「どういう事だ!」
会議室に轟いた怒声に、上級職員の多くが首をすくめる。あまりの剣幕に、この場に居合わせた発言権を持つ者も揃って萎縮し、口をつぐんでいた。
綿密な計画を練って行われた今回の作戦は無事に成功したという報告があがっていた。しかし、現実には魔法師を持ち帰るどころか何者かによって奪い返された。しかも、首魁はたった1人の少年。多少の性格の難は否めなくも、彼らの実力は崑崙方院切っての選りすぐりのメンバーだ。そんな彼らが子供一人に襲撃を許すなど彼らのメンツが立たなかった。
「アイツらは何をやってるんだ! 説明しろ!」
崑崙方院の総委員長の怒りの矛先が近くにいた権力者へと向いた。
「……げ、現在懸命に捜索中との事です」
恐る恐る口を開き、総院長の顔色を伺う。それを聞くなり乱暴に椅子へと腰かけ、自身を落ち着かせるように、息を吐いた。
「……徹底的に奴らを探させろ。証拠は残すな」
「か、かしこまりました」
颯爽と出ていく男に深々と総院長はため息をこぼした。
「何者なんだ……その少年とは…」
鉛のように重い空気で満たされた室内に呟かれた言葉に、答えるものなど居なかった。
唐突に意識が覚醒した。
一体、どれ程寝たのだろうか。
気づけば頭は柔らかい感触に包まれ、爽やかな良い匂いが鼻腔をくすぐる。何処と無く快活な想いに導いてくれそうな感覚を受けながら、深い闇から現実へと戻ってくる。
目を開けば薄暗い天井と焦点が合わないが、視界の端に少女の顔がボヤけて映る。
しばらくしてぼーっと眺めていれば、次第にはっきりと輪郭まで捉えて改めて少女の顔を捉える。思わず――見惚れてしまう。
一瞬流夜は女神様を幻視した。
もちろん「女神」呼ばれる存在に出会った事などない――神様と名乗る老人には会ったことはあるが、頭の中にそんな言葉が浮かぶほどに少女は現実離れした美貌だった。恐らく世間の人々も人形以外には見た事のないであろう絶世の美少女。息を呑むように彼女を凝視していれば、視線に気づいたのか少女は視線を落とした。大きなアーモンド形の黒く澄んだ瞳が向けられた。目があった。途端に緊張が走った。何も話せずにいる流夜に、少女は物腰の柔らかそうな笑みを浮かべた。
「起きられましたか?」
ふっくらとした薄桜色の唇から紡がれた言葉。
鈴を振るように可憐な声音に、思わず癒しを覚えたが、それに呼応して頭の中で何かが引っかかるのを感じた。
この少女、というかここはどこだ……
まるで記憶喪失のような状態に一瞬眉を顰めたが、映画のフラッシュのように突然鮮明に思い出した。
……我ながら勢いとは言えとんでもないことをしたな、と自身の行動に驚いてみれば、
「……ってそんなとこじゃ――痛ッ!?」
慌てて上半身を跳ねあげた。その瞬間、足から電気を走ったような痛みで顔を歪めた。少女はそれを見て、心配げな声を洩らした。
「い、痛みますか? 恐らく疲労で倒れたのではと思いますが……」
「えっ? あ、ああ……ん?」
良く良く考えてみれば、あの柔らかい感触はなんなんだろうと唐突に思った。床は冷たく、埃っぽい筈なのに感じた何処と無く心を落ち着かせるあの居心地の良さ。
自分なりに整理してみる。今この状態のまま上半身を倒せば、頭が着地するのは恐らく床ではなく彼女の…
「はえっ!? ひ、膝枕してくれたのか!?」
パチっととんでもない真相に辿り着き、驚愕のあまり流夜は奇妙な声を上げて驚いた。少女は彼の慌てように少し目を見開くも、柔らかく微笑み頷いた。
「このような埃のついた場所に頭をつけて寝られるのは少し、如何なものかと思いまして」
「い、いや、でも――」
視線を脚から上へと持っていき、改めて見た彼女の服装に紡ぎかけた言葉が途切れ――絶句した。
強引に引き裂かれた服から見える、透き通るような白い肌。鎖骨の窪みに、慎ましやかといっても同年代くらいにしては発育の良い胸の膨らみ。何より白の下着が否応なしに視界に飛び込んで来た。
フリーズしたように固まる流夜。少女は彼が何で絶句してるのかを瞬時に理解し、ほんのりと頬を紅潮させて、恥ずかしげに手で隠した。
「も、申し訳ありません。お見苦しいものを見せてしまって」
「えっ、あ、いや、その、見苦しいって、凄く綺麗だと思うけど…」
「えっ?」
キョトンとする少女。少女の反応に流夜自身も刹那の時間「えっ?」と固まる。
