわした。白い壁。見たこともない物体。腰のあたりまで映る大きな鏡。その下に巨大なお椀型のものが迫り出している。明らかに、さっきまでいた主の部屋ではなかった。

 

 

 わけのわからない僕にはかまわず、主は焦げ茶色のドアを開けた。どうやらここが主の部屋らしい。机、本棚……まではわかる。その向かい側にあるあれは……足のある細長いものの上に布団が敷かれている。

 

 

「これは?」

 

「ベッドだよ。ここに横になって寝るんだ。どうしても慣れないようなら、床に敷いてもいい。それから……」

 

 

 主は僕の腕を引いて、鏡のある部屋のドアを開けた。中には白く長いものが立っている。さっきは死角になっていて気がつかなかった。

 

 

「これは洗濯機だ。衣類を洗う機械」

 

「きかい?」

 

「使い方はノートに書いてあるから」

 

「のーと?」

 

 

 それから、その横にある大きなお椀を指さす。

 

 

「これは洗面台。これが水道で、蛇口をこうしてひねると水が出てくる」

 

「すごい!」

 

「鏡は知ってるよな」

 

「もちろん。でも、こんなに大きいのははじめて見た」

 

 

 僕は腰のあたりまで映る自分の、びっくりした表情を見つめた。ムリにでも顔を引き締めようとするけど、この感動を抑え込むことはできそうにない。

 

 

 引き戸の奥にはバスタブというものがあった。ここで入浴するらしい。シャワーというものの使い方を教えてもらい、熱湯と冷水の切り替えも習った。

 

 

 本丸では風呂当番が、薪割りと湯加減の調節をしなくてはならなかった。それなのに人間も労働もいらない。蛇口を捻るだけで仕事が終わる。すごい! これなら、いつでもすきなときに風呂に入れるじゃないか!

 今度はトイレだ。なんと水がすべてを流してしまうのだ。

 

 お風呂場とトイレの反対側に位置する台所では、電気コンロや冷蔵庫、電子レンジのことを主が熱心に話してくれた。

 

 

 一通り説明が終わると、興奮が冷めやらない僕をベッドに座らせた。

 

 

 主の部屋は不思議なものばかりだ。未来とはこんなにも画期的なのか。高ぶる感情が皮膚を突き破りそうだ。暴れる気持ちをなんとか抑えなければと、胸に手のひらを押し当てた。

 

 

 主は本棚の横にある机から書物らしきものを手に取って、背の低いテーブル越しに、僕に差し出してきた。

 

 

「これは?」

 

「ノートだ。さっき言ったことは、すべてここに書いてある。忘れたときには読むといい。それから、いままで、ここで過ごしたみんなの書き込みもあるからな。問題なく生活する上での注意点とか、得になる情報が記録されてるはずだ。参考にしろよ」

 

 

 僕は手の中にある水色の表紙を見つめた。

 

 

「そろそろ本丸に戻るよ。三ヶ月後に迎えにくるからな」

 

 

 そう言うと、手のひらを握りしめて目を閉じる。あっという間に光に包まれて姿が消えた。

 

 

 僕は目の前で起きたことが信じられずに、たったいままで主が立っていた空間に両腕を伸ばした。主の体をつかもうとするように。けれど、あるのは冷えた空気ばかりで、虚しさだけが募る。ひとりになってみると、部屋はあまりにも静かで、刀剣たちの賑やかな喧騒がすぐに恋しくなった。

 

 

 はぁっと息を吐いて、ノートに目を落とす。ページを開くと、刀剣たちが書いたらしき文字が飛び込んできた。

 

 

 まずはじめは日本号さんだ。やけに丸まった文字で長々と綴られている。要約すると、安くて美味い酒が飲める店の紹介だ。大多数の店名が記され、味の感想が一言ずつ添えられている。

 

 

「ビール最高! ワイン最高! けど、やっぱり日本酒だな」

 

 

 と最後に追記されている。

 

 

 滑らかな紙質のはずなのに、その数か所に指を這わせてみたら、やたらと硬い手触りがした。鼻を近づけると、微かに酒の香りがする。どうやら飲みながら書いていたらしい。文字が滲んでいるのはそういう理由からなのか。

 

 

 次は山伏国広さんだ。角ばった大きな文字だ。

 

 

「体を鍛えるならジムだ」

 

 

 ジムというのは、どういうものなんだろう。手書きの地図が記されている。たぶんジムの場所だと思う。えーっと、なになに……。

 

 

「トレーナーがついて、効率的な筋肉のつけ方を教えてくれる。君も一緒に筋肉をつけてみないか?」

 

 

 筋肉をつける場所なのか。けど、僕には必要ないな。

 

 最後は和泉守兼定さんだ。しなやかで美麗な書体だ。

 

 

「ぎんぎらぎんの夜だぜぇ。オレを指名する女があとを断たねえ。オレはこのとおり、かっこいいからな。女が放っておかないわけだ。オレよりかっこいい刀剣はいないが、勤めるならこのホスト店だ。オレの紹介と言えば即採用されるだろ。感謝しな」

 

 

 いったいなんのことだ。指名って? 女が放っておかないとあるから、女性絡みだとはかろうじて理解できる。僕は興味ないな。

 

 

 なんだか、少しも役に立つ気がしない。なんにせよ、この時代で過ごしたみんなは、それなりに楽しんだみたいだ。

 

 僕はノートを静かに閉じた。

 

 僕にもなにか見つけられるだろうか。みんなのように楽しめるなにかを。

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