帰宅すると、さっそくパソコンを起動した。教えてもらったとおりに、平仮名で入力できるように設定する。苦労してお目当ての文字を探しだして、一文字ずつ打ち込んでいく。
「と……う。ら。ぶ」
通販サイトらしき文字をクリックする。サイトに飛んで画面が切り替わると、さっき優が見せてくれたものとは、まるっきり異なるものが展開していた。複数の可愛らしい女の子が僕を見ている。そのどれもが絵なのだけど、微笑んでいたり、哀しげだったり、実に豊かな表情だ。なんだか僕を誘っているような気がした。
女性向け、の文字の下に三日月宗近がいた。どうしてこんなところに。場違いじゃないかと思いながらも、刀剣乱舞オンラインと書かれた文字に意識が吸い寄せられる。自然とクリックしていた。画面が変わるたびに、指が下がる。
と、奇妙な画像が現れた。
畳の部屋に次郎太刀が立ち、画面の中から僕に向かって微笑んでいるのだ。紫色の着物姿で、どぶろくをぶら下げて、体の横で大太刀を持っている。背後には、本丸の景色が広がっていた。しんしんと雪が降り、池の水面や寒々しい裸の木々に落ちてゆく。真っ白な冬景色を見せつけるようにして障子が開け放されている。次郎太刀は少しも寒がることはなく、堂々と立っていた。
「これは絵なのか?」
思わず指先を画面に当てた。右側には二文字の漢字が縦にずらりと並んでいる。結成を開いて、びっくりした。部隊が編制されている。
「これは、いったい……」
しばらく、ぼぅっと部隊一の画面を見つめていた。なにも考えられない。光を放つ画面に、思考を奪い取られてしまったように感じた。
ふっと我に返って、一瞬で自分の思考を取り戻した。だけど、まだ完全に操ることができなくて、僕は気力を振り絞り、力の弱った手でマウスを動かす。ほかの漢字にポインタを当てて、だんだんと思いどおりになりつつある指でクリックした。
出陣。
鍛刀。
上から順番にページを開いていく。そうしてようやく、ひとつの仮説が浮かんだ。
「刀剣乱舞……ゲームセンターにあるものと同じ類のものか。たぶん、そうだ。クレーンゲームの台にも記されているのを何度も見た。刀剣乱舞とはなんのことだと思っていたけど、これのことだったのか。誰もが主になれるゲームか。どうやら僕の主もやっていたみたいだ」
その証拠に、左上の隊名に主の名前があった。
僕はパソコンを離れて、ベッドに寝ころんだ。まさか僕たちがゲームになっているとは。清光が知ったらなんと言うだろう。
ふぅ……。
そうか。だからお客さんが騒ぐわけだ。あらゆる店にぬいぐるみも置いてあるだろうけど、刀剣乱舞のゲームも影響しているはず。確かに僕は大和守安定だ。似ているわけじゃなく、本物の。
夕刻が近づいて、兎少女がカフェにやってきた。僕は、優とドアの前に並んで出迎える。
「あっ安定。今日からよろしくね」
故意に、優のほうに視線を向けないようにしているのを、ひしひしと肌で感じた。「いらっしゃいませ」と放った優の作り笑顔が引きつる。それでも、どうにか表情を保っていられるのはすごいと思う。
僕が空いたテーブルに導く間に、優は、彼を指名してくれているテーブルに逃げていった。兎少女は席につくとメニューも見ずに、チョコレートケーキとココアを注文した。
僕は兎少女から離れて、優の腕を引っぱってカウンターに連れて行く。ほかの店員やお客さんの耳に入らないように囁く。
「一緒に接客にいこう」
「ムリだよ。避けられてる」
「がんばるって決めたじゃないか」
「ごめん。今日は……」
僕はふぅっと息を吐く。清光は落ち込んでも、案外と立ち直りが早い。同じ人間じゃないから、違うのは当たり前だけど。さっきのが相当に堪えてるみたいだな。
「わかったよ」
僕は、優の横を通り過ぎて、冷蔵庫からチョコレートケーキを取り出した。チョコレートのスポンジとクリームが交互に層になっていて、僕の気分に似つかわしくない甘い香りが鼻腔をくすぐる。
また、ため息が漏れた。優がやる気になってくれないと、僕は応援できないじゃないか。
「お待たせしました」
僕は、兎少女の前に、チョコレートケーキとココアを置いた。彼女はうれしそうに皿を引き寄せて、フォークを手に取る。
相変わらず、優は指名客の相手だ。穏やかな物腰で話しかけている。このテーブルが見える位置に陣取っているんじゃないかと思うのは、僕の考えすぎだろうか。