「…… あっ、い、いや、違う! いや違わないけど、綺麗だと思ったけど違うっていうかなんて言うか……」
ポンポンと自身でも訳のわからないことを口走る。思わずその馬鹿さ加減に頭を抱えた。
……これじゃあ軽薄なナンパじゃねぇか。と、心の底から後悔の念を抱いて入れば、暫くして、クスッ、と少女は小さく笑った。
「この場合はありがとうございます、と言えば宜しいのでしょうか?」
「お、俺に聞かないでくれ……。そ、そうだ。これ、着る?」
「えっ? これとは?」
不思議そうに小首を傾げてくる少女に、彼女をなるべく視界に入らないようにして自身の着ているパーカーを指差した。
「その、これなら前隠せるだろ」
「宜しいのですか?」
「ああ……あっ、待ってくれ。やっぱ辞めよう。汗臭いし、俺の血がついてるかもしれないし」
「いいえ。構いません。それ程気にはなりませんので」
そう言って少女に、パーカーを脱いでなるべく視界に入れないように手渡す。「すみませんが、少しこちらを見ないで頂けますか?」と少女は丁寧な手つきで受け取りそんなお願いをしてくる。
流夜は頷いて彼女を背に器用に座ったまま回った。
微かな衣擦れの音とファスナーを上げる気配がする。「もう見てもらっても大丈夫ですよ」との許可を得て振り返る。
ぴったりというわけではないが、男物の服でもサイズ的にはぶかぶかでもない。それからわかる僅差の身長差に、何故だが若干のショックを受けるも、美少女は何を着ても似合うのだなと流夜は感心した。
そして、近くには引き裂かれた服が置かれていた事でふと思い至った。
――パーカーの下は、あの白い下着のみなのだろうか。
そんな邪な考えが浮かび、裾から伸びるしなやかな裸足の脚を自然と凝視してしまった。
「あの…」
「えっ? あ、いや…」
少女の声に、ハッとした流夜は慌てて視線を逸らす。きまり悪げな顔で、ごめん、と謝れば、少女は視界の端で優雅に微笑んでいた。
「別に咎めるつもりはございません。このような格好で喜ばれて頂けるなら別にわたくしは構いませんが」
「あ、アホ言ってんじゃねえよ!……ったく、それで、あれからどれくらい経ったかわかるか?」
拍子抜けた顔になりながらも。そう問えば、自然と少女も笑みを引っ込め表情を引き締めた。
「およそ1時間くらいだと思います。その間この廃墟には誰も足を踏み入れていないかと思います」
「そっか」
淡々と事後報告を告げる彼女の冷静さに少し驚いたが、その事実にホッと胸を撫で下ろした。流石に寝てる間に捕まるだなんてオチはカッコ悪すぎる話だった。兎に角今はこの先の事を検討しなければなるまい。
流夜は微か希望を抱き頭の中のメモをぺらぺらめくってみる。が、大した情報などやはり見つからず、気まずげに少女の顔色を伺った。
「正直な話、俺無我夢中で走ってたからここがどこわからないんだ。その、君も…だよね?」
「はい、……お力になれないかと思います」
申し訳なさそうな表情になる少女に、流夜は慌てて首を振った。
「い、いや、俺がもっとちゃんとしてれば良かったんだ。焦ってたとは言え帰り道すら分からず仕舞いとは……ホント情けないよ。ごめんな?」
「い、いえ、謝罪をしなければいけないのはこちらです」
ウェーブのかかった黒髪を揺らし、手を揃え、目を伏せて少女は深々と頭を下げた。
「このような事に巻き込んでしまって申し訳ありません。それと、助けて頂き、本当にありがとうございます」
「い、いや、良いって別に! 頭を上げてくれ!」
「いえ、私にとって貴方は命の恩人ですので、せめて感謝は言わせてください」
頑なに頭を上げない少女。このままでは埒が明きそうにない。流夜はため息を漏らし、照れ臭さで頭をかきむしりながら、
「……それを言うのは本当に助かった時にしてくれ。その時に改めてそのお礼は受け取るから」
「そうですね、わかりました」
コホン、とわざとらしく流夜は咳払いをした。
「まあ、それで話逸れたけど、今後はどうする? ここから動くか?」
話題転換を試みた。少女もそれに異議を唱えることはせず、神妙な顔つきで考え込む。手に顎を添える仕草が妙に似合ってるな、とどうでもいい事を考えていれば、すぐ様彼女は思考のループから抜け出したようで、真っすぐに流夜を見つめた。
「このまま少し、様子を見るべきかと思います。幸い向こう側もわたくし達の捜索に手こずっているのかもしれません……それに、その…」
