くれない色の恋慕   作:清水一二

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第7話

 どんな物の怪が座しているのかと思っていたら、テーブルでは少女がひとりでファッション雑誌を広げていた。制服のブラウスの上に紅色のセーターを着込み、下は黒っぽいスカート。それを見た途端、清光の出で立ちが浮かんだ。まるっきり、清光の色だ。

 

 

 意識の外から、カタカタと微かに震える食器の音がした。傍らに立つ優の手が小刻みに暴れ、トレイごと揺れている。そこだけ空気にさざ波が立っているかのようだった。

 

 

 兎の耳みたいな髪型の少女が、振動音に気づいたようで顔を上げた。パッと瞳が輝く。

 

 

「ショートケーキ!」

 

 

 広げた雑誌を折り畳んで、脇に押しやる。

 

 

「お、お待たせしましたっ」

 

 

 優がケーキの皿をテーブルに持っていく。皿が小さく振動し、可愛らしい赤と白のケーキが恐怖しているように全体を震わせる。僕には、優がどうしてそうなっているのか全然わからない。この兎少女は物の怪にも、悪鬼にも見えない。

 

 

 ショートケーキはなんとかテーブルに着地した。そう思った矢先だった。皿を置いた拍子にひときわ大きく揺れて、兎少女のほうに倒れてしまった。皿の縁からはみ出したケーキに、僕たち三人は同時に息を呑む。

 

 

 突然、鋭角となったスポンジの斜面から、いくつもの、ぽってりとした苺が滑り落ち、テーブルに転がっていった。

 

 

「あーーっ!!」

 

 

 兎少女の目が、口が、大きく広がる。だけどすぐに目尻が、口角が、垂れて歪んだ。

 

 

「あたしのイチゴ……。ひどいよ」

 

「ご、ごごごごごめんなさい」

 

 

 うなだれる兎少女に、優が深く頭を下げる。兎少女は目を潤ませて、優のほうを決して見ようとはしない。

 

 

「すぐに、ほかのものと――」

 

「もういい……ここはもういいから。ほかのテーブルに行って」

 

「え……」

 

 

 優は呆然と兎少女を見つめている。

 

 

「おねがいだから……行って」

 

 

 僕にトレイを押しつけて、優はほかのテーブルに向かった。振り向きざまに、下唇を噛みしめているのが見えた。

 

 

 兎少女がフォークで苺を刺して皿に乗せている、その傍らに僕は紅茶を静かに置いた。

 

 

「大丈夫? 優も言ってたけど、代わりのものをお出ししますよ」

 

 

 しっかりと唇を閉じて、ふるふると頭を横に振る。兎の耳が右に、左に不安定に揺れる。

 

 

 僕は、なぜか兎少女から離れ難かった。清光の色だからだろうか。ただそれだけのことで、こんなにも離れたくないと思うものなのだろうか。

 

 

 兎少女が不審そうに僕を見上げて、途端に、はっと目を見張った。

 

 

「安定!?」

 

「どうして僕の――」

 

 

 そうか。どうも慣れないな、初対面で自分の名前を呼ばれることに。彼女も、どこかで僕のぬいぐるみを見たのかもしれない。

 

 

「よく言われます。僕の名前も安定だから、当てられるとびっくりする」

 

「本名同じなの? すごーい。しかも、顔が瓜二つってどゆこと? 二重にびっくりだよ」

 

「そうだよね。全然慣れない」

 

「決めた! 次から君を指名する。よろしくね」

 

 

 どこかで皿が打ち合う大きな音がした。そばのテーブルで、トレイに汚れた皿を重ねていた優と視線がぶつかった。慌てた様子でホールを横切っていく。

 

 

 僕は、兎少女にごゆっくりと声をかけて、カウンターの奥に引っ込んだ。

 

 

 陽が落ち、外は暗くなっている。コートとマフラーの組み合わせが、店の、ガラス張りの窓の向こうを行き過ぎる。すでに顔は見えない。だから、色が違うだけで、皆、同じに見えた。

 

 

 店内のお客さんは、少しずつ減っていた。この店で温まって、どこか次の場所を求めていったのかもしれない。

 

 

 優は汚れた食器を洗っているところだった。僕は隣に並んで、シンク脇の台に重ねられた皿やティカップを専用の布巾で拭いていく。しばらく、優も僕も口を開かなかった。皿の泡を洗い流す水音と、水分を拭きとった食器の重なる音が、僕たちの関係を繋ぎとめてくれていた。

 

 

「俺が……」

 

 

 僕は、黙って優を見遣る。

 

 

「はぁ……いままでずっと指名してもらえてたのになぁ。がんばろうとしても、全部裏目にでてしまう」

 

「……すきなんだね」

 