「ねえねえ、安定。とうらぶ、やってる?」
「え?」
優を気にしていたから、びっくりした。兎少女は紅色のセーターをつまんで、軽く引っぱった。
「あたしのこれ、加州清光を意識してるんだ」
それを聞いた瞬間、僕の頭から優のことは吹き飛んだ。
「やっぱりそうだったんだ。色が同じだなと思ってたんだ」
「そうそう。すきすぎて、服装に取り入れちゃったよ。清光って、一生懸命可愛くしてるところが可愛いよね」
僕の口角が自然と上がる。
「十分、可愛いのに、あれ以上どう可愛くなりたいんだろう」
「ほんとほんと」と、彼女は笑った。
視線を感じて、はっとした。優の哀しそうな双眸が僕を見て、それからすぐにもとの穏やかな表情に戻った。つい話が盛り上がってしまった。優を応援しなくてはならない立場なのに。兎少女はおかまいなしに話を続ける。
「この間、とうらぶ専門店でね――」
「専門!?」
僕はテーブルに手をついて身を乗り出す。
「知らないの!? 駅の向こうにあるよ」
ああ、つい反応してしまった……。
「知ってるけど、行ったことはないんだ」
「えーっ絶対行くべきだよ! 損だよ損!」
そういえば優が……。
「明日、一緒に行ってもらってもいいかな。女性客が多いって聞いて、なんか入りづらいんだ」
「あー、それはあるかも。ぜんぜんいいよ。せっかくの土曜なのに、予定からっぽだし」
「じゃあ、お店の前で」
「オッケー」
兎少女はフォークで崩したチョコレートケーキの欠片を頬張った。感嘆の息が漏れて、頬が幸福の色に染まった。
僕は、さっきとは違うテーブルの傍らに立つ優に近づいた。紺のブレザー姿の少女ふたりと楽しそうに談笑している。その胸の内は、ほかのことで満たされているんだと思うと、なんともいえない複雑な気持ちになってしまう。
二段に重なったホットケーキの生地にフォークを刺し入れて、白い皿に広がるとろりとしたハチミツをつけて、おさげの少女は口に入れた。途端に、瞳が輝く。
「君を見てると、うれしくなるよ」
「え?」
少女の不思議そうな目が、僕の視線とぶつかった。
「あんまりにもおいしそうに食べるから」
少女がどことなく照れくさそうに微笑む。向かいの席に座したゆるふわパーマの少女が、僕をじっと見つめて目を見張っている。
「大和守安定に似てますね!」
「そんなに似てるかな」
「似てる似てる!」
優は静かに、僕と少女たちのやりとりを見守っている。とても優しい光を瞳に宿して。僕にはそれがつくりものにしか感じられない。どうして本心を隠してしまえるんだろう。
いつのまにか、少女たちは僕ではなく優を見つめている。吸い寄せられるように、うっとりとした眼差しで。少女たちの世界には優だけしか存在しないみたいに、あっという間に僕は締め出されてしまった。
優の穏やかそうな顔立ち、微笑み、やわらかな声に少女たちは抗えず、心を奪われて、胸の奥のずっと深いところまで溶かされてしまうのだろう。少女たちのとろけそうな微笑が、ありありと事実を物語っている。
今生の別れみたいに大袈裟な嘆きの渦から抜け出して、優と僕はテーブルを離れた。まだ追ってくる、絡みつこうとする視線から逃れるようにしてカウンターの奥に引っ込む。
「明日は彼女も誘ったから」
「え!? ほっほんとに!?」
「嘘を言っても仕方がないよ」
「じゃあ、俺がいなくても大丈夫だね……」
さっきまでの余裕の笑みはどこへやら、優はしゅんとしてうつむく。兎少女が関わると、優の仮面はもろくなって、はがれてしまう。
「誰のために誘ったと思ってるんだ。優から近づいていかないと、彼女と仲直りできないじゃないか」
「彼女は知ってるの?」
「言ったら来ないと思う」
「彼女が嫌がることはしたくない」
「逃げたいの間違いだろ」
優のうつむいた頭が重たそうに沈んでいく。哀しみからくるものなのか、情けなさからくるものなのか、僕には読み取れない。だけど応援すると決めたから、優の感情に流されてはいけない。僕が、怖がりなこの背中を押さなくては。
おもむろに、優がうなずいた。それから、瞳を揺らして僕を見つめて、「わかった」と言った。とても小さく、消え入りそうな声だったけど、少しだけ覚悟のような響きが混じっていた。僕は、優の背中にぽんっと手を置いた。