遠慮気味に視線が流夜の脚に流れ、ああ、と納得し自身も視線を落とした。確かにここから動かないのも一つの手だろう。恐らく向こうはここら辺の地理に詳しい。全く見ず知らずの土地を、下手に動き回るのもあまり得策ではないだろう。なにより懸念すべき事は流夜の足だった。ひたすらに走り続けたあの脚力は、今やもうまともに立てない程にまで弱っていた。足の感覚すら、ほとんど残ってない。
少女もそれを見越しての判断なのだろう。こんな時でも冷静に分析を重ねてこの結論に至る彼女の聡明さには感嘆するものがあるが、それと同時に浮上する自身が足枷となっているこの状況。それが無性に申し訳なかった。
「ごめん。完全に足引っ張ってるな俺。もういっそ君だけでも逃げてもらいたいんだけど」
「い、いえ、そういう訳には参りません」
心配そうな表情で少女は屈むと、恐る恐る流夜の脚に触れる。少しヒンヤリとした感覚が僅かながらに脚に伝わる。
「痛みますか?」
「痛すぎて感覚すらねぇな」
ヘラヘラと笑っておどけてみせるが、汗の止まらない様子から、尋常じゃない痛みが走っているのだと直ぐに少女は理解した。だからこそ、ずっと疑問に思っていた事を少年に問いかけた。
「……どうして、ですか」
「えっ?」
「どうしてここまでして、私を助けて下さったのですか?」
まるで少年の心を覗き込むかのように、少女はその黒く澄んだ瞳を向けてくる。なんだかその瞳に吸い込まれそうな錯覚に陥りそうになり、慌てて視線を逸らした。
――どうして、ですか。
ふと遠い昔の記憶が蘇る。何だか、このやり取りをどこかでした記憶がある気がした。だから、だろうか。自然と口が動く。
「……まあ、なんとなくだな」
そんな曖昧な回答に、自身の耳を疑うように「えっ?」と少女が目を瞬かせた。
そう、彼女はそんな反応を……
「……あれ、どこでだ…」
「あ、あの……」
急に難しい顔になった流夜を、戸惑いながら少女に呼ばれてはっとする。
「ま、まあ、身体が勝手に動いたって事にしてくれ」
「そ、そんな理由でですか?」
「い、いや、そんな理由でって言われてもよ……まあ、理由を言うなら…そうだな……罪悪感かな」
「……罪悪感、ですか?」
「ああ、だって、見ちまったんだから。君が連れてかれるのを。あ、いや、バカだってわかってるよ? 自分でも。危険を顧みずに作戦もなしに一人で首突っ込むとか頭おかしいって思うよ。…最初こそ死ぬのが怖いから逃げ出そうともしたし、見たこと忘れようって思ったよ。でも、やっぱり出来なくてな。……頭の回路、イかれてるのかもしれん」
やれやれと肩をすくめ本当に困ったように言えば、気づけば少女は小さく声を上げて笑った。
「なんですか、それは」
「生憎末期でさ。治療しても治らんのよね」
クスクスと上品な笑みをこぼす少女。張り詰めていた緊張がほぐれていく。
不意に「お隣宜しいですか?」とお願いをされる。
どうぞ、と端的に答えれば、彼女は上手くパーカーの裾を伸ばして床にお尻をつけた。
ただやけに近くに腰を下ろしたようで、ふわりと女の子の匂いが流夜の鼻腔をくすぐった。それが彼女が隣にいることを猛烈に意識させた。
しばらく無言のまま時が流れる。音という概念が消え去ったかのように室内は沈黙で満たされる。
流石に何か話題を振ろうとしたが、先に沈黙を破ったのは彼女だった。
「――明日の少年少女魔法師交流会に出席する予定でした」
恐らく聞かずとも少女の攫われた経緯が語られるのだろう。それは意図的に流夜が避けていた話題ではあったが、彼女が決めて話すのなら、と黙って彼女の言葉を待った。
「その為に今回の台北へ訪れました。明日の交流会が終われば日本に帰るつもりでしたので、気分転換に観光でもしないかとの申し出で街へと赴き、その途中で襲撃を受けました。あまりの突然の出来事になす術なくわたしは彼らに眠らされ意識を失いました。その時同行者もいたのですが、覚えている限りですが、彼が抵抗を試みて怪我を負う、という所までは記憶にあります。後は、そのまま気がついたらあの場にいました」
「そっか……」
淡々と語られた彼女の口からは、やはり暴力的な誘拐という事実だった。それに話の内容から察するに、最初から彼女目当てでの犯行に聞こえなくもなかった。となると計画的な犯行だったとも推測できるが、どちらにせよ、こんな少女を誘拐だなんて胸糞悪い話ではあった。
少女は次第に思いつめた表情をしながら、続きを口にした。