「えっ!?」

 

 

 なにをいまさらと思うほどに優は慌てて、持っていた皿を落っことしそうになる。僕は、不器用だなと思う。清光と似てる。可愛いと言ってもらえるためだけに、毎晩笑顔を練習する。だけど、その成果は得られずに、いつもいつも落ち込んで。

 

 

「僕が協力するよ」

 

「ありがとう。でも、もうダメだよ。完全に嫌われた……」

 

「あきらめるのは早い。まだまだ機会はいくらでもある。彼女がこの店にやってくるかぎりはね」

 

「そう、かな」

 

「僕にまかせて」

 

「そう、だな。チャンス、あるといいな」

 

 

 閉店時間を迎えると僕は私服に着替えて、与えられたロッカーに畳んだエプロンを置いた。

 

 

「ネットでも買ってるの?」

 

 

 僕の背後で、ちょうど優がロッカーを閉めたところだった。

 

 

「ねっと?」

 

「とうらぶって通販なかったっけ?」

 

「ツウハンって、なに?」

 

「え、通販だよ」

 

 

 優が、いやだな、からかわないでよとでも言うように微笑む。僕は言葉の意味が理解できなくて、そんな優をまじまじと見つめた。

 

 

「まさか知らないの?」

 

 

 僕は首を傾げた。それに合わせて、頭部で縛った髪束が揺れるのを感じる。

 

 

「最近、上京してきたって言ってたよね。それって、ネットを使わないような場所だったりする?」

 

「ごめん。なにを言ってるのか、全然わからない」

 

「よほどのところから来たんだね。あっ、じゃあ教えるよ。きっと気に入ると思う」

 

「なにを?」

 

「ネットだよ」

 

 

 隣室にあるオーナーの机は、この部屋にただひとつだけあって、持ち主を待ちわびてでもいるかのように淋しげに佇んでいた。

 

 

 その上に置かれた長方形の、黒くて薄いものに優が触れた。奇妙な音がして画面が光を放つ。これは主の部屋にあるものと同じだ。パソコンとかなんとか。使い方がノートに書かれていたような気がする。

 

 

「この端っこのスイッチで起動するんだ。それから上の細長い枠に、とうらぶ、っと。打ち込んだら、関連サイトの項目がずらりと出てくる。ちょっと待って。通販サイトも検索に加えるから」

 

 

 優がなにやら操作すると、また画面が切り替わった、ような気がした。文字ばかりで、さっきと同じに見える。

 

 

「これだ、一番上に出てきた。ここをクリックするんだ。そうすると、ほらっ出てきた」

 

 

 画面には、見慣れた刀剣たちの姿がたくさん映っていた。ポスターやマグカップに、絵となって描かれている。懐かしい顔ぶれに胸が熱くなった。会いたい。みんなに。清光に。

 

 

「簡単でしょ。ゲーセンはお金がかかるよね。同じ使うなら、こういう買い物のほうがいいと思うな」

 

 

 金額が決まってるから、こっちのほうが安くつくと言いたいのだろう。

 

 

「気に入ってるんだ、ゲームセンター。あの勝ち取る感覚がたまらない」

 

 

 それに、全種類の清光を集めたい。

 

 

「わかる気はする」

 

 

 優は少し困ったように微笑んだ。

 

 

 僕はパソコンにくっついている微かにせり上がった正方形に目を落とした。さっきから優は、このおかしな白い記号に指を乗せて押し込んでいた。その傍らには小さく平仮名が書かれてある。

 

 

「これはなんだ」

 

 

 その上に指を滑らせてみたら、つるりと気持ちのいい手触りがした。

 

 

「アルファベット、知らないの?」

 

「わからない」

 

「そっかー。でも大丈夫。直接、平仮名で打てるように設定したら使えるから」

 

「方法を教えてくれないか」

 

「もちろん。いまから、やってみせるね」

 

 

 僕は、優の持つ優れた技術のすべてを吸収するべく、夢中で脳内にすり込んだ。

 

 

 一通り教え終わると、優が横に立つ僕を見上げた。

 

 

「駅の向こうに専門店もあるよね。いつも前を通るだけなんだけど、女性客が多いよね。男だと入りづらそう」

 

「専門店!?」

 

「うん。えっ、もしかして――」

 

「知らない。僕は駅からこちら側にしか来たことがないんだ」

 

「もったいないな。あの店ではグッズがたくさん売られてるのに」

 

「今度、連れて行ってくれないか?」

 

「じゃあ週末にでも。あっでも、女性ばかりだよ?」

 

「そんなことを気にしてどうするんだ!」

 

「本気ですきなんだね」

 

 

 優が淋しそうに微笑んだ。兎少女を思い出したのかもれないと思った。

 

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