「私のせいで、彼に怪我を負わせました。こんな形で貴方をも巻き込んでしまって、本当に情けない限りです」
可愛らしい顔が曇った表情の理由。自分のせいで他の者を巻き込んでしまった。と、いつの間にか自分を責めるような口調になっていた。それを咎めるように流夜の口調も強くなる。
「それは違うって。別に君が悪いわけじゃない。これに関しては自分が悪いと考えるのは筋違いだ。何もかも全てアイツらが悪いんだから」
「……そう言ってもらえると、なんだか少し気が休まります」
そう言って薄く微笑む彼女。ただそれは無理をして笑ってるのだと素人目でも見抜くには容易かった。
こんな時、どんな言葉をかけたらいいのか余り自信はなかったが、
「……まあ、思い悩む事ないと思うぞ…と言っても難しいとは思うけど――」
流夜は彫刻のように白く、清らかな、彼女の小さな手にそっと自身の手を重ねた。その行動に少女は戸惑いの視線を向けてくるも、流夜は真っ直ぐにその視線を受け止めた。昔からよく妹が何か思い詰めた顔をしていた時はこうして手を握っていた。そうすれば、安心するんだと。それがこの少女に効果があるのかは不明だが、
「誓うよ、絶対に。君を護るって。だから、生きて一緒に帰ろう。それで事が全て無事終わった時に、同行者さんにも親御さんにも謝ればいいし、反省すれば良い。今は、何よりも君が生きて帰る事が先決なんだから」
「……そうですね。分かりました」
その言葉一つ一つを受け止めるかのように、ゆっくりと少女は頷いた。曇っていた表情も幾分かマシになった気がした。
少しは彼女の荷が降りたのなら良かった……と流夜はホッと胸を撫で下ろし、手を離す。そしてその数秒後に襲ってきたのは、羞恥。
……なんか、今更だけど恥ずかしいことしてないか?
思い返せば自身の行動に疑念が湧き、その度羞恥の念が全身にみなぎる。
やっちまった……。猛烈に心内で自分を責めたてた。そんな最中に「あの…」と彼女から再び声がかかる。
「今更ですけどお名前、教えて頂けますか?」
「えっ? あ、ああ、そう言えばお互い自己紹介まだだったな。俺は神崎流夜。歳は12だ。呼び方はなんでもいいけど、まあ、流夜でいいよ」
「私は四葉真夜と申します。年は、流夜さん…で宜しいのですか? 「ああ」 わかりました。では、流夜さんと同じ年齢です。……そうですね、では、私のことも真夜で構いません」
……よつば。 何処かで聞いた事あるような……
「…まあ、いいか。じゃあ、真夜……でいい?」
「はい」
「意外と気さくなんだな。ってか同い年なのもびっくりだよ。もう少し上だと言われても納得するよ」
「あら、それは老けていると言うことでしょうか?」
少女の声が悪戯の響きに変わった気がした。思わず苦笑する。
「せめて大人びてると言ってくれ。言葉のチョイスに悪意を感じるぞ。まあ、同い年ならなんか親近感湧くな。…折角だし、敬語はなくさないか? なんか話しづらいというか……別に無理にとは言わないけどさ」
馴れ馴れしすぎたか、と少女の顔を伺うも、気にした様子は見せずに彼女は笑顔で「わかったわ」と頷いた。若干のお嬢様口調が残ってはいるが、そこは長年のクセというやつなのだろう。無理に指摘するのも悪い気がしたし、何よりそんな口調もまた、上品さを漂わせる彼女には違和感が微塵もなかった。
「じゃあ、改めてこの窮地を脱する仲間ということでよろしく頼むよ、真夜」
「ええ、こちらこそ」
少女――真夜はニコッ、と笑顔で応えた。
四葉家長女、四葉深夜は自室の窓から西の空を見上げてその可愛らしい顔を曇らせた。彼女は現在12歳。この四月、中学生になったばかりだが、その年齢に似合わぬ悲痛な表情だ。
彼女が案じているのは行方が知らない双子の妹、四葉真夜。今日、午後の約2時半頃、国際魔法協会アジア支部主催の少年少女魔法師交流会に出席する為に訪れた台北で何者かに誘拐された。それが理不尽の失踪ではなく暴力的な誘拐であることは誰の目にも明らかだった。真夜と共に台湾を訪れた七草弘一は誘拐犯との戦闘により、右手、右足の裂傷および骨折と、右の眼球を失う大怪我を負っているのだから。
弘一の容態も心配だ。なんと言っても彼は妹の婚約者なのだから。だが重症を負いながら誘拐犯の手を逃れた弘一より、誘拐された真夜を心配する気持ちの方が圧倒的に大きいのは当然の事だった。それに、正直に言えば、深夜は弘一を心配するより強く、彼に対して怒りと恨みを抱いていた。妹を連れ去られて自分だけおめおめと助かった彼の不甲斐なさに対して。
それが弘一のせいではないのはわかっている。わずか14歳の少年にそこまで要求するのは酷な事だし、状況から見て誘拐犯は真夜の方を重要視していた。むしろ彼は片目を永久的に失い巻き込まれた。だが深夜は理屈で感情を納得させられる歳でもない。未だ誘拐犯の正体が掴めない状況では、八つ当たりでもしてないと正気を保てなかった。
「真夜……」
自分も行くべきだったのか。
そんな意味もない事を幾度となく考えた。所詮行ったところで何もできなかったのかもしれない。
でも、彼女が無事であることを祈ることしかできない。そんな自分が、悔しくて仕方なかった。
「――そう。貴方も明日出席するつもりだったのね」
「まあな。妹も一緒にな」
気づけばすっかり打ち解けていた2人の会話は、流夜の話へとシフトチェンジしていた。
「アイツは俺と違ってかなり優秀なんだ。だから俺はその付属品とも言える」
「付属品って、そこまで自分を卑下する事ないじゃない」
「いや、付属品だよ。所詮サイオン保有量多いだけが、俺の取り柄だからな」
幾分自虐的な口調だが、真夜は何を言ってるの、と不思議そうに目を瞬く。
「サイオン保有量は魔法師としての優劣をつける重要なファクターなのだから、貴方も優秀な魔法師だと評価されると思うのだけれど」
違うの? と小首を傾げて訊いてくる。
彼女の言い分は理解できる。確かに現代において魔法の構築速度より魔法師が体内に保有するサイオンの量が、魔法師の力量を測る尺度して重要視されている。だが、流夜はそれに納得がいかない顔で、彼女の意に反するように首を横に振った。
「確かに今はそうだけど、いずれはCADとかだって進歩すると思うんだよ。だからそれだけ優れてても俺はなんか納得できないんだ」
「謙虚なのね」
「謙虚というか、ホントにそう思ってるだけだ。そっちこそ、優れた魔法師なんだろ?」
「…どうして?」
皮肉めいたつもりだったが、澄んだ瞳から圧力が強くなった気がする。どうやらとんだ地雷を踏んだようだ。流夜は大げさに首を振って警戒を解いた。
「いや、別に真夜の何かを知ってるわけじゃない。単なる推測だって。お前が左右対称過ぎるからそう思っただけ。ってか、そう警戒されると相手に余計な疑念を与えるだけだぞ」
「…そうね。迂闊だったわ」
流夜の言う通り魔法師は、魔法師ではない人間に比べ、左右対称性の高い身体をしていることが多い。魔法資質の高い人間ほど骨格が左右対称的になる傾向が見られるのだ。彼の思わぬ観察眼に、虚を突かれたように驚く真夜だが、次第に関心したように口を開いた。
「でも、意外ね。まさか貴方にそんな指摘をされるだなんて」
「なんだよ、不満か?」
「いいえ。ただ意外に聡明だったのねと驚いただけよ」
「……なんだか言葉の端に棘を感じるんだが」
「だって貴方」
「言うなよ」
「頭の回路が全て可笑しいと言って――」
「言うなって言ったろ! しかも全てじゃねえし!」
「あら、そうだったかしら」
可愛らしく小首を傾げ不思議がる真夜だが、ポーカーフェイスのその裏で含みのある笑みが溢れている事など想像に容易かった。
なんだかこの少女を少しづつだが理解できた気がする。表面こそお淑やかで清楚で上品で奥ゆかしさを持ち合わせた、育ちの良い令嬢。ただ、蓋を開けてみれば、どうやらこのお嬢様は実に人をからかって遊ぶ質の悪い性分らしい。これは対処に困ったぞ、と脱力気味に苦笑いしてれば、彼女は悪戯が成功した子供のような笑みを浮かべた。
「少し、意地が悪かったかしら?」
「本当にな…」
「ふふっ、そうね。ごめんなさい。でもね――不思議なのよ」
ボソリと彼女が独りごちるように呟いた。
「何がだ?」
「初対面なはずなのに、ここまで心を許せた自分が不思議なの」
「……ふむ。あれじゃないか? 俺が包容力あるか「それはないわね」 ぐっ、そこまでぴしゃりと否定する事ねえだろ」
「そうね。でも、偶には遠慮のない相手というのも良いものね」
クスッと彼女は笑う。ただその笑顔はどこか悲しげな翳が見えた気がした。それは糸のように細く引いたかすかな寂しさ。気のせいと言われればそれまでな程の微々たるもの。
所作一つ一つから滲み出る上品さに、ここまでの美貌を持てば、きっと少なからず彼女なりの気苦労があるのかもしれない。どちらにせよ、平凡でしかない流夜では見当もつかない話だ。
暫く他愛無い会話をしていれば、気づけば辺りは夕方へと変わっていた。オレンジ色の光が窓の隙間から漏れている。
日も落ちてきた今の時間帯は、陽の光が当たらないここでは気温も下がる。本来ならなんて事ない寒さだ、今回ばかりは事情が違う。日中かいた汗で濡れたシャツの冷えも相まって、鳥肌が立つほどに肌寒さを感じた。流夜は思わず小さくクシャミを漏らした。
「さ、寒いわよね……Tシャツ1枚だもの。ごめんなさい、私がこれを借りてるせいで」
「バカ言うなよ。別にこれくらい平気だ。それより真夜は寒くないか? それ一枚だけだし」
「え、ええ。おかげさまで大丈夫よ。……もう、どこまでお人よしなのかしら」
困った顔のまま愛想笑いを浮かべる真夜。
ボソリと小言は聞き取れなかったが、特別揶揄されたわけではないのだろう。
流夜は念のために、辺りをキョロキョロと見渡した。
ただ、絶望的なまでに何もないこの場所に微かな希望を抱いてみても、やはりか、と肩を落とす。
……これはもう我慢するしかないな、と半ば諦めていると、不意にふわりと黒髪を揺らし、小柄な影が動く。鼻腔をくすぐる魅力的な香りが強くなる。急に上半身左半分がやけに重くなる。ただそれは子猫を抱き上げた時に感じるような、しなやかで気持ちのいい重さだ。何事かと視線を向ければ、真夜が密着するという奇行に走っていた…
「ちょ、えっ!? ど、どうしたんだよいきなり!?」
「あ、あまり大きな声を出さないで頂戴……私だって、その、流石に思うところはあるわよ」
「な、ならなんで!?」
「……察してくれると助かるのだけれど」
何故か睨まれ縮こまる。理不尽にも程があるが、俺が何をしたんだ…と1人片手で顔を抑えていれば、話の流れから思いつく節が一つ。
「……もしかして、温めてくれてる?」
「……」
無言のまま、彼女は応答しない。
……違うのか?
「……さ、さっきのお礼とか?」
「私も寒くなったの」
図星だったのか、恥ずかしさを誤魔化すかのように早口で彼女は応えた。彼女の優しさが迷走気味なのが心配になるが、パーカーに下着のみという服装から突っぱねる事も出来ない。何より、あれほど冷え切っていた身体が、嘘のように温かい。彼女の優しさ溢れる温もりと、緊張で。ただ後者の方が断然大きな要因だが。
静寂な廃墟の中、ドクン、と高鳴る心臓の音がはっきり自分で聞き取れる。そこから自身の真っ赤な顔がすぐさま連想された。元々女性に対する耐性など殆どなかった人物が、いきなり美少女に寄りかかられるだなんて段階が飛びすぎて正直軽くパニックに陥っていた。
「その……あなたの心臓がさっきから煩いのだけれど…」
「わ、悪かったな……生憎こんな美少女との密着するなんて経験ないんだよっ、大体妹しかこんな触れ合った事な……なんか自分で言って悲しくなってきた」
「そう……」
彼女の顔を見ずとも、哀れんだ視線だけは感じ取れる。美少女なだけに余計刺々しく心に突き刺さる。流夜は羨むようでいて、妬ましい複雑な表情で口を開く。
「……真夜は…まあ、聞かずとも引く手数多だろ」
「……そうね。否定はしないわ」
……肯定しやがった。
ただ一言も言い返せない程に、彼女は美少女だというのが悔しいが。
「……でも、面倒なだけよ? 言い寄られるというのも」
「贅沢な悩みだな。ホント妬ましい事この上ない」
ため息混じりにそう告げれば、視界の端に映る少女が邪悪な笑みを浮かべた気がした。
「……貴方だって状況的に今その美少女に抱きつかれているのよ? 男冥利に尽きるのではなくて?」
「じ、自分で美少女とか言うなよ……まあ、それに関しては否定しないけど」
「フフフ、そう」
お世辞ではなく本音だと受け取ったのか、なんだか嬉しそうな彼女。褒め言葉など日常的に聞き飽きるほど聞いてるであろう筈なのに、この反応である。
流夜は心の中で小さくないため息をつく。
きっと彼女は幾度となくこうして男を手玉に取り、勘違いさせては告白させやんわりと断る。そして多くの男を死地へと送り込んできたに違いない。今までのやり取りから安易にそんな想像ができてしまう。それを決して口に出した訳ではないが、なんだか彼女から拗ねたような眼差しが飛んできた。
「私だって男の人に抱きつくだなんて真似初めてよ。だから緊張だってするわ」
「……心を読まないでくれ」
「わかりやすいもの、貴方」
どうやら彼女には隠し事は通用しないらしい。
クスッ、と声を洩らして笑う彼女だが、途端に瞳の中に少年のような悪戯っぽい微笑を再び浮かべた。流夜は猛烈に嫌な予感を覚える。
「だから……そうね。私の初めてを奪った感想でも聞きたいわ」
「あらぬ誤解を招くような言い方をするな!」
「それで、感想はどうなのかしら?」
寄りかかるように密着する彼女は必然的に上目遣い、なにより小悪魔たっぷりな笑顔で訊いてくる。物凄くノリノリなようだ。それがまた似合うからタチが悪い。
流夜は極力彼女を視界から外し、応える。
「……まあ、嬉しいな」
「……他には?」
「いや、他にはって…………柔らかい」
「……へんたいね」
「だーっ、悪かったな、変態でっ!! だいたいくっついてくるお前がそもそもの原因だろうが!」
我慢の限界、とばかりに、ゆでダコのような真っ赤な顔で声を荒げる流夜。彼女はそれを見て底意地の悪い笑みを浮かべていた。
少女の頬がほんのり紅潮してるのには気づけなかったが、なんだか精神的に、どっと疲れた気がした。
実年齢で言えば流夜の方が歳上でも、少女の方が精神的に一枚も二枚も上手のようだ。
恐ろしい少女だな、と流夜は彼女を頭の中で『魔性の少女』という枠にカテゴライズした。
ただ彼女が心底楽しそうだから憎めない。流夜自身だって、何だかんだ楽しげに会話は弾む。この寂れた廃墟の中に、いつの間にか柔らかい時間が流れていく。それがまた、ムカつくほどに居心地が良かった。それが何故なのかはわからないが。
ただ物事全てには終わりがある。それも今回に限っては最悪な形でのタイミングで――
「――――ッ!」
慌てて室内に入ってくる男たちに、ギョッとした2人。
体に沁みるようなあの緊張が2人襲う。身構えるように咄嗟に動こうにも、身体は回復していない。
瞬時に流夜は彼女の華奢な体を抱き寄せた。
――この子だけは守り抜く。
最初こそ勢いで救出した流夜だが、もう、決意は揺るがない。
ただその強い意志に反して男達が一斉に銃口を向ける。指がトリガーにかかり、悟った。
――もう…無理だ…
逃げることは出来ない。回避は不可能だった。ならば――
死を覚悟し彼女に覆いかぶさろうとしたその瞬間――世界が夜に包まれた。
「――一体、誰に銃口を向けてるのかしら」
抑揚のない冷たい声が夜の闇に溶け込む。
でもそれは馴染みのある声。先ほどまで聞いていた、彼女の声。
あの人を癒すような声音が打って変わり、寒気すら覚えるトーンだった。心臓まで鷲掴みにされるような圧迫感に息を呑んだ。
「まや……?」
「安心して頂戴。これは私の魔法よ」
上手く口が回らぬ程に呆然とする流夜に、ニコッと安心させるように彼女は微笑を浮かべる。そして、すぐさま男達に鋭く冷たい視線を戻した。
ゆっくりと彼女は流夜から離れ、立ち上がる。途端に彼女のまとう雰囲気が変わる。表情が無表情へと変わった。その人形のように整った顔立ちが、より恐怖を煽る。
何の感情も宿らない瞳で、男達を見つめる。
「私の恩人に手をかけようなどとは、覚悟はできているのね」
闇に、ではない。
闇に浮かぶ、燦然と輝く星々の群れ。
一室の天井が、月のない、星空に変わった。
星が、光の線となって流れ、無数のそれは男達を貫いていく。
まるでレーザーのシャワーのように。
きっと、それを例えるなら――
「――流星群」
それを見て思った。
彼女は間違いなく、天才だ。
CADを使わずにここまでの魔法を放つ圧倒的なまでの才能。
それは流夜が目指す、理想の魔法師。それを目にして思わず身震いした。
――これが、魔法……
しばらく流夜は、その魔法に魅せられた。
「――これで終わりかしら」
あまりの出来事に呆気にとられたが、気づけばあの闇はもうそこにはない。
視界に映るのはあの鉄筋むき出しのボロい廃墟。
なんだか一瞬幻覚を見せられたかのような感じだが、取り敢えず一声労う言葉を掛けようとした時、気づいた。
足音がまた聞こえる。階段を駆け足で上ってくる。
――なんなんだ…
内臓が震えるほどに激しい怒りがこみ上げてくる。
なぜこうまでして次々と彼女に苦難困難が降り注ぐのだ。まるで決められた運命には抗う事ができないとばかりに、見えない何かに阻まれてる気がする。
彼女は生きてはいけない存在なのか? この世に必要のない存在なのか?
――それは、違う。何より約束したんだ。彼女を護るって。でも、今の俺に何ができる。こんな状態で何をしてやれる。――いや、何かあるはずだ。俺にできることが――
(オラァ――ッ!!)
ありったけの力を込めて床を何度も殴りつけ、コンクリートを砕いた。
下半身はもう言う事など聞きやしない。CADを持たない魔法での応戦も分が悪い。
なら、今の自分にできることは…
いきなり床を殴りつけるという奇行に走った流夜を目を丸くして驚く彼女。ただ彼女に疲労した様子はない。
せめて彼女の援護…時間稼ぎにでもなれば…
手のひらサイズのコンクリートの破片を掴む。握りしめる。
思い出すのは体育の授業の際に恥をかかぬように読んでいた野球の教本の内容――
➀振りかぶって――➁下半身の力を上半身に乗せて――➂腕を振りぬく!
些か素人には雑過ぎる内容だった。
流夜には参考書を選ぶ才能などなかったようだった。
それに今回に限っては下半身の相乗効果を期待できそうにない。そうなってくると必然的に大人相手に上半身だけの力で対抗しなければならないが、ただ流夜の極めて高い身体能力から放り出される威力は、そこら辺の中学生とは次元が違うため瑣末な事である。
問題は的中率。距離は凡そ十五メートル。正直な話、当たるかは微妙なラインだった。ただ悠長している余裕などない。なら、ビギナーズラックにかけるしかなかった。
先陣を切って中に雪崩れ込んできた男。神経を研ぎ澄ませる。上半身を捻り、狙いを定めた。男は入るなり目を丸くして真夜に視線を固定した。男の動きが止まる。――今だっ。その隙を狙うかのように腕を振り降ろそうとした、まさにその瞬間だった。
「おらぁ「お、お父様……」ーーえっ?」
入ってきた男を見るなり歓喜の声を上げる真夜の声に反応し、小さく声を上げた。動揺した事で手元が狂った。
……おとうさま? …お父様!?
瞬時にしまったと焦燥感に駆られた。
しかし、リリースしまったものはもう返ってこない。真っすぐにそれは凡そ男――お父様?めがけて信じられないくらいのスピードで向かってい……あっ、
「やばいっ、避け「真やあがぁぁっ! 」 ……」
男――お父様?から奇妙な声が轟く。
当たりどころが悪かった。彼の持つビギナーズラックはとんだ不幸を運んでくれたようで、放たれたそれは見事なまでに彼の股間を射抜いた。急所を抑えるなり、地上に放り出された巨大な魚のように激しくのたうつ。
多汗症かと疑うほどの汗をかき、暫くすれば激しい動きを止め、ピクッ、ピクッと痙攣し始めた。次第に彼の口から、キュッ、キュッという声帯の機能不全が起きたような若干可笑しな呼吸音が出始める。
あまりにも痛々しい光景に見てられなかった…
「ま、真夜……」
「……なにかしら」
反射的に目を背け明後日の方向を向く真夜に、流夜は確認の意を込めて指をさしこう告げた。
「あ、あれ、……お前のパパ?」
「……ええ」
彼女の声音はどこか残念なものを見ているような響きだった。
曰く、これ程までに情けない姿を晒す父親を初めて見たそうだ。その為か、この時は得体のわからない動物が唯もがいているだけに見えたのかもしれない。それは彼の部下らしき人物2名も同じようで、ただそこに立ち尽くしていた。
「あ"ぁ"ぁ"ぁ"ぁ€○*$」
――いや、どう声をかけて良いのかわからなかったようだ。